レクイエムは「死者のためのミサ曲」とも呼ばれる死者の救済を願う音楽です。最初の歌い出しが「Requiem」という言葉から始まるためレクイエムと呼ばれるようになりました。
モーツァルト、ヴェルディ、フォーレのレクイエムは三大レクイエムと称され、とても有名です。音楽的な内容も三者三様の良さがあり、死者への救済の捉え方が違っています。
コンサートでもあまり頻繁には演奏される作品ではありませんが、三大レクイエムは聴いておかねばならない大事な作品です。今回はこの三大レクイエムについて紹介したいと思います。
1.レクイエムとは
レクイエムについての簡単な説明をしておきます。良く日本語で「鎮魂歌」と言われますが、それは誤った事です。
死者のためのミサ曲
レクイエムとは、カトリック系キリスト教で行われる死者のためミサを指す言葉です。そこで歌われるミサ曲自体もレクイエムと呼ばれます。
ミサ曲はラテン語の典礼文に曲を付けたものですが、通常のミサとレクイエムの典礼文は異なっています。レクイエムの構成は以下のようになっています。
【構成と典礼文】
1.入祭唱 (Introitus)
2.キリエ (Kyrie)
3.昇階唱 (Graduale)
4.詠唱 (Tractus)
5.続唱 (Sequentia)
(1)怒りの日 (Dies iræ)
(2)奇しきラッパの響き (Tuba mirum)
(3)恐るべき御稜威の王 (Rex tremendæ)
(4)思い出したまえ (Recordare)
(5)呪われたもの (Confutatis)
(6)涙の日 (Lacrimosa)
6.奉献唱 (Offertorium)
(1)主イエス・キリスト (Domine Jesu)
(2)賛美の生け贄と祈り (Hostias)
7.サンクトゥス (Sanctus)
(1)聖なるかな (Sanctus)
(2)祝福されますように (Benedictus)
8.神羊誦 (Agnus Dei)
9.聖体拝領唱 (Communio)
10.赦祷文 (Responsorium)
11.楽園へ (In Paradisum)
1の入祭唱の冒頭を抜き出してみます。
et lux perpetua luceat eis.
このように冒頭の言葉が「Requiem」で始まるためにレクイエムと呼ばれるようになりました。
典礼文の形は上記のように決まっていますが、作曲家によってこの中から取捨選択して楽曲を作曲しています。ですから、同じレクイエムでも作曲家による違いがあるのです。
レクイエムは鎮魂曲ではない
レクイエムは「鎮魂曲」と訳される事がありますが、それは間違いです。「鎮魂」とは魂を鎮める事を表す言葉です。神道では死んで身体から離れた魂を元に戻す事を意味します。
それに対して、レクイエムは亡くなった人の罪を軽減し、死者の救済を神に祈るための曲です。天国での安息を願うものですから意味合いが違います。
2.モーツァルトのレクイエム
k.626が示すようにモーツァルト最後の作品です。ですが全てをモーツァルトが作曲した訳ではありません。完成出来ぬままにモーツァルトは天国へ旅立ってしまったのです。
楽曲構成
1.入祭唱 (Introitus)
2.キリエ (Kyrie)
3.続唱 (Sequentia)
(1)怒りの日 (Dies iræ)
(2)奇しきラッパの響き (Tuba mirum)
(3)恐るべき御稜威の王 (Rex tremendæ)
(4)思い出したまえ (Recordare)
(5)呪われたもの (Confutatis)
(6)涙の日 (Lacrimosa)
4.奉献唱 (Offertorium)
(1)主イエス・キリスト (Domine Jesu)
(2)賛美の生け贄と祈り (Hostias)
5.サンクトゥス (Sanctus)
(1)聖なるかな (Sanctus)
(2)祝福されますように (Benedictus)
6.神羊誦 (Agnus Dei)
7.聖体拝領唱 (Communio)
昇階唱 (Graduale)、詠唱 (Tractus)、赦祷文 (Responsorium)、楽園へ (In Paradisum)が省略されています。このように作曲家によって『レクイエム』の構成は違っているのです。
レクイエム作曲の依頼
