ベートーヴェンといえば当然『運命』や『第9』といった交響曲が頭に浮かびます。しかし、余り一般的ではありませんが、クラシック音楽の到達点と言ってしまっても過言ではない、彼の集大成ともいえる別の作品群があります。
それは弦楽四重奏曲の『第12番』から『第16番』までの、いわゆる後期弦楽四重奏曲と呼ばれる5曲です。これらの曲は『第9』以降に作曲された楽曲で、ベートーヴェンが作曲した最後の物に当たります。管弦楽でもなく、ピアノ曲でもなく弦楽四重奏曲が最後の作品でした。
なぜベートーヴェンはこんなにも集中して、1年の間に5曲もの弦楽四重奏曲を作曲したのでしょうか。この間は、もう弦楽四重奏の仕事に掛かりっきりだったのでしょう。今回はその謎とこれらの楽曲の素晴らしさの秘密を調べて紹介したいと思います。
後期弦楽四重奏曲について
クラシック音楽を愛する多くの方はベートーヴェンのファンであると思われます。素晴らしい楽曲の数々の中でも彼の後期弦楽四重奏曲に注目しているという人はクラシック愛好家の一部にとどまるもかもしれません。
しかし、宮沢賢治は『第9』よりも傑作だと評価していたようです。これらの楽曲が如何に高い次元の楽曲なのかを知っていたのです。
弦楽四重奏曲『第12番』が作曲された1825年までに、ベートーヴェンは完全に聴力を失っていましたが、彼は「ハイリゲンシュタットの遺書」(1802)で自分自身と交わした約束(自らの作品に自身のすべてを捧げるとの誓い)を守り通しました。
最後の作品となった5つの弦楽四重奏曲は、ベートーヴェンの他の作品と比較しても、対位法、フーガ、『第15番』のリディア旋法(教会音楽で使用されていた技法)など、古めかしい素材を多用しています。ベートーヴェンは、過去に根差しつつ未来を志向し作曲していたのです。
これらの楽曲群の素晴らしい緩徐楽章、ベートーヴェン自身が涙を流した「カヴァティーナ」(『第13番』第5楽章)、大病から回復後に作曲された「聖なる感謝の歌」(『第15番』第3楽章)、『第16番』第3楽章の見事な変奏曲、どれも魅力的な音楽となっています。
何故最後の楽曲が弦楽四重奏曲なのか
弦楽四重奏曲『第12番』、『第13番』、『第15番』(作曲順に並べると12、15、13となります)は依頼者のために作曲を急いだ物と思われます。3曲とも1825年の3ヶ月位の間に完成させています。依頼者からの催促を受けつつ、超特急の仕事だったのが伺われます。
しかし、1826年(55歳、死の前年)の最後の2曲(『第14番』『第16番』)は自分のために作った作品です。前年の3曲を作っている最中に様々なアイデアが生まれ、どうしてもそれを曲にしたかったと想像が付きます。3曲も作曲したのですから、数々のスケッチが残ったはずです。
管弦楽やピアノ曲にしなかったのは弦楽四重奏でしか表現できなかった物があったからでしょう。より人間に身近な音楽だから、ニュアンスが出し易い弦楽四重奏を選んだのだと思っています。弦楽四重奏は音楽の基礎的な部分の多い楽曲です。
クラシック音楽の極致
これら後期弦楽四重奏曲の5曲の楽曲は、本当に人生を達観したようなベートーヴェンの最高峰の音楽です。各国の多くの方たちが、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲について賛辞を寄せています。ベートヴェン最後の5曲の弦楽四重奏が如何に偉大な物かが分かると思います。
各界の人たちの称賛
詩人谷川俊太郎の父、哲学者・谷川徹三氏の言葉
「晩年の弦楽四重奏曲は哲学や宗教の古典を読んでいる時と同じ感銘と充実感を与えてくれます。」
「ベートーベンの後期弦楽の世界が、やはり空前絶後の絶対的高みに達した音楽空間を作り出していたことは否定できないであろう。唯一の絶対的真理の世界を生み出さしめたといえるのではないだろうか。」
哲学者・ガブリエル・マルセルの言葉
「やはり、ベートーベンの後期の諸作品、弦楽四重奏曲であり、これらの作品は、今日もなお私からみれば、音楽芸術の最高峰である。」
フランスの最大の詩人・ヴィクトール・ユゴーの言葉
「傑作はどれもこれもおなじ絶対的な水準に達していて、甲も乙もない。偉大なドイツ人はベートーベンである。」
哲学者・ベルクソンの言葉
「彼は、後期の四重奏曲などの、あの崇高な純朴さに到達する。それは芸術の奇跡である。」
音楽評論家・大木正興氏の言葉
