モーツァルトは物心付いてから35歳で生涯を終えるまで、音楽のためだけに生きてきたと言えます。その30余年の間にモーツァルトが成し得た事はなんなのでしょうか。
楽曲の形式を変えたわけでもなく、新たなジャンルを切り開いたわけでもありません。そういう視点ではハイドンの亜流にすぎませんが、モーツァルトは神から遣わされたような音楽をいくつも作った事が別格なのです。
そう、神に遣わされた音楽だからこそモーツァルトの音楽には存在意義が生じてきます。神はモーツァルトを選んだのです。彼は音楽的改革などを目指したわけではありません。ただ音楽を作曲するだけで十分だったのです。そんなモーツァルトの作品を見ていきます。
交響曲第39番
この作品を含め、一番最後の3曲の交響曲はモーツァルトの「三大交響曲」として有名です。これらの3曲はわずか一ヶ月半で作曲されました。これら3曲は外せません。
交響曲第39番について
モーツァルト年齢:32歳
完成年月日:1788年6月26日
初演年月日:不明
三大交響曲の最初を飾るのがこの第39番です。3曲の中で唯一序奏付きの交響曲であり、かつてはモーツァルトの「白鳥の歌」と呼ばれていました。
最後の作品ではないこの第39番がなぜそう呼ばれたのかははっきりと分かってはいませんが、オーボエの代わりにクラリネットを用いたり、この作品の美しさがそう呼ばれるきっかけになった事は想像が付くような気がします。
誤解を恐れずに書けば、この作品は3大交響曲の中で最も娯楽的な要素があるために、何度聴いてもそのたびに新たな発見がある作品だと思っています。
ある音楽学者によれば、この作品は5日ほどで完成させたそうです。モーツァルトをそこまで引き込んだ第39番は一体何のために書かれたのでしょうか。やはり演奏会のためと考えるのが自然ではないでしょうか。
交響曲第39番おすすめの1枚
オトマール・スウィトナー/シュターツカペレ・ドレスデン(1974年)
名盤と呼ばれる録音は多くありますが、私の選択はスウィトナーです。それもシュターツカペレ・ドレスデンと録音したもの。インテンポで見事なモーツァルトを聴かせてくれます。おすすめです!
交響曲第40番
モーツァルトの交響曲の中では最も有名な交響曲です。このメロディはポピュラー音楽にも使われているほど知られています。ト短調という短調の交響曲も第25番とこの作品だけです。
交響曲第40番について
モーツァルト年齢:32歳
完成年月日:1788年7月25日
初演年月日:不明
モーツァルトの中でもこの作品の持つ哀しさはそうあるわけではありません。哀しみのシンフォニーと言われる所以です。
現在でこそこの作品が最も人気のある作品ですが、19世紀半ばまでは第39番の方が人気があったそうです。何が理由でこの作品の人気に火が付いたかはわかりませんが、音楽の作りを見てみるとこの作品が必然的に人気が出るように作られていると感じます。
この作品にタイトルが付いていたら、もっと人気が出るのが早かったのではないかとも思いますが、そう都合よく行かないのが世の常です。
第40番には改訂版が存在し、改訂版にはクラリネットが入るようになっています。ということからこの作品は確実にモーツァルト生前に演奏されていると考えられています。
現在では改訂版を使う指揮者が多いようですが、原典版を使う指揮者もいます。指揮者の解釈の違いにより使われる楽譜も違ってくるのです。
他の2曲は演奏された記録が残っていないですが、第39番のところでも記述しましたが、推察するに、3曲の演奏会があったと考えるのが自然かと思います。だからこそ、この3曲はわずか1ヶ月半で作曲されたのでしょう。
交響曲第40番おすすめの1枚
レナード・バーンスタイン/ウィーン・フィル(1984年)
バーンスタインの躍動感がオーケストラに伝わって実に見事な演奏です。バーンスタインとウィーン・フィルの出会いは素晴らしいものをもたらしましたが、この録音はそれを証明する1枚でもあります。
