
日本を代表する指揮者の小澤征爾はよく勉強という言葉を使います。小澤征爾のドキュメントビデオの『OZAWA』の中でも、彼の著書の中でも勉強という言葉が頻繁に出てきます。
「夜は酒を飲むから朝早く起きて勉強する」。彼の場合はそれが日課でした。指揮者によってやり方は千差万別なのでしょうが、指揮者の勉強とはいったい何をするのでしょうか。
指揮者は楽器を演奏するわけではありませんから、具体的に何を持って勉強といっているのか疑問ではありませんか。指揮者たちがやっている勉強とは何かを考えてみます。なるべく専門用語は使わないように話を進めたいと思います。


楽譜の選択
コンサートで演奏する楽譜を選択する事から始まりです。えっ、そこからと思う方もいる事でしょう。例えばベートーヴェンの交響曲でさえ複数の版がある事をご存じですか。
ペータース版、ベーレンライター版、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル版などがあり、ベートーヴェン研究が進むにつれて改訂版という形で複数存在するのです。
単に出版社が違うだけでなく、内容が違っています。ちょっとした違いなのですが、その違いで全体の印象まで変わってしまう事もあるので、どの版を使用するかは大事な問題です。
最も厄介なのはブルックナーです。彼は周囲からの批判を受けるたびに改訂版を作曲しているため、どの版を使うかによって音楽自体が全く変わってきてしまいます。
どれを使うかは指揮者の判断ですので、自分なりの根拠のある選択が必要となるのです。この問題を片付けるのがまず最初の勉強です。
楽曲の背景を調べる
楽譜は決まりました。次にするのがその楽曲の書かれた背景を調べます。これは我々素人でもどんな事がきっかけでこの作品を作曲したのか調べる時があります。指揮者も同じです。
楽曲のバックヤードにはどんな物語があったのか知らねばなりません。作曲家が何を書きたかったのかを明確にするする事が必要になるのです。
作曲家と作品を理解する上で絶対に必要です。どんな演奏にするのかの基礎的な事になります。同じ作曲家でも作品ごとに違ってきますから、指揮者は作曲家についての膨大な記録を覚えているのです。
楽曲の性格を知る事も必要です。交響曲、協奏曲、オペラ、教会音楽などのジャンルによっても演奏スタイルは違いますし、音楽史的な事も重要です。こういった下調べがあって始めてスコアと向かい合う事が出来るのです。


楽曲のアナリーゼ
アナリーゼとは楽曲を分析する事です。ここからようやくスコアとにらめっこする事になります。
クラシック音楽の楽曲は歴史的に作られてきた一定の型に従って作曲されています。例外も当然ありますが、基本的にその型を守って作られているのが一般的です。
ソナタ形式とかロンド形式とか聞いたことがあると思います。これらの型を楽曲内でどう使っているのか、どこに作曲家のオリジナリティがあるのかを考えていきます。
和声の分析、動機の分析も大切です。簡単に言えば、和音がどう使われているか、複数の旋律がどうなっているか、動機がどんな形で使われていくかを考えます。
スコアを読み込む
アナリーゼが済んだらスコアはメモ書きやら記号などで埋められていると思います。そのスコアを最初から読み込んでいきます。読み込むとは、頭の中で音楽を鳴らしていく事です。
一流の指揮者ほどこの時点で暗譜できるぐらい徹底的に読み込みます。イメージできないときはピアノで確認しながら進めていく指揮者が多いでしょう。
一口にスコアを読むといってもスコアは最低でも10段ぐらいの五線譜が並んでいますので、弦楽器から管楽器、打楽器まで全てを把握していく事は大変です。
これらを瞬時に音楽として頭の中に鳴らせるのは指揮者の才能のひとつですね。緻密な作業です。ここでより明確に音楽が鳴らせるかどうかが指揮者の良し悪しを決めるといっても過言ではありません。
例えばフルートとヴァイオリンがこの部分では大事だとか、金管楽器の音量はどの程度とか、はっきりと頭の中で鳴らせなくては実際の演奏に繋がりません。
また、指揮の仕方も同時に考えます。この部分はきっちり拍を刻まないといけないとか、この部分はオーケストラに自由にやって貰うとかもイメージします。


リハーサルの方法を決める
スコアもしっかり頭に入ったところで、リハーサルをどう行うかを考えます。時間が限られていますから、効率的に自分の作りたい音楽をオーケストラに伝えねばなりません。
難しい部分だけの練習だけでは全体のイメージが伝わりませんし、全曲を通して振れば時間が無くなります。この部分も良い指揮者となれるかどうかの分岐点です。
オペラなど長大な音楽の時には、よりその事が大切になります。新作以外はオーケストラの方が音楽を知っているわけですから、百戦錬磨のオーケストラを自分の手中に入れなければなりません。
ここでスコアの読み込みの深さが物をいいます。オーケストラを納得させながら進めていける積極性も重要です。基本的にリハーサルなんてしたくないのがオーケストラですから、終わってみたら楽しい一時だったと思わせなければなりません。
だから作戦が必要なのです。いかに効率的に時間を使い、必要な部分を確認し、結果としてオーケストラに本番が楽しみと思わせる事が出来るかが指揮者の腕の見せ所となります。
指揮者は他人の録音は極力聴かない
指揮者は基本的に他人の録音は聴きません。他の指揮者の録音を聴けばスコアの読み込みとか楽になるように思えますが、自分が思っているイメージと違うので聴かないのが一般的です。
あくまでも自分の解釈が一番だと思っているのですから、かえって邪魔になるだけです。ですからこれから演奏しようとしている楽曲の録音は聴かないのです。
ただし、指揮者だって他人のコンサートを聴くときはあります。これは自分にとって為になりますから。どういう音楽作りをしているのかどんな振り方をしているのかの勉強の一環として聴きに行く事もあるのです。


まとめ
指揮者によって勉強の仕方は千差万別化とは思いますが、基本的には今まで見てきた事は必ずやっています。そうしないと演奏できません。
あの分厚いスコアを頭に入れるのですから、指揮者は凄いですね。なりたくても中々なれない理由がよく分かります。
指揮者になったら勉強の日々が続くのですから大変なポジションでもあるわけです。スコアのアナリーゼに一生を費やすのですから、本当に覚悟のない人間にはなれない職業なのですね。