「世界三大子守歌」とはモーツァルト(フリース)、シューベルト、ブラームスの三人が作曲した子守歌をいいます。三曲とも有名な楽曲ですので、実際にこれらの子守歌であやされながら大きくなった方々も多い事でしょう。
それぞれに子供を慈しむ母親の気持ちが歌われています。三曲とも素敵な楽曲ですが、あなたはどれが一番胸に響いてくるでしょうか。これがいいとひとつ選べないのも三曲の出来が素晴らしいからです。
しかし、調べていくうちにモーツァルトとシューベルトの子守歌には思いもかけぬ事実が分かりました。「世界三大子守歌」をひとつずつ解説していきます。
モーツァルト(フリース)の子守歌
この作品は長らくモーツァルト作曲と信じられてきました。モーツァルト研究家のケッヘルでさえそう思っていたので、K.350とケッヘル番号まで付けられていました。
モーツァルト作品ではない?
モーツァルトの作品として長い間歌われてきましたが、実はモーツァルト作品ではなかった事が研究者たちの調査で分かりました。
この子守歌がモーツァルト作品ではないと分かったのは20世紀の始めで、ドイツの研究家がハンブルクの図書館で発見した18世紀後半の歌集にこの作品の記述があった事がきっかけでした。
詳しく調べると、この子守歌はベルリンのベルハント・フリースという人物が、F・W・ゴッターの詞に作曲して1796年に発表をした作品だという事が判明したのです。
なぜこの作品がモーツァルト作として伝わってきたのか、様々な推論はありますが、不明です。モーツァルトの作品目録からも1964年の第6稿改訂版からは削除されました。
フリースは医者でアマチュアの作曲家と言われています。その人物が作曲した作品がモーツァルトの作品集の中にどうして紛れ込んだのか謎のままですが、今後も解明には至らないでしょう。
しかし、100年以上も『モーツァルトの子守歌』として歌われてきた子守歌だけに、急にフリース作品と言われても誰も納得しません。それで、現在のような「モーツァルト(フリース)」という中途半端な表記の仕方になっているのです。
フリース作曲でもない可能性
今までフリースの作曲だと説明してきましたが、最近の研究ではフリースではなくフリードリッヒ・フライシュマン説の可能性もあるとの事です。
フライシュマンはモーツァルトとほぼ同時期に活躍した作曲家で、彼もモーツァルト同様、若くして亡くなっています(32歳)。
地道なモーツァルト研究で今後作曲者が明らかになるかどうかは神のみぞ知る状況のようです。
モーツァルト(フリース)の子守歌、楽曲について
フリースが作曲した作品と分かっていても気品溢れる子守歌で名曲となっています。モーツァルトの作品と言われたらみんな信じてしまうのも仕方がないほどの完成度です。
いかにもモーツァルトが作りそうな曲風なのもモーツァルト作とされた理由のひとつなのでしょう。
原曲はドイツ語ですが、我が子に対する思いが詰められています。どの国の母親でも子に対する思いは変わらないのですね。
モーツァルト(フリース)の子守歌、訳詞の素晴らしさ
もうひとつ、触れておかないといけないのが、堀内敬三の日本語訳の素晴らしさです。
この作品が日本に広まった大きな要素は、勿論モーツァルト作品である事(実際は違いましたが)の他に、堀内敬三の詩の良さが挙げられます。
堀内敬三は原詩を活かしながら、言葉を少なくして子守歌らしくゆったりとした感じを出しました。言葉選びも的確です。現在、日本語で歌われる場合にはほとんどが堀内敬三の訳詞で歌われています。
シューベルトの子守歌
1816年、シューベルト19歳の作品です。子守歌というタイトルですが、調べるとこの歌は単純な子守歌ではないことが分かりました。
シューベルトの子守歌は単なる子守歌ではない?
