アルトゥーロ・トスカニーニという指揮者を知っていますか。20世紀初期から半ばに活躍した偉大なる指揮者で、ブルーノ・ワルター、ウィルヘルム・フルトヴェングラーと同時期に活躍しました。いつの間にか、この3人を20世紀の三大指揮者というようになりました。

昔の指揮者である事から、録音でしか彼の演奏は聴けませんが、現代の指揮者と違って、大胆な演奏を聴く事が出来ます。当時は音楽を盛り上げるために、演奏するスコアに指揮者が勝手に変更を加えていた時代でした。その事を当然と考えていた時代だったのです。

トスカニーニは「楽譜に忠実な」指揮者という伝記も存在しますが、演奏を聴けば、どこが楽譜に忠実なのと思ってしまうぐらいの演奏です。今回は、帝王と呼ばれたヘルベルト・フォン・カラヤンも憧れた大指揮者、アルトゥーロ・トスカニーニについて紹介します。

アルトゥーロ・トスカニーニ【略歴】

アルトゥーロ・トスカニーニ
アルトゥーロ・トスカニーニ(Arturo Toscanini)は1867年3月25日、イタリアのパルマで生まれました。父は洋服の仕立て屋、母は裁縫師でした。9歳でパルマ王立音楽院に入学した才能豊かな子供で、音楽院ではチェロと作曲を学び、17歳の時に自作の指揮をしました。

1885年、チェロと作曲で最高賞を獲得して卒業後、イタリアの巡回歌劇団のチェロ奏者となります。1886年6月30日、リオデジャネイロでのヴェルディの歌劇『アイーダ』公演で、地元の指揮者がキャンセルしたため、トスカニーニが代わりに指揮を務めました。

帰国後はミラノ・スカラ座のチェロ奏者に就任し、同時にイタリアやスペインで指揮活動も開始しました。1898年、31歳の若さでミラノ・スカラ座の首席指揮者に任命され、芸術上の問題で辞任する1903年までと、1906年から1908年まで務めました。

1908年から1915年までニューヨークのメトロポリタン歌劇場の首席指揮者に就任します。1921年から1929年には三度スカラ座の芸術監督に就任。1930年から1936年にはニューヨーク・フィルハーモニックの首席指揮者を務めました。この頃は既に世界的な名声を獲得しています。

1937年からはアメリカのNBC放送が彼のために特別に組織したオーケストラ、NBC交響楽団の指揮者として活動し、1954年4月4日の演奏会で引退するまでベートーヴェン、ブラームスの交響曲全曲、ワーグナーの管弦楽曲集、ヴェルディのオペラなど、数多くの名盤をRCAに録音しました。

アルトゥーロ・トスカニーニ【徹底した反ファシズム】

トスカニーニは徹底してファシズムを嫌い、ムッソリーニが政権を取ったときにアメリカに亡命します。ユダヤ系であったブルーノ・ワルターがドイツから追われると彼を助け、またその一方で、ドイツに留まっているフルトヴェングラーなどに対しては、激しく批難しました。

フルトヴェングラーとの間には、政治的に考えの違う二人の、興味深い話が残っています。1937年のザルツブルク音楽祭に招待されたトスカニーニはフルトヴェングラーとは顔を合わせたくないと思っていましたが、偶然、二人は街中でばったりと会ってしまいます。

ドイツに残って指揮をしている事はナチスに手を貸している事と同じだ考えるトスカニーニと、芸術に奉仕しているだけでナチスとは一線を画していると主張するフルトヴェングラーは、その場で口論となってしまいます。偶然とはいえ、こんな事があったのは面白い出来事でした。

アルトゥーロ・トスカニーニとNBC交響楽団

ファシズムから逃げたトスカニーニは一時、引退をほのめかします。しかし、それを惜しむNBC放送が彼のためのオーケストラを作り、彼の引退を留めました。NBC交響楽団は全米から腕自慢の演奏者を募り、最初からオーケストラ・メンバーは優れた人たちばかりでした。

トスカニーニの要望でニューヨーク・フィルやボストン交響楽団と遜色ないオーケストラという条件を突き付けられたためで、お金には糸目を付けなかったそうです。そんな優れた人の集まったオーケストラでしたから、トスカニーニの指揮の元、すぐに世界的オーケストラになりました。

トスカニーニはNBC交響楽団とラジオ、テレビ放送を行い、放送のない日は数々の録音を行いました。勿論、コンサートにも力を入れ、それをライヴとしてラジオ、テレビ放送をしました。現在、トスカニーニの録音として残っているものはNBC交響楽団とのものがほとんどです。

アルトゥーロ・トスカニーニは全て暗譜

トスカニーニは本番のみならず練習の時から暗譜で行ったといわれています。それはなぜか。彼が強度の近視であり、ほとんど周りがぼやけて見える程度の視力だったからです。彼は必死になってスコアを暗譜したのでしょう。その努力がよりスコアの読み方を深くしたのだと思います。

今でこそ、ほとんどの指揮者が暗譜で演奏する時代になりましたが、事情はどうあれ、彼こそ暗譜の指揮の先駆けだったのです。聴衆はそんな事情を知りませんから、こんなに難しい曲を暗譜で指揮するなんて凄いと評判になります。その当時は他に居ませんから、格好良く見えたのでしょう。

アルトゥーロ・トスカニーニの引退

トスカニーニの引退は突然訪れました。1954年4月4日、カーネギーホール。曲目は『タンホイザー』序曲でした。演奏の途中で彼は記憶を失って指揮を止めたのです。ラジオ放送は中断してアナウンスとともにブラームスの『第1交響曲』が流れたそうです。

この時の録音は今でも聴く事が出来ます。一流のオーケストラですから、指揮者が指揮を止めても、『タンホイザー』序曲は最後まで演奏されました。しかし、これにショックを受けたトスカニーニは引退を決意し、その後二度と舞台には戻りませんでした。

アルトゥーロ・トスカニーニの最期

1957年1月16日、ニューヨーク市リバーデイルの自宅にて脳血栓のため亡くなりました。89歳でした。トスカニーニはNBC交響楽団という放送局付きのオーケストラとコンビを組んだため、彼の音楽は数多く録音され、またテレビ用に録画された映像も残されています。

我々はこの20世紀のクラシック音楽を彩ったトスカニーニという指揮者の演奏を味わう事が出来るのも、そのお陰です。この奇跡を喜びながら、彼の録音を聴く事にしましょう。ベートーヴェンやブラームスの交響曲の復刻CDは意外と音質が良いものとなっています。

まとめ

アルトゥーロ・トスカニーニは一介のチェリストで終わっていたかもしれない人物でした。強度の近視で、全ての音楽を暗譜していた事から、指揮者としての活動を始めます。それも、代振りという形でした。人間の運命は何がきっかけになるか分からないものですね。

現在、こうしてアルトゥーロ・トスカニーニの録音を聴けるのも、NBC交響楽団があったればこそです。まさに神が導いた人生だったような気がします。「20世紀の3大指揮者」が天国で仲良くしている事を望みつつ、筆を置きます。

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