交響曲を作曲した作曲家は現在までに数え切れないほどの人数に登ります。その中で、名作を残し、音楽史上に燦然と輝く作品を残した作曲家というと大分絞られてくるでしょう。
しかし、『交響曲第1番』から名曲を残している作曲家というとほんの一部に限られてきます。やはり、何作も作曲した後に肉体的、精神的な成長とともに音楽的個性も大きく発展するというパターンの人物の方が多くなっているのです。
そんな中で、『交響曲第1番』からやたらに完成度の高い作曲家も存在しています。才能ゆえなのか早熟だったのか理由は様々でしょう。今回は『交響曲第1番』名曲ランキングです。
主な交響曲作曲家
世に知られている交響曲作曲家をざっと挙げると以下のような作曲家が思い浮かびます。
主な交響曲作曲家
- ハイドン
- モーツァルト
- ベートーヴェン
- シューマン
- シューベルト
- ブラームス
- ドヴォルザーク
- マーラー
- ブルックナー
- チャイコフスキー
- ニールセン
- オネゲル
- シベリウス
- サン=サーンス
- ヴォーン・ウィリアムズ
- プロコフィエフ
- ショスタコーヴィチ
- リヒャルト・シュトラウス
- ビゼー
- メンデルスゾーン
ペンデレツキ、ミヨー、ヒンデミット、フルトヴェングラー、バーンスタインはどうしたという声も聞こえてきますが、一般的な名前を挙げれば上記の方々で十分だと思っています。
ここでやろうとしている事は『交響曲第1番』の名曲ランキングですので、余り知られていない作曲家を挙げても意味がありません。
それともうひとつ。ベルリオーズの『幻想交響曲』のような1曲だけの作曲家も除きます。厳密に言えばベルリオーズは4曲の交響曲を書いていますが、交響曲何番と付けていません。このような作曲家も除きます。
これらの作曲家の中から『交響曲第1番』のベスト1を決めたいと思います。
ランキング基準
- 交響曲の出来栄え
- 知名度
- 演奏頻度
第10位 メンデルスゾーン『交響曲第1番』
メンデルスゾーン15歳の作品です。メンデルスゾーンは早熟だった作曲家。生き急いで38歳という若さで亡くなりました。
現在ではそうは頻繁に聴く事は出来ない作品です。15歳の作品とは思えない出来ばえですが、『イタリア』や『スコットランド』と比べると見劣りするのは仕方のないことでしょうか。
ただ、しっかりとした交響曲になっています。メンデルスゾーンの早熟さがよく分かる音楽です。
まだまだ何かが足りないと感じますので、そういった意味で第10位としました。
第9位 ベートーヴェン『交響曲第1番』
ベートーヴェン29歳の時に初演されました。最初の交響曲ですからベートーヴェンはひときわ力を込めた作品と思われます。
ハイドン的な交響曲ですが、ベートーヴェンらしい個性を伴ってもいます。しかし、名曲と称するにはまだまだです。
それに、現在のコンサートでベートーヴェンの1番がメインになる事などありません。明らかにこのランキングの中では力不足です。
だから、このベートーヴェンは第9位としました。
第8位 プロコフィエフ『古典交響曲』
1917年、革命が始まった旧ロシアでこの作品が作曲されます。1818年に『古典交響曲』の初演を終えたプロコフィエフはアメリカに亡命することになるのです(後に旧ソ連に戻ることになります)。
プロコフィエフ26歳、そんな時期に作曲された作品であるにも関わらず、軽快で明るめの基調を持っています。
「もしもハイドンが今でも生きていたら書いたであろう作品」として作曲されたため作曲者自身が『交響曲第1番』ではなく『古典交響曲』と命名しました。
15分というとてもコンパクトな交響曲ですが、古典的な作風とプロコフィエフの個性が上手く出ている作品です。
他の作曲家と比較してこのあたりの順位が妥当かと思います。
第7位 ショスタコーヴィチ『交響曲第1番』
ペトログラード音楽院(現在のサンクトペテルブルク音楽院)の卒業試験のための交響曲です。ショスタコーヴィチ18歳の作品。ショスタコーヴィチは1824年から作曲を始め、翌年に完成しました。
完成までには様々な困難があり、1925年3月になってから一気呵成に筆が進み、6月にオーケストレーションを完成させ、7月1日に完成を見たのです。
初演は1826年5月25日、レニングラードで行われ、大成功を収めました。これを機にショスタコーヴィチの名前は世界的なものになりました。
ショスタコーヴィチは「現代のモーツァルト」とまで称賛され、当時の西側諸国でも話題になったのです。
さて、そこで楽曲についてはどうでしょうか。現代のモーツァルトとまで言われるほどのものでしょうか。ピアノが活躍し協奏曲的な雰囲気もあるし、終楽章の盛り上がりも素晴らしいとは思いますが、そこまで凄いのか私には分かりません。
自分にはこの順位が妥当なのかなと思います。これ以降出てくる作品と比べるとそれより上とは感じられません。
