
モーツァルトはその残された作品から、とても上品で優雅な生活を送っていたと想像する方が多いのですが、それはとんでもない間違いです。彼は下品で、下ネタ大好きの変態だったのです。今でいえばスカトロ趣味。純粋なモーツァルト・ファンはイメージが壊れるかもしれません。
これを書いている私も信じたくはないのですが、残念ながらその証拠が1つや2つでなく、数え切れないほど残っています。そうなんです。モーツァルトは正式な変態でした。子供の頃は、女性のスカートの中に入って遊んだりと可愛いものでしたが、成長と共にスカトロに嵌っていきます。
このモーツァルトのスカトロ趣味は母から受け継いだといわれています。父だけは仕方なく付き合っていたようですが、母、姉、従妹と、モーツァルト一家がスカトロ趣味でした。モーツァルト家では日常的に下品な言葉が行きかっていたと想像できます。その一端をご紹介して行きます。
モーツァルトがウ◯コ好きになったわけ
モーツァルトがうんこ好きになったわけは前文で触れた通り、母譲りといわれています。母アンナ・マリアは夫への手紙で、「さあ、たくさんうんこして、オナラもして、ぐっすりお休みなさい」などと書いていた人物でした。
一方、マジメな父親のレオポルトは自ら進んでその世界に飛び込む感じではありませんでしたが、明るく陽気な妻のこの趣味・嗜好を受け入れていたようです。幼い頃から優しい母親の愉快なうんこ話しを聞いて育ったモーツァルトがその道に進むのは、当然だったと思います。
モーツァルトの姉であるマリア・アンナ(通称ナンネル)もうんこ好きでした。これは、現在にも残っている手紙から分かっている事です。しかし、母や弟と一緒に、日常的に使っていたかどうかは不明です。女の子ですし、逆に彼らをたしなめていた事も考えられます。
モーツァルトのラブレター
モーツァルトは好きな女性へのラブレターに対しても、堂々とうんこ作戦を実施しています。そんな事書いたら嫌われると思わなかったのでしょうか?信じられますか、ラブレターですよ。モーツァルトは旅から旅の連続で、満足に学校へも通っていない事も一要因だと考えられます。
そのラブレターの内容の一部を紹介します。
「ごきげんいかが? どんな服を着ているの? お通じはまだいいかい?(略)快く仲直りをしてくれない?さもないと、ぼくの名誉にかけて、バーンと一発やらかすぞ!どうせきみは笑っているな―万歳(ヴィクトリア)!僕らのお尻を和平条約調印のしるしとしよう!」
もう一度断っておきますが、これはラブレターです。和平条約調印になるわけがありません。終わりの部分は、こんな感じです。
「そう、ぼくのあれは元気です。二週間後にはパリへ立つけど、きょうもひとクソたれておこう。もし、そちらのアウクスブルクの町から手紙をくれるつもりなら、ぼくが受け取れるように、早く書いてね。でないと、ひょっとしてぼくがもう立ったあとだと、受け取るのは手紙のかわりに一通のウンコ。ウンコだ!」
この後、「ウンコ、ウンコ、ウンコ・・・」という具合に、うんこの羅列が続きます。これを受け取った相手はどう思うかは想像つきますよね。こんな変態と誰がよりを戻すでしょうか?子供ならともかく、いい大人がウンコの連続の手紙を認めるなんてありえません。
従妹べーズレとの手紙のやり取り
モーツァルトのスカトロ趣味の最大の相手は従妹ベーズレでした。ベーズレとの手紙のやり取りは頻繁に行われており、モーツァルトがベーズレに宛てた手紙は、現在でも大量に保管されています。モーツァルトが亡くなってから子供たちが父の恥として処分したものもあります。
ベーズレが現在まで知られている理由
マリア・アンナ・テークラ(愛称ベーズレ)は叔父フランツ・アロイス・モーツァルトの娘で、モーツァルトの従妹です。1758年9月25日アウクスブルクで生れ、1841年1月25日バイロイトで83歳で亡くなっています。二人はかなり仲が良かったようで大量の手紙のやり取りをしています。
モーツァルトの遊び心はこの2歳下のベーズレに宛てた手紙の中で最大限に開花しました。モーツァルトは彼女のためには1曲も楽曲を残しませんでしたが、その代わり彼女に宛てた手紙は大量に残されました。モーツァルトのスカトロのオンパレードです。代表作目白押しです。
下品な内容だということで20世紀まで隠されていましたが、よくぞ処分されずに残ったと思います。 たとえば息子カール・トーマスは自分が所有する「下品な手紙」を抹殺しようと考えていました。幾枚かは処分されたものもあるでしょうが、よくぞ現在まで保存されたものです。
ベーズレ書簡
ある時、モーツァルトがベーズレに宛ててこんな手紙を書いています。
