舞台で演奏するオーケストラ

ブラームスという作曲家は名を知られるようになるまで時間が掛かりました。35歳で『ドイツ・レクイエム』を発表してようやく名声を手に入れ、有名作曲家の仲間入りを果たします。

しかし、ブラームスはそれまでに管弦楽曲を作曲していませんでした。それは、彼がオーケストレーションを苦手にしていたわけではなく、ベートーヴェンの亡霊に縛られていたからです。

ベートーヴェンの作品を前にして、自分に何が書けるのかと絶えず考え、悩み続けた結果でした。そんなブラームスにも「ベートーヴェン病」を克服する日がやってきます。

『ハイドンの主題による変奏曲』を足がかりにして、ついに『交響曲第1番』を完成させ、「ベートーヴェン病」を克服しました。それからのブラームスは大作曲家としての道を歩み始めます。彼の作品から見たブラームス像を考えてみたいと思います。

ブラームスの核は何といっても交響曲ですね。
そうだね。4つの交響曲がブラームスの屋台骨を支えているんだよ。

交響曲第1番

ブラームスを論じるにはやはりこの作品を第1にしなければなりません。なにゆえブラームスはこの交響曲の完成に構想から21年も掛かったのか。この問いに答えることがブラームスの人物像に迫る最も大事な事だと思っています。

ベートーヴェンの壁

18歳頃に作曲家を志し、22歳で交響曲を書こうと構想を練ります。しかし、立ちはだかったのはベートーヴェンの交響曲でした。自分にはこれ以上のものが作曲できるだろうか、ブラームスにはこの思いがずっと続いていくのです。

ブラームスはそれまでピアノ曲や歌曲などしか作曲していませんでした。だからこそ、その時にはベートーヴェンの壁がより高く見えたのかもしれません。

交響曲への挑戦

26歳の時に『ピアノ協奏曲第1番』を作曲します。今でもコンサートではよく取り上げられる作品です。まるで交響曲のような感じがします。それもそのはず、彼は交響曲の作曲を始めましたが上手く行かず、ピアノ協奏曲に方向転換したものだったのです。

35歳で発表した『ドイツ・レクイエム』はブラームスが広く認知された記念すべき作品ですが、ここにも彼が交響曲のために使用しようとしたモチーフが多くあると言われています。交響曲作りに苦闘していたブラームスの姿が見えてくるようです。

40歳で『ハイドンの主題による変奏曲』を作曲します。これは、交響曲のための管弦楽のブラッシュアップと行ったところでしょうか。もうこの時期からは最初の交響曲のために没頭することになります。

ついに交響曲完成

そして、1876年、43歳で見事『交響曲第1番』を完成させました。幾度か作曲し始めましたが、「ベートーヴェン病」によって完成まで至らずを繰り返し、21年掛かりでようやく産み落とされたのです。

それは、ベートーヴェンの正統的後継者は自分であると世界に訴えた、「ベートーヴェン病」を克服した偉大なる交響曲でした。指揮者のハンス・フォン・ビューローが「ベートーヴェンの第10交響曲」と語った事も当然だったのです。

後に「ドイツ3大B」と称される所以がここにあります。ブラームスがドイツの大作曲家の系譜に名を連ねたわけです。それだけ大きな仕事を成し遂げたと言えます。

ブラームスは自己批判の強い人物でした。若い頃の作品が全く残っていないのはそのせいだと言われています。全て廃棄してしまったのです。そんなブラームスの性格がここにも生きています。

100%納得が行くまで推敲に推敲を重ね、ひとつひとつ積み上げながら作り上げたのが『交響曲第1番』でした。これならベートーヴェンと比べても引けを取らない交響曲だと自信を持って世に送り出したのです。

『交響曲第1番』おすすめの1枚

カラヤンの日本での最後のコンサートのライヴ。東京のサントリーホールでのこの演奏はぜひ多くの方に聴いてもらいたいものです。カラヤンの素晴らしさがよく伝わってきます。