第6位 チャイコフスキー『交響曲第1番』「冬の日の幻想」
チャイコフスキー26歳の作品です。『交響曲第4番』から『第6番』が圧倒的に演奏機会は多いですが、初期の交響曲の中ではこの『第1番』が最も人気のあるものです。
タイトルの「冬の日の幻想」は第1楽章に由来するものですが、作曲者本人によって名付けられました。
モスクワ音楽院の教授であったチャイコフスキーでしたが、『第1番』は完成までに随分苦労をした交響曲です。第1稿は1866年の前半に出来上がりましたが、恩師たちの批判を浴びその年の後半に改訂しています。
これが第2稿に当たるものですが、これも批判された事から、両端楽章を改訂し、第2稿は1868年2月3日にようやくモスクワで初演されました。この初演は好意的に迎えられ成功しました。
しかし、1874年にチャイコフスキーは改訂を行います。これが第3稿で、現在我々が耳にする作品です。第3稿による初演は1883年12月1日、モスクワで行われています。第1稿から実に17年も掛けて現在の形となったのでした。
このように苦労して完成させた『第1番』の魅力は若者にしか書けない音楽とロシアの民族性が溢れているところでしょうか。中々コンサートで取り上げてもらえない作品ですが、聴き込むうちに引き込まれてしまう魅力満載です。
しかし、このランキングでは上位が圧倒的に強いので、この順位あたりが妥当かなと思います。
第5位 シベリウス『交響曲第1番』
シベリウス33歳の作品です。数々の作品で名声を高めた後、1899年に『交響曲第1番』を発表します。交響曲を作曲し始めたのは少し遅かったと言えるでしょう。
ベートーヴェン以降の作曲家は交響曲を特別視するようになってきましたから、シベリウスとしては時期が熟したと判断したものと思われます。
ただし、シベリウスは『交響曲第1番』の前に交響曲を作曲しているのです。独唱と合唱を伴うカンタータ風の『クレルヴォ交響曲』というもので、民族色溢れるものでした。
しかし、シベリウスは1898年3月にベルリオーズの『幻想交響曲』を聴いて衝撃を覚えました。そして、新たな交響曲を作曲する事を決意したのです。
シベリウスは直ぐに『交響曲第1番』の作曲に着手しましたが、根っからの酒好きで酒に溺れ、月日が経ってしまうばかりの時期もありました。そんな事もありましたが、1899年にこの作品を完成させます。
同年の4月26日には作曲者自身の指揮で初演が行われました。初演は大成功を収めたようです。
ベルリオーズの『幻想交響曲』の衝撃から始まったこの作品ですが、既にこの交響曲はシベリウスの独自色が作られています。堂々たる交響曲です。順位付けは難しいですが、第6位と比べるとこちらが上かなと思いますので5位に置きました。
第4位 ブルックナー『交響曲第1番』
ブルックナー42歳のときに作曲されました(第1稿)。ブルックナーは多くの時間を教会のオルガニストとして過ごしたため、作曲家となるのが遅れました。ですから42歳で『交響曲第1番』なのです。
それと、ブルックナーはどの稿が完成形なのかわからず、現在でも研究が続いているというとんでもない問題も抱えています。
この『交響曲第1番』も1866年完成 ー> 1877年改訂 ー> 1884年改訂 ー> 1890から1891年改訂(ウィーン稿)と何度も改訂を行っています。どの指揮者もウィーン稿を使うのなら問題ないのですが、第1稿に近いリンツ稿を演奏する指揮者もいて混乱しているのです。
私はリンツ稿の演奏しか聴いた事がありませんが、この作品はもっと光が当てられて良い作品ではないかと思っています。
もう40歳も超えた年齢ですから、後期のブルックナーにも通じるものがしっかり出ています。名曲だと思いますが、上位の作品がもっと素晴らしいので第4位です。
第3位 シューマン『交響曲第1番』「春」
シューマン31歳の作品です。シューマンが交響曲作曲を試みたのはこの作品が最初ではなく22歳の時と30歳の時でしたが、この2つの作品は断念しています。
その後シューマンが交響曲を書くきっかけとなったものは、シューベルトにあります。1838年彼はシューベルトが作曲に使っていた部屋を訪ね、『ザ・グレート』の楽譜を発見しました。
この交響曲はシューマン自身が「天国的長さ」と称したものです。シューマンはこの交響曲の演奏を友人のメンデルスゾーンに頼み、1839年に初演されます。シューマンは初演ではなく再演で聴いたそうです。
そして、1840年の「歌曲の年」の翌年シューマンは交響曲に再度挑戦したのです。1841年は「交響曲の年」と呼ばれます。シューマンの創作意欲が非常に高かった時期で、シューマンは満を持して交響曲を書いたのでした。
このシューマンの『第1番』はシューベルトの影響が随所に見られると言われています。シューベルトの『ザ・グレート』に触発されたのです。
