
没後250年経っても我々に最高の音楽を提供してくれているベートーヴェン。幼少時代は父親のために貧困を味わいましたが、独り立ち後は金銭に困ったことはありませんでした。それはなぜか。ベートーヴェンはビジネスマンとして成功したからです。
勿論、彼は音楽家ですから自分の音楽のために惜しみない努力を払いました。しかし、それだけに留まらなかったのが彼の素晴らしいところで、己の才能を世に広めるためにも最大限の努力を図ったのです。
それが実を結び人気作曲家になっていきました。その後は楽譜も良く売れ、演奏会も数多く開かれるようになります。ビジネスセンスがあったおかげで実現された事でした。現代の我々にも通じるような彼のビジネスマンぶりを紹介していきます。
ベートーヴェンのビジネスセンス
ベートーヴェンはあくまでも音楽家であり、自分の音楽には厳しい態度で臨みました。けれどもそれだけでは食べていけません。彼の時代から音楽家はフリーランスの職業になりました。彼は音楽で収入を得る術を自分から手に入れて行ったのです。
シューベルトがよい例です。同時代に生きた彼は才能があったのに生前は貧しいままで終わってしまいました。2人の違いは何か。ビジネスセンスがあったかどうかです。これからひとつひとつベートーヴェンのビジネスマンぶりを見ていきます。
ピアノの個人レッスン
ベートーヴェンは最初にピアニストとして売り出しました。その才能はすぐに見いだされ、ウィーンのサロンで話題になっていきます。ここで上流階級者と面識が出来、ピアノの個人レッスンを依頼されるようになります。
ベートーヴェンは気難しい人物として伝記では扱われていますが、若い頃の彼は身だしなみにも心掛け、幅広い知識を持ち合わせていて、上流階級の人たちとも話題には事欠きませんでした。コミュニケーション能力に優れていたのです。
ですから、信頼を勝ち取り、良家の令嬢たちのピアノの個人レッスンまでに至ったわけです。これが意外に高収入であったといわれています。コミュニケーションを取りつつ上手く立ち回り仕事までも手にできたのです。有名作曲家で一般人の個人レッスンの例はそうありません。
演奏会
ベートーヴェンは今でいうところの個人事業主ですから、演奏会を開く時も自分から企画し実行に移しました。いわゆる興行主です。演奏会は成功の時もあるし、失敗の時もあります。『運命』や『田園』の初演時の客はまばらだったといわれています。
しかし、演奏会は初演ばかりではありません。人気のある作品は何度も演奏会が行われますし、そんな作品の時は観客の入りも良く、実入りもあり、尚且つ、またベートーヴェンという「ブランド力」を高めてくれました。
プロモーターとしての才能も持ち合わせていたということです。演奏会の収入は計算できないものですが、例え赤字になったとしても自分の名を売る事と自分の作品を知って貰えます。次のステップとして楽譜が売れればペイできるということも考えていたのです。
楽譜の出版
人気の出た作品はすぐに数社からの出版依頼が舞い込みます。ベートーヴェンは専用の出版社を決めず、毎回複数の楽譜出版社と交渉していました。最も彼の条件に合う出版社を随時決めて行ったのです。ビジネスマンの交渉力のなせる技です。現代でもやっている手法ですね。
ピアノ・ソナタ『第16番』と『第17番』は、2つともネーゲリ社から出版されました。しかし、あまりに誤植が多かった事にベートーヴェンは激怒、ジムロック社に改訂版を再出版させたこともありました。
楽譜は作曲家にとっては最も大切なものですから、自筆譜と違いがあっては大問題です。最大のチェックの末に何度も刷り直し完成します。これも品質管理までしっかりやっていたベートーヴェンのビジネスマンという姿が見えてきます。
有力パトロンの扱い
ベートーヴェンクラスになると有力なパトロンが複数人付くようになります。彼はパトロンに対して作品を献呈したり、演奏会を開いたりしてご機嫌を取っていました。ビジネスマンとしての営業力のなせる業です。その事によってかなりの収入が見込めました。
パトロンに作品を献呈したといっても、作品を演奏出来なくなるわけでもなく、ベートーヴェンにとっては何の支障もありません。パトロンは喜び、年金が支給され、ベートーヴェンの懐が潤うのですから抜群の集金力です。そう考えるとやはりベートーヴェンはビジネスマンだったのです。
自分にとってキーマンとなる有力者はがっちりと押さえておかねばなりません。ベートーヴェンはよく心得ていました。訪問したり書簡によって彼らをつなぎとめておきました。これもビジネスマンとしての営業を欠かさなかったよい例です。
ベートーヴェンの遺産
元々裕福だったメンデルスゾーンなど一部の作曲家を除き、基本的に作曲で財を成した人はそう多くはありません。ベートーヴェンは勝ち組に入れました。彼がもし長生きしても悠々自適の生活が送れるくらいの遺産を残しています。
遺産額
ベートーヴェンの死後、親類縁者が集まって遺産を調べてみたら、10,000グルデンあり、皆が驚いたそうです。その当時の宮廷音楽家の月給が約50グルデン。年収が600グルデンとなりますから、16年分程度です。皆が驚いたぐらいですから当時にすれば多い金額だったのでしょう。
当時と貨幣価値が違いますから一概に比較は出来ませんが、ざっくり言って現在の4,000万円程度でしょうか。大した事ない額だなと思いきや経済学者に言わせると、全体の5%に入る富裕層の金額だそうです。
資産管理
遺産は10,000グルデンでしたが、その大部分はオーストリア国立銀行の株券だったそうです。ベートーヴェンは国立銀行の大株主でもあったのです。銀行に預け入れるのではなく、株券で持っておくとは流石はベートーヴェンです。
国立銀行だから破綻の心配もなく、株式を運用してくれ、株主として配当も受け取れます。資産管理は株式が最も安全だと思ったのでしょう。作曲家とはまた違ったベートーヴェンのビジネスマンぶりがこんなところにも表れていました。
ベートーヴェンをビジネスマンとして評価
今まで見て来たようにベートーヴェンは自分の音楽の世界を広げるために、あらゆる事を行ってきました。癇癪持ちで他人とのコミュニケーションが良く取れなかった人物という評価もされていますが、いざ音楽のためならポジティブに行動した側面が浮かび上がります。
ピアニストとして、また、作曲家としての才能を最大限に活かすために、自分の持つ能力を惜しみなく発揮してきたのです。音楽の創造力、これは作曲家にとって最も大切な能力です。ベートーヴェンは一際それに優れていた事を自分で知っていました。
彼は自身の音楽のビジネスマンとして活躍したのです。企画力、営業力、集金力、交渉力、品質管理と今のビジネスマンがやるような事柄を卒なくこなし、自身の「ブランド力」を高め、音楽の世界で生きていく術を自ら作り出していったのでした。音楽家の手本となる先駆者だったのです。
勿論の事、ベートーヴェンにはそんなつもりはなかった事でしょう。しかしながら、結果的に能力の高いビジネスマンでしたから、音楽家ベートーヴェンは自らの力を最大限に強調出来たのです。ベートーヴェンはビジネスマンとしての成功者として評価できるでしょう。
まとめ
あくまでもベートーヴェンは音楽だけで生活していた人物でした。別の分野で儲けようなどと思った事はなかったようです。しかし、よくよくベートーヴェンを見ていくとマネージメントがしっかりしていて、ビジネスマンとしての成功者という裏の顔も持ち合わせていたのです。