光陰矢の如しとはよく言ったもので、日々の暮らしに追われているとあっという間に歳月は流れてしまいます。しかし、ちょっと立ち止まってまわりを見渡せば、イベント毎に季節感を感じる事ができるものです。
1年は12ヶ月ありますが、それぞれの月によって空気の澄み方も違いますし、暑さ寒さ、そして星の見え方、吹く風の強さなどその時々の環境によって感じる感覚は違ってくるでしょう。
12ヶ月の間には卒業や入学、就職などの人との別れ、出会いがありますし、その月に応じたイベントが待っています。12ヶ月のクラシック音楽ツアーと題し、それぞれの月に相応しいクラシック音楽を紹介していきましょう。
1月の音楽
ヨハン・シュトラウスⅡ『美しく青きドナウ』
1月は新しい年を迎えた喜びを味わう音楽が合っていると思います。そこで忘れていけないのは何と言ってもウィーン・フィルのニューイヤーコンサートです。
毎年1月1日のコンサートの模様は全世界に生中継されます。日本でもクラシック好きの正月はウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを見ないと始まりません。
会場の所々に着物姿の日本人を見つけると日本も豊かになったものだと、毎年同じ感想が浮かんでくるのも恒例です。
ニューイヤーコンサートから1曲選ぶとすれば、アンコールで演奏される『美しく青きドナウ』しかありません。
ウィーンを代表する作品ですし、オーストリアの第2の国歌でもあり、ウィンナ・ワルツの最高峰でもあります。
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ニューイヤー・コンサート1987 指揮ヘルベルト・フォン・カラヤン
歴史的記録ともいえる録音ですから、帝王カラヤンの最初で最後のニューイヤーコンサートを挙げます。カラヤンとウィーン・フィルの繋がりの深さを聴く事ができるでしょう。
2月の音楽
エルガー『愛の挨拶』
2月と言ったら若い人にとっては大きなイベントがありますね。バレンタインデーです。女性は本命チョコをあげるかどうか悩み、男性は義理チョコでもいいから貰いたいと願う1日となります。
最近では自分のためにチョコレートを買う人も多くなっているようです。また、男女関係なく友チョコを配る人も多いようですね。
そもそもバレンタインデーはキリスト教圏の人達が愛する人や大切な人達に贈り物をする日です。日本とは少し意味合いが違います。
そんな日にぴったりなのはエルガーの『愛の挨拶』でしょうか。エルガーが婚約者アリスのために贈った愛に包まれた音楽です。
アリスは陸軍少将の娘で身分違いということもあり結婚に反対されましたが、二人は愛を貫きました。
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五島みどり(Vn)、ロバート・マクドナルド(P)(1992)
五嶋みどりの円熟した演奏をお勧めします。澄み切った音色は流石のものです。演奏を聴けば、五島みどりの世界に入り込んでしまうでしょう。
3月の音楽
ショパン『別れの曲』
3月は日本では卒業や転勤の時期です。別れの季節ということで、ショパンの『別れの曲』を選びました。
最近の3月は気温が高くなり、入学式ではなく卒業式に桜の花が満開という地域もあります。季節感が昔とは少しずつ変わってきました。
我々の時代は『仰げば尊し』などを歌ったものですが、最近の卒業式ではどんな歌を歌っているのでしょう。興味があります。
さて、『別れの曲』ですが、正式には『12のエチュード(練習曲)』第10番の3曲目にあたる作品です。
この第10番のエチュードには面白いエピソードがあります。ショパンと同時代に活躍したリストは当代一のピアニストと言われていましたが、ショパンのこの作品を初見で弾く事ができなかったそうです。
リストは後日、練習を重ねてショパンの前で見事な演奏を繰り広げました。それ以来、2人は親友となります。
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マウリツィオ・ポリーニ(P)(1972)
初版のレコードの帯には「これ以上何をお望みですか」との音楽評論家・吉田秀和の言葉が踊っていました。練習曲の10番と25番が収められています。この作品でポリーニの演奏を超えるピアニストはまだ現れていません。
4月の音楽
ヨハン・シュトラウスⅡ『春の声』
4月といえば待ちかねた春の到来です。その気持を良く表しているのがヨハン・シュトラウスⅡ『春の声』。
辛い季節が終わり、太陽の日差しにみんなが喜ぶ様が上手く描かれた作品です。ソプラノの独唱付きで演奏される事もあります。
