オーケストラ シカゴ交響楽団

シカゴ交響楽団は全米一のオーケストラである。そう形容しても多くの方は納得してくれると思います。アメリカBIG5の中でも実力面、経営面共にナンバー1であり、将来的にもその地位を維持していく力量を持っています。シカゴ交響楽団なしに現代のオーケストラは語れません。

歴史の古さではアメリカで第3位という事ですが、今の地位まで上り詰めた要因はやはりゲオルグ・ショルティが最大の功労者と言えそうです。ショルティが音楽監督にならなかったら、現在のシカゴ交響楽団はここまでの評価が得られたかどうか分かりません。

現在のシカゴ交響楽団の音楽監督はリッカルド・ムーティですが、この世界的指揮者を留めて置けるのも、現在の実力あっての事です。そんな、シカゴ交響楽団の発足から現在までの歴史を、歴代音楽監督を中心に辿ってみたいと思います。

シカゴ交響楽団の誕生

シカゴ交響楽団の始まりは、1891年にシカゴのビジネスマン、ノーマン・フェイによって設立されました。1893年のコロンビア博を前にして、シカゴがどのような都市であるべきかを考えていたフェイは、シカゴ市にオーケストラがなかったことから、オーケストラ設立を考えました。

フェイは、まず、49人のシカゴのビジネスリーダーを集めてCSOアソシエーションを設立し、そして指揮者セオドア・トーマスを初代音楽監督として迎えたのです。最初のオーケストラ名は「シカゴ管弦楽団」(Chicago Orchestra)として発足しています。

初代音楽監督のセオドア・トーマスは「妥協しない芸術の卓越」の言葉を基に、音楽を何よりも優先させる事を条件に挙げ、依頼に応じたといわれています。初の演奏会は1891年10月。トーマスは、この最初のコンサートから、高い技術を恒久的に持つオーケストラを目指していました。

シカゴ交響楽団の歴史・音楽監督2代目まで

セオドア・トーマスは、以後1905年に亡くなるまで、高い技術を恒久的に持つオーケストラを目指し、音楽監督を務めました。14年に渡る音楽監督でしたが、その当時はまだ現在のように全米から注目されるようなオーケストラではありませんでした。

第2代音楽監督はフレデリック・ストックでした。彼の音楽監督は、実に37年間にも及びます。ストックに決まるまでにはグスタフ・マーラーの名が挙がってましたが、マーラーの体調が思わしくなく、代わりにストックが努めるようになったのでした。

1931年、「シカゴ管弦楽団」から「シカゴ交響楽団」(Chicago symphony Orchestra、略称CSO)に名称を変えます。この名称が現在まで引き継がれています。ストックの在籍期間は37年もありましたが、彼の在任中には創立50周年を迎えます。

シカゴ交響楽団の歴史・音楽監督5代目まで

3人の音楽監督は10年間を任されました。1943年から1947年がデジレ・ドゥフォー、1947年から1948年がアルトゥール・ロジンスキー、1950年から1953年がラファエル・クーベリックでした。この10年間はそれぞれに任期が短く、活躍する間もなく、辞めて行ったという感じです。

残念だったのは第5代音楽監督にウィルヘルム・フルトヴェングラーを迎えようと熱心に動いた時期がありました。しかし、フルトヴェングラーはナチスに協力したとのデマが流され、結局この話は流れてしまいました。彼が音楽監督に就任していれば、大きく変わった事でしょう。

シカゴ交響楽団の歴史・音楽監督6代目

音楽監督第6代目はフリッツ・ライナーです。シカゴ交響楽団の大きな飛躍を成し遂げました。シカゴ交響楽団の第1次黄金時代と呼ばれる時期です。ライナーは楽員を大幅に入れ替えたり、アンサンブルオーケストラに教え込んだりして、オーケストラのレベルアップを成し遂げました。

シカゴ交響楽団はこの時期から世界有数のオーケストラの仲間入りをします。録音にも力を入れるようになり、今でも聴く事が出来るライナーとシカゴ交響楽団の録音は特にベートーヴェンとR・シュトラウスが素晴らしく、また、フレージングの上手さから、ワルツも上出来です。
 
