歴史に名を遺す偉大なる作曲家は人間的にも立派な方が多いと思われていますが、意外や意外。クラシック音楽の作曲家は変人の集合体のような存在が実態です。こんな人たちとは、友達になりたくないと思うような作曲家ばかりで、サイテーな性格の人が多いのです。
モーツァルト然り、ベートーヴェン然りと現在でも天才と称されている偉大な作曲家たちは、ことごとく人間失格な性格の持ち主で、飽きれてしまいます。このような人たちが、何故、あんなにも素晴らしい名曲を作れたのか不思議に思われます。
このギャップは甚だ大きく、この作曲家を調べねば良かったと後悔する人の何と多い事か。人格と芸術性とは別と割り切って、音楽と付き合っていくしかありません。変人作曲家が多い中で、これでもかというかなり危ない作曲家たちを選んでみました。
第10位 ショパン
ショパンの美しいピアノ曲は特に女性から人気のあるものです。イケメンであった彼は、当時からサロンで人気の高い音楽家でした。けれども、ショパンはとても神経質であり、妄想癖があり、自意識過剰な、人間性に問題が多い人物だったのです。
ショパンは神経質
ショパンは神経質を纏って歩いているような人物でした。弱々しく、繊細なイメージがあるショパンですが、それは、神経質と妄想の裏返しであって、誰かが何気なく話したことで激高したり、勝手に傷ついたりしていた人だったのです。
ショパンがファンだという女性に「僕の曲って綺麗?」と質問し、女性が「ええ。とても綺麗で大好きです。」と返したら、ショパンは突然怒り出し「僕の曲は綺麗だけなのか、それしかない音楽なのか?」と泣きながらその場から走り去ってしまいました。
幾度となく妄想を働かしてしまい、自分勝手に傷ついてしまう。この話からして、一緒にいるだけで本当に疲れる変人だったと思います。ショパンは本当に面倒くさい奴だったのです。友人が出来る訳がなかった理由がよく分かります。
ショパンと女性遍歴
ショパンはイケメンでしたから女性にはかなりモテました。幾多の女性遍歴がありますが、最終的に彼が夢中になったのは作家のジョルジュ・サンドでした。サンドは友人に「彼(ショパン)は時々私に子供のように甘えてくるの」と手紙に書き送っています。
サンドは母性本能が強く包容力のある素晴らしい女性でしたから、ショパンのような神経質な人物でも心が開けたのでしょう。しかし、その関係も7年で終わってしまいます。いくらサンドでも、異常なまでに神経過敏なショパンには我慢できなかったという事です。
第9位 ドビュッシー
ドビュッシーと言えば、印象派の大作曲家で、『月の光』や『亜麻色の髪の乙女』など、とてもロマンティックで素敵な曲を残しています。こんな雰囲気の曲を作曲する人物ですから、性格的にも穏やかでロマンティックな人物だったと思っている方が多いと思います。
ドビュッシーは最低の性格
ドビュッシーはとても性格の悪い変人でした。才能を認められながら、彼の音楽が日の目を見るまで年月が掛かったのも、性格に問題があったからです。パリ音楽院では教師の悪口を言い、当然教師たちから態度が悪いと批判されるのを承知の上で行うなど計画犯でした。
音楽院の知人たちから、「愛想がなく、無口」、「気難しくて、冷徹」、「短気」など、嫌われていました。基本的に人付き合いが嫌いで、人といるより猫といることを好み、また、贅沢な暮らしを送るために友人からお金を借りては返さなかったなど若い頃から変人エピソードは絶えません。
ドビュッシーは女の敵
それだけではなく、女ぐせの悪さも人一倍でした。付き合いだしても、浮気を繰り返していました。生涯3度結婚していますが、結婚しても浮気に走り、1度目、2度目の奥さんたちはピストル自殺をしています。どちらも一命は取り留めましたが、それでまた自身の評判を落としています。
第8位 ブラームス
ブラームスは現在ではドイツ3大B(バッハ、ベートーヴェン、ブラームス)と呼ばれるほどの大作曲家ですが、この作曲家も性格に難がありました。それが無ければ、ベートーヴェンを超える様な楽曲も書けていたかもしれません。
ブラームスはひねくれ者
ブラームスは性格が良くなかったようです。良くなかったというか、ブラームスは人付き合いがとても苦手な人で、自分の考えを人に伝える事をとても苦手としていました。人見知りが激しく、他人の前に立つと、何も言えなくなってしまうような人物だったのです。