交響曲第41番
「ジュピター」という愛称を持った作品です。聴衆はスケール感や荘厳さをこの作品から感じ取ったのでしょう。ヨハン・ペーター・ザーロモンという作曲家が名付けたという記録が残っています。モーツァルトが名付けた表題作ではありません。
交響曲第41番について
モーツァルト年齢:32歳
完成年月日:1788年8月10日
初演年月日:不明
モーツァルト最後の交響曲です。彼はこの作品完成の3年後に亡くなってしまいます。モーツァルトは交響曲の最後を飾るに相応しい作品を我々に残してくれました。
この作品を書いた時代は音楽史で言えば古典派ですが、ハイドンですら成し遂げられなかったもう一つ上の高みにある作品です。だからこそ、この作品はギリシャ・ローマ神話の最高神である「ジュピター」と命名されたのです。
当時の人々にすれば、まるで天上の音楽のように捉えていたのかもしれません。ベートーヴェンが革新的な交響曲を作曲するまではまさにこの作品が最高の交響曲だったのでしょう。
有名な逸話ですが、かのR・シュトラウスが初めてこの作品を聴いた時に「私は天国にいるかのような思いがした」と友人に手紙を書き送っています。
この作品もモーツァルトの生前に演奏されたかどうか不明となっていますが、おそらく三大交響曲の演奏会があり、そこで演奏されたと考えるのが自然の流れではないでしょうか。だからこそ、三大交響曲はわずか1ヶ月半で作曲されたのです。
交響曲第41番おすすめの1枚
カール・ベーム/ウィーン・フィル(1976年)
『ジュピター』はベーム盤を挙げましょう。堂々としていて圧巻の演奏です。やはりベームはウィーン・フィルを手中に収めていたのだと分かります。バーンスタインも悪くはないけれども、ベームの方が一枚上ですね。
ピアノ協奏曲第27番
モーツァルトはピアノ協奏曲を27曲作曲しました。そしてモーツァルトはピアノ協奏曲でも最後に傑作を残してくれたのです。
ピアノ協奏曲第27番について
モーツァルト年齢:34歳
完成年月日:1791年1月5日
初演年月日:1791年3月4日(公開演奏会ではなく私的なもの)
前作から3年間のブランクを経て完成された作品です。その頃のモーツァルトの人気の凋落は酷いもので、作品の依頼などはなくなっていた時期でした。
それでも彼は仲間内の演奏会のためにこの作品を完成させます。ウィーンの聴衆を考えて作ったのではなく、全くのプライベートな作曲だったのです。モーツァルトが人前で演奏した最後でもありました。
彼はこの11ヶ月後にこの世を去るのです。その事実を我々は知っているため、どうしてもこの作品に彼の諦観などを求めてしまいますが、本人は決してそのような事を思って作曲したわけではないでしょう。
しかし、この作品は以前のピアノ協奏曲とは一線を画すべき内容です。モーツァルトの心情の変化、天国的な美しさ、孤独の悲哀など言葉では言い表せません。胸に迫ってくるピアノ協奏曲です。
ピアノ協奏曲第27番おすすめの1枚
ロベール・カサドシュ(P)、ジョージ・セル/クリーブランド管弦楽団(1962年)
カサドシュが淡々としたモーツァルトを聴かせてくれます。この素っ気無い感じが良い味わいをだしているのです。セルのサポートも充実しています。
ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」
モーツァルトは5曲のヴァイオリン協奏曲を残しています。彼が19歳のときです。集中して5曲を作曲したあとはヴァイオリン協奏曲を作曲していません。
ヴァイオリン協奏曲第5番について
モーツァルト年齢:19歳
完成年月日:1775年12月20日
初演年月日:不明
ヴァイオリン協奏曲は1777年に5曲全てが作曲されています。6番、7番とありますが、これは明らかに偽作と判明しており、モーツァルト作曲のヴァイオリン協奏曲は5曲だけです。
