
弦楽器を指で弾くのではなく、「こする」というアイデアがいつ頃発明されたのか分かっていません。これらを称して擦弦(さつげん)楽器といいます。今で言ったら、特許も取れそうな素晴らしいアイデアです。その方が長い音が簡単に出せますし、音色も良くなります。
弓の毛が馬のしっぽの毛に辿り着くまでも、様々なもので試されたことは容易に想像できます。しかし、「いつ」「どこで」「だれが」それを始めたのか全く不明なのです。アラビアの「ラバーブ」、モンゴルの「馬頭琴」など完成形がひょっこりと出現するのです。
このように、実際のところ弓については分からない事ばかりなのです。今回は弓の登場の歴史から、その構造、弓の製作者の事などについて書きたいと思います。
※弦楽器ごとの弓について言及すると複雑になりますから、代表としてヴァイオリンの弓を例に出して説明していきます。
擦弦楽器の起源
起源は、アジアであると考えられていますが、未だに良く分かっていません。最初は木の胴をくりぬき、表面に響板をかぶせ、駒を乗せて弦を張り、弓で弾くようになったと考えられています。これが、北アフリカ、ロシア、中東やアジアに広がり、スペインにまで達しています。
これらはそれぞれの地で呼び名が変わり、アラビアのラバーブや、中世にオリエントから伝わり15世紀のスペインとフランスで広く使われたレベックという楽器などです。モンゴル族が使っている馬頭琴も同じ起源です。起源については良く分かっていないというのが本当のところです。
次に歴史に出てくるのが16世紀頃のフィドルと呼ばれる、現在のヴァイオリンの原型です。この間に擦減楽器がどう進化してきたかもはっきりとは分かっていません。ヴァイオリンは突然歴史に表れたのです。
弓の起源
勿論、擦減楽器の登場とともに作られたのでしょうが、その起源については良く分かっていません。弦を指で弾くのではなくて、弓を使って「こする」アイデアはよく考えたものだと感心します。長い間付属品的扱いだったのでしょうから、記録が余り残っていません。
弓の改良
ヴァイオリンがアマティらによって完成形が生み出されました。当然それを弾く弓についても改良がなされてきています。しかしアマティやストラディバリが活躍した時代はまだ弓の形は今と違って横から見ると孤の形をしていました。弓矢の弓の形です。
ヴァイオリンの弓はそれよりずっと遅れて、18世紀後半にフランスのフランソワ・トルテによって完成されました。トルテはそれまでとは反対に、逆反り型の弓(極端に言えばアルファベットのMの形)を考案し、これが現在の弓の原型になっています。
ヴァイオリンがイタリアのクレモナで完成されたのに対して、弓はフランスで完成されたのでした。弓はトルテ、ペルソワ、ユリーという3人の天才職人によって、1800年より1835年に掛け、その頂点に達しました。
弓の歴史的製作者
- フランソワ・グザビエ・トルテ(François-Xavier Tourte)
- ペルソワ(J.Persoit)
- ペカット・ファミリー(Peccatte family)
- ウジューヌ・サルトリ(Eugéne Sartory)
- ユリー(Jacob EURY)
彼らの作製した弓は現在数千万単位で売られています。弦楽器製作者にも名工がいましたが、弓の製作者の中にも名工たちが存在したのです。フランス人のトルテ、ペルソワ、ユリーという3人の天才職人がいたお陰で弓が発達したといっても過言ではありません。
トルテの残した弓は「弓のストラディバリウス」とでもいえるものです。彼らの活躍によって、弓の製作はフランスが本場になりました。ですから、今でもフランス人に名工が多いのです。弓もイタリアが本場と思っていましたが違っていたのですね。
弓の構造
テレビ等でヴァイオリンを弾いている人を見たことがあると思いますが、弓は棹(さお)と呼ばれるスティックの部分と馬の尻尾の毛を張った弓毛の部分に大きく分かれます。弓の根元には弓毛の張り具合を調節するスクリューが付いています。
このスクリューは弾く時は強い弾力に、弾かない時は張りを弛めて、弓の変形をなくすようにするためです。弓を持つところはサムグリップといい、持ちやすいように牛皮、山羊皮、トカゲ皮などが使われます。棹の保護、指の滑り止めの役割を持ちます。
棹の形状は丸形のものと八角形のものがあります。大量生産される低価格の弓は丸弓が多く、中上級弓は角弓が多いです。弓にとって一番重要な要素は、強度が強いということです。そして次に、軽量で重量バランスが良く、作りが良いことが重要です。
棹について
材質によって次の3つに分類することが出来ます。
- 木材
- カーボン
- インナーカーボン
弓の棹が木で出来ている物。最も一般的な弓。
弓の棹がカーボン製。安価であるが、音の点からは余りお勧めできない。音質に問題がある。
弓の棹の芯にカーボンが入っていて、その周りを木が覆っている弓。カーボン弓の中でもインナーカーボンに限り、木の弓に匹敵するくらい、非常に良い音が得られる。
棹は直線状に切り出された木材を火で炙って弓の形(反り)を作ります。そして反対側に弓下を張る毛箱を付けます。
弓はフェルナンブコ材、ブラジルウッド材などが使われます。良質な弓はほとんどフェルナンブコです。フェルナンブコは弓に適した木材で、曲げ強度に優れています。その他、硬く、密度が高く、気孔が無く、湿気に強いなどの特徴があります。まさに弓に打ってつけの材料なのです。
