ドヴォルザークは音楽史上は後期ロマン派の国民楽派に属する作曲家です。現在のチェコに生まれボヘミアの音楽をふんだんに取り入れた作品を多く残しました。
また、請われてアメリカの音楽院に招かれた関係でアメリカ民謡を数多く収集し、それに触発され『新世界』交響曲や弦楽四重奏曲『アメリカ』などの名曲も残しています。
ドヴォルザークはメロディ・メーカーであり、美しく親しみやすい音楽が人気の理由です。彼の全体像を掴むために聴いておきたい作品を10作品紹介します。
交響曲第8番「イギリス」
ドヴォルザークの交響曲は『新世界より』が有名ですが、この『第8番』も名曲です。スラブ民族の音楽が使われており、民族性を感じさせる作品となっています。
『交響曲第8番』について
最初に副題「イギリス」の由来から始めましょう。これは単純明快、単に楽譜がイギリスの出版社から出版されたからです。
ドヴォルザークはジムロック社(ドイツ)と出版の専属契約をしていましたが、ドヴォルザークに支払われる報酬が少なすぎたため両者に揉め事が起き、『第8番』はイギリスの出版社から出版されました。
この作品の内容には全く関係ないところで「イギリス」と呼ばれるようになったのです。ですから、最近ではこの副題は使われなくなってきています。
ドヴォルザークは1889年の8月後半から11月前半までを避暑地で過ごしました。この2ヶ月半のうちに完成させたのが『交響曲第8番』です。
ドヴォルザークの交響曲の中で最もボヘミア的であり、少し言葉は悪いですが、とても田舎の雰囲気が漂う音楽になっています。いかにもチェコの音楽といった感じです。
人気が高い訳もこの辺りにありそうに思います。『新世界より』に次いで演奏機会が多い交響曲でしょう。
初演はプラハで、その後ウィーン、ロンドンで演奏されましたが、各地で絶賛されています。
全体的にチェロが活躍する交響曲であって、第1楽章の主題や第3楽章のワルツなど美しい旋律です。メロディメーカーたるドヴォルザークの本領がよくでています。
『交響曲第8番』のおすすめ名盤
出典 : amazon.co.jp
ヘルベルト・フォン・カラヤン/ウィーン・フィル(1985)
カラヤンが晩年ウィーン・フィルと録音した一連のものには多くの名盤が残されました。これもその1枚です。音楽の美しさはカラヤンならではのもの。ウィーン・フィルの響きも素晴らしいとしか言いようがありません。
交響曲第9番「新世界より」
ドヴォルザークがアメリカに滞在している時に作られた交響曲です。今では三大交響曲のひとつと言われています。
『交響曲第9番』について
ドヴォルザークは1892年にアメリカのニューヨーク・ナショナル音楽院へ院長として招かれ、1895年4月までその任にありました。その間に有名な作品を残しています。その中でも一際輝いているのがこの『新世界より』です。
第2楽章のメロディは知らない人はいないのではないかと思われるほど良く知れ渡っている音楽となっています。日本では『家路』というタイトルで特に有名です。
ドヴォルザークがこの作品を作曲した動機は、アメリカ音楽(主に黒人霊歌など)を収集している過程で、故郷ボヘミア音楽との共通点が多く発見された事によります。
自分はこんなに遠くにいるけれど、似たような音楽がここにもあったのだという事を含めて、故郷の人々へ向かっての「アメリカ便り」を認めたつもりだったのでしょう。
アメリカでの生活は短いものでしたが、ドヴォルザークが刺激を受けた事は容易に想像できます。
今では多くの方が知るようになりましたが、ドヴォルザークは大の鉄道ファンで、アメリカの鉄道を間近に見てますます興味を覚えた事は間違いありません。
実は『新世界より』には蒸気機関車が走る様子が描かれています。ドヴォルザークにとってはアメリカのイメージはこんな感じだよと軽いノリで作曲した交響曲だったと思うのです。
だからこそ、聴く方にとっても素直に音楽がすうっと心に入ってくるのではないでしょうか。
『交響曲第9番』のおすすめ名盤
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ヘルベルト・フォン・カラヤン/ウィーン・フィル(1985)
