20世紀の偉大なるピアニストとして知られるルドルフ・ゼルキンが亡くなって数十年の時が流れました。今でも彼の愛くるしい笑顔は忘れられません。その類まれなピアニストとしての才能だけでなく、その人柄からもたくさんの人々に愛されたピアニストでした。
1989年に発売されたビデオ『OZAWA』を知っている方も多いかと思います。指揮者・小澤征爾のあるひと夏のドキュメント・ビデオでしたが、その中にゼルキンも出演していました。タングルウッド音楽祭での演奏会の為の、べートーヴェン『ピアノ協奏曲第2番』の練習風景でした。
小澤とゼルキンがまるで親子のように気が合っていて、見ていて微笑ましく思ったのも随分昔の話です。私が彼の演奏を聴いた時には既にそれなりの年齢で、本当に気さくなおじいさんといったピアニストでした。その人柄が伝わってくるような優しく、暖かい演奏をしていました。
ルドルフ・ゼルキンとは
子どもの頃から神童振りを発揮し、コンクールなど無い時代に自身の力で世界的ピアニストになった人物です。昔は音楽の作り方も独特で、今以上にピアニスト個々の演奏スタイルがはっきりしていて、ルービンシュタインやホロヴィッツとは性格の違いがはっきりしたピアニストでした。
ルドルフ・ゼルキンは練習の虫だった
ホロヴィッツは練習嫌いで有名でしたが、ルドルフ・ゼルキンはとにかく練習魔でした。高名な音楽家になっても、演奏会に出演する日でも早朝から練習をしていました。始めは、遅いスピードでスケール練習から始めます。何時間も何時間も飽きる事なくそれをひたすら繰り返すのです。
その練習を聞いている人は、初め誰もそれが偉大なるクラシック音楽家ゼルキンだとは気付きません。何故ならまるで下手くそなピアニストに聞えるからです。そして何時間も経って、ようやくフル・スピードに辿り着く頃、聴いている人はルドルフ・ゼルキンの存在を知る事になるのです。
彼の独特な練習法をもう一つ紹介します。会場のピアノが良いとは限らないからと、家にわざわざ劣悪な状態のピアノを置いていました。そしてボロのピアノを前にして何時間も練習していたそうです。自分の技術を過信する事なく、常に聴衆のために努力を続ける素晴らしい音楽家でした。
ルドルフ・ゼルキンが生み出す音
改めてゼルキンの演奏を聴きなおしてみると、実に端正な音です。どこにも破綻がない整った音。何の装飾も施さない、原音とも言うべき音たちが、ピアノから直接に届けられてくような音。ゼルキンの音に物足りなさすら感じてしまうのかもしれません。それ程澄み切った音なのです。
研ぎ澄まされた音色
例えば『月光』の第1楽章でさえ、切ない哀しみが伝わってきます。哀しみが深まるほどに、ピアノの音が研ぎ澄まされていきます。髪を振り乱し、苦悶の表情を浮かべる姿など見えません。まるでピアノの一部になったように、淡々とクールに演奏している機械のようなピアニストです。
音楽と感情が盛り上がれば上がるほど、作曲家の哀しみが伝わってきます。気が付くと、ピアニストは透明になっています。ゼルキンは、そんなピアニストを目指していたのではないのでしょうか。楽曲の解釈において、他の人よりもより吟味し、毎日練習を繰り返していたのでしょうね。
一流も憧れる音色
ホロヴィッツがインタビューで「もしあなたがホロヴィッツでなければ、どんなピアニストになりたいか」と質問を受けた時、彼は一瞬の間を置く事もなくルドルフ・ゼルキンと答えたそうです。
ホロヴィッツ程の知名度と、一流の技術を持つピアニストでさえ、ゼルキンのようなピアノの音を羨んでいたのですね。そういう話を聞くと、ゼルキンは全く素晴らしいピアニストだった事が良く分かります。素人とかプロとか関係なく、本当に全ての人を魅了する20世紀の巨匠でした。
本番前の練習法
彼の本番前の練習方法は独特で、その日に弾く曲を、総て通して弾くのですが、そのテンポが半端なくスローなのです。まるでスローモーションの映画を観ている様に、ゆっくりとちょっと聴いただけでは「たどたどしい」とすら思えます。
しかし、よく聴いていると、細部に亘ってアーティキュレーションをひとつ、またひとつと細部まで確かめる様にしながら、しっかりとそれを潜在意識に送り込む様にゆっくり、ゆっくり、いつもの練習と同じ様にただひたすらに反復練習を繰り返すのです。
ルドルフ・ゼルキンという音楽家
ルドルフ・ゼルキンの本番は何時でもそうなのですが、演奏が始まって暫くは極めて慎重で、どちらかと云うと、冷めていると言った方が良いぐらいなのです。それが、曲が進行するに連れてじわり、じわりと熱気を帯び始めます。
初めは、自分で自分を必死に抑えている様なのですが、テンションが上がって来ると、その押さえが段々と効かなくなって来ます。体の動きにも変化が現れ始め、彼は頭を前後に揺らし、唸り出し、ペダルを踏む足にも力が籠って、バタン、バタンと賑やかになるのです。
聴いている方も、彼と一緒に興奮して来るからそんな事は誰一人、一向に気にしません。そして遂に、噴火が始まるのです。それは、休火山だったものが、内部に秘めたエネルギーが熱くたぎってどんどん膨らみ、ついには活火山となって噴火を始めるのと同じような感じです。
バーンスタインのように正真正銘ライブの音楽家でした。ルドルフ・ゼルキンというピアニストの魅力は録音で全てを知る事はできません。演奏に完墜を期するあまり、とても慎重で、理性の重しが外れる事は決してないのです。だからこそ生で聴けなくなってしまったのが残念でなりません。
