ベートーヴェンの『ヴァイオリン・ソナタ』は全10曲あります。ベートーヴェンにしてみればピアノが最も親しい楽器だったという事もあり、数的にはピアノに比べると少なめです。
しかし、そこはベートーヴェン、如何にヴァイオリン演奏自体が稚拙であったとはいえ、『ヴァイオリン・ソナタ』自体の完成度は高く、しかも先人たちが成し遂げられなかったヴァイオリンが主役を張る作品に見事に導いています。
特に『第9番』は改革者ベートーヴェンの面目躍如の作品となっています。今回はベートーヴェンの傑作『ヴァイオリン・ソナタ第9番』が生まれるまでの歩みを追ってみたいと思います。
ヴァイオリン・ソナタの変遷
『ヴァイオリン・ソナタ』は、モーツァルトの時代までは「ヴァイオリンのオブリガート付きピアノ・ソナタ」という位置付けでした。主役はあくまでもピアノであって、ヴァイオリンはピアノの旋律を修飾するような、いわば脇役でした。
この関連性を改革したのがベートーヴェンでした。ベートーヴェンの初期の『ヴァイオリン・ソナタ』はまだまだ過去のものを踏襲するような作品でしたが、中期以降からはそれが逆転して、ついに『第9番』で本来あり得る姿の『ヴァイオリン・ソナタ』の傑作を生みだします。
ヴァイオリンの可能性を広げ、ピアノと対等に渡り合う音楽としての『ヴァイオリン・ソナタ』を完成させたわけです。ベートーヴェンはヴァイオリンとピアノが火花を散らすような掛け合いをする事で、ヴァイオリンの良さをもっと引き出す方法を確立しました。
ベートーヴェンによって『ヴァイオリン・ソナタ』はようやく「ヴァイオリン」が主役になる事が出来たのです。
ヴァイオリン・ソナタ『第1番』から『第3番』
『第1番』作曲年:1798年
『第2番』作曲年:1797年~98年
『第3番』作曲年:1797年~98年
実際は『第2番』『第1番』『第3番』の順に作曲されたと考えられています。この3曲は作曲家サリエリに献呈されています。
この頃はまだ「ヴァイオリンの助奏を伴ったクラヴィチェンバロまたはピアノ・フォルテのためのソナタ」の領域を超えるものではありませんでした。その意味ではモーツァルトの延長線上に位置付けられるものと言えるでしょう。
しかし、『第3番』は構成が拡大していて、既に改革の兆しが見られる内容になっています。この時点で、モーツァルトを超えているように思えます。
ヴァイオリン・ソナタ『第4番』から『第5番』
『第4番』作曲年:1800年~01年
『第5番』作曲年:1800年~01年
この2曲も同年に作られ、ベートーヴェンの庇護者でもあった、モーリッツ・フォン・フリース伯爵に献呈されました。『第5番』は「春」というサブタイトルが付けられています。これはベートーヴェンの死後に付けられたものですが、この作品の感じを良く表しています。
『第5番』は「春」というサブタイトルのせいもあって、今でも人気のある作品です。『第4番』まではヴァイオリンはピアノに付き従うイメージでしたが、「春」はそれまでのイメージを一新し、ヴァイオリンの清々しい響きが輝いているようになります。
ソナタの3楽章という決まりきった定型化を破り、4楽章制にした事も改革のひとつでした。こうしてベートーヴェンは次々と『ヴァイオリン・ソナタ』を変えていくのでした。
ヴァイオリン・ソナタ『第6番』から『第8番』
『第6番』作曲年:1802年
『第7番』作曲年:1802年
『第8番』作曲年:1802年
この3曲の作曲年ははっきりしていません。おそらく1802年頃と考えるのが最も妥当という事です。この年は有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれた年であり、ベートーヴェンの心の葛藤はすさまじいものだったでしょう。
その「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く前に作曲されたものと考えられますが、これらの3曲は既に「ヴァイオリンのオブリガート付きピアノ・ソナタ」という範疇を抜け出し、ヴァイオリンによる独自の音楽を見せています。
今までと違うステージに上がった事を感じさせてくれる作品です。とてもエネルギッシュな作品群です。
特に注目されるのは『第7番』で、冒頭から緊張感が漂い、激しさや、感情の内面を露出するような独特の音楽で、ベートーヴェン特有の壮大さや悲痛さが感じられます。
ベートーヴェンが辿り着いた終着点『第9番』
『第9番』作曲年:1803年
