ショパンコンクールは5年おきに開催されるピアニストのための最も権威あるコンクールです。日本人の若手ピアニストたちも毎回数十人と挑戦しています。例えば、2015年の同コンクールには17名の日本人が予選まで進みました。国別では第3位の数です。
しかし、日本人は第8回大会(1970年)の内田光子の第2位が最高位です。これだけ毎回数十人と大勢が参加しているのになぜ日本人は優勝できないのでしょうか。ショパンコンクールで日本人が勝てない理由を考えて、10の項目を挙げてみました。
理由1.日本のピアノ教育・子供教育編
子供の時の教育は一番大事なものです。将来ショパンコンクールを目指す人なら特に重要になります。しかし、日本ではいまだに「バイエル」を使って教えていますし、鍵盤の指使いも間違って教えている先生が存在しています。
「バイエル」は時代遅れのテキストになっていて、日本以外で使用している国はほとんどありません。「指使い」も未だにハイタッチ奏法で教えている先生もいて、その後の指使いに著しく影響を及ぼしています。
レッスン内容もアメリカのように子供たちの良い点を褒めてまず音楽の楽しさを教えてあげるような教え方が必要です。最初の段階での日本の教え方は、ピアノを嫌いになるような事が多すぎます。子供の才能を伸ばしていくための教育に変えていかないと有能な人材をも失う事になりかねません。そうでないといつまで経ってもショパンコンクールで日本人が勝てないと思います。
理由2.日本のピアノ教育・大学教育編
ヒットした『のだめカンタービレ』では興味深い事柄が描かれていました。日本の音大を卒業した後に「のだめ」がパリ音楽院に留学した時の話です。音楽院では楽曲のアナリーゼの講義があり、「のだめ」はかなり戸惑っていましたよね。彼女はアナリーゼの授業を知らなかったのです。
未だにハイフィンガー奏法で教えている教師も多くいます。音大でもこれですから教師の質を疑ってしまいます。「音楽の先生」を目指す方にはそれでいいと思いますが、コンクールを狙う人たちにとっては良い教師の争奪戦となります。
ショパンコンクールを狙うような人材には日本の音大は何の役にも立っていません。今の日本の音大は留学のための1ステップに過ぎなくなっています。早くジュリアードやパリ音楽院のようなシステムを作らないとショパンコンクールで日本人が勝てるようにはなりません。
理由3.課題曲の選択
ショパンコンクールは予選から本選まで、ショパンの作品だけで優劣を決める、とても珍しいコンクールです。全部同じショパンですから、それぞれの曲で違った表現を求められます。課題曲をどれにするかはコンテスタントにとって悩ましいところです。
出来るだけ他のコンテスタントと被らない楽曲にしたいところですが、日本人は有名な楽曲の選択が多すぎます。昔から弾き込んでいるという理由もあるでしょうが、一生に一度の戦いなのですから勝てる楽曲を選ぶべきです。
自分が弾ける楽曲と自分の個性が発揮できる楽曲は違っています。自分の得意とする楽曲が、その人の個性を良く表現出来ているかとはまた違った話です。課題曲を選ぶ際の基準がショパンコンクールで日本人が勝てない理由のひとつとなっています。
理由4.楽曲の性格を弾き分けられない
第1次予選は選りすぐられた40名もいますから、選択曲が被る事が多く発生します。その時に、他のコンテスタントと比較されるのは当然です。比較されても自分の方が上だという演奏をしなければなりません。審査員は楽曲の性格を正しく解釈しているかどうかを聴いています。
第2次予選に進んだ場合は、別のショパンの楽曲で臨みます。当然第1次予選とは違う楽曲になりますが、同じように弾いては評価されません。楽曲の時代背景だったり、作曲時のショパンの気持ちを忖度して表現しなければなりません。この部分が日本人の不得意とする分野と思われます。
同じショパンの楽曲といっても性格が大きく違う物も存在します。ショパンがどのような状況下で作曲したものなのかを考察し、それぞれの楽曲に相応しい演奏法をしていかねばなりません。これが上手く出来ないからショパンコンクールで日本人が勝てないのです。
理由5.鍵盤のタッチが浅い
日本人のタッチは浅すぎて、音の密度や質感が全く伝わってこないコンテスタントが多いと言われます。外国人に比べて日本人は体格や手の大きさが一回り違います。その点は確かにハンデはあると思います。
音の密度や質感は指とタッチで決まります。テクニックと感性の両方が必要です。日本人は機械的になってしまいがちです。タッチが浅いから倍音が響かず音の密度が低くなり、質感もはっきりと出てきません。これではショパンコンクールで日本人が勝てないのは当然です。
理由6.日本人は小さく纏まり過ぎる
