リストといえば超絶技巧を駆使した難しいピアノ曲を作曲した人物と知れ渡っています。リストは幼少期より天才ぶりを発揮し、ついに「ピアノの魔術師」といわれるまでになりました。
現在でもピアニストにとってはリストは難敵です。リストで高評価を得るまでには、どれだけの苦しい練習が必要か、ピアニストの皆様には頭が下がります。
リサイタル前の緊張はどんなに有名になっても変わらないといわれます。前置きが長くなりましたが、今回はそのリサイタルの創始者について書いてみようと思います。
リサイタルの生みの親
現在では「リサイタル」といえば、独奏の演奏会を指します。ピアノのリサイタルといえば、ピアニストひとりで、聴衆に音楽を聴かせる演奏会です。
しかし、リストが活躍していた時代は、違っていたのです。たとえ、リストの演奏会といっても、リストの独奏だけでなく、ほかの奏者も途中で演奏していました。
時には、オーケストラの演奏が入る事もあったのです。あくまでも、リストの演奏会であるため、他の出演者に対しても、リストが演奏料を支払っていました。
そこで、リストは考えました。これって無駄じゃないかと。自分の演奏会なのだから、自分の演奏だけに限定してしまえばいい、これがリサイタルの始まりだったのです。
リストが始めてくれたおかげで、他の演奏者も真似するようになります。そして、リサイタルは現在のような形になったのです。
慣例を打ち破る
リストは進歩的な考えの人で、音楽の面でもそうでした。ピアノに、他の作曲家には真似ができないような超絶技巧を持ち込んだのも彼の功績ですし、交響詩というジャンルを打ち立てたのもそのひとつです。
ですから、それまでの慣例を変える事にはまるで抵抗はありませんでした。むしろ、今までが違っていたのだから、敢えてそれを正しい道に戻してくれたといってもいいでしょう。
リストが音楽家として成功したのもそうした考えがあったためでした。常識を常に疑っていたのかもしれません。
リストの新常識
リストはピアニストとしても改革者になりました。改革者というか、自分を最高に見せるにはどうすれば良いのかを最大限考えた人物だったのです。
リストはナルシストでした。ですから、聴衆は何を欲しているのか、自分がどうすればそれに応えられるかを絶えず意識していました。
それまで、ピアニストはできるだけ動かずにピアノを演奏する事が常識とされていましたが、リストはそれを変えたのです。
舞台にでてきてピアノの前に座り、まず手袋を外し、髪をかき上げると、やおら体を曲に合わせて大きく動かしながら演奏を始めるのでした。
その姿に、客席の婦人たちは夢中になり、中には失神する人も出る始末でした。演奏技術は最高の上に、イケメンで、ピアノの弾き方も個性的とくればなおの事、聴衆たちは夢中になるのでした。
史上初、グッズを販売
リサイタルを始めたのはリストが初めてでしたが、その他にもリストが初めて行った事もあるのです。リストは現代でいえばジャニーズのアイドルのような存在でしたから、自分に関したグッズの販売を始めたのも彼が最初なのです。
自分の似顔絵を描いたチョコレートやステッキなどの実用品もあったようです。リストは商売人としての資質も持ち合わせていました。
ほとんどの聴衆が貴族の婦人たちでしたので、我先に買う人が続出、リサイタルの収入とグッズの収入で、リストの懐は温かくなったのです。
時代の寵児
これまで見て来たように、リストは、それまでの慣例など気にせず、自分のためになる事をやり続けたのです。
リサイタルもグッズ販売も、演奏家にとってはとても理にかなったアイデアでした。ですから彼は「時代の寵児」になれたわけです。
ピアニストとしては誰にも負けないテクニックを獲得し、作曲家としても交響詩という新ジャンルを生み出します。自作の曲を自らがピアノを弾き、より効果的な方法で聴衆に披露する、そこまで完璧に成し遂げたのがリストだったのです。
まとめ
リストはリサイタルの創始者でした。ピアノという楽器を演奏し、自作の作品を如何にアピールするかを心得た人物だったようです。
己のカッコよさを知っていたナルシストでもあった事から、自身のプロデュースを上手くできたのだと思います。これが嵌まり、時代の寵児として扱われたのです。