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佐渡裕

佐渡裕(サドユタカ)という指揮者をご存知でしょうか。数年間『題名のない音楽会』の司会者をしていたので、名前をご存知の方も多いと思います。毎年大阪城ホールで行なわれる「1万人の第9」の指揮者を務めています。そして私が期待に胸膨らませている日本人指揮者です。

小澤征爾に次ぐ世界で通用する指揮者は登場してくるのか。クラシック音楽を愛する日本人なら常にその考えは頭をよぎる事と思います。私はその期待の全てを「佐渡裕」に注ぎ込んでいます。

必ずや小澤征爾に継ぐ、いえ、超える指揮者になってくれるであろう佐渡裕について私の知る限りの情報をお伝えしていこうと考えています。まだまだ小澤超えはできていませんが、ぜひ次世代の天才指揮者を知ってほしいと思います。それではお楽しみください。

佐渡裕と音楽

佐渡裕

佐渡裕(さど ゆたか)、1961年5月13日生まれ、京都府太秦出身。父は中学校の数学教師で後に校長まで務めた教育者。母、つた子は結婚するまでNHK京都放送局の合唱団でソリストとして活躍しました。佐渡裕の音楽の原体験はこの母によって成されたと言えます。

母が与えた音楽の才能

自宅でピアノや声楽を教えていた母は、佐渡が1歳2カ月になると音感教育を授けました。とはいえ教本通りの堅苦しいものではなく、「ドミソ、ドファラ、シレソ」と和音を繰り返し聞かせる簡単なものでした。幼少期から音楽が身近にある環境を与えられ、2歳からはピアノも習い始めます。

英才教育とは一線を画した所に佐渡の初期の音楽教育はありました。あくまで母の熱心で自己流の教育が礎でした。ユーモアのある朗らかな母でしたが、音楽教育に関しては厳しかったそうです。

「ピアノの練習時間は毎日1時間。嫌やったんだけど、一度始めた事は、やめられない雰囲気が佐渡家にはありましたね」後の佐渡裕はそう語っています。音楽は好きで、小5から中3まで京都市少年合唱団に入団し仲間と声を響かせ合う素晴らしさを学びました。

天才指揮者が生まれたきっかけ

京都市交響楽団の指揮者がたまに指揮棒を振ってくれて、かっこいいと思ったのも音楽家を志したきっかけの一つでした。小中は京都市立の学校に通い、高校も音楽科があった市立堀川高校へ。大学は東京芸大への憧れもありましが、大好きなフルートの先生がいた京都市立芸大に進みました。

音楽的なことは99%京都市で勉強し、京都市の税金で指揮者になったと公言しています。京都市立芸術大学在学中に指揮活動を本格的に開始しました。1980年頃に京都光華中学校・高等学校のブラスバンドを始め、アマチュアオーケストラ、関西二期会副指揮者などを経て、タングルウッド音楽祭オーディションへの参加許可を得ます。

佐渡裕とタングルウッド音楽祭

タングルウッド音楽祭
日本が世界に誇る天才指揮者「小澤征爾」も参加したタングルウッド音楽祭オーディションは世界各国から推薦された優秀な若者達が集う夏季セミナーです。この頃から佐渡裕もその才能を見込まれた、将来有望な音楽家であり、指揮者でした。

夢がひとつ叶った瞬間

1987年夏、26歳の佐渡裕は、米ボストン郊外のタングルウッドにいました。世界中から音楽家や音楽ファンが集まる「タングルウッド音楽祭」で、指揮者セミナーを受けるためでした。日本から応募書類と一緒に送ったビデオテープが評価され、現地での審査にも合格しました。

奨学生としてレッスンに参加するという夢が叶い、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団桂冠指揮者なども務め、ミュージカル「ウエスト・サイド物語」の作曲でも知られたレナード・バーンスタイン(1918~1990)と、当時ボストン交響楽団音楽監督だった小澤征爾から指導を受けます。

バーンスタインとの出逢い

レッスン初日、英語による専門的な指導に当惑しました。いくら教わりたくても、会話についていけない。そんな自分に苛立ち、日本人である事にコンプレックスさえ抱きました。その時、バーンスタインが佐渡に声をかけます。

「握手をしよう。できるだけゆっくり、時間をかけて」。わずか20センチを近づけるだけで、これほど緊張感と集中力がいるものなのか…。互いの手をゆっくりゆっくり、まるでスローモーションのように近付け、ようやく手を握った瞬間、佐渡裕の手に電流のような衝撃が走ったそうです。