交響曲第2番

『交響曲第1番』を完成させたブラームスは翌年にそれとは全く違う交響曲を作曲します。重厚な交響曲の次は、しなやかで美しい交響曲でした。

ブラームスの田園交響曲

ベートーヴェンの壁を乗り越えたブラームスは『交響曲第1番』作曲の翌年、『交響曲第2番』を作曲します。作曲期間4ヶ月という短期間で書き上げられました。

『交響曲第1番』は21年も掛かったのに、こちらは4ヶ月と実に対照的です。内容も、『交響曲第1番』は「暗から明へ」という力の入ったものでしたが、こちらは「自然の美しさ」を取り上げており対照的になっています。

ベートーヴェンの『運命』と『田園』のような関係とよく似ているのです。ブラームスの『交響曲第1番』と『交響曲第2番』はセットで考えると分かりやすくなってきます。

『交響曲第1番』を作曲するに当たり、使われなかった数多くのスケッチはブラームスの作曲のための引き出しに残されたはずです。『交響曲第2番』が短期間に作曲されたのは、それらを上手く使ったからと考えられます。

『交響曲第1番』が完成を見た事で、長年の精神的重圧からも開放されたという点も指摘しなければなりません。自然回帰というテーマもそうしたブラームスの心情が表れた結果とも言えるでしょう。

『交響曲第2番』おすすめの1枚

カラヤン最後のブラームス全集からの分売されたものです。1986年録音。自然体のブラームスという言葉が当てはまる演奏です。カラヤンの円熟味が感じられる1枚となっています。

交響曲第3番

『第2交響曲』から6年後の1883年、ブラームス50歳の作品です。ブラームスは押しも押されぬ大作曲家としての名声も確立し、充実した創作活動を送っていました。

幸せな時期の交響曲

『交響曲第3番』も他の交響曲のように夏の避暑地で作曲されています。この年は温泉地としても有名なヴィースバーデンで過ごしましたが、この地を選んだのは訳がありました。

ヴィースバーデンにはその年の春から彼が思いを寄せていたヘルミーネ・シュピースというアルト歌手が住んでいたのです。彼女とは20歳以上もの年の差がありましたが、お互いに良い関係性が作られて、周囲の友人たちは二人が結ばれるものと思っていました。

この交響曲はそんな幸せな時期に作曲されたのです。その感情がこの作品に影響を与えているとも言われています。3楽章目の有名なメロディなどはそのせいなのかもしれません。

残念なことに二人の恋は実りませんでしたが、50歳のブラームスが心を動かされた人を思いながら作曲されたこの作品はいつまでも聴かれ続けていくでしょう。

『交響曲第3番』おすすめの1枚

ちょっと変わったところでスウィトナー/シュターツカペレ・ドレスデンの第3番を挙げておきましょう。隠れた名盤ですが現在は廃盤になっているかも。もし手に入らなければショルティ盤も悪くないです。

交響曲第4番

1884年(51歳)に前半の2楽章、1885年に後半の2楽章と2年がかりで作曲された作品です。

古典に回帰した交響曲

作品完成後に友人たちにピアノ版で試聴させ意見を求めましたが、友人たちは皆戸惑いを隠せなかったと言われています。

フリギア旋法(第2楽章)やバッハのカンタータからの主題を用いて変奏曲にしたり(第4楽章)と懐古的な部分がこの作品を難しくさせていたためです。

ブラームスは友人たちの意見を受け入れて一度は書き直そうとしましたが、結局の所修正は行わず、以前のままで発表しました。

初演は成功したものの、その後の演奏会での評判はあまり良くなく、10年間ほど忘れ去られた交響曲だったのです。複雑な音楽ですから当時の聴衆たちに受け入れてもらうには時間が必要だったということなのでしょう。

『交響曲第4番』おすすめの1枚

このCDを初めて聴いた時には衝撃が走ったものです。ブラ4好きな方は必ず聴いておかねばならない録音でしょう。C・クライバーという指揮者の凄さが伝わってきます。

ピアノ協奏曲第1番

ブラームス26歳の作品です。この作品に関してはピアノ協奏曲になるまでに複数のプロセスがありました。

二転三転したピアノ協奏曲

最初は3楽章の『2台のピアノのためのソナタ』として完成させましたが、出来に納得がいかず、次に交響曲へ発展させようと試みました。しかし、これも途中で挫折。最終的にピアノ協奏曲にしてしまったといういわく付きの作品です。

