1曲だけで音楽史に残った作曲家

世の中にはとても有名なクラシックの音楽がたくさん存在しています。しかし、モーツァルトやベートーヴェンのように、名曲が次々と出てくるような作曲家ばかりではありません。1曲だけが非常に有名なのにその他の作品は全く知られていない作曲家が結構存在しています。

芸人でも一世を風靡したのに最近は全く姿を見なくなった人が数多くいるのと同じで、クラシック作曲家の世界も同じ事が起きています。作曲されてから1世紀以上経っているのに、その1曲だけが大衆の中で生き続けている音楽はちょっと考えただけでも10数曲は思い付きます。

今回は、「1曲だけで音楽史に残った作曲家」のランキングを作成してみました。楽曲の有名さと作曲家の知名度の低さのコントラストがより面白さを引き立てます。聴いた事がある楽曲だけど、作曲者の名を教えられても知らないという人が多い事でしょう。

ランキングの基準

  1. 楽曲が有名である事
  2. 作曲者の知名度の低さ

2つのランキング基準の差が大きければ大きいほど上位にランキングします!

第10位:ジュール・マスネ『瞑想曲』

名前:Jules Emile Frédéric Massenet
生誕、死没年:1842年5月12日~1912年8月13日
国籍:フランス

マスネはオペラ作曲家としてよく知られ、その作品は19世紀末から20世紀初頭にかけて大変人気がありました。この『瞑想曲』はオペラ『タイス』の第2幕第1場と第2場の間の間奏曲です。ほとんどの音楽が忘れ去られましたが、優雅なこの楽曲だけは残りました。

今では『瞑想曲』と言えば誰しもタイスの『瞑想曲』を思い描きます。マスネという作曲者の名前は知らなくても、タイスというオペラ名も残ったわけです。バイオリン独奏とオーケストラで演奏されるこの楽曲は癒しの音楽として、後世まで残る事でしょう。

第9位:アラム・ハチャトゥリアン『剣の舞』

名前:Aram Il’ich Khachaturian
生誕、死没年:1903年5月24日~1978年5月1日
国籍:ソ連

バレエ『ガイーヌ』の最終幕で用いられる楽曲です。ハチャトゥリアンは交響曲を始めとして、様々な音楽を作曲しましたが、最も有名になったのはバレエ曲『ガイーヌ』だけでした。しかも、『剣の舞』だけが大ヒットとなり、ハチャトゥリアンとしては複雑な心境だったようです。

バレエ『ガイーヌ』の当初構想には剣を舞うシーンは無く、初演前日にシーンを加える話がまとまり、『剣の舞』はハチャトゥリアンが徹夜で書き上げた作品でした。本番直前に追加された楽曲だけに光が当たり、当の作曲家としては何とも言えないものがあった事でしょう。

第8位:ヨハン・パッヘルベル『カノン』

名前:Johann Pachelbel
生誕、死没年:1653年9月1日(受洗日)~1706年3月9日(埋葬日)
国籍:ドイツ

正式名称は『3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ』。第1楽章の『カノン』だけが非常に有名になり、クラシック音楽だけでなく様々な編曲をされて、ポピュラー音楽でも使われる事も多い楽曲です。また、瞑想や癒し系の音楽として取り上げられる事もあります。

パッヘルベルはバロック音楽中期を代表する作曲家とされており、生涯で200曲以上の楽曲を作曲しましたが、現在まで知られているのはこの『カノン』だけです。カノンとは、主声部の奏でたフレーズを第二声部、第三声部がなどが模倣しながら進んでいく対位法的なものを指します。

第7位:シャルル・グノー『アヴェ・マリア』

名前:Charles François Gounod
生誕、死没年:1818年6月17日~1893年10月18日
国籍:フランス

シューベルトやカッチーニの作品と並んで「世界三大アヴェ・マリア」と呼ばれています。ただし、伴奏部分はバッハの『平均律クラヴィーア曲集第1巻』~第1番プレリュードを流用しています。そのバッハの伴奏にアヴェ・マリアの歌詞を付けて、旋律だけグノーが付けました。

主旋律だけはグノーの作ですが、伴奏はほとんどバッハの丸パクリです。現在では著作権の問題があってこんな事は出来ないでしょうが、そんな法律もない時代の話ですから許されたわけです。グノーも歌劇から交響曲まで様々なジャンルの楽曲を作曲しましたが、この1曲だけが残りました。

第6位:ルイジ・ボッケリーニ『メヌエット』

名前:Ridolfo Luigi Boccherini
生誕、死没年:1743年2月19日 – 1805年5月28日
国籍:イタリア

『弦楽五重奏曲ホ長調』第3楽章がこの『メヌエット』であり、この楽曲だけが有名になりました。ボッケリーニは交響曲や室内楽曲を多数作曲していますが、自身がチェロ奏者でもあった事から弦楽五重奏曲などは100曲以上作曲しました。その中で唯一残ったのが『メヌエット』でした。