一言でいえば、自分勝手で、かなりのひねくれ者だったのです。彼の弟子に対しても「君には才能が必要だ」と言ったとか。裏返せば「君には才能がないよ」と言っている事に気が付かない、他人を思いやる事が出来なかったデリカシーのない変人だったようです。
禁断の愛に走る
ブラームスは生涯独身でした。一度婚約しましたが、婚約相手に結婚したいが責任は取れないような事を伝えて、結局破談になります。それには理由があって、シューマンの奥さんのクララ・シューマンとの禁断の愛があったからだと言われています。
シューマン夫婦と親しくなり、シューマンがブラームスの才能を認めて、良い批評を発信してくれている裏で、奥さんのクララと親密になっていきます。この辺の事情は現在でも闇の中で、事実はどうだったのか不明ですが、何もなかったら、生涯独身ではなかったと思っています。
第7位 マーラー
マーラーは現在では交響曲作曲家として大人気の作曲家ですが、彼も性格に問題を抱えた人物でした。指揮者としての才能は抜群で、周囲の評価も高い指揮者でしたが、彼には人望がなく、また、自分から進んで、それを生み出そうとも考えない人物でした。
マーラーは敵を作る名人
マーラーは敵を作る名人だったようです。というのも彼の性格に非常に問題の多い人物だったからです。マーラーは生存中は、指揮者として名を馳せていましたが、その練習たるや、オーケストラを罵倒し、それは酷い暴君だったと言われています。
物凄い癇癪もちで、一度怒り出すとやかんの湯が沸騰したように、手に負えなかったようです。自分と思想や思考が合わない人物に対しては、批判を繰り返し、どんな温厚な人物をも怒らせてしまうのでした。そんな性格ですから、いろいろなオーケストラを転々としたわけです。
マーラー、都市伝説に怯える
そんな癇癪もちの彼も、とても臆病で交響曲の『9番』を作曲すると死に至るのではないかと言う呪いに憑り付かれています。『第8番』の次に書いた交響曲には『大地の歌』と名付けて、切り抜けましたが、次に書いた交響曲についに『第9番』と付けて仕舞います。
その後、『第10番』を書いている途中で彼は亡くなってしまいます。あんなに恐れていた『第9番』だったのに、なぜ彼はそうしてしまったのでしょうか。この辺が歴史の面白いところなのですね。『第10番』を書き上げられると安心したのでしょうが、残念ながらそう出来ませんでした。
第6位 サティ
サティは今でいうところの精神病患者としか考えられない奇行の作曲家でした。今でこそ『ジムノペディ』がヒットしたお陰で、天才作曲家として扱われていますが、そうでなかったら、単に危険な人物として扱われていた事でしょう。
サティの異常性
サティは曲名からして物凄く異質です。『犬のためのぶよぶよとした前奏曲』『犬のためのぶよぶよした本物の前奏曲』『梨の形をした3つの小品』『なまこの〈乾燥胎児〉』『無柄眼類の〈乾燥胎児〉』など、どう贔屓目に見ても彼が正常でない人物だった事が一目瞭然です。
サティの不可解な行動
彼は太陽の光を憎み、また、護身用にいつもハンマーを持ち歩いていたようです。服装は灰色の同じスーツを12着持っていて、1着が着られなくなるまで着用し、また次のスーツを着るという奇妙な着こなし方をしていました。彼の死後はまだ6着も残っていたそうです。
アップルの創業者の一人、故・スティーブ・ジョブズはサティと同じように、いつも同じ服を着ていましたが、天才と呼ばれる人物の行動は、我々一般人には理解に苦しみます。彼らには彼らなりの理由があったのでしょうが、どう考えても不可解です。
サティの死後に部屋を片付けると、そこには数多くの手紙が発見されましたが、それは彼が彼自身に充てた手紙だったそうです。ちょっと不気味で、本当にこんな人物とは関りになりたくないものです。出版社の担当者の方の苦労は察するに余りあります。
第5位 パガニーニ
パガニーニは超絶技巧のヴァイオリニストとして、現在でも非常に有名な演奏家であり作曲家です。超絶技巧という言葉も彼のために作られたような演奏家でした。彼の演奏技術はその上手さから「悪魔に魂を売った代償により手に入れたものだ」と噂されていました。
パガニーニの異常性
