beethoven

ベートーヴェン後期3大ピアノソナタ(第30番から第32番)は彼の独自の世界観に包まれていて、別世界の音楽を聴いているような感じです。ベートーヴェン不遇の時代からようやく抜け出し、作曲し始めたのがピアノソナタでした。毎年1曲ずつ作曲していきます。

この後に作曲するのは『荘厳ミサ』、『第9』、『弦楽四重奏曲第12番~第16番』だけです。ピアノソナタとしてはこの後期3大ソナタが最後となりました。なぜ、ベートーヴェンはこの時期に集中して、このように美しいピアノソナタを作曲したのでしょうか。

甥の問題に手を焼いて、不遇の時代から抜け出すまで約8年掛かりました。この後、ベートーヴェンがなぜ最初にオーケストラ曲ではなくピアノソナタを作曲したのか、そして何故ここまで昇華した曲が書けたのかを探ってみたいと思います。この3曲は彼にとって特別なソナタになりました。

ベートーヴェン後期ピアノソナタについて

絶対音感 ピアノ
ベートーヴェンの晩年は作曲するペースがゆっくりとなります。甥カールの養育権の裁判なども創作に悪影響を与えた要因ですが、ベートーヴェン自身が望む音楽を作曲するにはそれだけの時間が必要だったという事も出来るでしょう。音楽に対する姿勢が変わったという事も言えそうです。

何故ピアノソナタに拘ったのか

中期のピアノソナタに傑作が多く、充実しているという方もいるかも知れません。しかし、後期は私にはベートーヴェンの色彩が変わったような印象を受けます。第28番以降のピアノ・ソナタは特に難易度が増していますし、その目指す方向が違っているように思えます。

1度でもある高みに達すれば、もうそれ以下の音楽は作れません。「傑作の森」を抜けてからのベートーヴェンは作品の完成が1年に1作品ほどになっています。しかも、『荘厳ミサ』『第9』を除けば、ピアノソナタと弦楽四重奏曲ばかりを作曲しています。

ここに手掛かりがありそうです。ベートーヴェンの目指す音楽はより内省的な物、より達観した物、そしてより高みを望んだ物になっていったのだと思います。だからこそ自分が得意だったピアノであったのです。その思いを実現出来るものはピアノしかなかったとも言い換えられそうです。

ベートーヴェンの新境地

最早、どんな制約からも解放されて、自らの思いのままに作曲出来る自由を獲得したベートーヴェンの澄みきった境地がここにあるのだと思います。ある種、「悟りの境地」に達したのでしょう。人間の内面の問題を見つめ直したベートーヴェンの新境地だったと思います。

まさに「苦悩を突き抜けて歓喜へ至る道」をベートーヴェンは自ら体現して見せたのです。構成力の堅固な中期とは打って変わって、ゆったりした叙情的な部分が多い後期ピアノソナタは、単なる情緒やロマンチシズムを超えたベートーヴェンの本当に表現したかった事だったと思われます。

ベートーヴェンの目指した事

後期ピアノソナタを聴いていると、人間の生き様、あるいは死生観といった深い問題、つまりは我々人間の生きる・死ぬという事柄を強く考えさせられる音楽であると思わされます。この後期のソナタ達が一見難解で、しかし奥深く味わい深い音楽である理由が分かる気がします。

ベートーヴェンは物事を達観するようになってきたのです。この作曲家の行き着くところにたどり着いた音楽なのです。だからこそ我々の胸に迫ってくる迫力とともに叙情性が感じられるのだと思います。後期のピアノソナタは「究極の充実感」の獲得にまさに打ってつけだったのです。

ピアノ・ソナタは難曲揃い

ベートーヴェンの後期ピアノソナタはテクニック的に難しいのはもちろんですが、曲を表現するという点でも難しいものです。ベートーヴェンは音の強弱を急激に行なう時があります。強弱の急激な変化は彼の気性の激しさから来ているものなのかもしれません。

心穏やかになったベートーヴェンでも自分の特徴は変えるつもりはなかったのだと思います。しかし、そこがベートーヴェンらしいところであり、魅力でもあると思います。作品の中で自分を表現するということはその後のロマン派へもつながっていきます。

指揮者、ピアニストとして活躍したハンス・フォン・ビューローはベートーヴェンのピアノソナタを音楽の「新約聖書」と評しています(「旧約聖書」はバッハの平均律クラヴィーア曲集)。それだけベートーヴェンのピアノソナタがピアノ作品の中でも重要な作品だということなのです。

ピアノから遠ざかったベートヴェン

ベートーヴェンはこれらの作品を作曲した後、ピアノの曲は作曲しませんでした。彼はピアノ作品の作曲には制約が多すぎると述べてこの分野から去ってしまいます。如何にベートーヴェンといえども、後期3大ピアノソナタを書いた後はピアノの限界を感じたのかもしれません。

