交響曲第9番

ベートーヴェンの『第9』といえば日本では年末の風物詩的なものになっていますが、そもそもベートーヴェンは極東のかの国で200年後にこんな演奏の仕方をされるとは思っていなかったでしょう。12月の『第9』の演奏会だけで200回以上もやられるなんて異常としか思えません。

各国では『第9』といえば歴史的な出来事に拘わるときや音楽祭の幕開けなど祝典的なときに演奏されてきました。あのベルリンの壁崩壊を記念したバーンスタインの指揮した『第9』を聴いた事があるでしょうか。熱狂的な素晴らしい演奏でした。

そもそも『第9』はそういう大切な時に演奏される特別な楽曲なのです。今では第4楽章の合唱部分の1部がEU(欧州連合)の賛歌となっています。日本のように節操もなく、12月には『第9』ばっかりという事もいずれ何とか改まるといいなと思っています。

目次

シラー『歓喜に寄す』との出会い

『第9』は第4楽章にシラーの詩を用いて合唱を使って歌わせています。ベートーヴェンがシラーの何について感動したのか、『第9』検証の始まりは、やはり、この詩の事からです。ベートーヴェンが伝えたかったシラーの詩について調べてみましょう。

詩との出会い

1787年シラーのこの詩『歓喜に寄す』がシラーの自費出版の雑誌「ラインニッシェ・ターリア(ラインの美の女神)」第2号に発表されました。ベートーヴェンは1789年5月、ボン大学ドイツ文学科の聴講生となります。その聴講生時代にシラーのこの詩を読み感動しました。

1792年、ベートーヴェン21歳の時です。シラーのこの詩はドレスデンで作詩されるやいなや、人気が高まり、書き写され全ドイツ語圏にひろがり、当時の進歩的な合理主義と国際平和の団体であったフリーメーソンの集まりで歌われていきました。

1792年ベートーヴェンはボンを離れる前に、「この詩の全篇に音楽をつけたい」と言っていたことが、シラーの友人から分かっています。シラー夫人シャルロッテにあてた手紙にもそういう内容が書かれていますし、実際一部のスケッチが残っています。

27歳の時、1798年に21歳の時のスケッチを更に進めて『歓喜に寄す』の詩の一部に旋律を付けた習作を書き残しています。しかし、このスケッチはもう少し時を待たねばなりませんでした。こうして、この詩と音楽はもう少し熟成されるのでした。

シラーについて

ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラーは、ドイツの詩人、歴史学者、劇作家、思想家。シラーの書く詩は非常に精緻でありかつ優美であるといわれており、「ドイツ詩の手本」として今なおドイツの教育機関で教科書に掲載され、生徒らによって暗誦されています。

『合唱幻想曲』

『第9』に触れる前にはこの曲を紹介しておかねばなりません。この曲無くして『第9』もあの形にはなっていなかったでしょう。『第9』の合唱にあまりにも似ているため、私もこの楽曲を聴いた時は驚きました。この時のベートーヴェンはまだ交響曲へ合唱を入れるなど考えてはいません。

楽曲へ独唱と合唱を盛り込む

この曲を聴いた方は果たしてどれだけいるでしょうか。『合唱幻想曲』という曲名すら知らない方のほうが多くいると思います。ベートーヴェンの作品の中でも人気のない楽曲です。演奏会では滅多に取り上げられない曲ですから、聴いている方はかなりのクラシック音楽通の方だと思います。

正しくは『ピアノ、合唱と管弦楽のための合唱幻想曲』といいます。1808年作曲です。あの傑作の森と呼ばれた『運命』『田園』と同じ年に作曲されています。今にして思えばこの曲があったからこそ、ベートーヴェンは『第9』の終楽章に合唱を入れたのだと思っています。

『第9』との酷似

この曲を聴いた事がある人は、あのメロディがと思われるはずです。『第9』とそっくりのメロディです。ピアノから始まりとピアノと管弦楽がピアノ協奏曲のように掛け合いそして独唱と合唱が歌われます。『第9』を知っている我々にとっては、まるで『第9』の実験作のように聞こえます。

声楽部分の歌詞は、曲が完成した後に付けられました。オーストリアの詩人クリストフ・クフナーのものではないかという説がありますが、その詩が彼の作品の中になく、真偽は不明です。ここで重要な事は管弦楽と合唱の融合という考えです。これが後の『第9』に繋がるのです。

『合唱幻想曲』初演

この曲の初演は、『運命』『田園』『合唱幻想曲』の順番に行なわれました。ソリストが当日変わるし、練習不足で初演の演奏は散々だったようです。リハーサルも十分に行われなかった為、音楽が途中で崩壊してしまい、やり直して演奏したというエピソードが残っています。