晩年のモーツァルトはウィーンでの人気もなくなり、金銭的にも困窮した生活を送っていました。そんなある日(1791年8月)、黒衣を着た依頼人の使いが現れます。報酬は惜しまないから『レクイエム』を作曲してくれとの依頼でした。
依頼人の名を秘密のまま作曲してくれるなら報酬の半額を渡すとの話にモーツァルトが飛びついたのは言うまでもありません。彼はその時に『魔笛』を作曲していました。
『魔笛』を完成させたモーツァルトは早速『レクイエム』の作曲に取り掛かります。
モーツァルトの死
急いで『レクイエム』の作曲に取り掛かったモーツァルトでしたが、体調がみるみる悪化し始めます。悪化する体調の中で作曲は進められましたが、モーツァルトはついに力尽き、1791年12月に帰らぬ人となってしまいます。
病床の中でも彼は最後まで『レクイエム』の事を考えていたと言われます。自分には完成させる事は無理だと思ったモーツァルトは、弟子のジュスマイヤーに楽曲完成までの指示をし、旅立っていったのです。
レクイエムの完成まで
モーツァルトが亡くなったため、本来の『レクイエム』は未完成です。現在聴いている『レクイエム』は他人の手が入っています。完成までの指示を受けたのが弟子のジュスマイヤーでしたが、多くの部分に彼の手が加わっている事を忘れてはいけません。
ジュスマイヤーの尻を叩いて完成を急がせたのは、モーツァルトの妻のコンスタンツェによるものでした。彼女は残りの報酬を貰うために作品の完成を望んだのです。
そして、ジュスマイヤーによって全曲が完成し、依頼人に引き渡し、コンスタンツェは報酬を受け取る事が出来ました。モーツァルト家はそれほど金銭的に困っていたのです。
依頼人は誰だったのか
モーツァルト自身が手紙で「まるで自分のためのレクイエムを作曲している」と友人に知らせているように、この曲の依頼は不思議なものでした。金のために飛びついた仕事でしたが、依頼人名を明かさない事や自身の体調などもあってそう感じていたのでしょう。
実はこの依頼人の正体は断定されています。高額な報酬を餌に名のある作曲家に作品を書かせて、自分が作った作品だと世間に公表していたフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵という人物でした。名のある作曲家をゴーストライターに仕立てて、自分の名を売っていたのです。
ヴァルゼック伯爵夫人が亡くなったため、どうしても『レクイエム』が必要だったのです。そこでモーツァルトに白羽の矢を立てたわけでした。1793年12月に自分の作品だと言って、実際に伯爵自ら指揮をして演奏までしています。
しかし、そうは上手くいきませんでした。モーツァルトの妻コンスタンツェが楽譜の写しを手元に残して置いたため、モーツァルトの作品である事が分かり、伯爵の嘘がばれてしまったのです。この事によって現在までモーツァルトの『レクイエム』として親しまれているのです。
3.ヴェルディのレクイエム
ヴェルディの『レクイエム』も三大レクイエムのひとつであり、大変ダイナミックでパワフルな作品になっています。
楽曲構成
1.入祭唱 (Introitus)
2.キリエ (Kyrie)
3.続唱 (Sequentia)
(1)怒りの日 (Dies iræ)
(2)奇しきラッパの響き (Tuba mirum)ーー3曲に分割
(3)恐るべき御稜威の王 (Rex tremendæ)
(4)思い出したまえ (Recordare)ーー2曲に分割
(5)呪われたもの (Confutatis)
(6)涙の日 (Lacrimosa)
4.奉献唱 (Offertorium)
(1)主イエス・キリスト (Domine Jesu)
(2)賛美の生け贄と祈り (Hostias)
5.サンクトゥス (Sanctus)
(1)聖なるかな (Sanctus)
(2)祝福されますように (Benedictus)
6.神羊誦 (Agnus Dei)
7.聖体拝領唱 (Communio)
8.赦祷文 (Responsorium)
作曲の動機
この『レクイエム』の正式名は「マンゾーニの命日を記念するためのレクイエム」です。アレッサンドロ・マンゾーニは、ヴェルディが青年時代より通じて最も敬愛していた小説家でした。その彼の追悼のために作曲したものです。
1873年5月22日、マンゾーニの訃報を聞いてヴェルディは非常なるショックを受けました。翌日、楽譜出版業者リコルディ宛ての手紙で、「我が国の偉人の死を深く悲しんでいます!