作品について
『第9番』「クロイツェル」はベートーヴェンの『ヴァイオリン・ソナタ』の中での最高傑作であるだけでなく、現代まで残る『ヴァイオリン・ソナタ』の中でも最高のものです。
1803年はロマン・ロランが言うところの「傑作の森」の時期であり、ベートーヴェンが最も充実して輝いていた頃の作品です。1797年からずっと続けて来た『ヴァイオリン・ソナタ』作曲のひとつの終着点を迎えます。
ベートヴェン自身が付けた標題は『ほとんど協奏曲のように、相競って演奏されるヴァイオリン助奏つきのピアノソナタ』です。この作品は雄大なスケールを持ち、どの楽章でも激しいドラマティックさと穏やかさを持ち合わせています。演奏時間も約38分の大作です。
ようやくここにベートーヴェンによってヴァイオリンとピアノが対等に演奏される『ヴァイオリン・ソナタ』が誕生したのです。
サブタイトルについて
「クロイツェル」というサブタイトルは当時の名ヴァイオリニスト、クロイツェルに献呈したためにこう呼ばれています。しかし、クロイツェル自身は生涯に渡りこの作品を演奏した事は1度もありませんでした。
ベートーヴェンはこの曲を当時ウィーンで評判を呼んでいたジョージ・ブリッジタワーのために作曲しました。初演ではブリッジタワーがヴァイオリンを弾いたのですが、女性を巡るいさかいが原因でブリッジタワーとベートーヴェンは仲たがいをしてしまいます。
当初ブリッジタワーに献呈しようと考えていたベートーヴェンはその事をご破算にし、急遽クロイツェルに献呈する事にしました。しかし、献呈されたクロイツェルはこの曲に関心がわかなかったようで、彼によって演奏される事はなかったのです。
ヴァイオリン・ソナタ『第10番』
『第10番』作曲年:1812年
ベートーヴェンの中では一区切りついた『ヴァイオリン・ソナタ』でしたが、この『第10番』は卓越したフランス人ヴァイオリニストのピエール・ロードの依頼を受け、彼のコンサート用に作曲したものです。
ですから、今まで見て来た一連の作品とは異なり、ロードの好みや時代の流行りのスタイルなどを取り入れて作曲したようです。穏やかな感じの作品となっています。
ロードの依頼がなかったら『第10番』を作曲する事はなかったでしょう。『第9番』で彼の求めていたものは全て手に入れてしまっていたからです。
ベートーヴェンのその後
『第10番』は別にして、『第9番』までベートーヴェンは毎年のように『ヴァイオリン・ソナタ』を作曲してきました。その歩みはとても早いもので、初期の3曲から始まりわずか6年間という間に『ヴァイオリン・ソナタ』の性格を変えてしまいました。
ヴァイオリンとピアノが対等な関係を持ち、両者ががっちりと組みあう事で素晴らしい音楽が引き出される、最初からベートーヴェンはそれを目指して作曲していったのでしょう。改革者ベートーヴェンにとってもひとつひとつ踏み台が必要だったと思われます。
そして、『第9番』にして自分の理想形の『ヴァイオリン・ソナタ』の完成を見たわけです。『第9番』「クロイツェル」は傑作ですが、ベートーヴェンはその先を求める事はしませんでした。
『ピアノ・ソナタ』や『弦楽四重奏曲』は死の間際まで構想を練っていましたが、『ヴァイオリン・ソナタ』は32歳でひとまず筆を置きました。その後、『第10番』は依頼に応じて作曲しましたが、この分野からは手を引きます。
彼にとってはヴァイオリンは独奏楽器というイメージが強くなかったのではないでしょうか。だから『ヴァイオリン・ソナタ』も文字通りヴァイオリニストが目立つような作品は目指してなく、ヴァイオリンとピアノが同等のものを作り上げて完成形と判断したのだと思います。
『ヴァイオリン協奏曲』『ロマンス第1、2番』などヴァイオリン独奏が入る作品は1806年までに全て作曲し終えています。ソナタの『第10番』だけは例外中の例外だったわけです。それ以降のベートーヴェンの音楽の中心にはヴァイオリン独奏は選択されませんでした。
まとめ
ベートーヴェンの『ヴァイオリン・ソナタ第9番』「クロイツェル」の完成までの経過を見てきました。ベートーヴェンは作品を作りながら、6年の歳月でそれまでの『ヴァイオリン・ソナタ』の常識を覆しました。
しかし、彼の『ヴァイオリン・ソナタ』に関するチャレンジはそこで終了しました。ヴァイオリンにはピアノほどの愛着が無かったのでしょうか。「クロイツェル」ほどの傑作が書けるなら、もっと色々と作曲出来たのではないかと思うと残念でなりません。