辻井伸行は世界中から注目を集める盲目のピアニストです。2009年6月、アメリカで開催された、若手ピアニストの登竜門として知られる「ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で日本人として初の優勝を果たします。辻井伸行が全盲のピアニストであったため、このニュースは全世界を驚愕させました。

幼い時から、ピアノを弾くのが楽しくてしょうがなかったこの20歳の青年は、全盲というハンデを乗り越え、国際的なコンクールに優勝したのです。この快挙を誰が想像できたでしょうか。課題曲は難曲ばかり。その中には、現代音楽も入っていました。

辻井伸行には暗い影などまるで存在しません。本当にピアノが大好きで、人を喜ばせるために弾いている、そう感じさせるだけです。どのようにして、天性のピアニスト、辻井伸行の才能が伸び、国際的なピアニストにまで成長したかを探ってみたいと思います。

辻井伸行の略歴

辻井伸行
1988年9月13日東京生まれ。父は産婦人科医、母は元アナウンサー。1995年(7歳)で全日本盲学生音楽コンクール器楽部門ピアノの部第1位受賞。1998年(10歳)、三枝成彰スペシャルコンサートで本名徹次指揮、大阪センチュリー交響楽団と協演し喝采を得ます。

プロデビューは2007年12月。CDをリリースし、日本ツアー開始。そして、翌年1月、史上最年少のサントリーホールデビューを果たします。ショパン・コンクールを経験し、2009年6月、第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール優勝。

優勝後は各国の主要オーケストラに招かれ協演。また、各地でリサイタルを開き、好評を得ています。テクニックにも優れており、感情表現も豊かで、今後の日本ピアノ界をリードする存在です。マスコミにも注目され、NHK大河ドラマのエンディングを弾くなど活躍しています。

辻井伸行の原点

母親が幼い頃のエピソードを語っています。

幼い頃から、ブーニンが弾く『英雄ポロネーズ』が大好きで、他の人のCDだと機嫌が悪くなりました。また、2歳3ヶ月でおもちゃのピアノを与えたら、自分(母)の鼻歌を空で覚え、突然演奏したのです。すぐに30曲ほど弾きこなすようになりました。

両親は、伸行の耳の良さに気付き、先生に指導して貰うようになります。決して、両親が無理やり連れて行ったわけではなく、伸行自身がやりたかった事だったからそうしたようです。その当時から、自分の演奏を聴いてもらう事の喜びを知っていたようだとも語っています。

全盲というハンデをもって生まれた伸行に、どれだけ両親は悲しんだ事でしょう。察するに余りあります。でも、普通に育てる、やりたい事をやらせてあげるという決意の元、伸行を育ててきたといいます。ピアノだけではなく、水泳やスキーなども反対しなかったようです。

結果として、それらの事が才能を伸ばす要因になったようです。やりたいことにストップをかけない、そして、大自然などの本物に触れさせることが、音楽の幅を広げることに繋がっていきました。ご両親の信念のある育て方が、やがて音楽の世界で実を結ぶようになるのです。

辻井伸行の音楽

辻井伸行の弾くリストの『ラ・カンパネラ』の映像がYouTubeで見られます。必見の映像です。ピアニストとしてこの難しい楽曲と対峙している姿が見られます。

この難曲を、面白いように軽々と弾いている事が驚異的です。凄いテクニックを持つピアニストでありながら、決して機械的な音色ではなく温かみを感じます。

人々はなぜ、辻井伸行の演奏に心が惹かれるのでしょうか。彼のピアノの音色なのだと思います。心に一直線に伝わる、感動的な音色!それにファンは心を惹かれるのです。曲の心を一つ一つ大事に取り出し、心に染みいる音楽にしています。

辻井伸行というピアニストから滲み出る情熱や熱意、また優しさや不安さなど、様々な感情を彼の音楽の中に見い出せるから、聴衆は彼の音楽に涙するのです。

彼の演奏の評価が高いのは、人間・辻井伸行の音楽が聴こえてくるからでしょう。リストやショパンなどの作曲家を通して、彼の音楽が顔を覗かせます。全く素晴らしいピアニストです。

著名なピアニストであり指揮者のアシュケナージは彼のピアノ演奏を絶賛しています。今後の活躍に期待したいと思わせるピアニストです。

まとめ

彼はまだまだ若いピアニストです。これからどんな成長をしていくのか、とても楽しみな存在でもあります。

今でも、こんなにレベルの高い演奏を聴かせてくれているのですから、もっと年齢を重ねて行けば、どんな大物になる事やら、大いに楽しみです。

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