荘厳な建物に飾られたピアノ

ヨハン・セバスチャン・バッハはバロック期の偉大な作曲家ですが、ピアノ曲は1曲も作曲していません。有名なピアニストたちがよく演奏しているではないかと反論があるかもしれませんが本当の事なのです。

ピアノはバッハが生きていた時代にようやく発明され、バッハ50歳の時に実際に試奏した事が分かっています。しかし、バッハはピアノのタッチが自分には合わないとして新しい楽器に興味を示しませんでした。

ですから、ピアノのための作品は作曲していないのです。バッハの時代の鍵盤楽器といえばチェンバロやオルガンが主流でしたから、現在ピアノで演奏されている作品は殆どがチェンバロの作品となります。

現在でもチェンバロは存在するにもかかわらず、なぜチェンバロではなくピアノを使って演奏するのでしょうか。その事の是非について考えてみたいと思います。

バッハは結局ピアノの作品は残しませんでした。
バッハの時代にはピアノはまだ楽器としては発展途上だったからね。

バッハの頃の鍵盤楽器

バッハの頃の鍵盤楽器といえばチェンバロ、オルガンが主流でした。当時の鍵盤楽器はクラヴィーアといい、バッハはクラヴィーア曲集などをチェンバロで作曲していたのです。

チェンバロは弦を爪で引っ掻き音を出す仕組みのため音の強弱の調整ができません。そもそもチェンバロはある音量しか出せないのです。

そのため改良された楽器も登場します。強音と弱音のためのそれぞれの弦を用意し、弱音も弾けるようにしたのです。このタイプのチェンバロは鍵盤が2段になっています。

今でこそピアノが発達し、作曲家はピアニッシモからフォルテッシモまで楽譜に書き、ピアニストはその作品が弾けるようになっていますが、バッハの時代はせいぜいフォルテとピアノの2つしか引き分けられませんでした。

オルガンも同じです。音の強弱が着けられないため、パイプの数を増やし、チェンバロのように鍵盤を重ねて強弱を作り出してはいますが、基本メゾ・フォルテとかピアニッシモなどは出す事ができません。

ピアノの簡単な歴史

ピアノが発明されたのは1709年と言われています。しかし、メディチ家の1700年の資産目録にはピアノが載っており、それ以前の発明品だった事も考えられますが、はっきりした事は分かっていません。

何れにしても、実用的なピアノは18世紀前半に出現し、次第に音楽家たちの間で広まっていったようです。

ハンマーで弦を叩くという発想でできているピアノは鍵盤のタッチによってハンマーの強弱が変化し、音の強弱や音色が変わったりします。この事を音楽家たちは評価し始めたのです。

バッハにとっては時代的にまだまだピアノという楽器の良さが伝わらず、次第に改良されるにつれ次の時代の作曲家には受け入れられるようになっていきます。

古典派の時代に移ると、ハイドンは途中からチェンバロを止めてピアノ派に転向し、ピアノの楽曲を作るようになりました。

大人になってからのモーツァルトも最先端のピアノという楽器を積極的に取り入れてます。ベートーヴェンは逸早くピアノを取り入れ、メーカーに対して改良点の指摘までもする立場でした。

18世紀中盤以降の作曲家はピアノの良さを理解し、これを取り入れるのです。ピアノの性能はベートーヴェンの時代になってようやく6オクターブの鍵盤になり、ペダルも現在のように足で操作するようになりました。

本当の意味でピアノが実用化され音楽家たちの満足できる楽器になったのは19世紀に入ってからです。

バッハ作品はチェンバロで演奏すべきなのか

バッハの鍵盤楽器の作品の多くはチェンバロ、オルガンで作曲されました。チェンバロは現在でも存在する楽器ですから、本当にバッハの目指した音楽を再現したいと思ったならチェンバロを使って演奏すべきと考えるのは自然ではないでしょうか。

バッハはバロック期という音楽時代区分で括られます。バロック期の音楽はバロック期の演奏で再現することがベターと思う人も多くいる事でしょう。

実際、古楽器演奏者達はバッハの時代に演奏されていた音楽の再現に力を注いで、チェンバロを使った演奏を行っています。

では、チェンバロで作曲された音楽はチェンバロでしか演奏してはいけないのでしょうか。あくまでもオリジナルに拘る人にとってはこれが正論であり、他の選択肢はありえないと思います。

しかし、ピアノの性能の進化に伴い、チェンバロの作品をピアノで演奏する事に妙味を感じる人達がいるのも事実です。ここが大切なところで、この点についての需要がどれだけあるかが関係してきます。

鍵盤楽器というとピアノが当たり前になった現在において、そのピアノを用いて演奏する事でバッハの音楽世界が広がるのならば、これもひとつの選択肢となりえるのではないでしょうか。

バッハ・オリジナルに拘るなら、チェンバロで演奏する事が当然なのでしょうか?
ピアノが音楽の基本となった現在においては、バッハもピアノで演奏する事も選択肢のひとつと考えてもいいのかもしれないな。

バッハ作品をピアノで演奏する理由

ピアノは楽器の王様と呼ばれるほど進歩を遂げました。新たな解釈を施し、この進歩した楽器を使って演奏したいという音楽家がでてきても可笑しくはありません。

バッハが考えていたにもかかわらずチェンバロでは表現できなかったものがあり、その部分を補完した上で新たな音楽として演奏する事は肯定されるべきと考えます。

ピアノの性能が途轍もなく上がったため、これを使わない手はないと思う音楽家がでてきても不思議ではありません。

バッハの音楽に共感を覚える人物は多いと思います。この時バッハはこういった気持ちで楽譜にこの音符を書いたはずだと考える音楽家にとって、今だったらそれを表現できると思う部分もあるでしょう。

