類い稀な才能で現代においてもその名を轟かせ、クラシック音楽界の歴史を語る上で欠かす事のできない偉大な3人の作曲家がいます。クラシック界では名を馳せた3人ですが、プライベートでは地獄を味わってしまったこの3人の作曲家をご存知でしょうか?
抜群の感性を持った芸術家でしたが、生涯のパートナー(妻)を見出す才能には全く恵まれませんでした。悪妻によって人生を狂わされた偉大なる作曲家、ハイドン・モーツァルト・チャイコフスキーの3人と、そのやばい悪妻を紹介します。
悪妻とは
どのような人を悪妻と呼ぶかは個々人によって違ってくると思います。そこで、まずは悪妻の定義を確認していきたいと思います。様々な情報から、悪妻と呼ばれる人には以下の5つの特徴が複数ある事がわかりましたのでご覧ください。
1.金銭感覚が全くない
専業主婦のお仕事は多岐に渡ります。衣・食・住を取りまとめる役割を持ち、一家の金銭事情をしっかり把握し、生活を成り立たせる技術のある人が良妻と呼ばれます。しかし悪妻は家庭の事情など気にする事なく自分の欲望のままに散財をしてしまいます。
2.ギャンブル依存症
金銭感覚と非常に近い話ですが、ギャンブルへの依存で家庭を崩壊させてしまうような人も悪妻の典型のようです。金銭感覚がない以上に、借金などのリスクも付きまとう非常に危険な特徴です。
3.激情家で無神経
やたら嫉妬深く、わめき散らす女性や、逆に夫に対して余りにも無神経すぎる女性は悪妻と呼ばれる可能性が非常に高いです。夫の仕事についても興味がなく、家事も適当、つまり共同生活を送るのに適していない人を指します。
4.攻撃的で危険
夫に対して暴言を吐いたり、やたら強制的に家事などをさせたり、暴力を振るう女性も当然悪妻と呼ばれます。このような特徴を持つ女性が最も「悪妻」と言うイメージに近いのかもしれません。
5.浮気を繰り返す
浮気をする女性は当然妻の鏡とは呼べませんが、夫にばれているのに平然と浮気を繰り返すぐらいのレベルの女性こそ悪妻と呼ばれるようです。結局は自分自身の欲望に忠実で、夫や家庭を省みない女性を「悪妻」と呼ぶのでしょう。
ハイドンと悪妻
ウィーン古典派三大巨匠の一人に数えられるオーストリアの作曲家、ハイドン。数多くの交響曲、弦楽四重奏曲を作曲し、交響曲の父、弦楽四重奏曲の父とも呼ばれています。しかし皮肉な事に家庭では尊敬される父にはなれず、悪妻に翻弄された人生でした。
クラシック音楽界最強の悪妻
ハイドンの妻であるマリア・アンナ・アロイジア・ケラーはクラシック界の歴史にその名が残るほどの悪妻でした。怒りっぽく、やきもちやき、家事はやらないなど、偉大な作曲家の妻としては本当にひどかった記述が残っています。
無教養で夫の仕事には全く理解がなく、理解を示そうともせず、ハイドンが書いた楽譜を破いて野菜を包んだり、ケーキの台紙にしたり、料理の包み紙に使ったりと、彼女の悪妻っぷりが垣間見えるエピソードにはきりがありません。
彼女にとって夫とは「お金を稼いでくる従僕」にすぎなかったようです。ハイドンは「人生最大の失敗は結婚だった」と語り、愛など一切なく、ベッドを共にする事もなかった二人の間には、当然子どもが誕生する事はありませんでした。
ハイドンとマリアのその後
ハイドンは悪妻マリアに対し、愛などと呼べるものは完全に無くしてしまうわけですが、彼女と離婚をする事はありませんでした。「就職活動に影響するから」と夫婦生活を続けつつ、不倫の道に走ってしまったようです。
妻マリアはハイドンの死を望んでいたという説もあります。彼女はハイドンが死んだ後に住む家をハイドンにおねだりするなど、その考え方の異常性が止まることを知りません。しかしハイドンの方がマリアよりも長生きしたのでマリアの思惑通りの結果にはなりませんでした。
モーツァルトと悪妻
ハイドンと同じく、ウィーン古典派三大巨匠の一人であるモーツァルト。クラシック音楽の歴史に名を残す天才ですが、本人の変人ぷりが影響してなのでしょう!妻はクラシック界の三大悪妻に数えられるほどクレイジーな女性です。幸か不幸かそのおかげで生まれた名曲もあるようです。
モーツァルトを狂わせた金の亡者
クラシック界の三大悪妻だけでなく、全ジャンルから選出される「世界三大悪妻」にも名を連ねる、クイーンオブ悪妻!それがモーツァルトの妻コンスタンツェです!!世界三大悪妻はコンスタンツェを含み、ソクラテスの妻クサンティッペ、レフ・トルストイの妻のソフィア・アンドレエヴナです。
このコンスタンツェ、家事は苦手、家計のやりくりは下手、虚弱体質、浮気性といった一般的に悪妻という言葉からイメージする短所は全て持ち合わせた悪妻界の天才だったようです。妻の浪費癖のおかげでモーツァルトはいつも曲を作って必死にお金を稼ぐ毎日を送っていました。
必死に頑張るモーツァルトでしたが、彼女の浪費する金額には到底及ばず、かなりの借金もしていたようです。モーツァルトの最晩年、暖房費に事欠く2人は互いに抱き合って暖を取ったという、一見美談ですが本当の事情を知るとまったくクレイジーなエピソードに感じてしまいます。
悪妻のおかげで名曲が続々!!