バーンスタインからの最初の教え

「『能』を知っているか。今の握手と一緒で、静かな動きの中にものすごいエネルギーが込められている。そういう特別な力を日本人は持っている」。バーンスタインの言葉は、慣れない環境の中で孤独を感じていた彼にとって、励ましのように聞こえました。

この事から佐渡はバーンスタインから教えを請いたいと強烈に思うようになりました。バーンスタインの弟子になろうと決心したのです。

佐渡裕とバーンスタイン

佐渡裕とバーンスタイン
有名な指揮者に教わりたい、そう願う若手指揮者は多くいます。その中で本当に弟子になれるのは指揮者に気に入られた才能溢れる一握りの天才だけです。そして佐渡は見事にその名誉に選ばれるのです。超一流の指揮者であるバーンスタインの弟子になる夢が叶います。

バーンスタインの思わぬ誘い

「日本には佐野がいる。何かあったら頼れ」タングルウッド音楽セミナーを去る時にバーンスタインに言われたそうです。佐野光徳は日本でのバーンスタインのマネージメントをしている方で、佐渡は帰国してすぐに連絡を取りました。

佐渡と佐野は一晩中飲み明かし、佐野は佐渡裕の志の高さを理解しました。「バーンスタインの弟子になれるのだったら、全ての仕事をやめる覚悟もある」そう伝えられた佐野は1988年、タングルウッドでのバーンスタイン70歳の誕生会に、佐渡を連れて行くのです。

決して招かれたわけではなく、佐野についてきたという形でした。「おまえも来ていたのか。このあとウィーン・フィルとツアーをする。一緒にウィーンに行こう」バーンスタインから思わぬ言葉が出ました。27歳の佐渡裕は前言通り、全てを捨て、迷わずウィーンへの留学を決めました。

音楽の聖地ウィーンに留学

佐渡裕とバーンスタイン
ウィーンでは、バーンスタインのアシスタントとして、同フィルのリハーサルや録音に立ち会い最高の音楽に触れ、街のあちこちで開かれるオペラや海外オケの音楽を聴きまくりました。その一方で、どれ程小さな楽団も、無名の若者に指揮棒を振るチャンスを与えませんでした。

バーンスタインは佐渡に対して「オレはジャガイモを見つけた。まだ泥がいっぱいついていて、すごく丁寧に泥を落とさなければならない。でも、泥を落とした時には、みんなの大事な食べ物になる。」本当にバーンスタインの言葉選びのセンスには脱帽です。本当に見習いたい!

ウィーンについたばかりの頃の話、佐渡裕はこんな事を言われたと語っています。

レニー(バーンスタイン)が「俺のウィーンの大親友を紹介したるわ」と言ってくれた。「何てありがたい。助かるな」と喜んでレニーについていった。しかし、レニーが連れて行ってくれたのは、ベートーヴェンの像の前だった。「彼が昔からのオレの大親友のルートヴィヒや。お前も、今日からルートヴィヒと呼んでええよ」。つまり、レニーは、ベートーヴェンを勉強しなさいと言ってくれたのである。」

焦燥、そして躍進の始まり

音楽の都に立ちながら、焦燥感にかられます。そこで思い立ったのがコンクール。指揮ができる機会はそこしかなかったのです。1989年、指揮者の登竜門、フランスの「ブザンソン国際指揮者コンクール」に応募。小澤征爾が24歳で優勝し、世界への足がかりにしたコンクールでもありました。

「2位とか、3位とか中途半端はあかん。1位か、かすりもせんかや」。佐野はこうハッパをかけたのでした。

ブザンソン国際指揮者コンクール

ブザンソン国際指揮者コンクール
1989年(28歳)の佐渡裕、何とか仕事に結びつけたい、その為にはなんとしてでも優勝しなければならない!そんなプレッシャーを感じながら、佐渡は背水の陣でブザンソン国際指揮者コンクールに挑むのでした。

30人の参加者がひとつの課題ごとに減らされていきます。見ている方も楽しい、オーケストラの間違い探し。そして最後は『ティル・オイゲンシュピーゲルの愉快ないたずら』。見事にこれらの課題をクリアし、佐渡裕は異国ウィーンで優勝!そして正式に指揮者としてデビューを果たします。