しかし私は、明日ミラノへは行きません。葬儀に参列する勇気がないのです。近いうちに私ひとりで、他の人に知られないように墓参に行くつもりです。恐らくその時、追悼のための何かを提案することになるでしょう」と述べています。
訃報から約2週間ののち、彼はようやくマンゾーニの墓所を訪れ、その時にマンゾーニ追悼のために『レクイエム』を作曲しようとの構想が生まれたと考えるのが自然だと思います。
初演
初演はマンゾーニの一周忌に当たる1874年5月22日、ミラノ市のサン・マルコ教会で行われました。指揮はヴェルディ自身が担当し、スカラ座のオーケストラ、合唱団、ソリストたちも一流の声楽家たちを使い演奏されたのです。
初演後の3日後にはスカラ座で再演、その後指揮者を変えて2回の演奏会が開かれています。宗教曲としては異例の反響でした。
作品の評価
ヴェルディの『レクイエム』に対しては「オペラの影響を受けすぎている」「教会に相応しくない」「劇場的」などの批判がありました。一方では「モーツァルトのレクイエム以降の最大の傑作」など肯定する意見もあった事を伝えておきましょう。
ヴェルディの『レクイエム』は確かに教会で演奏するには「華麗で劇的過ぎる」面がありますから、批判の中にはもっともな声だと思うものもありますが、元々、ヴェルディも教会での演奏でなく、劇場での演奏を前提に作ったと思われる節もあります。
時代がこの『レクイエム』の素晴らしさを証明してくれています。現在でも、多くの人々に愛されている作品であり、三大レクイエムのひとつとして評価されているのですから。
4.フォーレのレクイエム
フォーレの『レクイエム』はとても美しい作品です。フォーレの優しさが全編を通じて溢れています。『レクイエム』としてはかなり異色の作品です。
楽曲構成
1.入祭唱 (Introitus)
2.キリエ (Kyrie)
3.続唱 (Sequentia)
(1)涙の日 (Lacrimosa)ーー「Pie Jesu」として一部のみ採用
4.奉献唱 (Offertorium)
(1)主イエス・キリスト (Domine Jesu)ーー「Offertorium」として前半部のみ採用
(2)賛美の生け贄と祈り (Hostias)
5.サンクトゥス (Sanctus)
(1)聖なるかな (Sanctus)
6.神羊誦 (Agnus Dei)
7.聖体拝領唱 (Communio)
8.赦祷文 (Responsorium)
9.楽園へ (In Paradisum)
作曲の動機
父親が1885年7月、母親が1887年12月にそれぞれ死去した事が良く挙げられますが、実際は1987年秋にはこの楽曲の草稿が発見されており、作曲の動機自体は不明です。
フォーレ自身特定の人物や事柄を想定していないと自ら書き残しているので我々が推測するのはとても難しそうです。
独特の構成
先の二人の作曲家と比べると楽曲構成が非常にユニークな事が分かります。続唱はほとんどカットし、涙の日のラストの「Pie Jesu」しかありません。サンクトゥスでは「Benedictus」をカット。通常は曲を付けない赦祷文、楽園へを採用しています。
フォーレの『レクイエム』は本当に自由な作りとなっています。フォーレ自身が敬虔なクリスチャンではなかったために、教会での典礼のために歌う楽曲とは考えずに作ったと考えて良さそうです。
実際、教会で初演した時には司祭から斬新すぎると叱責されています。それ以外にも「死の恐ろしさが表現されていない」「異教徒的」などとの批判を出されていました。そもそもこのままの構成では教会のミサに使えない形なのです。
この事に対してフォーレは次のように答えています。
「私のレクイエム……は、死に対する恐怖感を表現していないと言われており、なかにはこの曲を死の子守歌と呼んだ人もいます。しかし、私には、死はそのように感じられるのであり、それは苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感に他なりません」
フォーレならではの世界観
『レクイエム』を作曲する動機は分かりませんでしたが、何らかの出来事があって、フォーレは『レクイエム』を作曲する必然性がありました。しかし、彼の中の「死」の考え方が普通の人とは全く異なっており、教会での演奏など超越した事を考えていたものと思われます。
だからこそ、「怒りの日」などの激しさは彼の中では必要がなく、静寂の中で淡々と進んでいく作品を欲したのだと思います。フォーレの死生観に係わる問題ですから、それを我々は尊重しなければならないと思います。
『レクイエム』としては異例の形ですが、その美しさは我々を魅了して止みません。三大レクイエムとして今尚扱われているのは、フォーレの人柄が現れているからなのです。
まとめ
三大レクイエムを見てきましたが、それぞれ作曲家の個性が出ていて、甲乙つける事が出来ません。『レクイエム』は死者へ深い悲しみとの祈りの音楽です。ですが、我々生きている人間に対しても強く訴えるものがあります。
どうか、『レクイエム』を避けずに聴いてください。生きるためのヒントが多く含まれている音楽でもあります。