この5曲のヴァイオリン協奏曲は全てザルツブルグで作曲された事から「ザルツブルグ協奏曲」とも呼ばれたりしています。
ヴァイオリンソナタは晩年まで作曲が続きましたが、なぜヴァイオリン協奏曲はわずか1年だけで作られた5曲だけなのでしょうか。
それはモーツァルトがこの第5番で全てを成し遂げたと感じたからではないでしょうか。前期の協奏曲よりも格段に進歩したそのスタイルはモーツァルトを満足させたと思われます。
また、ウィーンでフリーランサーになったモーツァルトにはヴァイオリン協奏曲の依頼はなかったからとも言えるでしょう。収入にならない仕事はしなかったのだと考えられます。
因みに「トルコ風」というあだ名は終楽章のメヌエットの中間部にトルコ風の旋律とリズムを持つ楽想が登場するからです。
ヴァイオリン協奏曲の第3番から第5番までの作品はモーツァルトの若さが感じられる名曲です。特にこの第5番は抜きん出ています。
ヴァイオリン協奏曲第5番おすすめの1枚
アンネ=ゾフィー・ムター(Vn)、カラヤン/ベルリン・フィル
グリュミオーのものが名盤とされていますが、今回はムターのデビュー盤を挙げます。この録音が世に出た時の衝撃は今でも忘れられません。ムターの若さが決してマイナスになっていません。カラヤンのサポートも見事です。
ピアノソナタ第15(16)番K.545
ピアノソナタからは第15番K.545を挙げました。新全集では16番となっています。誰でも知っていますが、難しい作品です。ピアノを習ったことがある方ならこの作品を弾いたことがあるのではないでしょうか。
ピアノソナタ第15(16)番K.545について
モーツァルト年齢:32歳
完成年月日:1788年6月26日
初演年月日:演奏会のためのソナタではなかった
このK.545には「初心者のための小ピアノソナタ」とモーツァルト自身が作品目録に記しています。この日、1788年6月26日には4つの作品が記入されており、この作品以外にも交響曲第39番も記入されているのです。
肝心なところは「初心者のための」と記入してあるところです。弟子のためなのか、あるいはアルバイトで生徒にでも教えたのか、気になるところです。生前には楽譜は出版されませんでしたから、演奏会用として作曲したわけでないことは確かなようです。
この時期のモーツァルトは仕事がなくて友人に借金をしまくっていたほどですから、呑気に弟子のための作品を書いている場合ではないでしょう。本当のところは今となってはわかりません。
「初心者のための」とモーツァルトが書いたからと言って甘く見るのは間違っています。ピアノ初心者の練習用にこの作品が選ばれることはありますが、だからといってこの作品が簡単とは言い切れません。
ピアニストのギーゼキングは「モーツァルトのピアノ曲は、正しく演奏しようと思ったら、これほど易しく、しかもこれほどむつかしい音楽はない」と語っています。
この作品にもこの言葉が当てはまります。プロがこの作品をプログラムに入れるのは聴衆へのサービスのためではありません。この作品が無駄のない透明な輝きとデリケートな美しさに溢れているからです。
プロはこの作品を易しいなどと思ってはいません。モーツァルトの音楽はどれもが難しいのです。
ピアノソナタ第15(16)番K.545おすすめの1枚
内田光子(P)(1983年)
内田光子のモーツァルトのソナタ全集は1989年のグラモフォン誌のレコード・オブ・ジ・イヤー賞を受賞しています。早いものでもう30年以上も経過しているのですね。この有名な作品も内田の情感がこもった演奏です。
弦楽四重奏曲第19番「不協和音」
ハイドンの影響を受けて作曲された「ハイドン・セット」6曲の最後の作品です。モーツァルトの弦楽四重奏曲の中で屈指の名曲として知られています。
弦楽四重奏曲第19番「不協和音」について
モーツァルト年齢:29歳