勿論、評判も最低!本当に惨めな演奏会だったようです。そんな事もあり、この曲はお蔵入りになってしまったのかもしれません。その事が却って『第9』にとっては成功の種になったようです。ベートーヴェンにとっては、アイデアの引き出しが増えたのですから。

交響曲第9番の構想

さて、『第9』の世界に入り込みましょう。『第9』に手を付け始めた頃は、甥の問題も決着し、精神的には楽になったものの、健康問題が酷くなり始めて来た頃です。管弦楽曲はこの『第9』が最後になります。ベートーヴェンにとってはまだまだ先があると思っていました。

『第9』への道

前の章で紹介した『合唱幻想曲』ですが、その曲以外にも、歌曲『相愛』など数曲『第9』に関連する曲を発表して来て、ようやく『第9』作曲に手を出します。ベートーヴェンは本当はどうやら『交響曲10番』に『歓喜に寄す』を入れるつもりだったようです。

しかし、1822年にロンドンのフィルハーモニック協会から交響曲の作曲依頼が届き、その為の『交響曲第9番』を作曲している内に気分が高揚して来て、遂に『歓喜に寄す』を『第9』に組み入れることを決心し、『合唱幻想曲』で実験して来たメロディーを土台にシラーの詩に作曲したのです。

『第9』誕生

その結果、今の形の『第9』が1824年2月に誕生(53歳)しました。それは実に『合唱幻想曲』から16年、「歓喜」のスケッチから31年、シラーの詩が発表されてから37年後の結実でした。こうしてようやく歴史に残る不滅の曲『第9』は誕生したのです。

ベートーヴェンが何故「歓喜に寄す」を『交響曲第10番』を待たずに『第9』に組み入れたのか?ひょっとしたらそれは自らの「死」を予知したから、或いは「死」の予兆を感じたからとも考えられます。実際、彼はその3年後の56歳で永眠しています。

第1楽章~闘争

楽章ごとにその特徴をみていきましょう。まず第1楽章です。この始めの楽章からベートーヴェンのこの作品に込めた意気込みが伝わってきます。そして、くっきりとした輪郭のしっかりした堅固な音楽です。人生は闘争だともがいているのです。

混沌の中からの始まり

冒頭は他の交響曲と違って、ホルンが遠くの方から聴こえる様に静かに音を出し始めます。暗闇の中を彷徨う様な不安感を感じさせます。専門的に言うと空虚5度と言うのだそうです。3和音の真ん中の音だけを抜いた物です。調性が定まらないため不安に聴こえるそうです。

この混沌の中に弦楽器が神秘的に入ってきて音楽が進んでいきます。この不安なところから第1テーマがようやく「ジャジャーン」と力強く提示されます。正に無から何かが生じるようで20世紀の巨匠指揮者フルトヴェングラーは「宇宙の創生」と呼んだそうです。本当にそんな雰囲気です。

第1楽章は「闘争」の音楽

ベートーヴェンの他の交響曲を思い出してください。『運命』ならば「ジャジャジャジャーン」、『英雄』ならば「ジャン、ジャン」と始まります。ベートーヴェンらしいテーマの提示で始まります。しかし、この楽曲はテーマに辿り着く迄の道が長いのです。

この曲はベートーヴェンにとっては前例を打ち破るような調性すら不明な不気味な感じで開始されます。時代の常識を破るような始まりかたです。その後の展開はこちらが息を飲むような激しい音楽になってます。まるで何かと戦っているような激しい音楽です。

正にベートーヴェンが今迄に作曲してきた色々なテクニックを惜しみなく披露しながら、その時代を超越したような素晴らしい音楽を、一気に駆け抜けるように演奏して第1楽章を終えます。人生は「闘争」だと激しく叫んでいるような音楽です。見事な構成力、構築力です。圧倒されます。

第2楽章~情熱

聴くものを圧倒して終わった第1楽章に続く第2楽章もベートーヴェンは我々を驚かせる音楽を展開します。人生は情熱だと叫びます。ティンパニが大活躍する楽章でもあります。まるで交響曲のあり方が変わったようなオーケストラの使い方をしています。

第2楽章は「情熱」の音楽

第2楽章はスケルツォです。第2楽章にスケルツォを置くのはそれまでの常識を打ち破る事でした。この時代の交響曲は第2楽章に緩徐楽章を置くのが慣習でした。スケルツォとは「軽やかでユーモアの気分がある、テンポの速い器楽曲」の事です。しかしこの楽章にはユーモアはありません。