『交響曲第8番』とのカップリング。この『新世界より』はウィーン・フィルと組んだ事で非常にゆったりとした味わい深い名演となっています。カラヤンの美的センスとウィーン・フィルの良さが合わさるとこうなりますよという見本のような録音です。
(注)otomamireには以下のような記事もございます。お時間があればどうぞ御覧ください。
弦楽のためのセレナード
チャイコフスキーやエルガーの作品と合わせて「三大弦楽セレナード」と呼ばれる事もあります。ただ、彼らの作品ほど華やかさに欠ける点は否めません。
『弦楽のためのセレナード』について
チャイコフスキーの『弦セレ』は華やかで知名度は圧倒的に高い作品ですが、ドヴォルザークの『弦セレ』は落ち着いた感じの「大人の音楽」のようです。
CDではほとんどチャイコフスキーとドヴォルザークの『弦セレ』のカップリングになっています。これは作曲家にとっても非常に迷惑な事で、単に『弦セレ』とタイトルが同じだけでひとくくりにしないでくれという声が聴こえてきそうです。
もし彼らが生きていれば、こんな形での聴き比べをされたくないと思うのは当然でしょう。これは商業主義の弊害ですね。
ドヴォルザークの上手いところは、最終楽章で第1楽章のメロディが現れるのですが、それでめでたく静かに終わりかなと思っていると、その先に大きな盛り上がりを作っていて、おっとやってくれたなと思わせてくれます。
全体的に哀しみも感じる音楽ですが、その中にも様々な表情がでてきて、聴き応えのある音楽です。
『弦楽のためのセレナード』のおすすめ名盤
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ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィル(1980)
非常に美しいカラヤンらしい録音です。ボヘミアらしさなど民族的なものを排し、只々美の追求に努めたカラヤンならではのアプローチ。ここまで徹底すればこれも認めざるを得ない音楽なのではないでしょうか。
スラヴ舞曲集
元はピアノ連弾用として作曲された舞曲集です。それが好評的に迎えられ、その後管弦楽用の編曲しました。第1集と第2集があり、どちらも第8番まであります。
『スラヴ舞曲集』について
『スラヴ舞曲集』は1878年の第1集(作品46)、1886年の第2集(作品72)の2つ存在します。それぞれ8曲で構成され、基本的に各集毎の番号で呼ぶのが一般的です。
ですが、時によっては第1集、第2集の通し番号で呼ばれる場合もあります。
ドヴォルザークは1875年にオーストリア帝国政府の奨学金の審査の審査員であったブラームスと親しい間柄になります。
ブラームスはジムロック社という出版社にドヴォルザークを紹介し、ジムロック社はドヴォルザークにブラームスの『ハンガリー舞曲』のような作品を依頼しました。
これを受けて『スラヴ舞曲』第1集のピアノ連弾集が完成し、その後管弦楽用に編曲したものも出版され、こちらも人気になります。
ジムロック社は売上好調な第1集に続いて、同じような舞曲集を引き続いて作曲するように依頼しますが、ドヴォルザークは前作を凌ぐような作品は作曲できないとこの依頼をひたすら固辞し続けました。
ドヴォルザーク自身も名が売れてきた事もあり、依頼の小品集のような仕事は受けたくないとの思いもあったのでしょう。
しかし、ジムロック社は破格の金額を提示し(第1集の10倍ともいわれる)、結局ドヴォルザークは依頼を受け第2集も作曲します。こちらもまずピアノ連弾集を作曲し、その後管弦楽に編曲するという第1集と同様の流れになりました。
第2集もジムロック社の目論見通りヒットし、ドヴォルザークは大変な人気を得たのです。
第1集はボヘミアの舞曲を中心とした作品であり、第2集はチェコ以外の舞曲を集めました。中でも第2集の第2曲目は特に有名な舞曲です。
『スラヴ舞曲集』のおすすめ名盤
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イルジー・ビエロフラーヴェク/チェコ・フィル(2014、2015)
やはり『スラヴ舞曲集』はチェコの指揮者で聴きたいものです。ビエロフラーヴェクの演奏はチェコの雰囲気が感じられるような名盤だと思います。チェコ・フィルの旨さも拍手に値するものです。
