羽ばたく蝶々

マーラーの交響曲第2番は『復活』という標題からも分かるように、「生と死」をテーマにした交響曲です。マーラーがこの交響曲を作曲し始めたのが1888年ですが、その翌年マーラーに次々と不幸が訪れます。

両親を亡くし、妹までもが同じ年に亡くなりました。この事がどれだけ『復活』に影響を与えたのかは分かりません。しかし、マーラーが人の死について考えさせられた事は事実でしょう。

この交響曲の完成までは様々な紆余曲折がありました。完成まで6年も掛かっています。交響曲の形態もかなりの大掛かりのものになりました。マーラーの交響曲第2番『復活』の楽曲紹介と名盤案内を行っていきます。

マーラーもこの交響曲には生みの苦しみがありました。
完成までに6年の歳月を掛けてしまった。出発点が間違っていたのだよ。

作曲の経緯

交響曲第2番も交響曲第1番と同じように、最初から交響曲として作曲を始めたものではありませんでした。そのため交響曲第2番の完成までには時間が掛かりました。

交響曲第2番の原点

交響曲第2番は1888年、マーラー28歳の時に作曲した交響詩『葬礼』が原点になります。マーラーはこれを出版しようとしますが、出版社が承諾せず宙に浮いた形となっていました。

そんな中、マーラーは著名な指揮者ハンス・フォン・ビューローに『葬礼』についての意見を求めるため、ビューローの前でピアノを弾き聴いてもらいます。

ビューローは「これが音楽だとしたら、私は音楽が全くわからないことになる」と完全に否定的でした。当時とすればマーラーの音楽はまだ革新的すぎたと言えるでしょう。

交響曲第2番の完成

1893年、マーラーは棚上げされていた『葬礼』を交響曲の第1楽章に用いて交響曲にする事を考えます。最終楽章には独唱と合唱を用いた形にしようと構想を描きました。ベートーヴェンの『第九』を意識した事は明らかです。

第1楽章を改訂し、第2楽章から第4楽章までは完成させましたが、最終楽章の合唱につける歌詞が中々見い出せないでいました。

そんな折、指揮者のビューローが亡くなり、ハンブルクにおける彼の葬儀に参列したマーラーは、そこでドイツの宗教詩人、フリートリヒ・ゴットリープ・クロプシュトックの作詞による賛歌『復活』を耳にします。

その歌詞に感動したマーラーはそれを交響曲第2番の最終楽章に用いる事を決断するのでした。マーラーはこの歌詞で霊感が降りてきた事を「聖なる受胎」と呼んでいます。

そして、1894年の12月に最終稿の完成を見たのです。ベートーヴェンの『第九』に匹敵するような壮大な交響曲になりました。

標題「復活」について

交響曲第2番は一般的に「復活」という標題で呼ばれていますが、これはマーラー自身が付けたものではありません。

第5楽章に賛歌「復活」が使われている事から、いつの間にかこの作品は「復活」と呼ばれるようになったのです。

歌曲集『子供の不思議な角笛』との関係

マーラーの交響曲第2番から第4番までを「角笛三部作」と呼んでいます。それは歌曲集『子供の不思議な角笛』から取られたメロディがそれぞれの交響曲に使われているためです。

「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」:交響曲第2番の3楽章に使用
「原光」:交響曲第2番の4楽章に使用
「3人の天使が歌った」:交響曲第3番の5楽章に使用
「天上の生」:交響曲第4番の4楽章に使用

「原光」「3人の天使が歌った」「天上の生」の3曲は最終的には歌曲集『子供の不思議な角笛』からは除外されています。マーラーは交響曲に歌を取り入れるために歌曲集のオーケストラ伴奏版を作曲して、いわゆるテストを行ったのです。

初演

1895年3月4日、まず声楽の入らない第1楽章から第3楽章までがマーラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演されています。

全曲初演は、1895年12月13日にマーラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団により行われました。この交響曲は大編成で、かつ、独唱、合唱が必要なため、多額の費用が必要でしたが、マーラーは個人的に借金をしてまでその費用を賄ったのです。

そんな苦労もした甲斐があって初演は大成功でした。

楽章毎の解説

ここから交響曲第2番を楽章毎に解説していきます。各楽章の最初の四角の中の言葉はマーラーが残した楽章毎の解説です。

長文もありますが、マーラーの意図した事が分かると思いますのでそのまま引用します。

第1楽章

私の第1交響曲での英雄を墓に横たえ、その生涯を曇りのない鏡で、いわば高められた位置から映すのである。同時に、この楽章は、大きな問題を表明している。すなわち、いかなる目的のために汝は生まれてきたかということである。……この解答を私は終楽章で与える。

第1楽章から25分程度も掛かる壮大な楽章です。そして扱うテーマも難しい内容となっています。

弦のトレモロの上に、低弦が荒々しい響きを奏でる事で開始されます。まるで地獄の叫びのようです。その後、ヴァイオリンの美しい響きが奏でられますが、こちらはまるで天国的な調べとなっています。

この楽章は地獄と天国が交錯しながら楽曲が進んでいくのです。マーラーにしか作曲できないようなダイナミックが大きい、聴く者をのめり込ませる音楽になっています。

マーラーの解説にあるように『交響曲第1番』「巨人」に登場した英雄の葬列の音楽です。「いかなる目的のために汝は生まれてきたか」という「生のテーマ」を題材にしています。

「生の意味付け」を問題としている楽章であり、そこには「生と死」とは何かという深い意味が問われているのです。生きる事に意味はあるのか、そして死ぬ事にも意味があるのか、その答えは終楽章で与えられます。