テンポのある曲の意味で捉えたほうが良いでしょう。飛び跳ねるような強靭なリズムからいきなり入ります。とにかくこの楽章はテンポとリズムの楽章です。人生は「情熱だ」と歌い上げている楽章です。あの『交響曲第7番』のようにまるでリズムの祭典の様。中間部にはオーボエをはじめとした木管楽器による美しいソロも出てきます。

ティンパニのための楽章

この楽章冒頭からティンパニが大活躍します。ティンパニが派手ですので、見ているだけでも楽しめます。オーケストラと協調したかと思えば、不意に遮るようにとび出してきたり、正に孤軍奮闘です。ティンパニ奏者は誰でもこの楽章をやりたいと願っていると思わせるほど強烈な印象です。

この楽章の魅力的なティンパニ・パートは、まるで音楽に携わる人々の胸の中の太鼓まで打ち鳴らすようです。ティンパニがこんなに魅力的な曲目を私は知りません。こんなに印象的な曲目も知りません。本当にこの楽曲は驚かされる事ばかりです。

第3楽章~愛

第3楽章はこれまでの楽章とは一転して、ゆっくりとしたとても美しい曲になります。数々の名曲の緩徐楽章の中でも1,2を争う名曲になっています。ベートーヴェンが愛の花園に身を委ねて、ここから立ち去りがたい雰囲気も見事に伝えてきます。
 

第3楽章は「愛」の音楽

この曲の中で1番平穏で静かな楽章です。「天国的」な雰囲気があると言われます。私はいつも天女が舞っている様な感じを覚えます。柔らかな音が、静かに静かに重ねられ、空気はゆっくりと、この淑やかな楽章の色に染まって行きます。この花園をベートーヴェンは離れたくないのです。

しかし「愛」とも違う!

途中、「愛」の花園を漂うベートーヴェンに何ごとか宣言するような、天からの啓示のようにフルオーケストラがフォルテで訴えます。あなたのいる場所はここではないんだ、と。規則的な硬いリズムが打たれるようになり、そわそわした気配まで漂いはじめます。

来るべきものがやってきた、さあ向かい合おう、といった感じの建設的な音楽が、第4楽章への扉を大きく開きます。何度か、ベートーヴェンはここに居たいとねだりますが、押し切られて先に進まなければならないと悟るように気づきます。

第4楽章~歓喜

通常、第4楽章は第3楽章が終わり次第、休憩を取らず、続けて演奏されます。これをアタッカと言います。最初はファンファーレに包まれて始まります。次第に第1楽章から順に再現されて、第3楽章まで続けられます。これらをすべて否定し、歓喜のメロディが出てきます。

第1楽章から第3楽章までの否定

第3楽章が静かに終わり、荒れ狂ったように第4楽章が始まります。ワーグナーはこの不協和音を「恐怖のファンファーレ」と呼びました。この楽章の冒頭部分で書いたように第1楽章から第3楽章の否定を行います。前の3つの楽章のメロディの断片が順に出てくるたびに、チェロとコントラバスで「このメロディではない」という感じで割り込んできます。まるで対話をしているようです。

面白いのが第3楽章の否定の仕方です。前の2つの楽章とは違い、「ちょっと待って。ここにもっといたい」と駄々をこねるような駆け引きがあります。しかし、引きずられるようにこの楽章もついに否定されます。これら、今まで積み重ねてきたことを全て否定した後でついにやってきます。

第4楽章は「歓喜」の音楽

第3楽章まで否定した後で、最後に小さく出てくるのが「歓喜の歌」のメロディです。低弦は「そう、それだ!」という感じに応じ、いよいよ「歓喜の歌」のメロディが低弦により奏でられるのです。次第に楽器は増え、それは賛同者が増え、まるで幸せが世界中に広がっていくようです。

それまでの第1楽章から第3楽章もベートーヴェンの集大成と言える見事な音楽です。ですが、それを否定までしてそこからさらに先に生み出したのが「歓喜の歌」というわけです。ベートーヴェンがいかに特別な思いでこのメロディを書いたのが伝わります。

単純なメロディーですが、ちょっとした思いつきではなく少なくとも32年間ベートーヴェンが温めて来たものです。だからこそここまで単純化され、これ以上美しいメロディはないというところまで磨き上げられたものになっているのです。

