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ショパンコンクール

ショパンコンクールはピアノ界で最も権威のあるコンクールであり、世界三大コンクールのひとつとしても数えられる由緒正しきコンクールです。世界を股に掛ける一流のピアニストを目指すのであれば、誰もが夢見る憧れのコンクールと言えるでしょう!!

1927年から始まり約1世紀近くにわたってピアニストの天才たちを生み出して来ました。この名誉ある優勝、及び入賞者からは数々のスターが誕生し、現在でもクラシック音楽ピアノ界の牽引役となっています。私の好きなピアニストの多くもこの道を通過しています。

5年に1度開催されるショパンコンクール。このコンクールの歴史やハイレベルなピアニストたちの戦いを振り返りながら、ショパンコンクールの素晴らしさを見つめ直したいと思います。歴史だけでなく、選考方法なども紹介していきますのでぜひお楽しみください。

ショパンコンクールの概要【世界三大コンクール】

ショパンコンクール【世界三大コンクール】

このコンクールの正式名称は「フレデリック・ショパン国際ピアノ・コンクール」です。通称ショパンコンクールと呼ばれています。ポーランドの首都ワルシャワで5年に1度開催される世界三大コンクールのひとつです。マルタ・アルゲリッチなど超一流ピニストを排出しています。

ショパンコンクールはピアノの国際コンクールでは世界でトップの地位を誇っています。世界を目指すピアニストの登竜門となるコンクールです。事実、このコンクールから世界的なピアニストを数多く生み出しており、現在でもクラシック音楽のピアノ界を支えています。

ショパンコンクールの成り立ち

ショパンコンクール
第1次世界大戦後、ワルシャワ音楽院のイェジ・ジュラヴレフ教授は、戦争で荒廃した人々の心を癒し、当時フランス音楽と考えられていたショパンの音楽をポーランドに取り戻して愛国心を鼓舞しようと考え、コンクールの創設を思い立ちました。このことが人々に受け入れられ、彼の名を冠したコンクールが開催されることになりました。

1927年に第1回が開催され、以後5年置きに実施されるようになります。途中第2次世界大戦により中断がありましたが、第4回が1949年に復活され、第5回の1955年からはまた5年ごとに開催されるようになりました。開催期間はショパンの命日10月17日の前後3週間です。2015年に17回目が行われた、国際コンクールとしては老舗のものです。

ショパンコンクール【審査方法】

ショパンコンクール【審査方法】
ショパンコンクールは誰でも参加できるわけではありません。審査がひとつひとつあって、それを乗り越えていく必要があります。ビデオ審査や事前審査があり、それらをクリアした者でないと参加する事は出来ません。出場するだけでも大変難しい一流のコンクールでです。

ショパンコンクールの審査の進み方

  • 書類・ビデオ審査
  • 事前審査
  • 第1次予選
  • 第2次予選
  • 第3次予選
  • 本選

正確には書類・ビデオ審査、そして事前審査をくぐり抜けた者だけが正式にショパンコンクールの参加者を名乗れます。そして毎年膨大な数の応募者の中からショパンコンクール本大会第1次予選に参加できる人数は約80人と決まっています。本当に狭き門です。

ショパンコンクール出場まで

まずは事前審査から本番への切符を手にするまでの予備予選までを紹介します。次に挙げる1~3をクリアして初めてショパンコンクールに参加できるのです。

1.年齢制限

  • 16歳以上30歳以下(かつては27歳までが対象)

2.書類・ビデオ審査

  • 応募者の中から才能を見出された約160人が選出される。

2.事前審査

  • 事前審査委員の前で実際に演奏。約80人が選出される。

書類・ビデオ審査

チャイコフスキーコンクール 予備審査
応募者が急増した為に書類・ビデオ審査が第16回大会から始まりました。難関のコンクール程、この事前チェックが厳しいものになっています。全ての人を審査対象にしていたのではいくら時間があっても足りませんので、才能や技術が足りていない者は本戦に参加する事はできません。

審査に必要な書類・映像

  1. 所定の申込書
  2. 略歴(1,000字程度)
  3. 生年月日が証明できる公的証明書の写し
  4. 最近撮影した写真3枚(うち少なくとも1枚は印刷物用ポートレート)
  5. 審査用ビデオは1つのカメラで演奏者の右側から、演奏者の前身と手が写るように撮影する。1曲の間は途切れてはならない。
  6. 音楽学位証明書の写し
  7. 教授や著名な音楽家からの推薦状2通
  8. 過去3年間の音楽的活動を証明する書類(演奏会のプログラムやチラシなど)
  9. 参加費用支払い証明(送金控え)など