ヴァイオリン協奏曲
ドヴォルザークの協奏曲といえば『チェロ協奏曲』一択と言えそうですが、『ヴァイオリン協奏曲』も聴いてみるとなかなかの名曲です。未だ聴いた事のない方はぜひお勧めします。
『ヴァイオリン協奏曲』について
ブラームスを通じてドヴォルザークはヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムを知り、『ヴァイオリン協奏曲』を作曲する事を思い立ちます。
1879年に第1稿を完成させ、ヨアヒムの元に送り助言を求めました。その助言を受け翌年には第2稿を完成させます。1882年にも改訂を行い、完成させた作品をヨアヒムに献呈しました。
しかし、献呈を受けたヨアヒムはこの作品を気に入らなかったらしく、初演のリハーサルは行ったものの結局本番の舞台には登らなかったのです。
ヨアヒムは気を使ったのかどうか分かりませんが、ドヴォルザークにはその訳を話さず、その後もこの作品を演奏する事はありませんでした。
初演を努めたのはチェコのヴァイオリニスト。ウィーン、ロンドンの演奏会でも同じヴァイオリニストでした。
ヨアヒムは作品が気に入らないのになぜその事をドヴォルザークに伝えなかったのでしょうか。ヨアヒムほどのヴァイオリニストなのですから、作品を良くする指摘は容易だったと思います。
ドヴォルザークの才能に疑問を抱いたと考えるのが最も自然かもしれません。ヨアヒムとドヴォルザークは相性が悪かったのではないでしょうか。
『ヴァイオリン協奏曲』のおすすめ名盤
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アンネ=ゾフィー・ムター(vn)、マンフレート・ホーネック/ベルリン・フィル(2013)
ムターが50歳の時の演奏です。円熟したムターのヴァイオリンは豊かな響きとテクニックが光っていてスケール感もあります。実に魅力的なドヴォルザークです。
チェロ協奏曲
『ドヴォコン』といえばドヴォルザークの『チェロ協奏曲』を指します。ドヴォルザークの『新世界より』、『弦楽四重奏曲第12番』「アメリカ」と共に彼を代表する作品のひとつです。
この3曲がアメリカ滞在中に生み出されたのですから、ドヴォルザークにとってアメリカ体験は物凄く刺激的だったのでしょう。
『チェロ協奏曲』について
協奏曲というジャンルでは最高傑作の作品であり「協奏曲の王様」ともいえる作品です。
元々、ドヴォルザークはチェロという楽器は独奏楽器に向かないと思っていた作曲家でした。若い頃に『チェロ協奏曲』を作曲していますが、結局完成させる事ができなかったのです。
ドヴォルザークを変えたのはニューヨーク・ナショナル音楽院の同僚チェリスト、ビクター・ハーバートのコンサートを聴いた事でした。
当時、世界最高峰と言われていたハーバートのチェロ演奏はドヴォルザークのチェロに対する先入観を打ち破ったのです。
そして、ドヴォルザークはアメリカで『チェロ協奏曲』を書き上げます。実に未完に終わった最初の『チェロ協奏曲』から30年の歳月が経っていました。
アメリカを後にしチェコに帰ったドヴォルザークは、初恋の女性ヨゼフィーナの死の知らせを耳にします。その報を受けてドヴォルザークは『チェロ協奏曲』の第3楽章に自身の歌曲『ひとりにさせて』のメロディを追加したのです。
この歌曲はかつてドヴォルザークがヨゼフィーナに捧げた作品でした。ドヴォルザークはヨゼフィーナの妹と結婚しています。それでも初恋の人(妻の姉)への想いをずっと胸の内に秘めていたのですね。
そんな事もあり、この作品は情緒豊かな音楽となりました。
『チェロ協奏曲』のおすすめ名盤
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ジャクリーヌ・デュ・プレ(Vc)、セルジュ・チェリビダッケ/スウェーデン放送交響楽団(1967)
これほどの名曲ですから様々な巨匠たちが録音しています。それぞれにいい点はありますが聴いていて手に汗握る演奏はそうはないのでは?今回の選択はデュ・プレのライヴ版です。彼女の意欲が前へ前へ出ている素晴らしい演奏!!