バリトンの登場

「歓喜の歌」のメロディが盛大になったところで、もう1度「恐怖のファンファーレ」が響きます。その後ついにバリトンの独唱が入ってきます。「おお、友よ、この調べではない!われわれはもっと快く、もっと歓びに満ちたものを歌おうではないか」・・・シラーの詩ではなく、ベートーヴェン自らが付け加えた言葉です。

ソリスト達、合唱の登場

それに続いていよいよ合唱による「Freude」のテーマを歌い上げる部分が入ってきます。ソリスト達が歌い、合唱も参加して、「神のみ前に」の歌詞で(vor Gott)ひとつの頂点を迎えます。その後、テノールの独唱が始まったりと展開していき、次第に雰囲気が高まり、この曲一番の聴かせどころがやってきます。

その後、各パートにより神への感謝を歌い、そしてまた重要な、2重フーガを合唱団たちが歌います。この第4楽章の中でも大切なところです。感動的な2重フーガが終わると、歌は最後の瞬間に迫ってきます。ソリストたちが歌い、合唱も参加します。

大きな盛り上がりを見せ、合唱の最後は「Freude, schöner Götterfunken」で締めますが、最後の最後はオーケストラのみで急激なクライマックスを迎え、興奮した雰囲気の中で全曲を終えます。皆が何かにとりつかれたような雰囲気で終えるこの感じが私は大好きです。

この、合唱の最初の部分をまた1番最後に歌わせて終わる、ベートーヴェンのこの意味を我々は感じ取らねばなりません。「Freude, schöner Götterfunken」、この曲にとって、「歓喜」が如何に大切な物なのか、ベートーヴェンが何を伝えたかったのかが分かってきます。

第4楽章 歌詞

ベートーヴェンはシラーの『歓喜に寄す』を全編使ったわけでは有りません。約3分の1ぐらいです。第4楽章の演奏時間は25分程ですが、その内合唱が参加するのは15分程度です。

歌詞(ドイツ語原詞・日本語訳)

An die Freude
「歓喜に寄す」

O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere.
(ベートーヴェン作詞)

おお、友よ、この調べではない!
われわれはもっと快く、
もっと歓びに満ちたものを歌おうではないか

Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium
Wir betreten feuertrunken.
Himmlische, dein Heiligtum!

歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上の楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高な汝(歓喜)の聖所に入る

Deine Zauber binden wieder,
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
Wo dein sanfter Flügel weilt.

汝が魔力は再び結び合わせる
時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる
汝の柔らかな翼が留まる所で

Wem der große Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!

ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ

Ja, wer auch nur eine Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer’s nie gekonnt, der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!

そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい

Freude trinken alle Wesen
An den Brüsten der Natur;
Alle Guten, alle Bösen
Folgen ihrer Rosenspur.

すべての被造物は
創造主の乳房から歓喜を飲み、
すべての善人とすべての悪人は
創造主の薔薇の踏み跡をたどる

Küsse gab sie uns und Reben,
Einen Freund, geprüft im Tod;
Wollust ward dem Wurm gegeben,
und der Cherub steht vor Gott.

口づけと葡萄酒と死の試練を受けた友を
創造主は我々に与えた
快楽は虫けらのような弱い人間にも与えられ
智天使ケルビムは神の御前に立つ

Froh, wie seine Sonnen fliegen
Durch des Himmels prächt’gen Plan,
Laufet, Brüder, eure Bahn,
Freudig, wie ein Held zum Siegen.

天の星々がきらびやかな天空を
飛びゆくように、楽しげに
兄弟たちよ、自らの道を進め
英雄のように喜ばしく勝利を目指せ

Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuss der ganzen Welt!
Brüder, über’m Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.

抱擁を受けよ、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
ひとりの父なる神が住んでおられるに違いない

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such’ ihn über’m Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

諸人よ、ひざまずいたか
世界よ、創造主を予感するか
星空の彼方に神を求めよ
星々の上に、神は必ず住みたもう

(※)出展:wikipedia

合唱に参加される方に

この『第9』の合唱部分のメロディはそう難しくはありません。だからこそ日本では年末になると「何とか第9合唱団」があっちこっちに出来て、『第9』フィーバーが成り立つのです。ドイツ語は難しいです。だから日本人の合唱団でこの曲を聴くと、深みのない曲になってしまいます。

しかしこの曲に参加し「歓喜の歌」を歌う事にはそれ以上の、意味があります。それこそベートーヴェンが思い描いていた「人間肯定と自由と平等」という理想主義に近づいた事なのではないでしょうか。だからこそ余計に合唱に参加する人たちに思って欲しい事があります。

