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女性指揮者

世界で活躍する女性の音楽家は数多くいます。しかしクラシック界で活躍している女性指揮者に関しては僅か30名程だと言う事をご存知だったでしょうか。30人と極少数ですが、この数すら多いと感じてしまう程、クラシック音楽界では女性指揮者が活躍できていないのです。

有名なコンクールで優勝している女性の一流ソリスト達は沢山います。オーケストラを見ても然り、今やヴァイオリンを始めとする各楽器は女性が多く占めています。ではなぜ女性の指揮者はこんなにも少ないのでしょうか。果たしてこれはクラシック界の悪しき風習なのでしょうか。

私も今までコンサートに数限りなく通ってきましたが、女性指揮者は2度しか経験がありません。松尾葉子とシモーネ・ヤングだけです。 指揮者コンクールでは素晴らしい成績を残す演奏家も多くいるのに、現実には女性指揮者が圧倒的に少ない理由を解明していきたいと思います。

女性指揮者

女性指揮者
女性指揮者はどうして少数派なのでしょうか。例えば日本人の松尾葉子は小澤征爾が優勝したブザンソン指揮者コンクールで優勝しています。世界で活躍する小澤征爾と同じコンクールで優勝しても、その後の活躍ぶりはほとんど聞く事ができません。

最近では西本智実や東京国際音楽コンクール史上初の女性優勝者となった沖澤のどか等の活躍を耳にする事はありますが、一般的に女性指揮者が活躍している話は中々出てきません。どうしてなのでしょうか?理由として考えられる事は以下の5点にだと思います。

  1. 女性の志望者自体が少ない
  2. 伝統という名の悪しき風習
  3. 固定観念を突き破るような先駆者が未だ不在
  4. 能力はあっても、体力的な理由で不採用
  5. 男女の身体的・精神的、得意分野の違い

それでは上記の理由の詳細をみていきましょう。

クラシック音楽=男という固定観念

教会音楽
この男女差別はクラシック音楽の歴史にも関係しています。教会音楽として発展してきたクラシック音楽は、女性を排除するものでした。女性の変わりに少年合唱やカウンターテナーといって、去勢して、裏声でソプラノの声を出す専門職に支えられて来ました。

女性=悪しき者

教会においては、旧約聖書にある「女性はりんごを食べるという悪を働いた者」という意識が高く、なおかつ、月に一度不浄な血を流すという理由で教会への立ち入りさえ許されない時期が長く続いたのです。ですから音楽は男性がするものと考えられてきました。

この伝統が長く続いてきた事で、女性の受け入れを拒む「クラシック音楽界」が誕生したのだと思われます。

動き出す女性たち

男性が仕事をして、女性は家庭で子供を育てるという既成概念は長く続きました。欧米でそれを打開しようとする女性解放運動、ウーマンリブ運動が活発になったのは第2次大戦以降の事です。特に音楽は宗教と関わり合っていましたから、余計に時間が掛かったのだと思います。

弦楽器・木管楽器への女性進出は割と早く実現されました。1960年代にはかなり多くのオーケストラが採用を始め、金管楽器も少し遅れて採用が始まりました。しかし、指揮者になろうという女性自体が少なく、女性指揮者の誕生はもう少し時間が掛かりました。

オーケストラが採用に踏み切れない

オーケストラが採用に踏み切れない
これは実際にあった話です。女性は体力的に持たないと判断され、指揮者の採用を断念された女性は多く存在します。複数のオーケストラでそういう判断がなされている事は事実です。ですから現在でも常任指揮者・音楽監督といった肩書きを持っている女性指揮者はごく少数です。

この問題はとても難しいものです。日本でも男女雇用機会均等法が施行されていますが、指揮者は知的労働者でもありますが、肉体労働者でもあるわけで、かなりの体力がないと出来ない仕事です。このような理由で締め出しを食らう事もあるようです。

男女の特性の差

男女の特性の差
指揮者になろうとする人は、自己顕示欲が強い人間でないと務まらないという仕事です。そのような性質は女性より男性に多く存在すると考えられるので、結果、女性の指揮者が少ないのではないかともいえそうです。

燕尾服を着用して指揮棒を降る姿は未だに男性の職業という印象が強く、中々女性が活躍できる道の確立に至ってないと言えます。また、科学的に男性のほうが空間能力や構造的な思考能力が発達していて指揮者に向いていると言われています。

色々な理由を挙げてきましたが、私はやはりクラッシック音楽界に蔓延る悪しき風習・伝統こそが女性指揮者の発展の邪魔をしていると思います。かつてカラヤンとベルリン・フィルの間に起こったザビーネ・マイヤー事件のように、世界最高峰のオケであればあるほど、女性の採用にはかなりの障害があるようです。