「あっ、お尻が痛い、燃えているようだ!どうしたというのだろう!もしかしたら、ウンコが出そうなのかな?―そうだ、そうだ、ウンコよ、お前だな、見えるぞ、においがするぞ―そして―何だ、これは?―そうだったのか!―やれやれ―ぼくの耳め、ぼくをだましちゃいないね?―いや、たしかにそうだ。何という長い、悲しげな音だろう!―今日、五日にぼくはこの手紙を書いています。」
こんな手紙がごっそり残っています。勿論、父に宛てた手紙などはきちんと書かれた内容のものもありますが、ことベーズレに対しては、ほとんどが上記のような内容ばかりです。モーツァルト亡き後、家族が処分しようとした理由が良く分かってきます。
ほとんどがこんな内容のため、以下は省きますが、次にあげるような言葉が手紙には入っている事が多くありました。その特徴を伝える部分のみ列挙しておきます。
「あなたの鼻に糞をします」
「花壇のなかにバリバリッとウンコをなさい。」
「ぐっすりお眠りよ。おしりを口の中につっこんで。」
「ウンコで君のベッドを汚してやるぞ!」
「僕のおしりが火事になった! どういうこと! 知ってるぞ、みえるぞ、なめてやろうか、ん、何だ?ウンコが出たがってる?そう、そうだウンコだ。俺は変態だ!」
これらの手紙を実際に読みたい方は、『モーツァルト書簡全集』(白水社)、『モーツァルトの手紙』(岩波文庫)で読めますから、1度読んでみるのも良いかと思います。ベーズレ書簡集から、まじめな手紙、そして借金のお願いの手紙なども載っていますので楽しめます。
モーツァルトの下品な作品
モーツァルトの作品の中でタイトルからして下品なものが存在しています。ちょっと口に出すのも恥ずかしいタイトルです。おそらく、絶対にNHKでは放送されることのない作品たちだと思います。普通の人でも、ちょっと引いてしまいそうな作品です。
『Leck mich im Arsch』K.231
18歳の時に作曲したカノンのタイトルです。ずばり、そのままの表現です。翻訳すると「僕のお尻を舐めてよ」となります。きちんとK.231と作品番号まで付けられています。モーツァルトの作品番号を付けたケッヘル先生もびっくりしたことでしょう。
『Leck mich den Arsch recht schoen, fein sauber』K.233
直ぐ後に作られたカノンではこれがさらに暴走します。ここまでやるかモーツァルト!このタイトルは「僕のお尻を舐めてしっかりきれいに、このうえなく清潔にしてね」です。コンサートで演奏される事なんかありません。きっと仲間内で冗談として作られたのだと想像できます。
『プラーター公園に行こう』K.558
このカノンはモーツァルト32歳の時のものです。タイトルは一見普通のものに見えますが、これもウンコについて書かれています。この歳になっても、相変わらずのモーツァルトだったのですね。この歌詞を訳すと、こんな感じになります。これも下品な作品です。
プラーター公園に行こう 狩り場に行こう カスパールのところへ行こう
カスパールは病気だ 熊はくたばっちゃった あっちの狩場で僕たちは何をするんだい?
プラーター公園は蚊がブンブン それにウンコもウンとこさ
『おお お前 ばかのマルティンよ』K.560
前の作品番号の2番後ですので、もしかしたら同日に作られた可能性もあります。変なタイトルですが、このカノンも実はスカトロ系です。これは少し歌詞が長いので、一部を抜き出して紹介します。改めて紹介するほどの内容でもないのですが、モーツァルトの趣味の世界です。
おお お前 ばかのマルティンよ! おお お前 マルティンのおばかさん!
お前はほんとにろくでなし まるでやせ馬そっくりさ どうしようもないやせ馬さ
(略)
おお愛する友よお願いだ 大急ぎで僕のお尻にキスをして!早く早くキスをして!
ああ愛する友よ僕を許せ お前のお尻を封印するぞ マルティンどうか僕を許せ!
まとめ
天才モーツァルトがこんな一面を持ち合わせていたなんて、私も最初に『モーツァルトの手紙』を読んだ時に大層驚きました。「へぇ、モーツァルトって変態野郎だったんだ」。音楽では神の領域に入った世界を表現したのに、実世界ではこんな人物だったのです。神様も罪な事をしました。
それはそれとしてモーツァルトも人間味溢れる奴だった事もなぜかほっとしました。これが、息抜きもなく音楽一辺倒の人であったなら、彼の魅力はそんなになかったのだと思います。この丁度良いバランスが天才モーツァルトを生んだといっても過言ではないかもしれません。
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