※全て英語またはポーランド語またはフランス語で書かれている事

上記は第17回ショパンコンクールの応募要項からの抜粋です。優秀な音楽家ではないと応募もままならないコンクールである事が良く分かります。

音大に通っていた人は教授の推薦状を貰えば良い事ですが、音大以外の場合「著名な音楽家」とはどんな人たちを指すのでしょうか。漠然としていて分ったような分らないような・・・。

まあ、素直に考えれば、かつて何らかのコンクールに入賞以上した音楽家、又は各国を代表して活躍をしている音楽家とでも解釈する他ないでしょうね。DVDは2曲演奏しなければなりませんので、おそらく録画時間は30分から45分の範囲になるでしょう。

【例】2015年第17回大会

2015年の応募者は455名にのぼり、書類・ビデオ審査はその年の2月に行なわれました。2週間にわたって朝から晩まで8時間、時には20時間に及ぶ過酷な審査だったそうです。審査員はポーランド人8名。ピアニストを中心に音楽学者、録音技師まで加えたメンバーで構成されました。

審査員の1人が選考方法を明かしています。
提出書類を見ながら演奏録画を聴き、25点満点でポイントを付けます。審査委員の生徒の場合は点数を付けられません。445人の全ての演奏を聴くのは大変なので審査委員長のポポヴァ=ズィドロン氏のイニシアティヴで演奏を聴いていきます。

審査委員8人中の5人が「十分に聴いた」と申告した時点で、点数を提出。そして、平均値を出します。その平均値で順位を付け上位160人が決定します。これに行き残ったコンテスタントだけが、更に半分まで絞り込まれる「事前審査」へと進みます。

ショパンコンクール【事前審査】

事前審査は4月にワルシャワで行なわれます。事前審査委員の前で実際に演奏し、約160人から約80人まで絞り込みます。指定コンクールで優秀な成績を納めたビデオ審査免除のピアニストたちもここで加わるので、実際の審査人数はもう少し多くなります。

なぜ事前審査が始まったのか

事前審査は第2回大会で応募者が200人を超えた事で始められるようになりました。12日間かけてこの事前審査が行なわれます。DVDでは分らない、細かな音楽的要素がここで吟味・判断され、10月のショパンコンクール参加者が決定されるわけです。

第2の理由は審査員が審査できる最大数が約80人だと言う事です。事前審査が始まって以来、この約80名という人数を下回った事はありません。それだけ高いレベルの人材がショパンコンクールに応募している証拠でもあります。

故・中村紘子は何度もショパンコンクールの本審査員を務めていますが、第1次、第2次の審査にかかる労力は計り知れないものがあり、体力が持たないと言っていました。多くの応募者の演奏を聴いてやりたいが、物理的に考えてもこれが限度なのでしょう。

ショパンコンクール【本大会】

ショパンコンクール

5年に1度開催されるショパンコンクールは、ショパンの命日である10月に開催される事が決まっています。上記の厳しい審査をくぐり抜けてきた将来クラシック界を背負って立つような一流音楽家の卵たちによる、熾烈な本番戦が始るのです。

第1次予選

ここからが本当の意味でのショパンコンクールが始まります。審査員もここからは正式審査員に変わります。同コンクールの歴代優勝者、入賞者や有名なピアニスト、教育者、音楽学者など合わせて20数名になります。中村紘子も審査員として良く招かれていました。

コンテスタントの演奏を聴いた後に次のような審査を行います。演奏曲目はリストに複数挙げられている中から2曲を選択します。

  1. 次の予選に進ませたいかどうかを「YES」「NO」で判定する
  2. 100点満点で得点を付ける
  3. 「YES」の数が多い順に2次予選に進出できる
  4. 「YES」の票が同数になった時だけ得点の平均点で判定する

審査の基準は一言で言えば「才能を持ったピアニスト」かどうか。テクニックはもちろん、音楽の解釈から表現、そしてその手法を審査員たちは聴いています。これは1次予選、2次予選、本選、どの審査においても変わる事のない審査基準です。この第1次予選で約40人まで絞り込みます。

第2次予選

第1次予選とは演奏曲目が変わります。これも一次予選同様に選択できる曲目が決まっています。演奏曲目によってコンテスタントは向き不向き、好き嫌いなどがあって、曲が変わると演奏自体が第1次予選とは違って聴こえてきます。

審査員はぶれない基準を持っていますから、曲目が変わっても、レベルの高い演奏をしているかを判断しているのです。審査曲目が変わるだけで、第1次審査と同様の方法で、約20人まで絞り込みます。