バッハの音楽には魅力がありすぎて、放っておけないと思う音楽家が如何に多くなったかという事も関係があると思います。

もうひとつの問題はそれぞれの区分の様式です。バロック期には決まった様式があります。古典派の様式でバロック音楽を演奏しても、不思議な音楽になってしまうでしょう。

バロック音楽を理解した上で、バロック以降の様式を意識的に組み合わせて演奏する事ができないと意味がありません。

バッハの音楽性を追求し、バロック期の様式も分かった上で自分の解釈なりテクニックを用いて、バッハでは表現できなかった音楽を新たに作り上げる、そこまで行く事ができれば聴衆は喝采を送ってくれるでしょう。

バロック期のバッハを演奏するならばチェンバロで演奏するしかありません。

しかし、時代を超えて違う区分の音楽を演奏するという事は、当時の様式を理解しつつ、そこに新たな時代の音楽要素を加えて新解釈の音楽を作り上げる事かと思います。

バッハをピアノで演奏する理由もその辺りにあるのではないでしょうか。

音楽は絶えず進化している

バッハに限らず、モーツァルトやベートーヴェンの時代と、現在の楽器は違っています。弦楽器はモダン楽器に変わっていますし、管楽器も材質が変わったり、形も違ってきました。

弦楽器の弓の形も放物線の形からM字型になっています。どれもこれも、そうした方がより良い音が出るからです。

良い音や響きを得るために楽器が変化していき、音楽を提供するホールまで現代科学が駆使され、残響が多めで豊かな響きのクラシック音楽専用ホールに変わってきました。

音楽そのものも、それを取り巻く環境も、かつての作曲家が経験した事がないものに置き換わっているのです。

ベートーヴェンの頃のオーケストラはせいぜい40人程度でしたが、現在では100人もの演奏者が同時に演奏するのですから、そこで繰り広げられる演奏自体も変化しています。

2000人という昔では想像できない多くの聴衆のために音楽は変わらねばなりませんでした。しかし、ベートーヴェンは古典派の作曲家ですから、古典派の様式を保ちながら100人のオーケストラでも感動できる音楽が展開されているのです。

音楽は絶えず進化しています。バッハをピアノで演奏する事もモーツァルトやベートーヴェンを100人のオーケストラで演奏する事も時代の要請なのです。

音楽やそれを取り巻く環境も時代とともに進化しているのですから、それに合わせた演奏法も認められるという事ですね。
ただし、バロック期という時代区分に則った演奏を心がけなければいけないのは基本中の基本になる。

バッハの主要な鍵盤作品

これからは現在ではピアノで演奏されているバッハの主要な作品を紹介していきます。どれもが名曲として名高い作品です。

バッハの鍵盤楽器では最低限聴いておかねばならない作品だと思います。ピアノ版とチェンバロ版の両方とも聴いておきたいものです。

平均律クラヴィーア曲集

第1巻と第2巻があり、それぞれ24の全ての調による前奏曲とフーガで構成されています。

指揮者のハンス・フォン・ビューローは、この曲集を音楽の旧約聖書と称し絶賛しました。因みに音楽の新約聖書はベートーヴェンのピアノソナタです。

ピアノ学習者にとっては現在でも重要な曲集となっています。

ゴールドベルク変奏曲

バッハ自身による表題は「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」といいます。

20世紀初頭までほとんど演奏されない作品でしたが、ワンダ・ランドフスカがモダンチェンバロで録音した事とグレン・グールドが1956年にリリースしたアルバムでこの作品が広まりました。

6つのパルティータ

『平均律クラヴィーア曲集第2巻』や『ゴルトベルク変奏曲』などと並んでクラヴィーア組曲の最高峰とされます。

第6番まであり、後年これらを纏め『クラヴィーア練習曲集第1巻』として出版しました。

イギリス組曲

全部で6つの組曲から構成されます。タイトルの由来は「ある高貴なイギリス人のために書かれた」ためとされていますが、これも何処まで信じていいのか分かっていません。

バッハの組曲は様々ありますが、組曲の初期の作品です。

フランス組曲

『フランス組曲』はバッハが名付けたわけではありません。バッハは単に『組曲』としか名付けませんでしたが、楽曲の構成が明らかにフランス風である事から後にこう呼ばれるようになりました。

全部で6つの組曲から構成されていますが、『イギリス組曲』よりもシンプルでフランス的です。

イタリア協奏曲

協奏曲となっていますが、バッハはチェンバロ独奏用の音楽として作曲しました。原題は『イタリア趣味によるコンチェルト』といいます。

2段鍵盤のチェンバロを演奏する事を前提に作曲されました。つまり、強音と弱音を使って協奏曲風にアレンジしているのです。

半音階的幻想曲とフーガ

タイトルからも分かるように、幻想曲とフーガから出来上がっています。この作品はバッハが活躍していた時代から人気がありました。

バッハが弟子たちのレッスンに使った事が分かっています。ベートーヴェンもこの作品をよく研究したようです。

まとめ

バッハの鍵盤楽器をピアノで演奏する意味を考えてきました。300年前の音楽をピアノで演奏する事も音楽の聴き方が変わった現在では受け入れられて当然なのではないかと思います。

バッハ作品はクラシック音楽にとって非常に重要な作品を残している作曲家です。クラシック音楽に興味を持つ人達にとって聴いておかねばならない作曲者といえます。

そのバッハを理解する上でも、楽器の王様であるピアノで演奏する事は歴史的必然性なのかもしれません。

ピアノ学習者にとってもバッハの音楽を学ぶ事で多くの利点が生まれるでしょう。豊かな音楽性を生み出すためにもバッハの音楽に触れる事は大切です。

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