パガニーニの性格は、無礼・冷酷・きまぐれ・金銭に汚いものであったと言われています。「悪魔に魂を売った」という噂が人々に信じられてもいましたから、余計に悪く伝えられたとも考えられます。演奏に関しての良さは伝えられていますが、性格は最低です。
人気が出るにつれ演奏会のチケット代をより高額にしたり、偽チケットを防ぐために自ら会場の入り口で、チケットをチェックしたともいわれています。演奏を聴いて結婚を申し込んできた女性に対して、「演奏をタダで聞くつもりだろう」と相手にしなかったそうです。
パガニーニは酒・女・博打に夢中
青年期は特にギャンブルに夢中になり、女性にも目がなく、酒に溺れました。飲む・打つ・買うに明け暮れた日々を過ごしていました。人間として、自分の欲を抑えられない人物だったようです。ギャンブルに大負けし、商売道具であるヴァイオリンまで取り上げられる事もありました。
酒癖が悪く、良く喧嘩をしたりして、牢屋に入れられたり、酒と間違えて劇薬を誤飲したり、性病にかかったりと、男としての悪い経験はほとんど体験した人物でした。音楽家ではなかったならば、街のゴロツキのような生活を送っていたことは容易に想像が付きます。
パガニーニの奇行
パガニーニは本番前、釘を踏み抜いてしまった事があるそうですが、釘が刺さったまま、聴衆にわざわざ見せるようにして、本番を行ったそうです。当時の彼はその技巧と容姿から悪魔ではないかと噂されており、それに反論するためにわざとそのままで演奏したと言われています。
釘が刺さったままの足を晒しながら演奏する方が、よっぽど悪魔らしい気がします。その辺の感覚が我々一般人とはかなりのギャップがありそうです。
第4位 ワーグナー
ワーグナーは現在では彼の音楽だけを上演するバイロイト音楽祭が行われるような、世界的な大音楽家と言われています。しかし、この作曲家の悪行は様々に知られていて、知っている方も多いと思います。ワーグナーがどのような人物だったのかを見て行きます。
ワーグナーはシンプルに嫌な奴
ワーグナーの性格の悪さもここに載せた作曲家たちと変わりません。いや、もっと悪いかもしれません。自分のライバルはどんな手段を使ってでも蹴落としてきました。1度や2度ではありません。この奴は気に入らないと思うと徹底し追い落としました。
お金に関しても汚く、浪費癖があり、支援者から多額の借金を繰り返し、返せないとわかると借金を踏み倒して夜逃げして、問題を解決していました。解決方法が夜逃げなんて、人として最低です。しかし、彼にとってはそれをどうとも思わず、今回も成功したと喜んでいました。
人妻を略奪する暴君
当時、大指揮者であったハンス・フォン・ビューローの正妻であるコジマ(なんとリストの娘)と同棲し、自分の妻が亡くなると、結婚までしてしまいます。友人の妻を略奪したのです。自分の友人に対して、倫理的にも許されない行動を起こしながら、それを正当化しています。
国家財政も苦しめる
バイエルン国王ルードヴイヒ2世がワーグナーに心酔している事を利用して、国家予算の半分の予算を出させ、自分の作品を上演する劇場まで作らせてしまいます。バイエルンの民衆はそのためにえらく苦労させられました。自分の欲望を満たすためには手段を選ばなかったのですね。
貴族の道楽のために苦労した国民を思うと、芸術のための犠牲にさせられた人々は可哀想としか言えません。そんな国家的に大打撃を与えるような事までやりのけたのですから、よほど口が達者だったのでしょう。上手く口車に乗せられたルートビィヒ2世も被害者の一人です。
第3位 ブルックナー
ブルックナーは交響曲作曲家として不動の地位を築いています。彼の交響曲は迫力があり、マーラーと並ぶ偉大な交響曲作曲家ですが、彼にも心の病がありました。現在でいえば統合失調症だったのです。自分自身に自信が持てず、砂の1粒1粒を数えているような人物でした。
自信を欠如していた男
ブルックナーは天才的な音楽的才能を持ちながら、消極的過ぎるというか、どんな分野でも自信を持つことが出来ませんでした。自分の本業である音楽面でもそうでした。自信をもって送り出した交響曲が聴衆受けしないと、色々な人たちからの助言を受け、改作を繰り返しました。
改作どころか根底から作り直すこともしばしばで、現在でもどの版が決定稿か分からず、指揮者たちを困らせています。原典版、ハース版、ノヴァーク版など以外にも多くの版が存在しています。自分でこれだと言い切る自信がなく、曖昧のまま現在に至っているのです。