ベートーヴェンが取り上げたシラーの『歓喜に寄す』の意味を分かって参加して欲しいという事です。ベートーヴェンの思いがより伝わるでしょう。そして客席側でなくステージに立つ感動を味わう事によって、よりこの曲の存在価値が分かってくるのではないかと思います。

改めてこの曲を振り返って

『交響曲第9番』という楽曲は以上見てきたように、過去の伝統にとらわれずに出来上がっている音楽です。言ってみれば物凄い破天荒な音楽です。交響曲に声楽を取り入れるなどという発想はベートーヴェンまで誰もやってみようと思った事もなかったでしょう。

交響曲の特徴

交響曲の第4楽章に「声楽」を取り入れる事はその時代とても画期的なことでした。ベートーヴェン自身も、この作品が出来上がってからも、終楽章に「声楽」を取り入れた事をとても気にしていました。何といってもこの事が最大の特徴です。

それまでの伝統にはそんなやり方はありませんでしたから。交響曲と声楽の融合なんて考えた人は彼以外いなかったでしょう。しかし1楽章ごとにみてきましたが、作品の構成はとても見事ですし、全てに渡って創造力豊かで、何一つ非の打ち所がない音楽になっています。

ベートーヴェンの計算しつくされた設計の後が随所に見られますし、過去の慣習を打ち破っていても、それを決して異質に感じさせないところは実に素晴らしいです。彼の実力がいかんなく発揮されている交響曲です。最後の交響曲が合唱付きの曲だなんて出来過ぎの話ですね。

構成について

このことについても画期的な交響曲です。第1楽章から第3楽章を全否定して、第4楽章で帰結するなどという交響曲はそれまで無い物でしたから、特に注目しておくべき点だと思います。第3楽章まで終わると40分以上です。ここまで長大に膨らませて訴えてきた事を全否定して、人生は「歓喜だ」と訴えるのですから、音楽での伝え方としては、かなり異質のやり方です。

楽章の中で解決しないで、全曲を聴かないと作曲家の意思がきちんと伝わらない音楽なんて、それまで無いものでした。正にベートーヴェンの天才的なやり方です。パッと見ると4楽章の交響曲ですが、今で言えば特許、実用新案が詰まった宝物のような存在だったのです。

テーマは常に頭の中に

この『第9』にたどり着くまでに、「歓喜の歌」のメロディは数曲で使われてきました。歌曲『相愛』や『合唱幻想曲』は単なる習作ではなく、立派な完成形です。いつかまた使おうと思って、そのメロディはずっとベートーヴェンの頭の中の引き出しに入れていたのです。

そしてそれがシラーの詩と結びついたのがこの『第9』です。シラーの原詩に感動してから30数年、ついにベートーヴェンは単に歌曲としてではなく、もっと壮大な交響曲にこの詩を使おうと決意します。ベートーヴェンの頭の中でもこの事は「挑戦」でもあると感じた事でしょう。

交響曲に声楽を入れるという誰も予期しえなかった事をする、そしてそこに入れるのは長年思い続けてきたシラーの詩であるという、未だ誰もしたことがない事を行なうのですから、ベートーヴェンの中には燃え滾るような意思が沸いていた事でしょう。

後世の音楽家への影響

この曲が、後世の作曲家に及ぼした影響は計り知れません。その例をいくつか挙げてみます。まず、交響曲の中に声楽を導入したこと。この先例を受けて、メンデルスゾーンやリスト、マーラー、ショスタコーヴィチにより声楽を取り入れた交響曲が作られるようになりました。

また、ワーグナーはこうした考えの中に彼の説く「未来の音楽」の実際的可能性を見出し、彼自身の音楽(楽劇)を作り出しました。次に、主題形成の新しい手法が指摘されます。第1テーマの登場のさせ方です。第1楽章にそれが良く表れています。

そしてこのような手法はブルックナーの交響曲などに大きな影響を与えることになります。この曲に触発された作曲家は多く、上記した作曲家の他にもベルリオーズ、シューマンなど、ロマン派音楽の主要な作曲家に影響を与えています。

まとめ

『第9』が如何に意図され作曲されたかをみてきました。この曲の素晴らしさは今更私が訴えるまでもなく、誰しも知っている事です。しかし、私はこの楽曲について、書きたかったのです。ベートーヴェンがこんなにも考え抜いた据えに作曲され、また不滅の音楽である事を。

そして聴くだけでなく合唱に参加してください。ベートーヴェンの、『第9』の偉大さが分かる筈ですから。この曲に参加できる喜びを味わって欲しいと思います。ぜひ「Freude」と歌ってみましょう!感動の仕方がまるで変わります。ベートーヴェンがより近くに来てくれる気がします。

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