春への思いは日本だけでなく世界中同じものなのですね。特に寒い冬の大陸に住む人にとっては特別な感情が生まれるのだと思います。
この作品はヨハン・シュトラウスⅡが3回目の結婚をしたばかりの頃に作曲され、自身の結婚の喜びや幸福感も含めて作曲されました。
春が来た喜びを素直に感じる事ができる作品です。
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ニューイヤー・コンサート1987 指揮ヘルベルト・フォン・カラヤン、キャスリーン・バトル(Sop)
これも1987年のカラヤンを挙げておきます。キャスリーン・バトルが見事な歌声で会場を魅了しました。87年のニューイヤーコンサートは色々な意味で特別だったのだなと思います。
5月の音楽
シューマン『詩人の恋』から「美しい五月には」
5月は新緑の季節です。この季節にぴったりな歌曲を選びました。シューマンの歌曲集『詩人の恋』から「美しい五月には」です。
美しい5月に詩人はある女性に恋をし、その気持を打ち明けるまでの歌になっています。最後は寂しい思いを味わうのですが、5月という季節が人の心にもたらす効果をシューマンは独特の音楽で上手く表現しました。
芽吹きの頃の人の感情は不思議と高ぶるものです。恋心を打ち明けたくなる気持ちも分かります。
すべての蕾がひらくときに
私の胸にも
恋がもえ出た
美しい5月になって
すべての鳥がうたうときに
私は胸にもえる思いを
あのひとにうちあけた
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フリッツ・ヴンダーリッヒ(T)、ギーゼン(P)(1965)
名テノールだったヴンダーリッヒの歌唱で味わいましょう。ロマンティックなイメージで歌い上げています。フィッシャー=ディースカウもいいですが、完璧すぎてちょっとねという人におすすめです。
6月の音楽
ブラームス『ヴァイオリンソナタ第1番』「雨の歌」
6月といえば梅雨の季節です。雨の音楽から私が選択したのはブラームス『ヴァイオリンソナタ第1番』「雨の歌」。
雨の作品も色々な作曲家が作っていますが、ブラームスのこの作品は少し艶めかしい音楽となっていて、実にロマンティックです。梅雨のじめじめさはこの作品にはありません。
「雨の歌」となっていますが、ブラームスが名付けたわけではなく、ブラームスも「雨」の作品を書いたわけではないのです。
しかし、こんなメロディを思い付いたブラームスはやはり音楽史に名を残す偉大な作曲家なのだと思います。
心穏やかになる音楽です。雨で外に出かけられない日はこの作品を聴いて過ごすのがいいでしょう。
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チョン・キョンファ(Vn)、ペーター・フランクル(P)(1995)
チョン・キョンファは実に端正な音楽作りをするヴァイオリニストです。この作品の詩情溢れる音楽性も見事に表現しています。
7月の音楽
ヘンデル『王宮の花火の音楽』
7月は花火の季節です。そこでヘンデルの『王宮の花火の音楽』を選択しました。夜空に打ち上がる花火を見て暑気払いといったところです。
イギリス国王ジョージ2世は、オーストリア継承戦争でイギリスが勝利した事を祝う平和条約祝賀行事を計画しました。その時に花火も打ち上げる事になり、そのための音楽として作曲されたのです。
国王だけはこの祝典に非常に前のめりになり、新たな建物や自分の像を作らせたりしました。あろうことか音楽担当のヘンデルにまで勝手に注文をつける始末です。ヘンデルは国王の言葉を無視して己の考える音楽を作りました。
この祝賀行事は花火が上手く上がらなかったり、行事のために新たに作られた建物や国王の像までが火事で焼けてしまうなど、散々な結果に終わります。
しかし、この日のために作曲されたヘンデルの音楽は正当な評価を受け、現在まで残ったのです。
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ラファエル・クーベリック/ベルリン・フィル(1963)
古楽器演奏が多くなった現在ですが、個人的にはモダン楽器で違和感なく聴きたい音楽です。クーベリックの指揮は意外とダイナミックで気持ちよく聴かせてくれます。
8月の音楽
ヘンデル『水上の音楽』
8月は盛夏の季節です。涼しげな水遊びが恋しくなる時期ですので、ヘンデルの『水上の音楽』を選びました。
イギリスの国王のようにテムズ川で舟遊びとは行きませんので、せめて涼しげで爽やかなこの作品で涼を感じたいものです。特にアラ・ホーンパイプなどは最高!