ルドルフ・ゼルキンの人柄
これからの話は、ルドルフ・ゼルキンの日本でのマネージャー「佐藤正治氏」の語った事柄です。実に良く、彼の人柄が分かる内容なのでここに載せておきます。人としての魅力も知ってこそ、ルドルフ・ゼルキンというピアニストを本当の意味で理解する事できると思います。
ルディーの教え
ルディーとはルドルフ・ゼルキンの愛称です。待ち合わせ場所にはいつも約束の10分前に現れます。VIPの食事の誘いには、ピアノの練習を理由に断わり、インタビューの申し込みに対しては「そのページをどうか若い音楽家に使ってください」と言って辞退します。
世俗的な事に無頓着で、音楽に奉仕する謙虚な精神に溢れていた一方で、テレビ収録用に選んだモーツァルトの『ピアノ協奏曲第23番』の第2楽章が時間の都合で放送されない事が判ると、別の作品に変更するという、ピアニストとしての反骨精神の持ち主でもありました。
優しさに溢れた音楽家
1979年にベートーヴェンの『皇帝』をNHK交響楽団と演奏した際のルドルフ・ゼルキン氏は終演後舞台から戻って来た楽員全員に握手を求めました。20世紀を代表する巨匠と呼ばれている音楽家がそんな事をするなんて、本来であればありえないような光景だと思います。
アメリカの「マールボロ音楽祭」を主宰して若手音楽家の育成に熱心だったルドルフ・ゼルキンは、大都市よりも小さな町で演奏経験を重ねることの重要性を若い音楽家に説き続けていました。
後世に残る心
愛称ルディーの教えを受けた音楽家は今世界各地で活躍しています。偉大な音楽家、そして稀代のピアニストと知られた、ルドルフ・ゼルキンは1991年に亡くなりましたが、音楽家という天職に感謝する気持ちを生涯持ち続けてその使命を全うした素晴らしい芸術家でした。
ニューヨークで出会ったルドルフ・ゼルキンのマネージャーから「日本のことは、あなたが一番良く知っているのだから、あなたが決めたお金で契約書にサインします」と言われたことがあるそうです。彼の人柄は周囲の人間をもおのずと温和にさせたのでしょうか。
これらの話は、ルドルフ・ゼルキンの人柄をよく知っているより近くの人物の話ですので、本当に穏やかで、心温かな人だったのでしょうね。
ルドルフ・ゼルキンの名盤
「演奏は2度と同じものはありません。だから一人のアーティストによる同じ曲の録音でも、複数のレコードが発売されていて良いと思います。」と語っていたように、同じ曲を何度も録音し直すこだわりを持った20世紀を代表するピアニストがルドルフ・ゼルキンでした。
ドイツ系の音楽の巨匠
- ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ『第29番』『第30番』『第31番』
- ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ『月光』『熱情』
- モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番(指揮:クラウディオ・アバド)
- ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集(指揮:小澤征爾)
- ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集(指揮:クーベリック)
- ブラームス:ピアノ協奏曲全集&シューマン:ピアノ協奏曲(指揮:ユージン・オーマンディ)
- シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番、第21番、第15番「レリーク」&即興曲
- 75歳記念カーネギー・ホール・ライヴ
- バッハ:管弦楽組曲(全4曲)、ブランデンブルク協奏曲(全6曲)(パブロ・カザルス指揮)
まだまだ多くの名盤がありますが、ゼルキン自身、録音にそれ程積極的ではありませんでした。ライヴこそが本当の音楽家の行うべき事と思っていた節があります。しかし、これだけ長くピアニストでいると、録音の数も結構な数に上ります。
ルドルフ・ゼルキン【コンプリートアルバム】
ルドルフ・ゼルキン/コンプリート・コロンビア・アルバム・コレクション(75CD)
※公開時点の価格です。価格が変更されている場合もありますので商品販売サイトでご確認ください。
ルドルフ・ゼルキン自体は巨匠でしたが、昔の録音が多かったので、廃盤になっていたものも多かったはずです。それが蘇ったのですから、ファンにとっては本当に溜まりません。娩年の音質の良い録音も入っています。ルドルフ・ゼルキンの集大成です。
まとめ
ルドルフ・ゼルキンは確かに巨匠でしたが、ホロヴィッツやルービンシュタインのような派手さもなく、実に端正な学者のような人でした。実際にカーティス音楽院の先生でもあったわけで、その辺は教育者としての才能も高かったといえます。
演奏が終わった後の嬉しそうな顔は今でも忘れられません。彼の人柄が出ていて、それも私の好きな理由の一つでした。こういったピアニストはこれから出てこないかもしれません。その演奏に立ち会えて私は幸運でした。ぜひ21世紀のクラシックファンにも抑えて欲しいピアニストです。