正確には、フェルナンブコもブラジルウッドの一つなのですが、通常ブラジルウッドとはフェルナンブコ以外のものを指します。ブラジルウッドの見た目はフェルナンブコとそっくりで低価格さが魅力ですが、強度が劣り、また付けられた反りが長年の間に戻りやすいのが欠点です。
近年、このフェルナンブコの木が激減し、絶滅が危惧されているのが実状で、2007年にはワシントン条約での国際取引規制の種としても認定されました。このためフェルナンブコを使った弓の価格は高騰しています。そこで考えられたのが、カーボンやインナーカーボン製の弓なのです。
弓毛について
ヴァイオリンの弓の毛は昔から馬のしっぽの毛が使われています。弓1本に使われる毛は160~180本くらいが普通で、弓毛には真っ直ぐな物のみを選別し、その毛が一直線状に並べて付けてあります。弓毛も縮れ毛などは排除し、直毛のみを使用します。
弓毛には松脂(まつやに)を塗って演奏します。松脂は松の樹液を固めた黄色や黒色の塊で、こすりつけると白い粉が出ます。粘着性なので塗ると弓がしっかり弦をこすれるようになるというわけです。演奏後は付けた松脂をしっかりと拭い去ります。
モンゴル産の白馬のしっぽの毛が最高クラスといわれ、簡単に分けると次の3種類があります。
- スタンダード(モンゴル産)
- デラックス(モンゴル産)
- スペシャル(外モンゴル産)
一般的なモンゴル産の馬毛です。松脂の付きの良さとしっかりとした引き心地が特徴です。一般の方が購入される弓や子供用の弓に使用されています。
スタンダードの毛より長いので、先細りした毛先部分を使わず、元弓から先弓までほぼ均一な太さで張ることが出来ます。弦への食いつき感がスタンダードとは違います。
モンゴルには内モンゴル(中国領)と外モンゴル(モンゴル国)とあり、外モンゴル産の馬毛は一本一本の毛がより太くしっかりとしていて、また洗浄・選別にも高いグレードを追求しています。滑らかな弾き心地と、先弓での弦への吸い付きが全然違います。
弓毛は消耗品ですので、たまに張替えが必要です。プロになると2ヶ月に一回位のペースで張り替えるそうです。アマチュアオーケストラなどで毎週使っているような方も、半年を目安に変えた方が無難です。一般の方が使用する弓の張替えは6000円ぐらいです。
良い弓を選ぶには
良い弓とは使用ヴァイオリンと相性が良くて、使い易いという事です。発音が良いとか、音の立ち上がりが良いとか言われます。使い難い弓で演奏していると、弾き方にも影響が出ますし、楽器を痛める事にもなりかねません。
ヴァイオリンの作られた年代と弓の作られた年代を近くすると、どうやら音にとって良い結果になる事が多いようです。また、弓は使う人の楽器に合わせて選ぶのが無難といわれています。
たとえ安価なバイオリンでも、楽器の性能をフルに発揮できるよう、また正しいボーイングを身につけるため、弓は良いものを用意するのが理想です。良質な弓を使用すれば、音色も良くなり、演奏の上達にも繋がります。
ここでいう良いものとは値段の高さを言っているのではなく、使用する楽器に合う、良質に作られた弓の事を指していますので、誤解なきようにして下さい。5万円の楽器に100万円の弓を使うと、良い音色になるどころか両者に悪影響を及ぼします。
弓の値段
弓を買うのでしたら、自身の持っている楽器の1/3か1/2程度が良いとされています。大方の人はそれぐらいの弓をお使いでしょう。
フランスやイギリスのオールドの中には、1000万を超える額で取り引きされるものもあります。これらはソリスト向けです。プロが持つものは100万単位のものが主流のようです。
前で取り上げた名工達が作った弓は、例えばトルテの弓は2000万円、ペルソワで1200万円、ぺカットが1500万円で売買されています。これらはストラディバリウスやグァダニーニをお使いの本当に凄い腕を持っている方のためのものです。一般人には無縁のものです。
有名演奏家が使っている弓
何人か、名工たちの弓を使っているヴァイオリニストたちを紹介しておきましょう。楽器に見合った弓を使っています。クラシックに詳しい方ならば、名前は聞いたことがある方々でしょう。楽器も凄いし、弓も凄いものを使っています。さすがは名人級の人々です。
アイザック・スターン
使用楽器:グァルネリ・デル・ジェス 1740 “Ysaye”
使用弓:トルテ
サラ・チャン
使用楽器:グァルネリ・デル・ジェス
使用弓:ドミニク・ペカット
ヴィクトリア・ムローヴァ
使用楽器:ストラディヴァリ 1723 “Julius Falk”
使用弓:ヴォアラン
ワディム・レーピン
使用楽器:ストラディヴァリ 1708 “Ruby”
使用弓:キッテル、マリーン、フレッツィナー
チョン・キョンファ
使用楽器:グァルネリ・デル・ジェス 1735
使用弓:グランド・アダム
まとめ
弦楽器の弓について簡単に見てきました。どうしても楽器の方に目が行ってしまいがちですから、なかなか弓については知らないことだらけでした。弦楽器と同じくイタリアが本場ではなく、フランスが本場とは知りませんでした。
弓の事を知らなくても、弦楽器を聴く時はその音色が素晴らしければ何もいう事はないですね。付加情報として知っておくのも為になるかと思います。コンサートに行くとたまに弦楽器奏者が切れた弓を引きちぎる場面を見る事が出来ます。弓が消耗品だという事が良く分かります。