ブルックナーは幼女趣味
ブルックナーの自信の無さは、生活の面でも大きな障害となりました。彼は女性遍歴らしいものが殆どなく、女性とまともに会話する事すら出来ませんでした(72才まで生きたが一生童貞だったという話もある)。心理学者によれば自分に自信のない男はロリコンになりやすいそうです。
ブルックナーも筋金入りのロリコンだったようです。10代の女性にしか興味がなく、結婚を申し込んだの女性は9人いたそうですが、全て10代でした。それも、年齢を重ねてからの告白で、オジサンから10代の女性が告白されても、気持ち悪いだけで、非常に危ないオジサンだったようです。
第2位 ベートーヴェン
ついに大御所の登場です。ベートーヴェンはクラシック音楽の宝ですが、変人の申し子的な所も多くの方が知っていると思います。天才はかくして生まれたと言えそうなエピソードにまみれた、偉人です。ではどんな人物だったのか紹介しましょう。
究極の自己中男
ベートーヴェンにあんな才能が無かったらば、性格が特別でしたから、彼の周りに人々は集まってこなかったでしょう。ベートヴェンはまさに「偏屈が服を着て歩いている」という言葉がぴったりの人物だったと言われています。性格は偏屈で、自分勝手で、癇癪持ちでした。
天才だからこそ、弟子も出来、出版社などの人物が彼の周りに集ったわけです。よくぞ弟子たちは最後まで仕えたと感心します。音楽的才能が関係ない、コックやメイドたちはすぐに辞めています。ベートーヴェンの癇癪のためです。物を投げつけたり、噛みついたりする事は日常茶飯事。
部屋の中では衣服を着けたまま水浴びをするものだから、下の階の住人からは苦情が耐えませんでした。「壁の色が気に入らない」からとアパートの壁を勝手に好きな緑色に塗り替えたりして大家には怒られる始末。まさに、やりたい放題でした。
野良犬のようにふらふら
ベートーヴェンが若く、耳の病気も余り進行していない時は、彼は天才ピアニストであり、社交界からもてはやされていました。その頃は身だしなみに注意し、いっぱしの紳士だったようです。しかし、耳の病気や甥の養育権で争うようになってからのベートーヴェンは変わってしまいます。
弟子のツェルニーは、ベートーヴェンを「ロビンソン・クルーソーのよう」と評し、そして、浮浪者と間違えて警察に逮捕された事もあります。髪はもじゃもじゃ、着ている服にも無頓着になってしまったのです。ベートーヴェンにとって音楽以外はどうでもよいものになっていきました。
不潔なのに潔癖症
浮浪者のようになってからのベートーヴェンのアパートは、足の踏み場もないほど乱雑で、食べっぱなしの食器や脱ぎ散らかした衣類は至る所に存在し、ピアノの上には埃が積もっている状態で、ピアノの下ではオマルの糞便が悪臭を放っていたようです。あだ名は「汚れ熊」でした。
部屋の家具は全てひっくり返っている有り様で、手のつけようのない状態でした。ベートーヴェンがメイドを気に入らず、すぐに辞めさせる事が原因で、自業自得なのですが、自分でも手が付けられなくなってくると、新しいアパートへ引っ越しを繰り返しました。
しかし、面白いもので、ベートーヴェン自身は超が付くほどの潔癖症でした。一日に何十回も手を洗ったり、風呂好きで洗濯好きという一面もありました。それなのに、こんなに不潔だったのは驚きです。精神疾患の要素ありありの人物だった事が窺われます。
79回も引っ越す変人
ベートーヴェンはウィーンに住んでいた間に何と79回も引っ越ししています。大屋に叩きだされた事も多数ありますし、単純に部屋が汚くなり過ぎて引っ越した事も多数。芸術家にとって環境を変える事は重要だというまっとうな理由の時もありましたが、これはほんの少しだけ。
とにかく、自分勝手で他人の事など考えもしなかった人物でしたから、アパートでは周囲の人に迷惑ばかり掛けていました。大家ともしょっちゅう揉めていましたから、安住の地はどこにもなかったのです。変人ベートーヴェンを受け入れる場所は考えられませんでした。
第1位 モーツァルト
断トツの第1位はモーツァルトになりました。こんなに人間的に最低な作曲家も珍しいと思います。幼少時から旅から旅の連続で、まともに学校にも行っていませんから、常識を知らずに大人になってしまった典型の人物です。そんなモーツァルトに迫ってみましょう。