ただ、彼は練習中の罵詈雑言は当たり前の指揮者だったので、オーケストラの面々と衝突した事も度々でした。この頃の時代の指揮者特有の巨匠風を吹かして、オーケストラは自分の楽器のように考えていたところもあったのではないかと推測できます。

シカゴ交響楽団の歴史・音楽監督7代目

1963年、第7代音楽監督としてジャン・マルティノンが就任します。彼はフランス人であったので、フランス物をこのオーケストラに持ち込み、それまでのシカゴの音とは違った音楽の新風を吹き込みました。また、現代音楽への取り組みも力を入れました。

残念ながら、理事会とそりが合わなかったり、当時のオーケストラの組合活動の発展の中で、立場が無くなり、惜しい事に5年間で任期を終えています。小澤征爾がラヴィニア音楽祭で活躍したのはマルティノンが音楽監督をしている時代でした。

シカゴ交響楽団の歴史・音楽監督8代目

1969年、ゲオルグ・ショルティが8代目の音楽監督に就任します。彼の就任によって、当時停滞気味にあったシカゴ交響楽団は数年で立て直されただけでなく、数々の優れた録音を残し、さらに初の海外公演を成功させるなど、その貢献は大きいものがあります。

恐らく、ショルティが音楽監督にならなかったら、シカゴ交響楽団は全米一、そして世界のシカゴ交響楽団とは呼ばれなかったでしょう。シカゴ交響楽団にとって、フリッツ・ライナーの時代が第1次黄金時代であり、ショルティの時代が第2次黄金時代でした。

ショルティはデッカに膨大な録音をしています。この事もシカゴ交響楽団を知らしめる要素となりました。数多くの録音には数々の名盤も含まれており、今となっては貴重な録音ばかりです。ショルティはシカゴ交響楽団との録音で24回ものグラミー賞を獲得しています。

金管楽器のシカゴと言われ始めたのもこの頃です。シカゴ交響楽団の本拠地、シンフォニーホールは、はっきり言って音響が悪く、金管楽器を目いっぱい鳴らさないと響いてくれないという理由があって、金管及び木管セクションが次第に上手くなったという説もあります。

海外への演奏旅行に出かけるのも、ショルティ時代からのものです。この事によって、世界各地でシカゴ交響楽団の実力が認められ、世界のシカゴ交響楽団との評判が高まりました。ショルティは1991年までの22年間、音楽監督の地位に留まり、シカゴ交響楽団を発展させました。

シカゴ交響楽団の歴史・音楽監督9代目

1991年、9代目の音楽監督にダニエル・バレンボイムが選ばれます。ショルティのすぐ後の音楽監督就任という事で、バレンボイムも相当悩んだのではないでしょうか。ショルティが作り上げた「シカゴ・サウンド」をどう引き継ぐか、最初は大変だったと思います。

ピアノの弾き振りやオペラの演奏会形式での演奏、現代音楽の積極的な演奏など、ショルティとは違った面を打ち出しましたが、チケットの売り上げは伸びず、逆に赤字経営にまで落ち込んでしまいます。期待が大きかっただけに、楽団内に不満が充満します。

責任を取る形でGMが辞め、バレンボイムも契約を更新しませんでした。バレンボイムは今まで様々なオーケストラ、オペラ座の音楽監督を歴任してきましたが、どうも最後にはこんな形で辞任するパターンが多く見られます。人望が無いのでしょうか。実力者なのに残念です。

シカゴ交響楽団の歴史・音楽監督10代目

バレンボイム辞任後は4年間音楽監督のいない時期がありました。ピエール・ブーレーズとベルナルド・ハイティンクが急場を凌ぎ、2010年のシーズンから現在の音楽監督リッカルド・ムーティに引き継がれます。当初ムーティは年齢を考え辞退したと伝えられました。

しかし、シカゴ交響楽団の説得に応じ、現在の地位に就きました。ムーティの人気は凄く、バレンボイムが減少させた定期公演の観客は戻り、経営面でも安定した結果を残しています。現在では世界屈指の指揮者ですから、その人気の度合いは誰にも負けません。

