我々は仕事や学業などで緊張を強いられる日々を過ごしています。健康ドリンクなどを飲みながら頑張っている人々のなんと多い事でしょう。
しかし、そんな日常も生きていく上でどうしてもやめる事はできません。家族を支えておられる人たちなら、尚更、頑張らねばならないですね。
やっと訪れる休日に、心身ともに癒してくれる印象派の音楽を聴いてみませんか。ゆったりしたピアノ音楽で気分をリフレッシュしましょう。
印象派について
音楽の場合、正式には印象主義音楽といいます。20世紀初頭のフランスから始まった音楽です。一般的にはドビュッシーから始まったとされます。
ロマン派音楽のよう主観的表現ではなく、激しい情緒や物語性の描写よりも、気分や雰囲気の表現に比重を置いた音楽様式です。
その当時、絵画の分野でモネの『印象・日の出』から始まった印象派の「気だるさ」を音楽で表現したものだったため、音楽の世界でも絵画の印象派という言葉を当てはめました。
サティ『ジムノペディ第1番』
最初はサティの『ジムノペディ第1番』から始めましょう。どこにも力が入らない不思議な感じを覚えるこの作品は聴き始めるのにちょうど合っています。
サティが働いていた居酒屋の名前は「ル・シャ・ノワール」といいます。日本語で黒猫。そう、この曲を聴いて猫のようにしなやかになれるはずです。
淡々と進んでいく、どこで終わるか分からないような反復。まるで音符も漂っているようです。ゆっくりとした、気だるさを感じさせる音楽に浸りましょう。
ドビュッシー『ベルガマスク組曲』より第3曲『月の光』
次はご本家ドビュッシーを聴いていきます。まずは『月の光』から。夜半に月の光が部屋の中までさしてきます。なんて静かで穏やかな音楽なのでしょう。
作品まるごとピアニッシモで進んでいきます。なんの邪魔もなく、どこからか花の香りもしてくるよう。とても過ごしやすい快適な場所でひとり月をみています。
聴き進めていくとちょっとだけもの悲しさも感じられます。ピアノの音色がまろやかです。自分が楽しいのか悲しいのかさえ忘れてしまいそうです。
ドビュッシー『前奏曲集第1巻』より第8曲『亜麻色の髪の乙女』
今度は『亜麻色の髪の乙女』です。これも実に優しい作品です。フランスの詩人ルコント・ド・リールの詩『亜麻色の髪の乙女』に触発されて作曲した作品です。
亜麻色の髪がどんな色か分かりますか。白っぽい金髪の事を表すのだそうです。亜麻色の髪の乙女が明るい日差しの中で、花に囲まれて歌っている情景を思い描いて音楽にしたものです。
そういわれると可愛らしい少女がそこにいるように感じられます。桜色の唇が動いていて、何か歌を歌っているようです。とても幸せな気持ちに包まれます。
ドビュッシー『喜びの島』
次は『喜びの島』を聴いてみましょう。この作品は今まで聴いてきた作品とはちょっと違います。印象派独特の気だるさ感がありません。
それは、この作品を作曲している時に彼は大恋愛をしている時だったからです。彼女と行った島をモチーフにして作られました。喜びの島のタイトル通り、彼の喜びが表現されているのです。
確か、『のだめカンタービレ』でもこの作品の雰囲気をのだめが解説していました。「彼はルンルンだったのよ」とか言ってましたよね。今までの雰囲気から抜け出すにはちょうど良い感じかもしれません。
ドビュッシー『アラベスク第1番』
今度は『アラベスク第1番』を聴いてみましょう。『喜びの島』を聴いて気だるさから抜け出したところで、また、新たな気分で印象派に接してみましょう。
聴いてみるとこの曲も今までの作品とはまた違った印象ですね。ドビュッシー26歳の初期の作品という事も影響しています。因みにアラベスクとはアラビア的な模様の事のようです。
ドビュッシーは「バッハの音楽において人を感動させるのは、旋律の性格ではない。その曲線である。」と言っています。この作品はバッハの音楽の旋律の美しさをアラベスクのようだと例えたものなのです。