個性に関係する事ですが、日本人には大胆さが足りません。オープンマインドな人が少ない事なども関係しているのでしょう。日本人はフレーズを大きく取る事が出来ないのです。だから、こじんまりと纏まっていると思われてしまいます。
審査員はショパンの楽曲をどう弾きこなしているかを聴いているのであって、コンテスタントのピアノの音色や音楽の表情、表現の仕方などを判定の重要なファクターとしています。何を聴衆に伝えたくて自分は演奏しているのか、それが一番大事です。
審査員や聴衆にアピールするような演奏でなければ、プロとしてやっていけません。日本人の美徳とされるところが必ずしもコンクールで評価されるものではありません。それを乗り越えなければショパンコンクールで日本人は勝つ事が出来ません。
理由7.日本人の演奏には個性がない
日本人の演奏には個性が足りない。この事はずっと書いてきた事と重複する部分もあるかと思います。しかし、あえて、1項目として挙げました。これは、日本人の民族性とかかわる問題でもあります。
「出る杭は打たれる」とのことわざがあるように、日本人は横並びの文化です。そんな教育の元で育ってきたのですから、個性が無くなるのも致し方ないでしょう。自分の長所を存分に演奏に反映させる事が必要です。
自分の長所は歌わせる事とか技巧的部分の次に続く優しい表現を上手くできるなど、持ち味をきちんと表現出来なければなりません。それが個性に繋がるものです。日本人にはオーラが感じられません。それではショパンコンクールで日本人が勝てない訳です。
理由8.成熟した音楽を聴かせる能力に欠ける
日本人は優等生が丁寧にピアノを弾いているとは感じますが、楽曲の捉え方とか自分なりの感性が感じられません。テクニックの裏付けも必要です。その土台があってこそ、自分の個性を生かした音楽を聴かせることが出来ます。
しかし、日本人は譜面を正確に弾く能力には長けていますが、主張すべきところはより大胆に、引くべきところはより繊細にという事が出来ていません。音楽の流れがそう出来ているのに、それに乗り切れないもどかしさがあります。
楽譜の裏に隠されている事やショパンの人柄や時代背景を良く理解した上でないと、ショパンの望んだ演奏は出来ません。勉強はしているでしょうが日本人はその能力が低いと言わざるを得ません。今のままではショパンコンクールで日本人が勝つ事が出来ません。
理由9.審査員に「YES」と言わせる演奏が出来ない
ショパンコンクールの審査は、コンテスタントの演奏を聴いた後、審査員が「YES」か「NO」の判断をします。そして「YES」が多い人が次のステップに進む形を取っています。如何に審査員に「YES」といわせるかを考えねばなりません。
コンクールに優勝する人は、最初にステージに登場してきた時から、その人の持つ存在感が違っています。アルゲリッチがステージに登場したとたん雰囲気が変わるのと同じように、審査員には「この人の演奏を聴いてみたい」と思わせないといけないのです。
それに引き換え、日本人は丁寧だけれども、コンテスタント自身の特徴が響いてきません。コンクールこそ審査員へのアピールの場です。「YES」をもぎ取るために審査員への最大限のアピールが必要となります。それが出来ないからショパンコンクールで日本人が勝てないのです。
理由10.日本人は商売にならない
これは審査とはまた別の話ともいえます。でも、審査員はそこまで考えています。例えば、優勝者を決める場合、テクニックに優れ、ショパンの解釈も良く出来ていて、演奏も個性溢れる人が同点で並んだ場合、審査員は口には出しませんが、商売になる人を第1位に選びます。
都市伝説的な話ですが、業界の常識といわれています。優勝者が人気になった場合、そのコンクールの評価も高まるからです。アジアからの優勝者が少ない訳もこの事で説明が付きます。今まで、ダン・タイ・ソン、ユンディ・リ、チョ・ソンジンの3人だけです。
勿論、コンクールの審査は厳正に行われています。しかし、業界の繁栄も考えて運営されている事も事実なのです。ですから、極東の小さな国から優勝者を出すよりは、欧米の優勝者を出した方が、レコード会社はじめ、音楽事務所、プロモーターなどは助かるのです。
まとめ
「ショパンコンクールで日本人が勝てない10の理由」を挙げてみました。これだけ出場者が多い日本なのに、韓国にも先を越されてしまいました。やはり、日本のピアノ教育が間違っている事とコンクールに対する攻略法を知らなすぎるためだと思います。
ここで挙げた10項目は皆さんにも理解してもらえるものと考えています。チャイコフスキーコンクールを制覇しているピアニストがいるのですから、ぜひとも、ショパンコンクール日本人優勝のニュースを見たいものです。期待して待ちたいと思います。
※この記事はピアニストの青柳いづみこ先生と小山実稚恵先生の対談を参考にさせていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。