ベートーヴェンの『交響曲第8番』は他の交響曲に比べてマイナーなイメージがあり、演奏機会もそう多くはありません。この交響曲を傑作と見るかどうかは聴く人によって意見は分かれます。一層難しくしているのが、ベートーヴェン本人が一番のお気に入りの交響曲だと言っている事です。
しかしこの『第8番』は『運命』や『田園』そして『第9』などの傑作と比べると見劣りするのは否めませんが充分にベートーヴェン的特徴を備えています。
全体的に楽しくて活気あふれる交響曲でありベートーヴェンの高揚感がひしひしと伝わってくる交響曲です。それもその筈、最後の恋人とされる彼女の事を思いながら作曲したと考えられています。
ベートーヴェンが恋愛中の作品
ベートーヴェンが机の中に隠していた「不滅の恋人」へというラブレターが書かれた頃(1812年)にこの『第8番』は作曲されています。ラブレターを生涯捨てなかったという事はこの恋愛が如何に真剣だったかを窺わせます。思い人を忘れなかったためにラブレターも捨てられなかったのでしょう。
『第8番』は『第7番』と同時期の作品ですが、恋愛の喜びを表す上で、ベートーヴェンがこんなにはしゃいで、楽しく、ユーモラスに作曲した楽曲を他に知りません。『第4番』も恋愛が絡んでいましたが、『第8番』はもっと進んで結婚まで考えているようなベートーヴェンです。
「不滅の恋人」への手紙には「完全にあなたと一緒か、あるいはまったくそうでないか、いずれかでしか私は生きられない」とまで書いており、この恋愛が激しいものだった事を教えてくれます。このような事情から『第8番』は個人的な事情で作曲されたものと分かります。
ベートーヴェンは9曲の交響曲の中で唯一この『第8番』だけは誰にも献呈しませんでした。これも、個人的な交響曲だからこそ、自分の宝物としておきたかったのではないかと想像できるわけです。
『交響曲第8番』の音楽性
『第8番』はベートーヴェンの交響曲の中で聴く機会がない交響曲のひとつです。イコール人気がない交響曲という事もできます。『第5番』『第6番』『第7番』と名曲が続いた中で一息ついた形なのでしょうか。
古典的な形式に戻った形ですが流石はベートーヴェン、こじんまり纏まったりせず彼らしさも十分に味わえる内容です。
第1楽章が序章なしで始まる事や第2楽章の規則的なリズム、第3楽章のポストホルン、最終楽章では転調の繰り返しやコーダの長さなど多くの工夫がなされています。
ベートーヴェン『交響曲第8番』楽曲解説
ベートーヴェンにしては最初から肩ひじ張らずに聴ける、飽きないで一気に聴き通せる、面白い交響曲です。ベートーヴェンらしいアイデアが様々に顔を覗かせています。これから、楽章毎にその一つ一つを見ていきたいと思います。
第1楽章
第1楽章は序章もなくいきなり第1主題から演奏されます。交響曲ではこんな始まり方はこの『第8番』だけです。この事がこの『第8番』が小さな交響曲ともいわれる所以になっていると思います。同時期に書かれた『第7番』にはスケールの大きな序章が付いています。
この楽章はいきなり幸せの宣言で始まっているのです。フォルテで表現される音楽やスフォルツァンド(アクセントのついたフォルテ)が多用されています。古典的な交響曲とは一線を画す形です。最後は出だしの勢いとは全く異なり、あっという間に終わってしまいます。
第2楽章
アクセントの良い木管の和音で始まります。ユーモラスな感じのメロディであり、木管と弦楽器が対話しているような感じです。当時はメトロノームをイメージして書いたといわれていましたが、今日ではそれが否定され、ハイドンの『時計』を意識したのではと言われています。
この楽章を通して続く木管楽器の和音は、規則的に動く時計のような機械を連想させ、可愛らしく楽しい雰囲気を醸し出しています。この楽章は短くて、あっという間です。交響曲の第2楽章は普通、緩徐楽章ですが、この『第8番』はそうではありません。
メトロノームの考案者メルツェルに贈ったカノン『親愛なるメルツェル』(WoO162)の旋律を転用したといわれてきましたがこの説は否定されています。
このカノン自体がアントン・シンドラーの偽作と考えられる事やそもそも『交響曲第8番』の方が先に作曲されているからです。
第3楽章
第3楽章にポストホルンの旋律が出てくることは有名です。当時、ポスティリオンと呼ばれる郵便馬車の御者は町の城門を入ったところでラッパを吹き、メロディの種類によって何頭立ての馬車かとか急行便か鈍行便かなどを知らせたそうです。ベートーヴェンはそれを表現しました。
ボヘミアのカールスバートに滞在中に聴いた郵便馬車のラッパと言われています。カールスバートは「不滅の恋人」に関係する重要な場所です。
ドミソの3つの音からなる単純なメロディですが、彼にとってそれは、待ち焦がれる恋人や手紙の到着を知らせる幸せの印だったに違いありません。ここにもベートーヴェンの恋愛の印が刻まれていたのです。そう考えると、ベートーヴェンのうきうきしたような感じが良く表現されています。
第4楽章
激しいリズムと強弱変化、大胆な転調がこれでもかと盛り込まれた意欲的な楽章です。まるで、嵐のように情景がくるくると変わり、熱気に溢れた情熱がエネルギッシュに突き進んでいるかと思いきや突然分断されるなど、この楽章でもユーモアが冴えわたっています。
そしてわざとらしく長々と盛り上げられ、クライマックスを迎えます。この最後のコーダの部分はしつこくこれでもかと繰り返され、「意図的なしつこさ」と言われています。『運命』の最後をベートーヴェン自身が茶化して作曲したものと考えられています。
初演について
1814年2月27日、『交響曲第8番』の初演が行われました。その日は他に『交響曲第7番』など数曲の演奏が行われましたが、聴衆に人気があったのは圧倒的に『交響曲第7番』だったのです。
この事にベートーヴェンは落胆し、「聴衆がこの曲を理解できないのはこの曲があまりに優れているからだ」と語ったと言われています。
ベートーヴェンは何を持ってこういう発言をしたのかについての詳細は伝っていませんが、愛する人へ愛情をこめて書いた作品という事もあって自信作という自負もあったのかもしれません。
まとめ
『交響曲第8番』は一気呵成に聴ける音楽ですが、聴き終えて感動というよりも爽やかさを感じる不思議な交響曲です。ベートーヴェンが愛する人を思って書いたものと言われていますが、ベートーヴェンの楽しさが十分に伝わって来ます。
ベートーヴェンは「聴衆が交響曲第8番を理解できないのは、この曲があまりに優れているからだ」と語りましたが、その真意がどういうものだったのかベートヴェンに聞いてみたいものです。