バッハから影響を受けたかどうかは別にして、この作品は精細で美しいです。「アールヌーボー」という造形美に惹かれたドビュッシーがここにいます。旋律が織りなす線の交錯を感じるのです。
ドビュッシー『夢』
次の作品は『夢』です。ここでまた先に聴いたような印象派独特の感じに戻ってきました。タイトル通り、夢を見ているようなイメージです。ファンタジックと言い換えてもいいですね。
とにかく静かで美しい旋律です。タイトルは彼の敬愛したエドガー・アラン・ポーの詩『夢の夢』から取られました。
このもの悲しさは恋に破れた後の寂しさを表しているのでしょうか。あれは夢だったのかと過去を思っているのか。楽しい夢ではない事は明らかです。
ラヴェル『ソナチネ』
ちょっとここで視点を変えて、ラヴェルの『ソナチネ』を聴いてみましょう。「ソナチネ」とは「規模が小さめのソナタ」の事をいいます。
ドビュッシーとは感じが違っている事を分かってもらえるでしょうか。ドビュッシーの作品より手が込んでいるイメージがありますね。同じ印象派といってもこれだけの違いがある事を感じてもらえると嬉しいです。
第1楽章はノスタルジックで繊細なメロディーです。少し悲しい気分もあります。可愛らしい感じの第2楽章のメヌエット、第3楽章は颯爽と駆け抜けていく感じ。ラヴェルの色彩感を味わってもらいたいです。
ラヴェル『水の戯れ』
もう1曲ラヴェルの作品『水の戯れ』を聴いてみましょう。日本語では「水の戯れ」と訳していますが、フランス語では「噴水」の事を指すようです。
噴水の水の動きが目に浮かんでくるような作品です。噴水の作り出す美しい水の饗宴を、上手く音符にしています。ラヴェルの曲作りの巧みさは見事です。
ドビュッシーは完全に感じた印象だけを音符にしていますが、ラヴェルは水の動きなど感じる事もできる古典的な表現も残しつつ、自分の印象を音符にしています。
ラヴェル『亡き王女のためのパヴァーヌ』
ラヴェルの最後は『亡き王女のためのパヴァーヌ』です。この作品はタイトルに惹かれます。17世紀のスペイン王女マルガリータを思っての作品です。
「パヴァーヌ」とは16~17世紀に流行っていた舞踏の事。決して王女が亡くなって悲しんでいる音楽ではありません。タイトルに騙されないようにしましょう。
全体に物憂げなイメージが漂い、しかしとても優雅な雰囲気です。古き良き時代を懐かしむかのような、感傷的な作品になっています。ラヴェルの天才性を感じる傑作です。
ドビュッシー『前奏曲第1巻』より第10曲『沈める寺』
最後はドビュッシーの傑作で締めましょう。『沈める寺』です。これも意味深なタイトルですが、ブルターニュ地方の、不信心ゆえに海に沈んだ大聖堂がたまに浮き上がってくるという伝説から取られたものです。
幻の大聖堂が霧の中からゆっくりと姿を現し、その後また沈んでいく様子を描いています。もっと正確に言えばその様子を思い描いたドビュッシーが感じた事を音符に残したのです。
作品を聴きながら、霧がかかった海や、大聖堂がゆっくりと現れる様子、現れた瞬間の盛り上がり、そして悲しげに沈んでいく様子などが感じられると面白く鑑賞できます。ドビュッシーの天才性を感じる傑作です。
まとめ
印象派の音楽は管弦楽もありますが、私はピアノ独奏の方がより分かりやすくなっていると思います。直接心の中に響いてくる感じがたまりません。
印象派は攻撃的な要素が全くなく、心を癒すにはぴったりの音楽です。ゆっくりな作品が多く、何といっても静かです。フォルテを用いる作品はそうありません。強くてもメゾ・フォルテ。
今回は3人の作品を取り出しましたが、印象派はもっといますし、3人の作品も数多くあります。これをきっかけに印象派の作品を気に入ってもらえたら幸いです。