マーラーは第1楽章終了後、「少なくとも5分の休憩を入れること」と指示していますが、現在のコンサートでは休憩を取らない指揮者が大多数です。

第2楽章

過去の回想……英雄の過ぎ去った生涯からの純粋で汚れのない太陽の光線。

倒れた英雄のエピソードを回顧する楽章になっています。「死」と「復活」というこの交響曲の根幹部分に至るまでの、英雄の若き頃の情景の描写です。

第1楽章とは打って変わって大変穏やかな楽章であり、どことなく儚さも感じます。

演奏時間は10分程度の楽章ですが、第1楽章との対比という事を考えれば、とても重要な楽章です。

第3楽章

前の楽章の物足りないような夢から覚め、再び生活の喧噪のなかに戻ると、人生の絶え間ない流れが恐ろしさをもって君たちに迫ってくることがよくある。それは、ちょうど君たちが外部の暗いところから音楽が聴き取れなくなるような距離で眺めたときの、明るく照らされた舞踏場の踊り手たちが揺れ動くのにも似ている。人生は無感覚で君たちの前に現れ、君たちが嫌悪の叫び声を上げて起きあがることのよくある悪夢にも似ている……。

ティンパニの強打で開始され、歌曲集『子供の不思議な角笛』の「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」のメロディが奏でられます。

第2楽章とは打って変わってスケルツォの早い旋律です。「復活」自体が全体的に暗い、重いテーマの楽曲ですが、この第3楽章だけは少し異質な軽快さを持っています。

演奏時間は12分程度。第3楽章から終楽章までは途切れることなく演奏されます。

第4楽章

単純な信仰の壮快な次のような歌が聞こえてくる。私は神のようになり、神の元へと戻ってゆくであろう。

アルト独唱の68小節という大変短い楽章です。歌曲集『子供の不思議な角笛』の「原光」から取られています。

第1楽章から第3楽章までの歩みを克服した中で、人生の最後の時には神の元へ辿り着ける憧憬を歌った美しい楽章です。

終楽章への序奏の役目を持っています。

第5楽章

荒野に次のような声が響いてくる。あらゆる人生の終末はきた。……最後の審判の日が近づいている。大地は震え、墓は開き、死者が立ち上がり、行進は永久に進んでゆく。この地上の権力者もつまらぬ者も-王も乞食も-進んでゆく。偉大なる声が響いてくる。啓示のトランペットが叫ぶ。そして恐ろしい静寂のまっただ中で、地上の生活の最後のおののく姿を示すかのように、夜鶯を遠くの方で聴く。柔らかに、聖者たちと天上の者たちの合唱が次のように歌う。「復活せよ。復活せよ。汝許されるであろう。」そして、神の栄光が現れる。不思議な柔和な光がわれわれの心の奥底に透徹してくる。……すべてが黙し、幸福である。そして、見よ。そこにはなんの裁判もなく、罪ある人も正しい人も、権力も卑屈もなく、罰も報いもない。……愛の万能の感情がわれわれを至福なものへと浄化する。

30分以上も掛かる長大な最終楽章。ソプラノ独唱、アルト独唱、そして合唱が加わります。「声」は最後の10分に満を持してようやく登場する構成です。

最後の審判の日の混沌から復活による希望が語られます。

この楽章は第1楽章で示された「生きるとは何か」の答えに当たる楽章です。合唱の歌詞に「生まれ出たものは、必ず滅びる。滅びたものは、必ずよみがえる!」、そして「私は生きるために死のう!」とあります。

これがマーラーの答えなのだと思います。その日のために我々は生きているのだ、そのために死を選ぶのだという事です。最後には神の大いなる救済により、人々は永遠の命を得るのだと高らかに謳っています。

途中でバンダと呼ばれるステージ以外の演奏部隊が活躍し、実に効果的に使われています。マーラーの考える宇宙を見事に再現しているのです。

クライマックスは神の栄光を賛辞するかのようにパイプオルガンや鐘の音の響く中、壮大に終了します。

おすすめ名盤紹介

『交響曲第2番』「復活」は人気の高い作品ですから、多くの指揮者が録音しています。その中からこれはと思う名盤を紹介します。

バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(1987年)

バーンスタインしかこのような感動的な演奏はできないのではと思わせる名盤です。かなり遅めのテンポですが、全く気にならないで集中して聴く事ができます。流石はバーンスタイン。内容の濃い、充実した演奏を聴かせてくれます。マーラー振りの中では最高の指揮者だと思います。

メータ/ウィーン・フィル(1975年)

バーンスタインのマーラーはのめり込みすぎて好みではないという方向けにメータの1枚をおすすめします。1975年ですからメータ39歳の時の録音です。若きメータの気合にウィーン・フィルが見事に応えています。素晴らしい出来です。

まとめ

マーラー交響曲第2番『復活』はマーラーの交響曲の中でも作品の充実度や人気の高さにおいてハイレベルな交響曲です。また、多くの楽器を使い、独唱、合唱も入るかなり大掛かりな作品となっています。そのため、人気がありながらも演奏会にはそう掛からない交響曲です。

マーラーはベートーヴェンの『第九』を意識して、交響曲に「声」を導入しました。そして『復活』に込めたテーマも「生と死」という難題を扱っています。神による救済を「復活」という賛歌を導入して見事に描ききりました。

演奏時間が1時間半に迫ろうかという長大さにも拘らず、全てを集中して聴く事ができる特別な音楽です。マーラーの作曲家としての才能が優れている証左と言えるでしょう。

『復活』はマーラーの傑作のひとつです。これからも長く聴かれていく作品かと思います。こんな素晴らしい音楽を残してくれたマーラーには感謝の言葉しかありません。

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