第3次予選

第2次予選とは演奏曲目が変わります。これも第2次予選の曲目とは異なる、第3次予選曲目リストの中から選択した楽曲を演奏します。審査員の基準は変わる事なく、一貫して「才能あるピアニスト」かどうかを判断しています。ここで約10人まで絞り込まれます。

ショパンコンクール【本選】

ショパンコンクール

コンテスタントはショパン『ピアノ協奏曲第1番』か『ピアノ協奏曲第2番』のどちらを演奏するか選択します。審査は以下のように行なわれます。

  • 各審査員がコンテスタントに順位を付ける
  • 1位の数を1番多く取った者から順に順位が決まる
  • 同順位の時は審査員で協議する
  • 本選の審査方法はその回の審査員の話し合いで10点満点の点数制にするなど様々

この審査によって最終順位が確定します。各順位のレベルに達していない場合などはその順位は該当なしとなります。例として「第1位、第2位該当なしの第3位あり」や「第1位あり、第2位該当なし、第3位あり」などその大会によって様々です。

ショパンコンクールの賞金

チャイコフスキーコンクール 賞金

ピアノ界最高峰のコンクールですが、賞金的には高くはありません。賞金よりも、ショパンコンクールに出場・入賞・優勝したと言うキャリアは、後のピアニスト人生を左右する程です。一流と超一流を分けるひとつの判断材料であり、ピアニストにとってその名誉は計り知れません。

順位別の賞金額

第1位:30,000ユーロ(約390万円)
第2位:25,000ユーロ(約330万円)
第3位:20,000ユーロ(約260万円)
第4位:15,000ユーロ(約200万円)
第5位:10.000ユーロ(約130万円)
第6位: 7,000ユーロ(約90万円)

特別賞

  • マズルカ賞
  • ポロネーズ賞
  • コンチェルト賞
  • ソナタ賞 (各3,000ユーロ)

✳︎特別賞は1人で独占する事も可能。

ショパンコンクール【審査員】

ショパンコンクール 審査員
基本的にショパンコンクール過去の入賞以上のピアニスト、世界的に著名なピアニストなど誰でもその名を知っているような人たちが審査にあたります。人数は特に決まっているわけではなく、毎回20名程度です。

第17回大会の審査員

著名なピアニストと言っても、具体的にどんな人?と思われてしまいますので、第17回ショパンコンクールの実際の審査員を列として見てましょう。このメンバーが一同に集まるショパンコンクールがいかにすごいか、本当に感動するレベルの音楽家たちです。

絢爛豪華な審査員たち

  • ディミトリ・アレクシーブ
  • マルタ・アルゲリッチ
  • 海老彰子
  • フィリップ・アントルモン
  • ネルソン・ゲルナー
  • アダム・ハラシェヴィチ
  • アンジェイ・ヤシンスキ
  • ユンディ・リ
  • ギャリック・オールソン
  • ヤーヌシュ・オレイニチャク
  • ピオトル・パレチニ
  • エヴァ・ポブウォツカ
  • ポポヴァ=ズィドロン(審査委員長)
  • ジョン・リンク
  • ヨゼフ・ストンペル
  • ダン・タイ・ソン
  • ディーナ・ヨッフェ

ショパンコンクールの歴史

ショパンコンクール【本大会】
ショパンコンクールが初めて開催されたのは第一次世界大戦が終結し、ポーランドが独立国となって9年後の1927年でした。この第1回から順を追って、今では世界三大コンクールと呼ばれる由緒正しい大会をみていきましょう。数多くの天才ピアニストたちの名前が登場します。

第1回大会【1927年】

第1回のコンクールは1927年1月23日から1週間にわたってフィルハーモニーホールで開催され、第1位となったのはレフ・オボーリン(ソ連)。大作曲家のドミトリー・ショスタコーヴィチ(ソ連)も参加してディプロマを得ています。

第2回大会【1932年】

応募者は200名を超えた為、予備予選が始まります。14カ国68名がコンクールに参加しました。審査員の顔ぶれも国際色豊かになり(作曲家のモーリス・ラヴェルなど)、今日につながるコンクールのスタイルがほぼ確立されました。第1位はアレキサンダー・ウニンスキー(ソ連)でした。

第3回大会【1937年】

第1位はヤコフ・ザーク(ソ連)。初の日本人で原智恵子、甲斐美和が参加。原智恵子は「聴衆賞」を受賞しました。

第4回大会【1949年】

第二次世界大戦が起こってしまった事で12年ぶりの開催となった第4回ショパンコンクール。コンクール史上初めてハリーナ・チェルニー=ステファンスカが地元ポーランドに優勝をもたらしました。ソ連のベラ・ダヴィドヴィチと優勝を分け合ったものの、マズルカ賞、ジュラヴレフ特別賞も受賞したステファンスカの快挙にポーランド中が沸きました。