代表作である「3大交響曲」はモーツァルトがお金を稼ぐためにわずか3週間で書き挙げたと言う逸話があるほど!クラシックファンなら感謝すらしなくてはならない最悪で最高の妻だったようです!他にもモーツァルトはお金のために、依頼される曲は断らずに作曲し続けました。
モーツァルト自身もギャンブルが好きで、悪妻と共に遊び歩いていた自由人でした。浪費家夫婦のお財布事情は当然ひどく、年中お金に困た生活を送っていたようです。音楽の才能意外はモーツァルトとコンスタンツェは非常に似た性質を持った夫婦だったのかもしれません。
モーツァルトはコンスタンツェを愛していました。誰と浮気しようが、浪費しようが全て許し、愛おしく思っていました。円満な夫婦生活ではなかったようですが、悪妻だからこそ、モーツァルトという類まれな才能を持つ人間と寄り添い、人生を共にする事ができたのかもしれません。
チャイコフスキーと悪妻
世界三大コンクールの一つにその名前が冠される、クラシック音楽界の偉大な作曲家です。バレエやオペラなど、様々なジャンルで素晴らしい楽曲が存在し、現在でも広く愛されています。心優しい人間性を持った音楽家としても有名で、だからこそ悪妻を受け入れてしまったようです。
ヒステリックな悪妻
チャイコフスキーが37歳の時、ものすごい情熱としぶとさで、彼に求婚した女性がいました。当時28歳だったアントニナ・イワノヴナ・ミリュコーワ、後に三大悪妻として知られる危険な女性です。チャイコフスキーにとってこの女性との出会いこそ生涯で一番の不運だった事でしょう。
チャイコフスキーは、自分に熱烈な求婚レターを送り続る彼女を、はじめは煙ったく思って断り続けていました。しかしヒステリックな性質を持つ彼女に”結婚しなければ自殺する”と告げられ、チャイコフスキーの優しい性格が災いし、彼女と結婚する選択をしてしまいます。
そこに「愛」は一切ありませんでした。それもそのはず!チャイコフスキーは同性愛者であったとされているからです。そのため結婚前には”僕は女性を好きになったこともないし、愛せない”と告げ、アントニナから了解を得て、結婚を了承したとされています。
ふたりの結婚の結末
アントニナはハイドンの奥さんのように激情家で無神経な女性でした。そして結婚前の約束なんてなかったかのようにゲイであるチャイコフスキーに性的な関係を迫り、彼を困らせます。チャイコフスキーはこの悪妻のせいでノイローゼになり、挙げ句の果てには自殺未遂を起こします。
命の危険すらあったチャイコフスキーは彼女の元を逃げるように出て行き、ふたりの結婚生活は、わずか二ヶ月半で破綻してしまいました。協議離婚は成立せず、籍も抜けないままチャイコフスキーは「妻」である彼女に生涯、仕送りをし続けなければなりませんでした。
彼女はその後も、私生児を産んでは孤児院に入れたり、精神を病んでチャイコフスキーに復縁を迫ったり、度重なる金銭の要求があったようです。チャイコフスキーの弟が記した兄の伝記の中では彼女を「とち狂った間抜け」と記載している事からも、生涯溝が埋まる事はなかったようです。
まとめ
クラシック音楽界三大悪妻をみてきましたが、危険な3人の女性のエピソードはいかがだったでしょうか。歴史に名を残す芸術家の人生を狂わせたやばい女たち。その悪妻ぶりのおかげで素晴らしい作品を生み出せた者、自殺未遂を測った者などその影響は様々でした。
教科書にも乗るような偉大なる作曲家たちのプライベートを見てみると、彼らが生み出した作品も少し違って聴こえます。今後もクラシック音楽界の偉人の様々なプライベート情報をまとめていくのでお楽しみに!!