「五十代の半ばに達したベートーヴェンが、いっそう自由な形式の中に熟しきった音楽的想念と四重奏書法とを思うままに展開したこれら五曲は、その著しく独創的な表現と、音楽が語り出す精神の底知れぬ深さによって、音楽史上に強い光彩を放ちつつそびえ立っているのである。」
『弦楽四重奏曲第12番』
『弦楽四重奏曲第11番』から14年間のブランクをおいて作曲された『弦楽四重奏曲第12番』はとても親しみやすい楽曲です。やはり音楽的な革新性は高く、一筋縄で説明できないところが多くあります。
この曲の作曲時は、『ピアノソナタ第30番』、『第31番』、『第32番』や、『ミサ・ソレムニス』、『第9交響曲』などの作曲時とほぼ重なり、大変充実した楽曲になっています。
第1楽章の弦のユニゾンは印象的ですし、しかも壮大さを感じます。曲自体もゆったりとしていて、作品はさらに高貴になります。もうひとつの特徴は、第2楽章がやたら長い点です。自由な変奏曲形式で、それがゆったりと流れてゆきます。
第3楽章はまるで最終楽章のように聴こえますが、しかしスケルツォです。各楽器の掛け合いがとてもすばらしく、会話を聞いているようです。それを引き継ぐ第4楽章。とても明るく、聴いていてとても爽やかです。第4楽章は溌剌としていて、エネルギッシュな感じがあります。
この曲は変ホ長調で『英雄』の調と同じですが、もう、この時期のベートーヴェンは英雄だとかそういうことではなく、個人の内面に関心が向かっていたと思われます。人生をどう生きるのか。そこが重要だったのかもしれません。人生を達観した音楽になっています。
『弦楽四重奏曲第13番』
第13番は全6楽章形式ですが、この曲には大きな問題が有ります。最初に書かれた楽譜では終楽章に大規模なフーガが置かれていましたが、余りに難解で長大であったことから、出版社に反対されて、新しい終楽章と入れ替えられました。
6楽章目の『大フーガ』はベートーヴェンが亡くなった後で見直され、この『大フーガ』を取り入れて演奏する弦楽四重奏団も多くなっています。
この楽曲は、後期の作品の中では最も目立つ作品です。しかも一番長大で難解だと思われます。でも、どの楽章も名曲揃いなのです。誤解を承知の上で言えば、『第9』よりも優れているかもしれません。それぐらい完成度の高い魅力的な楽曲なのです。
第1楽章:ソナタ形式の、堂々たる楽章。第2楽章:流れるように速い楽章。誰もが楽しめる曲。第3楽章:田舎風の、民俗舞踊風の音楽。人気の高い楽章です。
第4楽章:ドイツ舞曲風に。メヌエットのような、軽い感じの舞踏楽章。第5楽章:有名な「カヴァティーナ」。大変美しい、正真正銘の緩徐楽章。ベートーヴェンが自ら涙を流した楽曲です。
ここから問題の第6楽章です。ベートーヴェンは初稿として『大フーガ』を入れました。しかし、当時の人たちには気に入られず(まだ時代がベートーヴェンに追いつかなかった)、出版社の言うとおり、別の物に取り替えています。出版上の第6楽章は軽やかで素敵な楽曲です。
この楽曲か『大フーガ』を取るかは難しいです。駄作ならまだしも、どちらも名曲です。今は取り合えず出版楽譜の演奏で第6楽章までやり、その後に『大フーガ』をやるコンサートも多くなっています。
勿論、第6楽章に『大フーガ』を演奏するコンサートもあります。それは各弦楽四重奏団の選択に任せられています。
『大フーガ』エピソード
- 『大フーガ』は弦楽四重奏用だけでなく弦楽合奏用の編曲もあります。勿論、ベートーヴェンの編曲ではありません。たまにコンサートに乗る事があります。昔のバーンスタインはウィーンで良くこの形でコンサートを行なっていました。
『弦楽四重奏曲第14番』
出版の時期の問題で、こちらが『第14番』となっていますが、作曲年は『第15番』よりあと(1825年)になります。ベートーヴェンが生涯最後に作曲した2曲の内のひとつです。
シューベルトはこの作品を聴いて、「この後で我々に何が書けるというのだ?」と述べたと伝えられています。実際、この曲を最高傑作に上げる人は多いと思います。曲の構成はとうとう7楽章となり、完全に古典的な様式から逸脱しています。
音楽史上の古典派を極めたベートーヴェンが、弦楽四重奏曲において、自らの手によって4楽章構成を壊してしまいました。4楽章では表しきれない表現すべき事が多すぎた結果です。ある意味、後期ロマン派へ続く道筋を一気に駆け抜けて先取りしてしまったとも言えそうです。
最も人を寄せ付けない曲で、全体に何か狂気のような陰鬱さをはらんだ楽曲です。全楽章切れ目無く演奏されることも、人を寄せ付けず緊張感を与える理由の1つ。まず、この時代では非常に珍しく、第1楽章がゆっくりで、その上長いし、しかも全体に陰鬱な雰囲気を漂わせています。