2014年には契約を延長しました。就任に当たり「アメリカの楽団が指揮者に求めているものは理解している」と述べ、今間まで以上に現代音楽初演も手掛けるなどレパートリーの拡充を行っています。1度、病気で煽れた指揮者なのに、これまでやっているのは素晴らしいです。

シカゴ・サウンドの特徴

音楽監督ムーティの元で、完全に全ての面で復活したシカゴ交響楽団ですが、「シカゴ・サウンド」も決して失われる事なく、健在です。このムーティの棒の元、管楽器の「シカゴ・サウンド」は相変わらず最強です。響きが凄いだけではなく、音楽的にもハイレベルにあるサウンドです。

金管楽器や木管楽器を中心に素晴らしいと讃えていますが、決して弦楽器が駄目なわけではありません。私が東京で聴いたマーラーの『第5番』は金管楽器が活躍する音楽ですが、弦楽器もとてもソフトで柔らかい音楽を奏でていました。総合力が凄いオーケストラなのです。

本拠地のシンフォニーホールの音響が悪く、響かせるために金管を強く吹かせる傾向があるために、金管楽器のシカゴと言われて来ました。しかし、弦楽器が同じ水準に達していなければ、音楽は崩壊し、目も当てられなくなります。そのバランスを上手く指揮者がリードしているのです。

シカゴ交響楽団のサウンドは、硬質なイメージを持つ人が多いと思います。しかし、それだけではなく、弾力のある金属のような、とても柔軟なイメージもあります。「シカゴ・サウンド」はオーケストラとしての一つの頂点に輝いているのです。

シカゴ交響楽団の客演指揮者たち

シカゴ交響楽団のレベルを上げたのは主に音楽監督に付きますが、客演指揮者たちも重要な役目を果たしました。シカゴ交響楽団のレベルに合った指揮者たちが指揮してきたからこそ、ハイレベルな実力を維持できたのだと思います。過去のワルターや、また近年だけでも凄い方々ばかりです。

最近の客演指揮者

  • ピエール・ブーレーズ
  • ジェームズ・レヴァイン
  • レナード・スラットキン
  • ネーメ・ヤルヴィ
  • クリストフ・エッシェンバッハ
  • チョン・ミョンフン
  • シャルル・デュトワ

シカゴ交響楽団の録音

名門オーケストラであるので、録音のオファーはひっきりなしです。東西の名だたる指揮者との組み合わせで、数えきれないほどの録音をこなしてきました。オーケストラの記録によると900曲以上の曲を録音してきたとの事。そして、グラミー賞を56回受賞しているそうです。

歴代の音楽監督は勿論の事、クラウディオ・アバド、クラウス・テンシュテット、小澤征爾、カルロ・マリア・ジュリーニなど当代一流の指揮者ばかりです。この事も、シカゴ交響楽団のレベルの底上げに貢献してきました。世界的指揮者との協演はオーケストラの成長に欠かせません。

ラビニア・フェスティバル

毎年のサマーフェスティバルは、1906年以来、毎年シカゴ北の郊外ハイランド・パークにあるラビニアで行われます。たくさんの優秀な演奏家や若い指揮者達がここでデビューしたり、名を上げたりします。かつて若き小澤征爾はこのフェスティバルの音楽監督を5年間勤めました。

このフェスティバルで、たくさんの才能のある音楽家との協演を積極的に行っています。フェスティバルは多彩なプログラムを組んで、話題の演奏家や優秀な音楽家も招待しています。日本人の出演者も多く、五島みどりはラビニア・フェスティバルの常連となっています。

まとめ

シカゴ交響楽団を音楽監督を中心に見てきました。このオーケストラを育てたのは彼ら音楽監督であり、特にフリッツ・ライナーとゲオルグ・ショルティの名前はこのオーケストラにとって、永遠に忘れる事が出来ない音楽監督です。シカゴ交響楽団の中では永久欠番的ヒーローです。

シカゴ交響楽団をベルリン・フィルやウィーン・フィルより上位に挙げる人も少なくありません。驚異の「シカゴ・サウンド」は一朝一夕に作られたものではありません。長い年月をかけてオーケストラとして遥か高いレベルに鍛えられました。我々は今後も、そのサウンドを楽しみたいです。

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