完成年月日:1785年1月14日
初演年月日:1785年2月12日(自宅でハイドンのために演奏)
まず、「ハイドン・セット」の由来から始めましょう。ハイドンの『ロシア四重奏曲集』(6曲)に刺激を受けたモーツァルトは弦楽四重奏曲の作曲に没頭します。己の弦楽四重奏曲の知識を総動員し、2年の歳月をかけ完成させたのがこの「ハイドン・セット」6曲です。
この6曲をハイドンに献呈したためにこれら6曲を「ハイドン・セット」と呼びます。いずれも名曲揃いですが、中でも最後の第19番は弦楽四重奏曲に革命をもたらすほどの傑作となりました。
次に「不協和音」という愛称の由来ですが、これは第1楽章の序奏部22小節が当時としてはありえない和音進行をしているためです。常識を覆すような革新的な試みでした。この事から「不協和音」と呼ばれるようになったのです。
この作品を聴いた音楽の専門家ですら、この冒頭部分を批判したそうです。我々が「斬新な現代音楽」を理解できないのと同じで、当時の聴衆には理解されなかったのでしょう。
不気味にさえ感じる冒頭の22小節が終わると、それまでの雰囲気とは全く違う明るい第1主題が奏でられます。モーツァルトにとってはこの感覚が必要だったのです。混沌から抜け出した時の素敵な感覚、この対比を欲したのだと思います。
「ハイドン・セット」はモーツァルトにしては珍しく推敲が重ねられた痕跡があるそうです。筆の早いモーツァルトが2年も掛けた事もハイドンに対して、余程の対抗心を燃やした証ではないでしょうか。
ハイドンの『ロシア四重奏曲集』を超えてみせる、そんな思いがあったからこそこれだけの質の高い弦楽四重奏曲が生まれたと思います。
弦楽四重奏曲第19番「不協和音」おすすめの1枚
アルバン・ベルク四重奏団(1977年)
アルバン・ベルク四重奏団の旧盤です。新盤と比べてこちらの方がよりモーツァルトらしさがでています。定番の1枚と言って良いでしょう。「不協和音」に限らずアルバン・ベルク四重奏団の「ハイドン・セット」はどれもが素晴らしいです。
クラリネット五重奏曲
モーツァルトが友人のクラリネット奏者アントン・シュタードラーのために作曲しました。クラリネットと弦楽四重奏により演奏される五重奏曲です。
クラリネット五重奏曲について
モーツァルト年齢:33歳
完成年月日:1789年9月29日
初演年月日:1789年12月22日
クラリネットはモーツァルトの時代でもまだ珍しい楽器でした。モーツァルトが初めてクラリネットを聴いたのは13歳の時といいますから、1769年頃から一般的になり始めたようです。
作曲にも使うようになったのはどの作品が初めてなのかはっきりしませんが、『交響曲第31番』(1778年)にはクラリネットが使われています。
この作品に話を戻すと、ウィーン宮廷楽団のクラリネット奏者だったシュタードラーはかなりの名手で、特注で作らせたバセットクラリネットを好んでいたようです。そのため、『クラリネット五重奏曲』も元々はバセットクラリネット用に作られました。
しかし、当時バセットクラリネットを使う音楽家はシュタードラーひとり。そのために、通常のクラリネット用の編曲版も作られています。現在、我々が聴いているのはこちらの方ですね。
この編曲版がいつ作られたのか、モーツァルト自身が編曲したのかなどの詳細は自筆譜が残っていないため、謎のままのようです。
何れにせよ、クラリネット独特の優しい音色が心に響く名曲であることは代わりがありません。
クラリネット五重奏曲おすすめの1枚
カール・ライスター(Cl)、ベルリン・ゾリステン(1988年)
ライスターの名人芸が味わえます。ライスターは何度かこの作品を録音していますが、どれもがライスターの生真面目さが特徴的です。そこをどう取るかによって好き嫌いがでてくる1枚かもしれません。
歌劇『魔笛』
モーツァルトの歌劇の中でも最も人気の高い物は『魔笛』でしょう。音楽は勿論ですが、見ていて面白いですし、初心者でも楽しめる事が人気の秘密なのかもしれません。