ユーモレスク
ドヴォルザークの『ユーモレスク』は単品の作品ではなく、8曲のユーモレスクを纏めたものです。中でも第7曲目が特に有名な作品となっています。
『ユーモレスク』について
「ユーモレスク」は器楽曲の一形式。ユーモラスな、軽やかな気分をもつ小曲の事を指します。
ドヴォルザークの『ユーモレスク』が最も有名です。アメリカにいる間に作品のスケッチをいくつも作っていたようで、一旦祖国に里帰りした時にそれを纏め、8曲の小品を作りました。
出版する時までにタイトルは決定しておらず、いざ出版社ジムロック社に原稿を送る際にようやく『ユーモレスク』と名付けたのです。
タイトルには深い意味はありません。軽いユーモアの溢れた作品ばかりですので、ドヴォルザークの気分の良い時に作曲したものと分かります。
8曲中の第7曲はヴァイオリニストのクライスラーがヴァイオリン用に編曲して演奏した事により、世界的に知れ渡るようになりました。
現在ではヴァイオリンのみならず、様々な楽器で演奏されています。クラシックのジャンルを超えて使われていますから、誰でも知っている作品です。
『ユーモレスク』のおすすめ名盤
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ヨゼフ・スーク(Vn)、アルフレート・ホレチェク(P)(1971)
ヴァイオリン編曲のユーモレスクをチェコ出身のスークのヴァイオリンで聴いてみましょう。非常に伸びやかにたっぷりと楽器を鳴らすスークの演奏は心打たれます。
弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」
アメリカ滞在中に作曲した傑作の弦楽四重奏曲です。弦楽四重奏曲の中でも人気が高く、コンサートでも良く取り上げられます。
『弦楽四重奏曲第12番』について
ドヴォルザークはアメリカに渡った最初の夏の休暇に、チェコからの移民が多く住むアイオワ州のスピルヴィルという街にでかけました。
ここに滞在中の間にこの『アメリカ』を完成させます。同じボヘミア出身の人たちとの接触を通して、故郷への郷愁の思いにかられたのかもしれません。
『アメリカ』の中にはそれまでアメリカで収集した黒人たちの音楽や先住民たちの音楽、白人が黒人の真似をして歌い踊るミンストレル・ショーの音楽の影響が見え隠れしています。
ドヴォルザークは黒人たちがかつての故郷を思う気持ちを自分が故郷のチェコを思う気持ちと重ね合わせてこの作品を作曲しました。
だから聴いていて故郷への思い、郷愁がそこはかと感じるのではないでしょうか。故郷を思う気持ちは人間誰しも同じなのかもしれません。
現在でも人気が高い理由はそんなところにあるのでしょう。
『弦楽四重奏曲第12番』のおすすめ名盤
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スメタナ弦楽四重奏団(1987)
スメタナ弦楽四重奏団はこの作品を5回録音していますがどれもが素晴らしいクオリティを持っています。その中で最後の録音を取り上げました。彼らのアンサンブルはこの作品の王道と言えるでしょう。
スターバト・マーテル
ドヴォルザークは長女を生後すぐに亡くした事からこの作品を作曲し始めました。作品は一時棚上げされますが、悲しい事は次々に起こり、次女、そして長男までも亡くしてしまうのです。
それらの悲しみを癒やすためドヴォルザークは『スターバト・マーテル』の作曲を優先させ、長男の死から2ヶ月後に完成させました。
『スターバト・マーテル』について
まず「スターバト・マーテル」について説明しましょう。13世紀に生まれたカトリックの聖歌のひとつです。日本語では「悲しみの聖母」と訳されます。
我が子キリストの磔を見た聖母マリアの悲しみや苦しみを思う内容です。
冒頭の文章が「Stabat mater dolorosa」(聖母マリアは立ちぬ)である事から、この聖歌は「スターバト・マーテル」と呼ばれるようになりました。
原詩は3行毎に韻を踏み、この塊が20節あります。ドヴォルザークはこれを10曲に構成して作品を作りました。
宗教音楽ですから大曲で75分程度の作品となっています。我が子を次々と亡くしたドヴォルザークの思いが伝わる感動作です。特に最後の10曲目の荘厳さは実に感動的!