2度も交響曲の作曲を断念したシューマンにしてみれば、あのシューベルトでさえあんな交響曲が書けたのだから自分にできないはずがないと奮起したのは間違いないでしょう。当時のシューベルト評は今よりもずっと低いものでした。
1941年の1月から2月にかけて作曲し、3月には初演しています。如何に意欲が漲っていたかを窺い知る事ができます。初稿では「春」とタイトルを付け、各楽章にもそれぞれ、「春の始まり」、「夕べ」、「楽しい遊び」、「たけなわの春」とサブタイトルが付けられていました。
1853年に総譜を出版しましたが、その時に全てのタイトル、サブタイトルも削除しています。
「春」というタイトルとは言え、シューマンの憂いをはらんだ感じがなんとも言えない名曲です。しかし、第2位、第1位の作品と比べると、この順位に置かざるを得ません。
第2位 ブラームス『交響曲第1番』
ブラームス42歳の『交響曲第1番』です。21年という長き歳月をかけて作曲された、ブラームス会心の交響曲。最後まで迷いましたが、ブラームスは第2位としました。
ベートーヴェンの亡靈と戦いながら、ついに完成させた傑作であり、ドイツ古典派の流れを絶やさなかった功績は偉大なものです。
音楽史上でも稀にしか生まれない名曲だと思います。ただ、ランキングですから順位を付けないといけません。ブラームスの『交響曲第1番』はベートーヴェンを乗り越えようとする痕跡が見え隠れする、というか、力が入りすぎていると感じるのは自分だけでしょうか。
朗々と歌い上げる第4楽章など鳥肌が立つような感じですが、第1位に比べると見劣りすると感じるものがあります。時代的な背景もあるかもしれませんし、考えに考えすぎた結果という事も言えるかもしれません。
そうとは言え第1位とは紙一重の差です。断然ブラームスが1番という方も多くいる事でしょう。第2位、第1位はそういった意味でも双璧をなす『交響曲第1番』と言えます。
第1位 マーラー『交響曲第1番』「巨人」
第1位は迷いましたが、マーラー28歳の交響曲にしました。第1楽章冒頭から第4楽章最後のコーダまで、とにかくもの凄い集中力で音楽は進み、どの場面でも飽きさせないどころか、これでもかと聴衆を圧倒します。
特に最後の楽章の荒れ狂う様は半端ではありません。ブラームスの大人の雰囲気も素敵ですが、マーラーの若さ溢れる大暴れもとても惹かれます。
この「巨人」は女性の姿が顔をのぞかせます。3人の女性とのやるせない失恋の思い出が詰まった作品です。そんな事を思いながら聴くと余計に若さのマーラーの勝ちかなと思います。
若さがないとこれだけの破壊力を持った作品は書けません。マーラーは作曲家として活躍し始めた時から既に完成されていたのです。この点が他の作曲家とは一線を画すところかと思います。
ブラームスはベートーヴェンの交響曲のためにその作曲家人生を大きく狂わせてしまいましたが、マーラーは突然完成された交響曲作家として現れ、それまでにはなかった独自の世界を切り開きました。
マーラーはベートーヴェンのように音楽的飛躍と呼ぶべき事例が見られません。もう『交響曲第1番』からマーラーという確固とした存在として出現してきました。既にマーラーはマーラーだったのです。
番外編 ベルリオーズ『幻想交響曲』
ベルリオーズ26歳の作品です。『交響曲第1番』名曲ランキングなので『幻想』は除外しました。とは言っても、ベルリオーズの『交響曲第1番』は『幻想交響曲』ですから番外編として取り上げます。
ベルリオーズは4曲交響曲を作曲していますが、その最初が『幻想交響曲』です。彼は全ての交響曲を『幻想』のように番号ではなくタイトルを付けました。
『幻想交響曲』はストーリー性があり、音楽もその思いを乗せて進んでいきます。しかも型破りな音楽!
ストーリーはおどろおどろしいものですが、音楽は全くそんな事はなく、全編に渡って豪華絢爛なオーケストレーション。フルオーケストラのこの交響曲の響きは一度聴いたら忘れられないものになります。
ここにあるのは「熱狂」「情熱」。この楽曲はベルリオーズのオーケストレーションの素晴らしさを楽しむものであって、それ以上を望むものではないのかもしれません。
まとめ
日本の作曲家で文筆面でも活躍した諸井誠は「古今7大第一交響曲」という言葉を残しています。ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、チャイコフスキー、マーラー、ショスタコーヴィチ、シベリウスの7人だそうです。
それを意識したわけではありませんが、『交響曲第1番』名曲ランキングにもこの7人が入りました。順位は様々ですが、人の聞く耳というのはある程度同じような結果を招くのでしょうか。
このランキングをやって驚いた点は意外と『交響曲第1番』の名曲が多い事でした。大作曲家になる人は例外はありますが、若いうちから名曲を生み出しています。