佐渡裕のリハーサル

佐渡裕

1990年6月、ブザンソンで優勝した当時29歳の佐渡裕は、この音楽祭の演奏会でチャイコフスキー作曲の幻想曲『フランチェスカ・ダ・リミニ』を振る機会を貰います。リハーサルでは、佐渡がオーケストラを前に曲と格闘していました。

横には、ディレクターズチェアに腰を下ろし、ステージ上にも関わらず、タバコをくゆらせるバーンスタインがいました。

「ノン、ノン、ユタカ!」

弦楽器の弱音の中でクラリネットのソロが響く場面。しかし、音がなんとなく浮いてしまい、クラリネットにも艶が足りません。佐渡の指揮を制し、バーンスタインが代わりに振ると一転、オーケストラは水を打ったような静寂さを感じさせる音色を出します。汗だくの佐渡は、その一部始終を目に焼き付けました。

71歳を迎えたバーンスタインにとって、この時が最後の訪日となりました。日本を去る際、日本でのマネジメントを任されていた佐野光徳に佐渡を託してこう言いました。「ユタカを大事に育てろ。ぽんといい仕事が来るから、急がず、思う通りに、大事に育てろ」

恩師バーンスタインの死

恩師バーンスタインの死

バーンスタインはこの年、日本各地でロンドン交響楽団を巡る予定でしたが、東京公演後全てをキャンセルし帰国しました。そして、この4カ月後、ニューヨークの自宅で亡くなりました。

音楽だけでなく、本当に様々な事を教えてくれた人生の師、バーンスタインが逝ってしまいました。バーンスタインに可愛がられ、まだまだたくさんの事を彼から学ぶつもりでいた佐渡裕にとって、師の突然の死はあまりに辛く、急過ぎるものでした。

各地のオーケストラで絶賛

佐渡裕という才能は世界各地のオーケストラに大絶賛されています。日本よりも世界での知名度の方が高いのではないでしょうか。もっともっと日本人にも佐渡裕を知ってもらい、誇りに思って欲しいと思います。

  • フランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団第一客演指揮者
  • コンセール・ラムルー(ラムルー管弦楽団)首席指揮者
  • 大阪センチュリー交響楽団首席客演指揮者
  • ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団首席客演指揮者
  • シエナ・ウインド・オーケストラ首席指揮者
  • ベルリン・ドイツ交響楽団
  • ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団
  • バイルン国立歌劇場管弦楽団
  • デュッセルドルフ交響楽団

佐渡裕ベルリン・フィル定期公演指揮

ベルリンフィルハーモニー
佐渡裕が小学校の作文にも書いた「ベルリン・フィルを指揮する」という夢がついに叶います。定期公演デビューですから、ベルリン・フィルにその力量が認められたのです。小澤征爾以来、ようやくベルリン・フィルの定期公演を振る指揮者が現れました。日本人として誇らしいです。

2011年(50歳)5月20日、武満徹の『フロム・ミー・フロウズ・ワット・ユー・コール・タイム』とショスタコーヴィチの『交響曲第5番』の2曲というプログラムでした。

定期公演大成功

終演後、オーケストラの団員達が握手しに訪れたそうです。こんな事は滅多に無い事で、如何にオーケストラからの信頼を得られたかの証です。
定期公演は3日間開かれるのですが、その初日の公演の『ターゲスシュピーゲル』紙の評論です。

彼が夢見たオーケストラでのデビュー演奏会は、大勝利となった。これは注目に値することだ。なぜならベルリン・フィルは、どのデビュー指揮者に対しても、これほど献身的に演奏するわけではないからある・・・。

ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団音楽監督就任

佐渡裕
ベルリン・フィルでの成功を始め、各地のオーケストラで好評を得てきた事もあり、伝統あるオーストリアのオーケストラの音楽監督に就任しました。そして2015年(54歳)からはウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督に就任。このオケで佐渡裕がどう成長するか楽しみです。

因みに正式名称はTonkünstler-Orchester Niederösterreichで「ニーダーエースターライヒ・トーンキュンストラー管弦楽団」というのが正確です。ウィーンという呼称をつけて呼ぶのは日本のみであるという事です。

まとめ

佐渡裕という指揮者はもっと世界に知られていい名前です。若い頃の小澤征爾が活躍したように、佐渡裕も世界に飛躍して貰いたいと願っています。関西魂と共にあの日本人離れした、大きな体で世界のトップオーケストラを制覇して貰いたいと思っています。

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