驚きの顔をみせる男性

クラシック音楽の作曲家は変人が多かったという事は、今や多くの方が知るところです。有名な作曲家で言えば、モーツァルトの変態性やベートーヴェンの潔癖症などは紛れもない事実と判明しています。

作曲家について知る事は、作曲家を理解する事にも繋がってくるところです。たとえそれが変人の部類に入るような情報でも、好きな作曲家だったら親しみも湧いてくるでしょう。

残された作品を聴いているだけではとても想像もできない事や、なるほどそうだったのかと思うような事が数々あります。有名な作曲家たちのこぼれ話を紹介したいと思います。

作曲家の知らないエピソードを知る事はとても興味深いです。
有名な作曲家だから興味があって面白く感じられるのだな。

ピアノが弾けなかった作曲家

作曲家は全員ピアノを弾けると思っていましたが、そうではなかった人物もいて、驚きました。

ベルリオーズ

彼は全くピアノが弾けませんでした。彼は医者の息子で何不自由のない生活を送っていましたが、子供時代に触った楽器はフラジオレット(フルートのようなもの)だけだったのです。

作曲家を志してからも、ピアノの先生には付きましたが、結局は弾けずじまい。フルートとギターはマスター出来たそうですが、良くそれで『幻想交響曲』を作曲できたと思います。

コードの確認にピアノを使っただけで、最後まで全く弾けなかったそうです。管弦楽法を知っていれば、頭の中で作曲できてしまうのですね。

ベルリオーズの頭の中では、絶えず音楽が流れていたようです。それを楽譜に書くだけなんて、まるでモーツァルトのような天才です。

モーツァルトはピアノの演奏は大変優れていたので、その点は違っていますが…。

テレマン

バロックの巨匠です。テレマンは作曲した作品数はバッハを超えています。オペラから管弦楽曲、オラトリオなど様々なジャンルに渡っていますが、そのテレマンもチェンバロ(当時はまだピアノはなかった)は独学でした。

彼のチェンバロの腕がどれだけあったのかは知る由もありません。チェンバロどころか作曲も独学。チェンバロ自体の演奏も面倒だからという理由で止めてしまいます。

チェンバロも作曲も自己流でしたが、チェンバロの楽曲も数多くあり、彼も頭の中だけで作曲をしていたのです。それで、当時の大作曲家になってしまうのですから凄いとしか言えません。

ワーグナー

ワーグナーも全く弾けなかったわけではなく、独学で自己流の弾き方をしていたそうです。音楽才能を認められてピアノの先生に付いたものの、あまりにも自己流が酷くて直せませんでした。

そのうちにワーグナー自身も嫌気がさして、ピアノを正式に習う事は諦めました。正式に弾けなければ、様々な苦労があったろうと想像できます。

そんな程度でも、4時間掛かる楽劇の作曲ができてしまうのですね。頭の中である程度出来上がってしまうのですね。オペラ1曲を丸暗記する事が出来たそうですから、音楽的才能だけでなんとか切り抜けてきたのでしょう。

作曲家はみんなピアノが弾けるものと思っていました。
私もピアノが弾けない作曲家がいた事に驚きを感じている。よくぞあんな作品を残せたものだと感心している。

作曲家の死因

作曲家の死因にも様々ありますが、えっ、そんな事で亡くなったのと思うような悲劇に見舞われた人物もいるのです。

スクリャービン

スクリャービンは生まれつき「共感覚」と呼ばれる能力を有していました。ひとつの刺激から複数の感覚を感じる事をこう呼ぶのだそうです。

彼の場合は、音を聴くと色を感じる事ができたそうです。これだけでも、充分なトリビアになるのですが、ここでは亡くなった事についての悲劇を挙げておきます。

幼い頃から身体が弱く、健康には充分注意をしていたそうですが、彼は虫刺されによって亡くなったのでした。

唇を何らかの虫に刺されてしまい、化膿した事で敗血症になり、亡くなったのです。日頃の節制も何の役にも立たなかったという、とてもお気の毒な結果になりました。

ウェーベルン

ウェーベルンは前衛作曲家として20世紀初期に活躍した作曲家です。彼の死は、憲兵の誤射によるものでした。

第2次大戦の終結後、彼は娘の家に住むようになりました。その娘婿は煙草の闇取引を行なっていたのです。ある夜、娘婿が闇煙草を持ってきたので、ウェーベルンは1本吸おうとして外に出ました。

