
モーツァルトの晩年には傑作が多く残されました。交響曲も例外ではなく『交響曲第39番』『交響曲第40番』『交響曲第41番』はモーツァルトの3大交響曲と呼ばれています。
特筆すべきはこれら3曲の交響曲がわずか1ヶ月半で作曲されたという事です。何が彼を突き動かし、歴史に残る傑作をごく僅かな時間で書き上げる事ができたのか、クラシック音楽ファンとして非常に興味をそそられるところです。
『第40番』『第41番』の2曲はモーツァルトの生前に演奏されたらしいという事は分かってきました。しかし、それ以上の事はよく分かっていません。今回は3大交響曲が作曲された訳を探ってみたいと思います。


3大交響曲についての手掛かり
なぜ、これら3つの交響曲を作曲しなければなかったのかを、ひとつずつチェックしていきましょう。
3大交響曲は短期間に作曲
驚く事にモーツァルト3大交響曲は僅か1ヶ月半で作曲されました。そんな短期間で書き上げねばならない理由はなぜだったのでしょうか。この当時のモーツァルトは借金まみれでアパートも安アパートに越していたような状況でした。
急いだ理由があるはずです。依頼者からの催促とか演奏会が間近だったからなどの理由が無ければ、そんなに急ぐ必要もなかったのではないかと考えるのが自然です。
作品の依頼者はいるのか
残念ながらこれら3曲の依頼者を確定するような資料は何も発見されていません。作品の依頼者もいないのに急いで3曲を書かねばならない理由は何だったのでしょうか。
この当時のモーツァルトはウィーンでの人気が衰えており、作品の依頼者は驚くほど少なくなっていました。楽譜出版社からの新作依頼も減っていた時代でした。
楽譜出版のために作曲したのか
彼は『弦楽五重奏曲ハ短調』K.406、『ハ長調』K.515、『ト短調』K.516 の3曲をセットにした楽譜の予約を募集する広告を何度か新聞に出しています。
その後、「予約者がいまだに大変少ないので、私の3曲の五重奏曲の出版は1789年の1月1日まで延期せざるを得なくなりました」という広告を出さざるを得ない位、モーツァルトのウィーンでの人気は落ち込んでいたのでした。
この事実はモーツァルトにとっては屈辱だった事でしょう。そして自分のウィーンでの立場を再確認できたのだろうと思います。
演奏会のために作曲したのか
楽譜出版で稼げないと知ったモーツァルトは演奏会を計画したに違いありません。依頼もない、出版もダメとなると、音楽家が出来る事は演奏会を開く事しかありません。その日のお金にも困るような状況でしたから、消去法として演奏会を開いたのではないかと思われます。
これが3曲同時だったのか、別々だったのかはよく分かっていません。ただし、様々な人物の手紙を分析していくと、1788年以降も演奏された事が想像されます。
『第40番』は改訂版が残っています。演奏会を開かなかったらそんな改訂版など必要なかったはずです。という事は1788年に『第40番』が演奏された事は確かなようです。


3大交響曲の生まれた訳
どうやら3大交響曲は演奏会のために作曲された事実が大きく前進してきました。ある程度まとまった金額が欲しかったモーツァルトは演奏会を開くしか道はなかったのです。
交響曲を選んだ理由
3大交響曲は演奏会を開くために作曲された事はどうやら間違いなさそうです。何で交響曲かという問いにはハイドンの存在が大きかったという答えが導き出されます。
当時のモーツァルトはウィーンでは落ち目な作曲家でした。尊敬しているハイドンがイギリスで成功している訳は、彼が交響曲作曲家だからという事が頭をよぎったに違いないでしょう。ハイドンの交響曲の人気は当然モーツァルトの耳にも入っていたでしょうから。
交響曲が人気なら自分も交響曲で儲けてやると思ったに違いありません。それまでのモーツァルトはピアノ協奏曲を売りにしていましたが、ウィーンの人が驚くような交響曲を作曲してやるとの思いがあったと想像できます。
3曲は同じ演奏会で演奏された
1788年に予約演奏会があった事は確かなようですが、何を演奏したかについては不明です。『第40番』の改訂版の記録以外、分かっていません。『第40番』だけはこの予約演奏会で演奏されたらしいと類推できるだけです。
しかし、僅か1ヶ月半の間に『第40番』を含む3曲もの交響曲を作曲した事は、『第40番』だけを演奏するつもりは無くて、3曲を聴いて貰おうと考えたからだと想像できます。
とにかくお金が欲しかったこの時期、儲けられそうな楽曲で予約演奏会を開いたに違いないでしょう。1788年の秋に3大交響曲の予約演奏会を開催するため、急いで3曲を作曲したーーこれが私の結論です。
『第39番』はモーツァルトの生前に演奏される事はなかったという主張もありますが、それにも根拠はありません。記録がない、イコール、そんな事実はなかったとするのは、この3曲の交響曲を急いで作曲した意味を理解していない人々の主張です。


3曲の並び順
3曲のうち『第39番』だけは序奏が付いています。これにもきっと意味があるはずです。3曲セットとして見てみると、この序奏が3曲の始まりだという事が分かる並びにしてあるのです。
次に短調の『第40番』が来て、最後には壮大な『第41番』で終わるという、3曲でワンセットになっていると考える事が出来ます。モーツァルトにはそんな狙いもあったのではないでしょうか。
1曲ごとに傑作なのに、3曲の流れまでも計算しつくされている、そこまで考えて3曲を作曲したというならば、やはりモーツァルトは天才と言わざるを得ません。
まとめ
モーツァルト3大交響曲の作曲された訳を考えてきました。私の推理はどうだったでしょうか。事実がどうあれ、この3曲は名曲に違いはありません。どんなに短期間で作曲されようが、中身がしっかりしていれば、何の問題もありません。
しかし、たまには音楽史の謎を考えながら、名曲を味わうのも粋なものです。答えは闇の中に隠れてしまって誰にも分かりません。自分なりの推理も音楽史のいい勉強にもなります。