5楽章は一見明るいですが、何か狂気じみたものを感じる異様な曲として知られています。第7楽章は、ものすごく機械的で、非常に厳しい、しかも勢いのある曲になっています。まるで規律の取れた軍隊のような感じです。
『弦楽四重奏曲第15番』
ベートーヴェンの『弦楽四重奏曲第15番』は、実際には13番目に書かれた作品です。ですので、最も古典的な形式を残しています。この曲の作曲を進めていたベートーヴェンは腸カタルを悪化させてしまい、一時期病床に伏せていました。
その後、回復して再び作曲に戻りますが、その時の感謝の気持ちがこの曲の第3楽章に反映されています。
第3楽章、副題として「リディア旋法による、病から癒えた者の神への聖なる感謝の歌」と付けられ、この曲の最も長大な楽章であり中核を成しています。古い教会旋法のうちの第5旋法であるリディア旋法が用いられています。ベートーヴェンが先祖返りした作曲技法です。
医療の進歩した現代とは違って、小さな病気が元で命を落とすことも珍しく無かった時代にあっては、病が治癒したときの喜びと感謝の気持ちは今の時代とは大きな違いだった事でしょう。そうしたベートーヴェンの気持ちが想像出来る、神々しいほどに感動的な音楽です。
この第3楽章は美しく、非常に澄んだ瞑想の世界です。機能和声を捨てて旋法で美を表現することを思いついたベートーヴェンは素晴らしいの一言に付きます。本当にベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲はアイデアに満ち溢れた、極めて完成度の高い傑作ばかりです。
『弦楽四重奏曲第16番』
『弦楽四重奏曲第16番』は、ベートーヴェン生涯最後の作品です。それまで肥大化してきた方向性を改め、再び4楽章形式に戻しました。従って曲の規模は小さくなり、曲想も非常に穏やかなものに変化しています。
それでいて、多くの所で非常に斬新な響きを生み出しており、いつでも作品に対しては妥協を許さない姿勢が感じられる作品です。ベートーヴェンの技法を駆使して作曲されたという訳ではなく、それとは別の、我々が生きている世界とは別世界に半分旅立ったような楽曲です。
この音楽の楽譜のなかで、終楽章の緩やかな導入部の和音の下に、「かくあらねばならぬか?」と記入しており、より速い第1主題には「かくあるべし」と書き添えている。ベートーヴェンは何についてそう思ったのでしょうか。永遠の謎です。そしてこの楽曲が彼の最後の作品になりました。
弦楽四重奏曲を理解するには
子供の頃はコーヒーが苦くて呑めなかった人が多かったのではないでしょうか。しかし、いつ頃からかはっきりしないけれど、コーヒーって美味しい!となりませんでしたか?気付けば様々な経験を積み、新たな趣向が生まれコーヒーが美味しく感じるようになった人は意外と多いのではないでしょうか。
コーヒーはひとつの例ですが、同じような経験をされた方も多いと思います。経験して、分かってくるものって存在します。ベートーヴェンも同じです。『運命』や『田園』に感動していた自分が、ピアノ協奏曲やピアノソナタにはまったりして来ます。
弦楽四重奏も同じなのです。特にベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲は大人になって経験を積まないと分からない部分が多い楽曲だと私は考えます。
ベートーヴェンが「悟りの境地」になって作曲した作品ですから、生きる苦しさとか死が身近に感じるようになるなど、歳を重ねて来ないと本当の意味で理解できない楽曲なのだと思います。
後期弦楽四重奏曲は落ち着いたいわば大人の音楽なのです。だから、若い内に聴くと難解かもしれません。でも、年月をおいてぜひトライしてみてください。この楽曲の見事さが真に理解できる経験値を知らず積んでいるかもしれません。
まとめ
間違いなくこれらの5曲はベートーヴェンの集大成であり、神に近いところにあるのは間違いありません。特に『第13番』から『第15番』までの3曲はベートーヴェンの最高峰にある作品です。管弦楽曲も大事ですが、こういった曲にもベートーヴェンの素晴らしさが出ています。
弦楽四重奏曲は敬遠される方が多いと思いますが、これらの楽曲を聴けばベートーヴェンの凄さを改めて知ることになるでしょう。やっぱりベートーヴェンは我々音楽好きの最高の作曲者である事を再認識しました。ぜひ、みなさんも聴いてみてください。