この作品が交響曲っぽく聞こえるのはそんな裏話があったためです。交響曲にしようと思ったぐらいですから、作曲家としてはオーケストレーションの勉強になったのではないでしょうか。

ブラームスはこの作品をピアノ協奏曲にしようと思いついてから完成までに何度も改訂を繰り返しました。難産の末、出来上がったピアノ協奏曲です。

『ピアノ協奏曲第1番』おすすめの1枚

これは色々迷いましたが、ポリーニ盤(1997年、ライヴ)を挙げました。内省的なポリーニとアバド/BPOの伴奏も見事です。

ピアノ協奏曲第2番

ブラームスの2曲めのピアノ協奏曲です。ブラームスの充実期ということもあり、1番の協奏曲よりも内容の深い音楽になっています。

ブラームスの代表作とも言えるピアノ協奏曲

『交響曲第2番』、『ヴァイオリン協奏曲』などと同じ時期に作曲された名曲です。ブラームス充実期の作品となっています。この作品もまるで交響曲のようにどっしりと重厚な作品です。

1878年のイタリア旅行に触発され、作曲を始めました。途中で『ヴァイオリン協奏曲』を作曲するなどしたため、完成するまで3年ほど掛かり1881年に発表されます。

初演はその年の11月、作曲家自らピアノを弾きました。この演奏会は大成功し、以降ブラームスの主要な作品として現在まで演奏されています。

『ピアノ協奏曲第2番』おすすめの1枚

クリスティアン・ツィマーマンのピアノの凄い事!バーンスタイン/VPOのサポートも見事です。この作品の代表作かと思います。

ヴァイオリン協奏曲

ベートーヴェン、メンデルスゾーンと並んで「三大ヴァイオリン協奏曲」と呼ばれています。チャイコフスキーとシベリウスも入れて「五大」と呼ぶ人もいますが、いずれにせよ、名曲であることには誰しも異論はないでしょう。

ヴァイオリン協奏曲の中でも超名曲

サラサーテの演奏を聴いた事が作曲の動機になったようです。『ピアノ協奏曲第2番』作曲中でしたが、ブラームスはこちらの作品を優先させました。ブラームスの友人でヴァイオリニストのヨアヒムが演奏会に是非初演したいと言い出したためです。

『交響曲第2番』の作曲直後のブラームスの絶頂期の作品であり、この作品も交響曲のような響きを持つ、超絶技巧を必要とする分厚い作品となっています。まるでベートーヴェンの協奏曲のようです。

ヨアヒムとは結局この作品のせいで仲違いするようになってしまいましたが、この『ヴァイオリン協奏曲』を作曲した事でブラームスの作品群に新たな名曲が加わったのです。

『ヴァイオリン協奏曲』おすすめの1枚

ヒラリー・ハーンの良さが出ている名演です!ブラームスの『ヴァイオリン協奏曲』を苦手にしている方にもぜひ聴いてほしい演奏。目から鱗が落ちる感覚があると思います。

ドイツ・レクイエム

ブラームス35歳の出世作です。完成は『交響曲第1番』を発表する8年前になります。この作品は完成するまでに長い時間を必要としました。

演奏会のためのレクイエム

『ドイツ・レクイエム』というタイトルはレクイエムのテキストをルター聖書のドイツ語版から引用した事からそう名付けたのです。ブラームスはルター派のキリスト教徒でした。この作品は教会で演奏されるためではなく、演奏会用として作曲されたことも特徴です。

『ドイツ・レクイエム』は1857年頃から作曲が始められたと考えられています。シューマンの死の後すぐに構想されたようです。自分を世に紹介してくれた大恩人の死に接して期するものがあったのでしょう。