女性は指揮者に向かないのか

女性指揮者
そもそも指揮者を目指す女性は限りなくゼロに近い数字です。毎年の音楽大学の男女比を比べると70%の割合で女性の方が圧倒的に多くいますが、指揮科に限って言えば10%もいるかどうかも怪しい物です。女性自身が望む学科ではないようです。

では、そもそも指揮者は女性には向いていない職業なのでしょうか。今の時代でも女性の志望者が少ない事を考えると、まだまだクラシック界の悪しき風習が根強いのか、単に人気がないだけなのか。非常に難しい所だと思います。

料理人も女性には向いていない職業と長く言われてきましたが、現在ではそのような考えも薄まっているように思えます。つまり、女性だから向いていないのではなく、単純に指揮者が狭き門である事と、まだまだ女性指揮者が活躍できる環境が整っていないだけなのでしょう。

音楽家になる事自体が難しい

音楽家になる事自体が難しい
現代は音楽の世界でも男女差は無くなり、女性が指揮者コンクールで優勝する時代にもなりました。しかし、毎年各大学から指揮科を卒業してくる数十人の中でプロとしてやっていける人物はほんの一握りです。ましてや女性となればその絶対数が少ないので、余程の実力者でなければプロになるのも大変です。

日本でもそうですが世界でもアマチュア合唱団が多くありますので、男女問わずその人たちを指導するアルバイト止まりの指揮者で終わってしまう人たちが多数派です。性別などは関係なく、登っていく人は光る何かを持っています。それは女性でも同じ事です。

要は男女云々ではなく個人的な才能そのものが重要になってくるというのが結論になってしまいますね。指揮者になりたいと思う女性が増えてきて、数的にも増してくれば、ごくごく普通に女性指揮者が増えてくると思います。やはり最後は個人の才能の有無になってしまいます。

作曲家も同様

作曲家
同じように音楽の世界で女性が異常に少ない職業があります。有名な作曲家を観てみるとこれも女性指揮者と同じく、全くと言っていいほど歴史に名を残すような女性作曲家が存在しません。これも指揮者と同じ理由と考えられます。

脳の構造の違い「論理的思考」を苦手とする人が多いのも理由のひとつで、同じく数学者、建築家に女性が少ないのも同様かと思います。これはやはり大きな要素なのかと思います。

今後のクラシック界

クラシック音楽
クラシック界にも多様性が生まれ、性別で判断される時代は終わりを告げる事はまず間違い無いでしょう。今やどの分野にも女性の進出は目を見張る物があります。女性はこうとステレオタイプのように考えないで、性差別を無くしていく事が一番大切なのではないでしょうか。

指揮者の三ツ橋敬子さんはこう言っています。「カリスマ性で引っ張っていく「指導者」タイプの指揮者像は、古き良き過去のものになりつつあります。近年の優れた指揮者たちは、全般的にフレンドリー。演奏家一人ひとりと対等に話をし、その意向をすくい上げて力を引き出していくタイプの人が多いように思います」

オーケストラ側と話し合って練習を進めていくスタイルは女性にとっても負担はないように思えます。「論理的思考」の問題も例外はいっぱいあり、それに長けている女性も世の中にはいっぱい存在しているはずです。その人たちを受け入れるかどうかはその国の文化のバロメーターにもなるわけですから、興味のある女性には是非指揮者にチャレンジして欲しいと思います。

シモーネ・ヤングの例

シモーネ・ヤング
彼女は世界で初めてウィーン国立歌劇場で指揮した女性指揮者となりました。まさに歴史的なことでした。彼女のキャリアは物凄く、ベルリン・フィルハーモニーやバイエルン国立歌劇場などを指揮し、2005年から10年間ハンブルク国立歌劇場の総支配人として活躍しました。

女性指揮者としてのパイオニアです。このような人物が今後もっと増えてくるでしょう。そうなった時に初めて女性指揮者ではなく、単なる指揮者と呼ばれるようになるのでしょう。

まとめ

「オーケストラの楽団員というのは、指揮者をけなすのが仕事みたいなもんだ」と故・朝比奈隆が言っていたそうです。ということもありますから、それだけの個性的で癖のある人達を引っ張っていくために、女性だとなめられがち、という「現実」もあるんだろうと思います。

それと「論理的思考」の問題は大きいのかと思います。音大の指揮科には女性が増えたと聞きますが、現実的に女性の指揮者が少ないのはこのあたりの理由が大きいのかなと思っています。そこをクリアしてくる女性も多くいるはずですから今後のウーマンパワーに期待しましょう。

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