『スターバト・マーテル』のおすすめ名盤
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ラファエル・クーベリック/バイエルン放送交響楽団、エディット・マチス(Sop)他(1976)
クーベリックはボヘミア出身の指揮者ですから祖国愛といったものを感じさせられます。エディット・マチスを始めとする独唱陣、合唱団も素晴らしい。何と言ってもバイエルン放送響からこれだけの美しさを引き出しているクーベリックの力量は流石としか言いようがありません。
我が母の教えたまいし歌
『我が母の教えたまいし歌』は7曲からなる『ジプシー歌曲集』の中の第4曲目の歌曲で、ヴァイオリニストのクライスラーが編曲して演奏した事でより一層知られる作品となりました。
『我が母の教えたまいし歌』について
『ジプシー歌曲集』の原詩はチェコの詩人アドルフ・ハイドゥークのものですが、ドヴォルザーク自らドイツ語に翻訳し、それに音楽を付けました。
ソプラノ歌手たちが『我が母の教えたまいし歌』を気に入り、レパートリーに加えた事で世界的に有名な作品になっていきます。また、クライスラーがヴァイオリンで演奏した事も大きく影響しました。
ドイツ語にとどまらず、英語や原詩のチェコ語で歌われています。日本語のタイトルは英語訳の「Songs My Mother Taught Me」から取られました。
『我が母の教えたまいし歌』の大意は次のようなものです。
時々涙を浮かべていた
今 ジプシーの子らに歌を教えながら
私の褐色の肌にも涙がこぼれ落ちる
何処か郷愁を覚えるメロディが心に染みます。たまにはこんな作品をしみじみ味わいましょう。
『我が母の教えたまいし歌』のおすすめ名盤
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フレデリカ・フォン・シュターデ(Ms)、小澤征爾/ボストン交響楽団(1993)
アルバム『ドヴォルザーク・イン・プラハ』。ドヴォルザークの「新世界より」初演100周年記念のガラ・コンサートのライヴ録音。素晴らしいコンサートだった事が伝わってきます。
まとめ
ドヴォルザークの聴いておきたい作品を10挙げてきました。ここに挙げた10作品はドヴォルザークを俯瞰する上で大切な作品と言えます。
ドヴォルザークといえばどうしても『新世界より』、『ドヴォ・コン』、『アメリカ』の3曲ばかりが有名ですが、メロディメーカーらしく他にも名曲が多い作曲家です。
子供を次々と亡くしたり悲しい事もあった生涯でしたが、ブラームスとの親交をきっかけにチェコを代表する作曲家に登りつめました。
ドヴォルザークの名は音楽史上に永遠に輝き続けるでしょう。
(注)otomamireには以下のような記事もございます。お時間があればどうぞ御覧ください。