なかなか筆は進みませんでしたが、1865年に母が亡くなった事で作曲に力を入れることになりました。1867年には完成した部分を試奏するなどしています。

そして、1868年に全曲が完成しました。その年にはブラームス自身の指揮で第5曲を除く初演が行われ、ブラームスの作曲家としての地位を確たるものにしたのです。

11年掛かりで作曲した作品で、完成される前から試奏を繰り返した事などブラームスならではの特徴を持っています。

『ドイツ・レクイエム』おすすめの1枚

これは難しい選択ですが、ここではカラヤン盤(1976年)を挙げておきます。アンナ・トモワ=シントウ、ジョゼ・ヴァン・ダム、ウィーン楽友協会合唱団そしてもちろんBPOがそれぞれに力を出しています。パワフルな録音です。

ハイドンの主題による変奏曲

『交響曲第1番』完成の3年前の作品です。「ハイドンの主題」自体が親しみやすく聴きやすい音楽です。ブラームスは変奏曲を得意としていました。

交響曲のための習作的管弦楽

ブラームス40歳のこの頃は交響曲の作曲にのめり込んでいた時期ですが、ではなぜこの作品を作曲したのでしょうか。

『ハイドンの主題による変奏曲』は元々「2台のピアノ」のために作曲されました。その後でブラームスは管弦楽版に編曲しています。

この事を交響曲のためのオーケストレーション練習と考えるのは間違っているでしょうか。『ピアノ協奏曲第1番』や『ドイツ・レクイエム』、それに『セレナード』といった作品は作曲していますが、管弦楽を含む作品はその程度だけでした。

交響曲を作曲するにあたって、もっと勉強する必要があったのではなかったのか、と私は思っています。ブラームスは変奏曲が得意でした。同じ主題を用い、様々なバリエーションの作曲法を試したのです。

『ハイドンの主題による変奏曲』おすすめの1枚

アバド/BPO(1990年)のCDがおすすめです。BPOの良さをしっかりと引き出している演奏。『交響曲第2番』のカップリングですが、こちらの演奏も美しいです。

クラリネット五重奏曲

晩年の作品から『クラリネット五重奏曲』を挙げておきます。ブラームス58歳の室内楽の秀作です。穏やかなブラームスがここにはいます。派手さはありませんが、そこがまたこの作品の味わい深いところです。

ブラームスの室内楽でのNO1の作品

この作品がLPやCDとして売られる時にはいつもモーツァルトの同じ編成の作品とカップリングされます。ブラームスには気の毒ですが、セールス側としては致し方ないのかもしれません。

ブラームス自身もモーツァルトの同曲を意識して作曲したに違いありませんが、モーツァルトと一緒に聴かれる時代が来るとは思わなかったでしょう。

ブラームスの方も良い作品です。ですが、モーツァルトは「まるで神が…」という形容詞がつく代物ですから勝ち目がありません。その点ではブラームスは貧乏くじを引いたようです。

ベルリンやウィーンでの初演は成功だったようです。評論家たちも称賛の声を挙げました。この後、ブラームスは目立った作品は作曲していません。この作品の6年後にブラームスは亡くなるのです。

『クラリネット五重奏曲』おすすめの1枚

録音は少々古く(1952年)モノラルですが、ウラッハ/ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団の演奏は素晴らしいです。この録音は聴いておかねばならない録音と言えます。

ここに挙げた10作品はブラームスのエッセンスと形容しても間違いありません。
交響曲から室内楽までブラームスという作曲家を俯瞰できる作品たちだ。

まとめ

ブラームスの有名な作品からブラームスの人生を考えてきました。『ドイツ・レクイエム』で世に出てから、4つの偉大な『交響曲』、『ヴァイオリン協奏曲』など見事にドイツの作曲家の系譜を受け継いでいます。

彼の人生は交響曲を作曲することに費やされたと言っても過言ではないでしょう。ブラームスがやりきったと思った後は、『クラリネット五重奏曲』のような渋い作品も残しています。

ブラームスの最大の功績は4つの交響曲です。ベートーヴェンの壁を見事に打ち破りました。現在でも毎日必ずどこかの都市で演奏されています。我々はブラームスを聴く喜びを心の底から味わっているのです。

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