歌劇『魔笛』について
モーツァルト年齢:35歳
完成年月日:1791年9月28日
初演年月日:1791年9月30日
モーツァルトの友人であり、旅芸人一座の座長でもあったシカネーダーは、モーツァルトの窮乏を見かね、大作を依頼します。それがこの『魔笛』です。
オペラでなくジングシュピールと言われる事もありますが、それは全て歌で表現されるわけではなく、肉声の台詞が入るためです。モーツァルトの他の作品では、『後宮からの逃走』などもジングシュピールになります。
『魔笛』はモーツァルトの最後のオペラになりました。モーツァルトのオペラは『フィガロの結婚』、『ドン・ジョバンニ』などの傑作がありますが、この『魔笛』こそ上演回数や集客数でも1位となる最高の傑作と呼ぶに相応しいものではないでしょうか。
シカネーダーの台本という事もあり、一般大衆向けの肩肘張らない気軽に楽しめるものであり、内容はおとぎ話です。そこにモーツァルトが音楽を付けたのですから人気が出るのも当然です。
モーツァルトはこの作品の完成後2ヶ月半後に亡くなってしまいます。これを作曲している時期も無理を押して作曲していたのでしょう。
亡くなる直前までベッドの中で『魔笛』公演の事を心配していたと言います。音楽のために生きた人物だったのですね。
歌劇『魔笛』おすすめの1枚
カール・ベーム/ベルリン・フィル(他)(1964年)
オペラにしてベーム/BPOという異色の取り合わせですが、ここでのベルリン・フィルは立派な演奏をしています。合唱団も悪くないですが、ブンダーリヒ以外の独唱のメンバーが弱いかもしれませんね。
レクイエム
モーツァルト最後の作品です。K.626。モーツァルトはこの作品を完成させる事はできませんでした。息を引き取る寸前までこの作品の事を話していたと言われています。
レクイエムについて
モーツァルト年齢:35歳
完成年月日:未完
初演年月日:1791年12月10日(彼のためのミサで完成部分のみ)
レクイエムが彼の最後の作品になるとは運命の悪戯としか言いようがありません。しかも、神は彼がこの作品を仕上げるまで待ってはくれませんでした。
残念なのはこの作品が未完にも関わらず、補筆完成された事です。未完ならそのままで手を加えないでほしかったと思うのは多くの方の意見ではないでしょうか。
モーツァルトが完成させたのは全14曲ある中の最初の1曲のみで、2曲目、3曲目はほぼ完成、他は4から10曲目までは主要部分のみが残されました。有名な第8曲目の「涙の日」8小節までで終わっています。
第11曲目から第14曲目までは全く手を付けられていないままでした。
モーツァルトが弟子のジュースマイヤーに残りの部分の完成イメージを詳細に伝え、『レクイエム』はジュースマイヤーによって補筆完成されたのです。
モーツァルトの意志が反映されたものですが、果たしてこれをモーツァルトの『レクイエム』として扱っていいものか、ここは意見の分かれるところでしょう。見事な出来栄えだから余計にその事が頭をよぎります。
どうして完成にこだわったのか
この作品には依頼人がいました。完成させれば結構割の良い金額を得られるため、モーツァルトの妻のコンスタンツェはなんとしてでも完成させたかったのです。
この頃のモーツァルト家は借金をしまくっていて、家計は火の車でした。子供も2人いて日々の生活費にも困っているような状況だったのです。
妻のコンスタンツェはお金のためにモーツァルトの弟子のジュースマイヤーに急いで完成させるように指示し、彼が残りの部分の補完を行い、作品は完成をみます。
完成後の楽譜は直ぐに依頼人のもとに渡り、コンスタンツェは残りのお金を得る事ができました。未完なら未完のままにしておくべき音楽家の作品を妻のコンスタンツェはお金のために無理やり手を入れさせたのです。
