ベートーヴェンの『合唱幻想曲』はそれほど有名な作品ではありませんが、ベートーヴェンの交響曲に重要な影響を与えた1曲となっています。ピアノ、管弦楽、独唱、四声合唱を融合させた作品で、画期的な試みを行っているのです。
管弦楽とピアノ、管弦楽と独唱などは個々の作品がありますが、合唱も加え、それらを全てひとつの音楽として融合させるというアイデアはそれまでにないものでした。ベートーヴェンはそれを実験的に行ったのです。
この作品を聴いているとどこかで聴いたようなメロディが時々顔を出します。そう、『第9』です。この時の実験が16年後の『第9』に結びついて行きます。今回はそんな重要な役目を果たした『合唱幻想曲』について紹介します。
合唱幻想曲概要
『合唱幻想曲』は『運命』、『田園』の新しい交響曲の演奏会を最後に盛り上げようとして作曲されたものでした。当時のベートーヴェンにとってはいわば使い捨ての作品だったのです。
作品について
初演:1808年12月22日
演奏時間:約20分
『合唱幻想曲』が作曲されたのは1808年、ロマン・ロランが言うところの「傑作の森」の真只中です。『運命』、『田園』が同じ1808年に作曲されている事からも分かるように、ベートーヴェンの最も充実した時期でした。
演奏には独奏ピアノ、管弦楽、独唱(ソプラノ2人、アルト、テノール2人、バス)、そして混成四部合唱が必要で、滅多に演奏される作品ではありません。演奏時間は20分ほどです。
この作品を作曲する動機は演奏会の最後に合唱で盛り上げたいという単純な発想からでした。そして、僅か2週間で完成させます。
初演
初演時のプログラムはとんでもないもので、以下の通りです。
2.アリア “Ah, perfido”(作品65)
3.ミサ曲ハ長調(作品86)より、グロリア
4.ピアノ協奏曲第4番
(休憩)
5.交響曲第6番ハ短調(注:現在の第5番)
6.ミサ曲ハ長調より、サンクトゥスとベネディクトゥス
7.合唱幻想曲
現在では考えられないプログラムですが、当時は録音などない時代でしたので、演奏会をする時は出来る限り多くの作品を詰め込むのが当たり前だったようです。
会場は当時最高の劇場であったアン・デア・ウィーン劇場。その劇場でベートーヴェン自身が主催者となって演奏会を行う事はそう容易い事ではなかったのです。それにしてもこれは詰め込み過ぎですね。
演奏時間4時間、そして12月であったために聴衆は寒さに震えながら聴いていたそうです。そんな寒さの日でしたから、集まった聴衆もわずかでした。
演奏のやり直し
『合唱幻想曲』は演奏会当日になってもピアノパート部分は完成しておらず、冒頭のピアノソロはベートーヴェンが即興で合わせました。リハーサルでの打ち合わせで、反復部分は演奏会では反復しないとしていましたが、ベートーヴェン自身がそれを忘れてしまいます。
ピアノソロとオーケストラが違う部分の演奏をし始めたので、当然めちゃくちゃな状況になりました。ベートーヴェンは演奏を一旦打ち切り、もう一度最初からやり直すという演奏家とし屈辱的な結果になってしまいます。
演奏会の最後を合唱付きの作品で盛大に盛り上げて終わりたかったベートーヴェンの目算は見事に打ち砕かれ、ベートーヴェン・フリークの聴衆たちにも愛想を尽かされます。
合唱幻想曲作品解説
ベートーヴェンは人の声を宗教曲ではない一般作品に組み込むためにひとつひとつステップを踏むように楽曲を作りあげました。
合唱幻想曲の構成
『合唱幻想曲』の構成は実に単純で、ベートーヴェンのやりたかった事が直ぐに分かります。以下のように順番に音楽の世界が膨らんでいくように作曲されているのです。
2.ピアノにオーケストラが加わる
3.ピアノ、オーケストラに独唱者が加わる
4.ピアノ、オーケストラ、独唱者に合唱が加わる
ひとつひとつ階段を上っていくかのように音楽が構成されていて、次第に聴く人のテンションが上がるように作られています。
ベートーヴェンとしてもミサ曲でもない作品に合唱を取り入れるのは初めての事だったので、そこは慎重になって作品の構成を考えたのだと思います。どうしたら人の声を管弦楽に馴染ませられるか、その意味でも実験作品だったのです。
これをひとつひとつ見ていきましょう。
1.ピアノソロ
冒頭のピアノソロは3分20秒ほど続きます。まるで即興曲でも弾いているような感じで始まるのです。指揮者もオーケストラもピアノの演奏を注目して聴いて待っています。