誰の原詩なのか不明ですが、歌詞に注目すると、第1番は普通の子守歌ですが、第2番から「えっ」と思う言葉が登場してきます。日本語訳(意訳)はこんな感じです。
母の手で揺られながら
優しき眠りへ 穏やかなまどろみへ
母のゆりかごの中で
今も母の腕に護られながら
すべての望みも すべての持ち物も
愛おしく抱きしめ とっておこう
愛の調べに包まれて
一本の百合と 一本の薔薇
眠りの後のご褒美よ
最も気になる言葉が2番の「眠れ 眠れ 心地よい墓の中で」です。どうして子守歌に墓がでてくるのか、「眠れ 心地よい墓の中で」とは穏やかではありません。
続く言葉も「すべての望みも すべての持ち物も」「とっておこう」とあります。素直にこの詩を受け取れば、亡くなった子供の思い出のものを全て取っておくと言っているのです。
千葉大学法経学部の山科高康教授は千葉大学『経済研究第12巻第4号』(1998年3月)論説「墓と百合と薔薇」の中でこの事を指摘しています。
子守歌に「墓」が出てくる異常さと第3番の「百合」と「薔薇」はキリスト教的に「神の恩寵の証」と考えられ、元々、この楽曲は亡くなった子へのレクイエムのようなものではないかと推論されました。
シューベルトの子守歌が「幼くして亡くなった子を思う母の歌」だったとは驚きです。しかし、子を思う母の優しい気持ちが伝わってくる素晴らしい楽曲には違いありません。
シューベルトの子守歌の訳詞
現在、日本語で歌われる際に使われている訳詞は内藤濯(ないとうあらう)のものです。第2番、第3番の原詩にあるネガティブな言葉は使っておらず、純粋な子守歌となっています。
美しい日本語を使った愛すべき訳詞です。シューベルトの音楽と相まって、穏やかな気持にさせてくれます。
ブラームスの子守歌
ブラームスの子守歌は友人に第2子が誕生した事をお祝いして作ったものです。ですから、「世界三大子守歌」の中では本当の意味での子守歌と言えます。
ブラームスの子守歌、楽曲について
この作品は1868年7月にブラームスが指導していた女声合唱団の団員で友人のベルタ・ファーバーが次男を出産した事をお祝いするために作曲されました。
ドイツの民謡詩集「子どもの魔法の角笛」の中から詩を選び、それに曲を付けたものです。同年中に『5つの歌曲』作品49として出版され、「子守歌」は人気になりました。
最初は第1節しかなく、2回繰り返しで歌われていましたが、1874年にゲオルク・シェラーの民謡集から採った第2節が追加され、現在のようになっています。そうは言っても、我々日本人はほぼ日本語訳でしか聴かないでしょう…。
ブラームスの子守歌の訳詞
モーツァルト(フリース)の子守歌の訳者、堀内敬三のものが最も有名でしょうか。前の2曲と違って、ブラームスの場合、これという決定版はありません。
堀内敬三の他、武内俊子、緒園涼子(りょうし)、旗野十一郎、中山知子らが訳詞しています。5人に共通して言える事は訳詞ではなく、ほぼ作詞と言ってもいいほどです。
ドイツの原詩を吟味した上で、楽曲のイメージに寄せて、母の思いが感じられる日本語を当てはめています。
まとめ
「世界三大子守歌」をひとつずつみてきました。モーツァルトは名前を貸しただけの様になってしまいましたが、シューベルトとブラームスは本人が作ったものです。シューベルトが少し崇高な感じがあると感じるのはここで説明したような背景があるからでしょうか。
フリースというアマチュアの作曲家が作った子守歌も捨てたものではありません。ブラームスはブラームスらしいですし、やはりどれが最も素敵かなどを決めることは愚の骨頂なのかもしれません。
作品が出来上がった背景は三者三様ですが、現在でも世界で歌われている超有名な子守歌には代わりがありません。今後も世界中の人たちが子供を思って歌い続けていく事でしょう。