第5回大会【1955年】

第5回は戦禍で焼失したフィルハーモニーホールの再建を待って開催された為に6年後の1955年となりました。完成したばかりのホールで開催されたショパンコンクールは、復興の象徴とも言える出来でした。結果は、第1位アダム・ハラシェヴィチ(ポーランド)、第2位ウラディーミル・アシュケナージ(ソ連)。日本の田中希代子は第10位となりました。

第6回大会【1960年】

第6回の優勝者は、マウリツィオ・ポリーニ(イタリア)です。名誉審査委員長のアルトゥール・ルービンシュタインが「審査員のうち誰があれほど見事に弾けるだろうか」と、彼の完璧な技巧とみずみずしい音楽性を称賛した逸話は有名です。私が愛するピアニストランキングでもTOP3入りしている超一流ピアニストの歴史はここから始まったのです。

第7回大会【1965年】

1965年の優勝者は、私が最も尊敬し、素晴らしいと思う天才ピアニスト「マルタ・アルゲリッチ」(アルゼンチン)。圧倒的な演奏で審査員と聴衆を魅了し、第6回のポリーニと並んで現代のピアノ界を代表する大ピアニストです。そして日本ピアニスト界の永久欠番、中村紘子が第4位に入賞!この回を観れた人が羨ましくて仕方がありません。

第8回大会【1970年】

第8回の優勝者はギャリック・オールソン(アメリカ)でした。日本の内田光子が第2位となり、これが現在に至るまで日本人最高位です。彼女が優勝していたら百年後も語り継がれる日本人になっていた事は間違いありません。まあ優勝は疎か、2位になる事すら今後の日本人なでは難しいのではと思ってしまいます。

第9回大会【1975年】

1975年は、ハラシェヴィチの優勝以来20年ぶりにクリスティアン・ツィメルマンがポーランドに優勝をもたらし、才能豊かな新星の登場に聴衆は熱狂しました。そのイケメン振りに日本でもアイドル並みの大人気でした。来日公演で若い女の子たちが花束を持ってステージに集まった姿は、間近で見ていたまだ若かりし頃のおじさんも困った物だと思ってしまいました。

第10回大会【1980年】

記念すべき第10回大会は、無名のベトナムの青年ダン・タイ・ソンがまさかの優勝を勝ち取りました。史上初のアジア人の優勝は大きなニュースとなリましたが、それ以上に人々が注目したのは、ユーゴスラヴィア出身の奇才イーヴォ・ポゴレリチが本選に進めなかった事に抗議した審査員のアルゲリッチが「彼は天才よ」の言葉を残して審査を拒否して帰国したことです。

これによってポゴレリチは一躍有名になり、国際的に活躍する事となりました。日本の海老彰子は第5位に入賞。海老彰子はアルゲリッチの弟子で、アルゲリッチが来日する時は必ずと言って良いほど世話係をやっていました。

第11回大会【1985年】

第11回では、NHKのドキュメンタリー番組『ショパンコンクール~若き挑戦者たちの20日間~』によって日本に「ブーニン旋風」が巻き起こりました。優勝者は19歳のスタニスラフ・ブーニン(ソ連)。日本の小山実稚恵は第4位となりました。

第12回大会【1990年】

1990年の第12回は、史上初の第1位なしとなりました。第2位はアメリカ出身のケヴィン・ケナー。この回は第3次予選を通過した14名中7名が日本人で、現地の新聞に「7人の侍」と大きく報じられました。19歳の横山幸雄は第3位を獲得。第5位には高橋多佳子も入っています。

第13回大会【1995年】

1995年の第13回も第1位なし。第2位をアレクセイ・スルタノフ(ロシア)、フィリップ・ジュジアーノ(フランス)が分け合い、第5位は日本の宮谷理香でした。そして大会始まって以来、異例だらけの2年連続1位なしはショパンコンクールの権威に暗雲がかかったようでした。

第14回大会【2000年】

ミレニアムイヤーの2000年の第14回、中国のユンディ・リが15年ぶりの第1位を獲得!史上最年少の18歳、洗練されたテクニックと清々しい演奏で聴衆を魅了し、暗雲を照らす、新たな世紀の到来を感じさせました。日本の佐藤美香は第6位という結果に。

第15回大会【2005年】

第15回の覇者はポーランドのラファウ・ブレハッチ。ツィメルマン以来30年ぶりにポーランドに優勝をもたらしました。第2位なしの第3位に韓国のドンヒョク・イム、ドンミン・イム兄弟、第4位に日本の山本貴志、関本昌平、12名のファイナリストの中には根津理恵子、大崎結真、工藤奈帆美・レイチェルの名前もあります。

第16回大会【2010年】

ショパン生誕200年を記念した第16回ショパンコンクールで優勝の栄冠に輝いたのは、ユリアンナ・アヴデーエワ(ロシア)。アルゲリッチ以来45年ぶりの女性ピアニストの優勝という快挙を成し遂げました。コンクールの長い歴史の中で日本製ピアノを使用したコンテスタントの優勝は、これが初めて。YAMAHAの快挙です!