ヘンデルが新しくイギリス国王になったジョージ1世との和解のためにこの作品が作曲された話は有名ですが、実は真っ赤な嘘です。
しかし、舟遊びが行われた事は間違いなく、50名もの楽師を一艘の船に乗せて演奏は行われました。当時の船は手漕ぎボートですので、さぞや大変な苦労があったと思われます。
国王はこのイベントを喜び、ヘンデルの音楽を気に入って3度もアンコールをしました。
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ラファエル・クーベリック/ベルリン・フィル(1963)
7月と同じ録音を選びました。やはり古楽器オーケストラよりはモダン・オーケストラで聴きたいものです。『王宮の花火の物語』同様、気持ちよく聴かせてくれます。
9月の音楽
ドビュッシー『月の光』
9月といえば中秋の名月。秋に月を愛でるのは世界各国変わりがないようです。そこでドビュッシーの『月の光』を選びました。ドビュッシーの最も知られている作品です。
『月の光』は『ベルガマスク組曲』の第3曲目にあたります。作曲当初は『月の光』というタイトルではなく、『感傷的な散歩道』でした。
これはこれでこの音楽にあったタイトルでもあると思いますが、出版時に出版社が『月の光』に変えたという経緯があります。
何れにせよ、聴く人は柔らかな月の光が差してくる印象を受けますから、このタイトルで良かったのかもしれませんね。
ほとんどがピアニッシモで演奏される叙情溢れる音楽です。
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ミッシェル・ベロフ(P)(1985)
左手の故障が回復してから再録音したものです。旧盤も素晴らしいものでしたが、この録音も綺麗な音で見事な演奏になっています。ベロフの感性は凄いものです。
10月の音楽
オッフェンバック喜歌劇『天国と地獄』より序曲
10月は子どもたちが喜ぶ運動会の季節です。運動会の音楽は様々ありますが、『天国と地獄』序曲が最もポピュラーではないでしょうか。
誰でも知っている、調子の良い音楽です。「カステラ1番、電話は2番」というコマーシャルでもお馴染みでしょう。まさに運動会には欠かせない音楽かと思います。
オッフェンバックのこの作品はギリシャ神話をパロディ化した滑稽話で、だからこんな面白い音楽も登場するのですね。
あの最も有名な部分の音楽は金管楽器も活躍しますが、簡単そうに見えて金管楽器奏者にはなかなか大変なのだそうです。中音域を最大のパワーで吹くために息がもたなくなって難しいといいます。
簡単そうに演奏しているようですが、演奏家は色々苦労しているのですね。
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ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィル(1980)
こういった序曲集はカラヤンに任せるのが一番!カラヤン/ベルリン・フィルのサウンドは凄いものがあります。
11月の音楽
ヴェルディ『椿姫』から「乾杯の歌」
毎年11月の第3木曜日午前0時はボジョレー・ヌーヴォーの解禁日です。日本でも成田空港の近くのホテルで当日の午前0時から早速味わっている方々もいます。
という事で11月の音楽はヴェルディの『乾杯の歌』にしました。歌劇『椿姫』の中で歌われるテノール・ソロ、ソプラノ・ソロ、デュエット及び合唱曲です。
原題は「La traviata」といい、『堕落した女』を意味しますが、日本では原作の『椿姫』をそのまま使っています。
『乾杯の歌』は歌劇の冒頭のパーティー部分で歌われるもので、知名度は高いものがあります。この歌劇を知らない方でもこの曲だけはご存じの方も多いのではないでしょうか。
『椿姫』はヒロインが肺結核になってしまい、愛する人とは結ばれないまま死を迎えるという悲劇です。初演は歴史的な大失敗で「大失敗3大オペラ」の一角を占めています。
因みに「大失敗3大オペラ」のあとの2つは『蝶々夫人』、『カルメン』です。
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カルロス・クライバー/バイエルン国立歌劇場、イレアナ・コトルバス(Sop)他 (1975-1976)
『椿姫』全曲ならば、カルロス・クライバーの1975-1976年盤を聴けば満足してもらえるでしょう。名盤です。この機会に『椿姫』全曲を聴いてみるのもいいかもしれません。
12月の音楽
ベートーヴェン『交響曲第9番』「合唱付き」
『第九』は俳句の世界では師走の季語になりました。日本では12月に入ると各地で『第九』フィーバーが繰り広げられます。
そんな事もあり12月の音楽はベートーヴェンの『第九』を選びました。こんなに『第九』の演奏会が行われる国は他にはありません。
欧米では『第九』は特別な作品で、大晦日や大事なイベントがある時などに演奏される音楽です。ベートーヴェンの最高峰と称される交響曲をどの音楽先進国も大切に思っています。
日本では戦後オーケストラの餅台を出すためにNHK交響楽団(の前身)が『第九』演奏会を始めた事が発端で、うちもうちもという感じで他のオーケストラも真似るようになり、12月は『第九』の季節になりました。
日本各地の合唱団でドイツ語が読めない年配の方たちが、必死で『第九』の合唱の練習をしている姿が毎年紹介されます。それを見ていると、どんな形であれベートーヴェンの音楽に参加する事に意味があると思うのです。
人類愛を高らかに歌い上げたベートーヴェン『交響曲第9番』「合唱付き」を聴いて、1年を締めくくりましょう。
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ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団他(1951)
やはり最後は名盤の誉れの高いフルトヴェングラーのバイロイト盤で締めましょう。録音の悪さも問題にならないぐらいにフルトヴェングラーの個性が光っています。巨匠の演奏とはかくあるべしといったところでしょうか。
まとめ
1月から毎月、その時期にあった音楽を紹介してきました。現在考えた音楽は以上でしたが、また時を置いて考えると別の音楽に置き換わる事もあるでしょう。
人によっても季節の感じ方は違ってきますから、それぞれに思い描く音楽があると思います。
季節を感じながら音楽に接する事はとても大事です。人間の感覚や感性を磨く事にも繋がります。
自分なりの1年の音楽を考えてみるのも楽しいものです。