内田 光子

内田光子と言えば世界的なピアニストですが、彼女が今のように脚光を浴びるまでには、とても時間が掛かりました。音楽家の人気とは、単に音楽の実力だけではない事を感じている方だと思います。彼女の経歴は華々しいものですが、実際に人気が出るのに10年以上かかりました。

現在の彼女は世界的にも唯一無二のピアニストとして、超の付くような人気ピアニストで、世界各地から引っ張りだことなりました。録音する音楽も皆が手放しで喝采するような、ハイレベルの音楽性を保っています。今やピアニスト界には無くてはならない人物になりました。

女性の年齢を公にするのは気が引けますが、1948年生まれですから、それなりの年齢になっています。外交官の親を持ち、ウィーンでの生活が長く、ピアノの勉強も全てウィーンで受けました。そんな、内田光子のピアニスト人生を見ていきたいと思います。

内田光子・略歴

1948年12月20日、静岡県熱海市生まれ。小学校在学中、桐朋学園の「子供のための音楽教室」でピアノの基礎を学ぶ。父が外交官であったため、12歳で渡欧。1961年からオーストリアのウィーン音楽院に入学。その後、ミケランジェリやケンプに師事。

一時帰国するもすぐに渡欧。1970年、ショパンコンクール第2位。1971年、ロンドンデビュー。1972年から拠点をロンドンに移す。1975年、リーズ国際ピアノ・コンクール第2位。1982年、ロンドンでのモーツァルト「ピアノ・ソナタ連続演奏会」でロンドンの批評家から絶賛される。

1984年、小澤征爾指揮のベルリン・フィル定期演奏会で演奏。それ以降、世界各地のオーケストラと協演。各地で絶賛を受け、現在に至る。レパートリーはモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトを得意としており、高い評価を受けている。

2005年、日本芸術院賞を受賞、文化功労者に選出。2009年、大英帝国勲章第2位(DBE)を授与されエリザベス女王より「デイム」の称号を授かる。2015年、高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門)を受賞。グラミー賞を2度受賞。国籍はイギリス。

内田光子・長い不遇の時代

内田光子は1970年のショパンコンクールで第2位になるも、仕事が舞い込まず、1970年代は不遇の時代を過ごしました。日本に帰って来ても、内田光子の名前を知るものは少なく、なかなかリサイタル自体も行えない状況でした。公開レッスンなどで食いつないでいたといいます。

リサイタルを開いてもチケットがさばけなくて、両親や「子供のための音楽教室」の恩師にすがるような日々だったようです。ショパンコンクール第2位入賞でも、そんな日々が続いていたなんて信じられないです。現在の内田光子からは想像が付かない話です。

本当の意味で世界的ピアニストになるまでには、1982年のロンドンでのモーツァルト「ピアノ・ソナタ連続演奏会」まで待つしかありませんでした。この連続演奏会は「ウチダの火曜日」として絶賛を浴び、一躍ピアノ界のシンデレラとなるのです。

内田光子、70歳

70歳を迎えた2018年12月に、彼女は英国の新聞ガーディアン紙のインタビューに答えて、興味深い事を語っています。

「私も歳を取ったわ」、「歳を取ることの美しさは、まるで自分が世界を手に入れたかのように、言ったり行動したりできることね」「最近、人間は永遠に生き続けると言われているけれど、それはとても興味深いことですね」「けれども、私はいつか終わりを迎えたいわ」。そして、ちょっと笑った後で、「ちゃんとした音楽を作り出せる限り、私は生きたいわね」。

内田光子、今後目指すもの

インタビューの続きです。

「これまでドイツ音楽(バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト)に力を入れてきたが、今後、レパートリーを広げる計画を持っている。特にショパン、そしてヤナーチェクを弾きたいと思っている」との事です。彼女はショパン弾きでもありましたからね。

「コンサートは年間に55回を上限としていること。100回とか140回とか、正気の沙汰ではない。私には無理」。55回という中途半端な数字はどこから出てきたのでしょうか。やっぱり、音楽家はちょっと一般の感覚とは違うのでしょうか。

「コンサートは楽しんでいる。演奏中はプレッシャーを感じることなく、音楽を聴くことさえできる。でもステージ上をピアノに向かって歩いているときは別。その瞬間は「真実の瞬間」です。」コンサートのステージに出ていく時の恐怖感をこう例えているのでしょうか。

現在の内田光子

インタビューではレパートリーを増やしたいと言っていましたが、現在の彼女が恋している作曲家はシューベルトです。シューベルトのリサイタルや録音を積極的に進めています。レコード会社やマネージメント会社の意向でモーツァルトを優先してきたそうです。

モーツァルトのソナタの全曲録音も終わり、やっと以前からやりたかったシューベルトに夢中のようです。内田光子はシューベルトへの愛と言っていますが、今後もいい仕事をしてくれそうです。歳を感じさせない、子供のような、そしておばあちゃんのような、不思議な方です。

まとめ

大家と言われている方々が、次々と引退していくピアノ界ですが、内田光子は元気です。この歳にして、レパートリーを広げたいと言っているのですから、意欲旺盛なのだと思います。タイプこそ全く違いますが、かつてのルビンシュタインのように頑張って欲しいと願ってやみません。

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