このあたりが音楽家三大悪妻と言われる理由です。夫の仕事の意味を全く理解していませんでした。いくらモーツァルトが生前、弟子のジュースマイヤーに指示をしていたからといってもやってはいけないことをしてしまったのです。
芸術作品は未完なら未完のままにしておくべきであり、その後他人が手を入れるなどもってのほかと言えます。でも、もう今更どうしようもありません。
『レクイエム』の依頼人
話は前後しますが、『レクイエム』の依頼についても興味ある話ですので、ここで纏めておきたいと思います。
全身黒ずくめの依頼人が夜中にこっそりと『レクイエム』の作曲依頼にやってきます。かなりの報酬で前金として半額を置いていきました。モーツァルトは死神が自分のための『レクイエム』を依頼に来たと思いこんでしまうのです。
彼はこうも言います。くれぐれも誰にも知られないよう内密にと。良くできた話ですが、ここまでは本当の話です。モーツァルトが死神と思い込んだかまでは分かりかねますが…。
この依頼人の正体、そしてその後ろにいた黒幕の正体も今でははっきりしています。
依頼人の名は、フランツ・アントン・ライトゲープ。彼はフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵という人物の知人でした。
このヴァルゼック伯爵が黒幕であり、ライトゲープを通じてモーツァルトに作曲を依頼したのです。彼は様々な作曲家に作品を依頼し、それを写譜し、あたかも自分が作った作品として金儲けをしていた詐欺師でした。
モーツァルトもゴーストライターとして利用されたのです。ヴァルゼック伯爵は自分の妻が亡くなり、そのミサのために『レクイエム』を依頼したのでした。
黒幕の依頼人のその後
ジュースマイヤーによって完成された『レクイエム』はライトゲープが受け取り、最終的にヴァルゼック伯爵の手に渡ります。この時点でモーツァルトの妻のコンスタンツェに残りの作曲料が支払われました。
伯爵は自分の作品として、1793年12月14日に教会で自身が指揮をして演奏します。しかし、コンスタンツェは写譜を持っていたため、モーツァルト作としてこの作品を出版したのです。
勿論、伯爵は抗議しましたが、この作品はモーツァルトが作曲したという事実を知っている人物が多かった事などから引き下がるしかありませんでした。伯爵の目論見は成就しなかったのです。
ジュースマイヤー版考察
モーツァルトの弟子であったジュースマイヤーによってこの作品は完成しましたが、ジュースマイヤー補筆版に対しての評価は現在でも分かれています。
モーツァルト本人から様々な指示を受けたジュースマイヤーが、作曲家の意志を継いでよくぞ完成したという専門家もいますが、それに批判する立場の専門家もいるのです。
そのため、様々な人物による改訂版が出版されています。バイヤー版、モーンダー版、レヴィン版、ランドン版などが有名です。モーツァルト研究が進めば進むほど新しい版が出てくるかもしれません。
レクイエムおすすめの1枚
カール・ベーム/ウィーン・フィル(他)(1971年)
カラヤン盤と迷いましたが、ベームの重厚長大の方を挙げます。ベームの録音の中でも1、2位を争うような名盤かと思います。遅めのテンポがベームらしいです。カラヤン盤を含め、現在ではこういった物は好まれなくなったようです。
まとめ
モーツァルトの聴くべき作品を見てきました。彼の残したジャンルは一通り見回すことができたと思っています。そこで感じた事は非常に異質な作曲家であったという事です。
どのジャンルでもその当時最高の音楽を残しています。モーツァルトの人間性を我々は知っていますから、そのギャップに戸惑いを隠せません。
才能に恵まれ、好き勝手に生き、さっさと天に登っていきました。残した音楽は神から授けてもらったものから、デビルにそそのかされたような音楽まで、多種多様、変幻自在。天才とは彼のような人物のためにある言葉なのだと思います。