ベートーヴェンの中に、ピアノでの表現は既にやり切ったと思う部分があったのだと思います。これらのピアノソナタは当時の聴衆には受け入れられて貰えませんでした。これらの音楽がコンサートのメインピースとなるのは20世紀になるのを待たなければならなかったのです。

これらの作品は構造的に極めて複雑であり、ベートーベンが果敢に挑戦した実験的な営みを聞き分ける能力が聴衆にも求められるということです。言葉をかえれば、これらの作品はベートーベンのチャレンジを聞き分けることができなければ、作品の凄さが分からないと言う事になります。

後期3大ピアノソナタの解説

壇上のピアノ
ここから1曲ずつ、どのような作品かを簡単にみていきます。ベートーヴェンの充実した音楽が広がっています。「悟りの境地」に辿り着いたベートーヴェンの本当に描きたかった音楽がここにあります。この3曲のピアノソナタは力の抜けたベートーヴェン本来の姿を表現しています。

ピアノ・ソナタ第30番(1820年作曲)

ピアノ・ソナタ第30番を一度聴けば本当にベートーヴェンのピアノソナタなのという思いが溢れるはずです。なぜならこの作品にはとびっきりの「優しさ」と、あふれる「愛情」が込められているからです。この作品はベートーヴェンがある少女に献呈した曲なのです。

この作品がこれほど明るいのは、ベートーヴェンが精神的に高揚していたからだと思われます。不遇の時期から抜け出し、自分の好きな音楽がまた作曲できる喜びが感じられます。また献呈が少女ということで、彼の純真な面も曲に現れていると思えます。

第1、第2楽章が非常に短く、第3楽章がその3倍位ある面白い構成です。ピアノソナタを突き詰めたらこうなりましたといった音楽です。全楽章が素晴らしいですが、私はとりわけ第3楽章の純粋な音が好きです。この曲のメインは第3楽章ですから自ずとそうなりますね。

ピアノ・ソナタ第31番(1821年作曲)

第30番と違って明るさが消えたベートーヴェンです。特に第3楽章を自ら「嘆きの歌」と表現していますから、深刻な音楽なのは当たり前です。ベートーヴェンがこう言った事から、この楽章が最も有名ですが、他の楽章もそれなりの個性がにじみ出ています。

第1楽章は透明感が感じられますし、第2楽章はちょっとしたアクセントとなっています。しかし、第3楽章のベートーヴェンは全てをやり切ったような弱々しさが感じられます。達観したベートーヴェンといえば聞こえがいいですが、力強さが前面に出てきません。

幾多の辛酸をなめてきたベートーヴェンだからこそたどり着いた境地なのでしょう。もうこの世の闘争や煩いとは関係のない世界です。本当にこの曲の第3楽章には色々な要素が詰まっていて、ベートーヴェンだけが表現できる音楽になっています。

ピアノ・ソナタ第32番(1822年作曲)

第32番も大作『荘厳ミサ』『第9』と並行して作曲され、ベートーヴェンが行き着いたピアノ音楽の集大成的作品とされています。ベートーヴェン最後のピアノソナタで、2楽章制という大変珍しいピアノソナタです。とても対照的な世界を持つ、2つの楽章から成りたちます。

第1楽章は、いきなり鮮烈でショッキングな序奏で始まります。ベートーヴェンにとって悲劇を表すハ短調の曲です。『運命』はハ短調の和音構成音で始まりますが、これは構成音にない音がいきなり鳴るので、悲痛な運命を物語ります。しかし、最後はハ長調で安らぎをもって終わります。

第2楽章は、そのまま、ハ長調から始まります。とても優しくて何の淀みもない、暖かい歌から始まります。第1楽章ではもがき苦しんでいたのが、まったく別世界にいるように始まります。メロディはどんどん高音へ登っていき、後半はピアノのほぼ3分の1上辺りの鍵盤を弾いています。

様々な感情が入り混じった音楽が続き、一番高みまで登ったら、穏やかにまるで安らかに眠るように終演します。ベートーヴェンのピアノソナタの最後に相応しいといえばふさわしい、「悟りの境地」に達したベートーヴェンのどこにも力みが感じられない自然体の名曲です。

まとめ

弾くほうはとても難しいのでしょうが、聴くほうはいつものベートーヴェンと違って、叙情的な音楽が多くあります。全てを達観したベートーヴェンがそこにあります。彼が我々を音楽の高みに連れて行ってくれるような不思議な境地になります。

ベートーヴェン後期3大ピアノ・ソナタは本当に素晴らしい音楽です。ベートーヴェンが到達した最上の音楽の一つです。晩年のベートーヴェンは「傑作の森」時代と違って、野性味をそり落とした音楽で、自然にこちらの体に入ってくる印象があります。

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