この弦楽五重奏曲は通常の弦楽四重奏曲にもう1本チェロを加えた変則の弦楽五重奏です。この楽曲は作曲されて1世紀後に突然フランスで人気になりました。現在ではピアノ曲にも編曲され、ピアノ学習者のための練習曲としても親しまれています。

第5位:トマゾ・アルビノーニ『アダージョ』

名前:Tomaso Albinoni
生誕、死没年:1671年6月8日~1751年1月17日
国籍:イタリア

アルビノーニのアダージョは、バロック期の作曲家トマゾ・アルビノーニの作品として、20世紀に発表された楽曲です。しかし、現在では偽物と言われています。この曲を発表したのは、レモ・ジャゾットというアルビノーニ研究の第一人者で作品目録を作った人物です。

ジャゾットは亡くなる数年前に「私は、アルビノーニを忘却の淵から救いたかった。アルビノーニが書いた音楽を実際に聴けば、彼への関心が高まるだろうと思い、この曲を作りました。」と告白しています。しかし、偽物とはいえ、傑作である事から現在でもこの曲は演奏されているのです。

第4位:レオン・イェッセル『おもちゃの兵隊の行進』

名前:Leon Jessel
生誕、死没年:1871年1月22日~1942年1月4日
国籍:ドイツ

オペレッタの作曲家として有名な作曲家でした。オペレッタ『シュヴァルツヴァルトの娘』は最大の成功作で、1917年にベルリンのコーミッシェ・オーパーで初演された後、10年の間におよそ6000回もの公演を重ねたと言われています。しかし、現在では忘れられた作曲家となりました。

唯一残っているのが『おもちゃの兵隊の行進』で、日本では「キューピー3分クッキング」のテーマソングとして一躍有名になりました。彼の名は知らなくても、この楽曲を聴けば、誰もがキューピーのあの曲だと理解する事でしょう。こんな形で歴史に残るのもあるのですね。

第3位:フランソワ=ジョセフ・ゴセック『ガヴォット』

名前:François-Joseph Gossec
生誕、死没年:1734年1月17日~1829年2月16日
国籍:ベルギー

ゴセックは交響曲の大家で30曲近くの交響曲を残しましたが、現在では全く忘れ去られた作曲家です。唯一残った楽曲が『ガヴォット』です。この作品はゴセックが作曲したオペラ『ロジーヌ』の中の旋律をもとにしたヴァイオリンと管弦楽のための曲で、とても愛らしい楽曲です。

ゴセックの名前は聞いたことがなくても、この作品の冒頭のメロディーは誰もが聞いた事のある音楽でしょう。元々はヴァイオリンと管弦楽のために作曲された楽曲でしたが、今日では様々な楽器で演奏されます。ピアノ編曲版を挙げておきました。

第2位:ヴィットーリオ・モンティ『チャルダッシュ』

名前:Vittorio Monti
生誕、死没年:1868年1月6日~1922年6月20日
国籍:イタリア

マンドリン独奏のために書かれた作品『チャルダッシュ』以外、知られていない作曲家です。元々マンドリン独奏のための楽曲でしたが、ヴァイオリン独奏やピアノ独奏の楽曲としても編曲されています。今ではヴァイオリン独奏曲として最も知られるようになりました。

『チャルダッシュ』とはハンガリーに起源を持つ音楽ジャンルの名前で、モンティの『チャルダッシュ』はこれをベースにしています。『チャルダッシュ』の名前が付いた作品は多数作曲されてきましたが、日本ではモンティの作品が一番有名になっています。

第1位:テクラ・バダジェフスカ『乙女の祈り』

名前:Tekla Bądarzewska-Baranowska
生誕、死没年:1834年/1838年~1861年9月29日
国籍:ポーランド

テクラ・バダジェフスカはポーランドの女性作曲家です。彼女に関する資料は第2次世界大戦でほとんど失われ、現在では『乙女の祈り』以外は知られていません。この楽曲自体、芸術的評価は余り得ていない作品ですが、親しみやすい音楽で様々な国の人々に愛されている作品です。

『乙女の祈り』は明治時代に日本に持ち込まれ、ピアノ奏者に良く知られる曲となりました。日本でも人気は高く、ピアノ練習曲として使われるほかにも、様々な駅の電車のホームドアの開閉音でも使われています。今でもピアノ学習者が弾きたい曲の上位にランクされます。

まとめ

1曲だけで音楽史に残った作曲家の作品を見てきました。本当に楽曲だけが有名で作曲家の名前など知らない作品のオンパレードだったと思います。それでも、全く忘れ去られた作曲家も多い中で、1曲だけでも音楽史に残れば大したものです。作曲家全てが偉大ではありませんから。

こういった小品が残っていくのも音楽史上大切な事で、練習曲やアンコールピースなどで使う事が出来ます。全ての作曲家がベートーヴェンやバッハにはなれないのですから、楽曲が残っただけでも彼らは墓の下で喜んでいる事でしょう。

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