2.オーケストラが加わる
オーケストラはチェロとコントラバスの低弦から静かに仲間に加わります。そしてオーケストラ全体も加わりピアノと交わります。直ぐにホルンを合図として、ピアノによる主題提示があります。
ピアノと木管楽器での掛け合いがあってから、オーケストラのテュッティでの主題が奏でられ、しばらくはピアノ協奏曲のような音楽になります。
3.独唱者が加わる
11,2分の間ピアノとオーケストラの掛け合いが行われた後、いよいよ声楽のソロたちが加わります。2での主題提示のように、ここでもホルンの合図をきっかけに声楽ソロ6人が入ってきます。
1フレーズだけ6人で入り、その後に女声3人(2ソプラノ、アルト)による重唱、男性3人(2テノール、バス)による重唱と移っていきます。
4.合唱が加わる
1分ほど独唱者たちが重唱した後についに合唱も加わります。合唱の参加は3分にも満たないものですが、独唱者たちも加わり、楽曲を締めくくる盛り上がりを生み出します。
主題の原曲は歌曲
『合唱幻想曲』の主題の原曲は歌曲『愛されない者のため息ー愛のこたえ』WoO.118(1794-5年)です。この歌曲はべートーヴェン自身が作品番号を付けなかった歌曲、つまり生前に出版しなかった作品なのでWoO番号になっています。
この動画の2:56から我々の良く知っているメロディが流れます。『合唱幻想曲』はこの歌曲がルーツだったのです。という事は『第9』のルーツでもあります。
ベートーヴェン24、5歳の作品ですから、彼の頭の中にはずっとこのメロディがあり、いつか使おうとずっと温めていたのですね。
旋律の使いまわしは良くあることです。ベートーヴェンに限った事ではなく作曲家は誰でも行っています。要はどう上手く使いこなすかの問題です。
合唱幻想曲に使用された歌詞
声楽部分の歌詞は音楽が出来上がった後に付けられました。オーストリアの詩人クリストフ・クフナーのものとされていましたが、クフナーの詩集にはその詩がなく、未だに誰によって作られた歌詞なのか分かっていません。
ベートーヴェン自身が作詞したものだという説も存在しているのです。ここでは歌詞を挙げるのは省略しますが、芸術と愛について歌われています。しかし、この時のベートーヴェンは歌詞などどんな内容でも良かったのではないかと思うのです。
演奏会を盛り上げ締めくくれるような歌詞であったら、思想など抜きで何でも良かったと思います。だからこそ、僅か2週間でこの作品は生まれたのです。
『第9』との関係
ベートーヴェンが本格的に『第9』の構想を練りだしたのが1817年頃と言われています。彼は最初『運命』と『田園』のように、同時期に2つの交響曲を作曲する事を考えていました。
一方には合唱を取り入れる交響曲、もう一方は合唱なしの交響曲を構想していたようです。様々な理由からひとつの交響曲を作る事しか出来なくなったベートーヴェンは、交響曲へ合唱を取り入れる方を選択します。
流石のベートーヴェンでも交響曲に合唱を取り入れる事はどう整合性を取るべきかを悩んだ事でしょう。悩んだ末に以前の『合唱幻想曲』を叩き台に選んだのだと思います。その時点で既に作品のテンプレートは出来上がっていたのです。
合唱には、20数年前から曲を付けたかったシラーの詩を使おうなどアイデアは広がっていったはずです。それもこれも、『合唱幻想曲』を作曲していた経験から、生み出されたものではないでしょうか。
ピアノこそ使われていませんが、『第9』の音楽の運びも器楽での演奏から独唱、そして合唱が登場という順番になっています。合唱で最後を盛り上げて楽曲を終えるやり方も同じです。
主要テーマの同一性、音楽の流れなどを見ると、『第9』は『合唱幻想曲』という下地があったからこそ生み出されたといっても過言ではないでしょう。『第9』の習作になっていたのです。
まとめ
演奏機会がそう多くない『合唱幻想曲』を取り上げましたが、ピアノ、管弦楽、独奏と合唱の融合という発想が生み出された事自体がエポックメイキングです。
『合唱幻想曲』は単なる演奏会のお飾りとして作曲されましたが、実は『第9』へと繋がる音楽だったなんて、当時のベートーヴェンは考えもしなかった事です。
テーマの原曲が歌曲という事も新しい発見でした。ベートーヴェンは若い頃からこのテーマを考え出していたのです。そして、『第9』で昇華させたのですね。何という年月を要する仕事だったのでしょうか。