第17回大会【2015年】

第17回を制したのは韓国人のチョ・ソンジン。第1位なしでも良いと半数以上の審査員が評価していた事が後から発覚し、なんとも素直に喜べない第1位でした。日本人より先に韓国人に先を越されてちょっと悔しい思いをした方は多い事でしょう。

100年近い歴史を持つショパンコンクールを駆け足で見て参りました。昔に比べ、本当のスターが発掘されていない気がしてなりません。これから先の100年は一体どんな音楽を奏でるピアニストが出てくるのでしょう。超一流ピアニストは生まれるのでしょうか。

ショパンコンクールを聴きに行こう!

ショパンコンクールの審査員
世界三大コンクールのひとつである、世界的権威を持つショパンコンクールですが、コンクールなのでチケットは手ごろな値段で手に入れる事が出来ます!ぜひ次世代の天才ピアニストたちの演奏を、直接その耳で聴きに行きましょう!

ショパンコンクールのチケット代金

  • 1次~3次予選:1枚3000円/日
  • 本選:1枚4500円
  • 入賞者コンサート:1枚6000円

見ての通り、クラシックのコンサートと比べると圧倒的コストパフォーマンス!そのため、1次予選以外は非常に入手し辛いチケットになっています。世界中の注目を集めているコンクールですから、特に3次予選、本選はプラチナチケットです。入賞者コンサートは一般に出回るかどうか分らない世界なので、余程の幸運の持ち主ではないと手に入らない模様です。

どうしても将来のスターを間近で見たい方は「ショパンコンクール観覧ツアー」を利用するのもありかと思います。チケット込みの値段なので安心して出かけることが出来ると思います。

5日間のツアーで40万円程度のようです。これを高いと見るか安いと見るかは人によって違ってくるでしょう。チケットが確実に取れているのかどうかはしっかり確認してから契約する事をお忘れなく!

最近のショパンコンクール【おじさんが感じる事】

どれほど素晴らしい物でもマイナス要素は存在します。光と影、陰と陽、生と死、ショパンコンクールの場合でもそれは存在します。華やかなで煌びやかな世界の時もあれば、逆に今回はイマイチだったねという時もどうしても存在します。

スターが誕生しない。。

第10回あたりからそれ以前の素晴らしい人材を発掘してきた時代とは明らかな変化があると思っています。ポリーニ、アルゲリッチ、ツィメルマンなど天才たちを輩出した時代はもう蘇ってこないのでしょうか。。

大物が出現しなくなって来たショパンコンクール。応募者自体に天才が存在しなくなったのでしょうか。不思議な物です。光の時代が一転、暗黒の時代へ。しかし闇が深ければ深いほど光は強くなるなんて言葉もあるように、第14回のユンディ・リが21世紀を照らす太陽になってくれる事に期待大です。

審査員の問題

これはどんなコンクールでも同じかと思います。一流のピアニストたちを中心に審査団を作っていますが、審査員が固定されない事で生じる問題は大きいと思われます。一流ピアニストが必ずしも名評論家ではありませんから、その回によって基準が若干違ったりするでしょう。

ショパンコンクール級の権威あるコンクールでさえ、その事は頭に入れておかないといけない問題です。このような著名な方々を集めて審査しているのですから、考えられうる最高のグレードは維持される事でしょう。しかし、今存命の一流審査員たちがいなくなってしまった後の世界が不安で仕方ありません。

まとめ

歴代優勝者たちを見ても分かるように、真のピアニストを多数輩出しています。ピアニストとしての感性とテクニックの両方に裏付けられた才能を見つけ出す本当にレベルの高いコンクールです。

世界各国から集められた著名な審査員が審査を行ない、才能ある人材を見つけ出し、発掘してくれます!だからこそ才能ある若きピアニストたちが世界一の称号を求めて集まってくるのです。ピアノ界最高峰の音楽コンクールであり、今後もピアニストのスタープレイヤーを生み出し続け、クラシック界を盛り上げ続けて欲しいものです。

【世界三大コンクール】

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