モーツァルトの音楽は聴くものに希望・癒し・感動など、様々な感情を与えてくれます。

神に選ばれた作曲家と形容してもいい偉大な作曲家です。

当時からモーツァルトの才能は認められており、財政的には裕福であったとされています。

しかし、モーツァルトの死後、妻のコンスタンツェは借金返済で苦しみました。

天才作曲家として安定した収入があったにも関わらずなぜモーツァルトは借金まみれになってしまったのか。

その謎に迫っていこうと思います。

モーツァルト時代の音楽家

モーツァルトの時代、音楽家は宮廷や有力貴族、教会のお抱えとなる事が普通でした。ハイドンやモーツァルトの父もそうして生きてきたのです。

モーツァルト自身も当時のしきたり通りにザルツブルグ大司教に仕えていました。

しかし、この時代の音楽家は本当に書きたいものを書くことができず、雇い主に命じられたものを作らなければいけない時代でした。

フリーランスとなるモーツァルト

モーツァルトは大司教から縛られるのが嫌でたまりませんでした。大司教に何度も辞職願いを訴えましたがすべて却下されます。

しかし彼の転機となったのが1782年、モーツァルト25歳の年でした。

大司教とのトラブルの末、解雇されてようやく大司教の足かせから脱し、念願だった自由を手に入れます。

音楽家初のフリーランス誕生!

音楽家で初めてフリーランスになったモーツァルトでしたが、真っ先に考えなければならない事は生活のことでした。

オペラの作曲、ピアノの個人レッスン、楽譜の出版など、依頼された仕事は全て断る事なく受けました。

フリーランスといえば格好よく聞こえますが、無職になったモーツァルトの暮らしはとても安定したものではありませんでした。

そんな中でモーツァルトは後に作曲家三大悪女と揶揄された、コンスタンツェと結婚します。生活の安定など考えの外、現在の幸せだけを考えていたのでした。

作曲家としての成功

モーツァルトは子供の頃からヨーロッパの主要都市を回り、その実力を見せつけていました。仕事(作曲)の依頼は早くから入り始めました。

その事がモーツァルトを変えていくのですから、人生は上手くいきません。仕事による収入が入るたびに、仲間内で飲み騒ぎ、また、身の丈に合わない高価な服を新調したりしていました。

依頼が来た仕事は断りなく受けていましたから、この頃からかなりの収入があったはずです。フリーランスといってもベートーヴェンとの違いは自分の書きたいものだけを書いていたわけではなく、依頼主の要望通りの音楽を書いていたのです。

落ちていくモーツァルト

現在の価値で年収2千万円は稼いでいたモーツァルトでしたが、何故借金を繰り返すようになったのでしょうか。それは遊興に使ってしまっていたためです。

収入が入ると、モーツァルトが自腹で、数十人の仲間と飲み歩き、また、ギャンブルにもはまっていきました。よくある典型的なパターンです。

そのうえ、妻のコンスタンツェは家計には疎く、夫がどれだけの収入があるのかさえ理解していませんでした。そして、温泉療養やら度重なる散財をしていたのです。

こうした散財が重なっていき、モーツァルト家の財政は破綻に至ります。それを埋めるために、仕事の依頼は前払いにしてもらったり、それでも足りない時には友人に借金して回りました。

モーツァルトにはビジネスの才能がなかった

高収入がありながら、なぜモーツァルトは借金しか残せなかったのでしょうか。答えは明快、ビジネスの才能がなかったからです。

モーツァルトの音楽の才能は誰しも高く評価しています。当時の人もそうでした。だからこそ作曲の依頼人が絶えなかったのです。

しかし、モーツァルトにはそこからの発想がありませんでした。学校にも通わず父に連れられて旅から旅の連続だったという面もあるでしょう。

なぜ、モーツァルトは財を成せなかったのか

現在のように著作権があれば話は違う事でしょうが、当時はそんな考えはありませんでした。自分の作品は自分で守るしかなかったのです。

しかし、モーツァルトはそうしませんでした。依頼人からの報酬を受け取ったらそれでおしまい。その後の楽譜出版での収入や演奏会の度に売り上げの数%貰うとか、そうした考えは全く持っていませんでした。

いわば才能の切り売りをしていたにすぎません。この辺がベートーヴェンなどと違うところです。年収が高くても富として蓄積できなかったのです。

借金まみれになった訳

モーツァルトはフリーランスとして活躍していましたから、収入は不安定でした。しかし、当時の中産階級の平均年収500万円という金額に対して平均して2千万円もの収入を得ていました。1億円を超えていた年もあるといわれますからかなりの高額所得者だったわけです。

モーツァルトが貧乏になったのは、妻の放蕩もありましたが、最大の理由はギャンブルに溺れた事です。射的、カードゲーム、ビリヤードなど賭け事は何でもやりました。ビリヤードと九柱戯(今のボーリングのようなもの)は特に夢中でした。

家の中にビリヤード台と九柱戯用の専用レーンを作ったほどです。しかし、モーツァルトには博才はまるでなく、負けが続きました。その日の内に負けを取り返そうとして益々借金が増えていきます。借金が増えても、今までの暮らしぶりを変えたくなくてパトロンに泣きつきました。

彼のパトロンの1人あったプフベルクに、何度にも渡り借金の無心をしています。ある時には、数か月暮らせるくらいの金額を受け取っていながら、翌日には再び借金の無心をすることもありました。借りたお金をギャンブルで使い切ってしまったためです。

死後の借金総額

モーツァルトは1791年に35歳の若さで亡くなりました。残された借金は5千グルデン(約2千万円)にのぼります。勿論、彼の妻が負の遺産を引き継ぎました。コンスタンツェは2人の子供を抱えながら苦労して、夫の借金を返し続けます。

モーツァルトがパトロンのブフベルクに借金した全額を返したのもコンスタンツェでした。未亡人年金とモーツァルトの自筆譜を出版社へ売り払ったりした代金を借金返済に充てていたのです。世にいう三大悪妻とは全く別人のような話なのでした。

モーツァルトの死から18年後にコンスタンツェは再婚し、より幸せに暮らします。再婚相手に『モーツァルト伝』を書かせたり、家計を守り、財産を管理し、再婚相手にとっては良き伴侶となっています。

まとめ

モーツァルトは現代の演奏会になくてはならない作曲家です。しかし、生前のモーツァルトはお金に振り回された人生でした。モーツァルトが貧乏にあえいでいたなんて信じられません。音楽バカということが最も彼にふさわしい言葉なのでしょう。

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