そして煙草に火をつけた瞬間、アメリカ軍の憲兵に撃たれました。煙草の闇取引の合図と間違われたのです。娘婿がそんな事を行なっていたのが悪いのですが、部屋の中で吸っていれば何事もなかったと思うとお気の毒です。

リュリ

リュリの話は有名ですから、ご存じの方も多いのかもしれませんね。彼は指揮杖(しきじょう)による足の打撲で亡くなったのです。

指揮杖とは、現在のマーチングバンドの指揮者が持っているものです。今は使い方が違ってしまいましたが、リュリの生きていた時代、つまり、ルイ14世の頃には、もっと長く重いものでした。

手に持った指揮杖で床を叩き、演奏者たちのリズムを合わせていました。そのためにある程度重いものでなくてはならず、この事がリュリを死に至らせたのです。

ある日リュリは指揮杖で指揮を取っていましたが、フォルテッシモのところで思わず力が入り過ぎ、誤って自分の右足を突いてしまいます。激痛が走り、見る間に右足は膨れ上がってしまいました。

そこから黴菌が入り化膿。それによって右足の壊死が始まり、2ヶ月半後に亡くなってしまうのです。自分の不注意とはいえ、考えられない死因といえますね。

シェーンベルクは「13」を忌み嫌った

昔から西欧では「13」調和を乱す数字として忌み嫌われています。キリストの処刑日は13日の金曜日といわれたり、人々が恐れた数字でした。今でもそう思っている人は多いでしょう。

12音技法を編み出した事で有名なシェーンベルクは異常なまでに「13」という数字を忌み嫌いました。彼の誕生日は1874年9月13日であるため、子供の頃から自分は不幸の元に生まれたと信じて疑わなかったのです。

オペラ『Moses und Aaron』(モーゼとアロン)のアルファベット数が「13」である事に気付いた彼は、「13」を避けるために小細工を行なっています。

それは「Aaron」の綴りから「a」を除き「Aron」とし、『Moses und Aron』とタイトルを変更したのです。しかし、このオペラは未完に終わっています。「13」のせいだったからでしょうか。

また、生前彼は、自分は76歳で死ぬと信じていました。「7」と「6」を足すと「13」になるからだと思っていたのです。「13」になる組み合わせは複数あるのに、どうして76歳で死ぬと思いこんだのかは分かりません。

彼は本当に76歳で亡くなりました。しかも、命日が7月13日というオチまでついています。

12音技法などというものを創作するような人物は、やはり変人だったのですね。
「13」の呪縛に捉われた一生を送った人物だったのだな。ある意味、悲劇だったともいえる。

モーツァルトは発達障害だった

モーツァルトといえば天真爛漫な性格で、陽気だったというイメージがありますが、真のモーツァルト像は少し違っていたようです。

モーツァルトはコミュニケーション能力に欠け、成人してからも落ち着きがなく、神経質で、いつも手を動かしたり、咳き込むように話していたそうです。

気分は不安定で、陽気にしていたかと思うと、突然落ち込んだり、怒りに駆られて悪態をついたりしていました。

現在の病気に当てはめると、典型的な発達障害であったという事です。映画『アマデウス』のモーツァルトとは違っていたのですね。

ベートーヴェンにも変な作品があった

ベートーヴェンというとモーツァルトと違い、いつも真面目で、1曲1曲真剣に悩みながら作曲していたイメージがありますが、時には羽目を外した変な作品も残していました。全て歌曲です。

・「母はいつも何を飲むかと聞く」

・「靴のきついのがお嫌なら」

・「伯爵様、質問に参上しました」

・「タ・タ・タ……親愛なるメルツェル、御機嫌よう」

・「お願いです、変ホ長調の音階を書いてください」

・「修道院長様、私は病気です」

・「我らは500匹の豚の如く野蛮なほど元気だ」

・「私は「へ」の殿、君は「の」の殿」(未完)

最後の歌曲は何の意味なのかすら分からないです。もしかして、これらが羽目を外した作品でなく、真面目に書いていたならば、やはりベートーヴェンは変人といえますね。

まとめ

作曲家は変わった人物が多いと言われています。芸術の世界に生きる人は、多かれ少なかれそんな部分も持っている事でしょう。音楽史に残るような作曲家になったおかげで、普通では言われない事でも、大げさに取り上げられたりしています。

今回挙げた作曲家たちは、変わった作曲家というよりは、知って驚いた事やお気の毒にと思う作曲家たちの方が多いものとなりました。しかし、根本にある事は作曲家の様々なエピソードが知りたいという好奇心です。

otomamireには作曲家のエピソードを紹介する記事が他にもあります。お時間があればどうぞご覧ください。

関連記事