モーツァルトは変態
モーツァルトと言ったら変態として超有名です。スカトロ野郎とも呼んでも何の不思議もない人物です。とにかく、彼の生涯はウ〇コに始まり、ウ〇コに終わったといってもいいぐらいのとんでもない奴だったのです。子供はそんな話が好きですが、大人になっても止められなかった変人です。
モーツァルトが変態と言われるのは「ベーズル書簡」という従妹に宛てた手紙に、しっかりと残っているためです。モーツァルトの死後、家族が必死になってそれらの手紙を集めては捨てていましたが、全てを闇に葬られず、現在でも6通が保管されています。
「ベーズル書簡」の内容の一部
「あなたの鼻に糞をします」
「花壇のなかにバリバリッとウ〇コをなさい。」
「ぐっすりお眠りよ。おしりを口の中につっこんで。」
「ウ〇コで君のベッドを汚してやるぞ!」
「僕のおしりが火事になった! どういうこと! 知ってるぞ、みえるぞ、なめてやろうか、ん、何だ?ウ〇コが出たがってる?そう、そうだウ〇コだ。俺は変態だ!」
モーツァルトは作品も変態
手紙だけではありません。本職の作曲でもやってくれています。最初から出版するつもりはなく、単なる遊びで書いたものだったのでしょうが、後年のモーツァルト研究者に発見されてしまいました。こちらもタイトルからして変態丸出しです。ほんの一部を紹介しておきます。
『僕のお尻を舐めてよ』K.231
『僕のお尻を舐めてしっかりきれいに、このうえなく清潔にしてね』K.232
モーツァルトはいつまでも子供だった
今まで書いてきたスカトロ趣味も、普通の人だったら小学校を終えれば、そんな事を言うとのは尋常では無いと思い止めてしまいますが、モーツァルトは最後まで子供のままだったようです。叱ってくれる人物もいなかったのですから仕方がない部分もあったのでしょう。
大人になってもいたずら者で、舞踏会で女の子のスカートをまくったり、ウイッグにいたずらをしたり、しょっちゅう女の子にチョッカイを出していました。精神的に大人になり切れなかった、精神疾患者ともいえます。
モーツァルトは性格も悪かった
モーツァルトは、ある貴族からの依頼で書いた曲を渡す時に手渡しせず、自分の家の床一面に譜面を並べ、その貴族に一枚一枚拾わせたこともあります。よほど嫌な仕事だったのでしょう。その仕返しのために、そんな意地悪をして憂さを晴らしていました。
また、ある時には、演奏者を困らせるためだけに、金管楽器の音符を数小節ごとにインクの色を変えて書いていた事もあります。いたずらと言えば単なるいたずらですが、自分の本業で、上手く演奏して貰わないといけない演奏者に対してするには、いたずらの範疇を超えています。
モーツァルトはギャンブル好き
モーツァルトは現在でいえば、高級官僚並みの収入を得ていました。しかし、いつもお金に困ってもいました。それはなぜか、ギャンブル好きだったためです。モーツァルトが住んでいたアパートから3分位の所にカジノがあったそうです。でも、博才はなかったようです。
モーツァルトは借金まみれ
三度の飯よりカジノが大好きだったモーツァルトでしたから、稼いでも稼いでも、お金には困っていました。そこで、考えられる友人には借りられるだけ借りまくりました。どんな仕事も引き受け、ギャンブルのために夜も寝ないで仕事をしていました。
奥さんも浪費癖のある人物だったので、いくらお金があっても追い付かなかったのです。そこで、また、友人たちに借金の申し込みをしていました。手紙が残っています。返す当てはまだありませんが、生活できないので、何とかお金をという内容です。あてもないのに誰が貸すでしょうか。
まとめ
有名な作曲家の中で変人と呼ばれている作曲家を紹介してきました。今回は10人の名前を挙げましたが、作曲家って、大なり小なり、変人が多い人種です。もう10人挙げろと言われれば、また続きも書けそうです。作曲家に限らず、芸術家はそんな方が多いですね。
しかし、彼らは天才でもあったわけで、時代を超えて、我々の心を揺さぶる名曲を多く残してくれています。性格面でどうのこうのではなく、作品の良し悪しだけで判断するのが一番です。こんな一面もあったんだと笑いながら親しんで行く事が最良ではないでしょうか。
otomamireには以下のような作曲家のエピソード記事もあります。お時間がありましたらどうぞご覧ください。