ホロヴィッツは20世紀を代表するピアニストです。今までで最も偉大なピアニストと称する人たちも多くいます。しかし、私は彼の言動が嫌いで、今まで敢えて聴く事を避けてきたのです。
最近、彼の録音を聴き直す機会があり(チャイコフスキーPコン1番、トスカニーニ/NBC、1941ライブ)、なんと素晴らしい音楽をやっているのだろうとテンションが上がりました。
チャイコフスキーが暴走しています。何たる速さ、何たるテクニック、度肝を抜かれました。ホロヴィッツは本当に別格のピアニストだった事に気付いたのです。というわけで今回はホロヴィッツについて纏めてみました。
ひびの入った骨董品
ホロヴィッツについてはやはりこの話題から入りたいと思います。なんといっても日本公演での話でしたから。
初来日リサイタル
1983年6月11日そのリサイタルは行われました。場所はNHKホール。5万円という破格のチケット代も話題になったものです。当時ウィーン・オペラの引っ越し公演でさえ、そんなに高くなかった記憶があります。
それまで来日しなかったのは日本という極東の音楽文化を軽んじていたのだと思います。アメリカからはるばる演奏に来ることが、自分のキャリアに何の影響も及ぼさないと彼は考えていたのでしょう。
79歳という年齢に達し、やる事も全てやりつくしたので、高額のオファーでもある事から、物見遊山で日本にやってきたのだと思っています。
後日NHKでの録画放映があり、私はそれで視聴しましたが、それはもう「日本をなめているのか」と思われるほどの酷さだったのです。
ミスタッチは多いは、集中力はないは、こんなので何億稼いだのと馬鹿にしたものです。
彼の自伝の中で、あの時は、精神的不安から、医師の処方のもと、大量の薬を飲んでいたから不調だったと書いています。
しかし、ホテルの部屋でドンペリを飲みながらホラー映画を見ていたとの話もあるのです。いずれにせよ演奏に臨むプロの音楽家としては失格でした。
辛辣な批評
NHKを始めとする多くのマスコミは彼を大絶賛していました。彼の演奏云々よりも彼が日本でリサイタルを開いてくれた事自体を称賛していたのです。しかし、当日の演奏が如何に酷かったかを新聞で発表した人物がいました。
音楽評論家の吉田秀和は朝日新聞の「音楽展望」で、彼の演奏を「ひびの入った骨董品」と酷評したのです。もはや過去の人扱いでした。その記事を少しだけ引用させて頂きます。
「だが、残念ながら、私はもうひとつつけ加えなければならない。なるほど、この芸術は、かつては無類の名品だったろうが、今は - 最も控え目にいっても - ひびが入っている。それもひとつやふたつのひびではない。」
私はこの記事を読んで、改めて吉田秀和の音楽に対する評論の鋭さを感じました。音楽評論家が演奏家に対して、ここまで酷評するのは滅多にない事です。
評論家ですから、悪いものは悪いと書く事は勿論ありますが、吉田秀和はもっと核心をついた記事を書きました。「かつては無類の名品だったろうが、今は - 最も控え目にいっても - ひびが入っている」。
誰にもわかる比喩を使い、演奏の酷さを指摘しています。「それもひとつやふたつのひびではない」、ここまで書けたのは吉田秀和の音楽に対しての真摯な耳の成せる技です。
リベンジの再来日
吉田秀和の「ひびの入った骨董品」という評論は当時のクラシック・ファンの間では話題になりました。ホロヴィッツもこの話を人づてに聞いたのでしょう。彼は「ヨシダだけが本当の評論をした」と言ったと伝えられています。
ホロヴィッツは酷評されたリサイタルを気にしていました。そして、1986年に万全を期して再来日を果たします。この時のホロヴィッツは以前の輝きを取り戻し、最高の音楽を奏でました。
再来日のホロヴィッツ評を吉田秀和は「音楽展望」に書いていますので、一部紹介します。
「が、その彼は何たるピアノひきだったろう!!」
「この人は今も比類のない鍵盤の魔術師であると共に、この概念そのものがどんなに深く十九世紀的なものかということと、当時の名手大家の何たるかを伝える貴重な存在といわねばならない。」
「この人が捲土重来、はるばる再訪してくれたことに、心から感謝せずにいられない。」
ホロヴィッツは何が凄いのか
世の中には技巧的に優れたピアニストは大勢います。その中でなぜホロヴィッツが特別に扱われるのかを考えてみましょう。
音色の素晴らしさ
ホロヴィッツの演奏を聴いた人はその音色の独特さに驚く事でしょう。綺麗さばかりではなく、音色の引き出しがいくつもあるようで、場面場面によってそれを使い分けているところが凄いです。
それを演奏中に何げなくやってのける事が彼の最大の特徴といえるでしょう。私の文章能力では表現しきれないのがもどかしいですが、他のピアニストには出せない音色なのです。
その音色の豊かさから、ホロヴィッツは「ピアノを歌わせる」とまで高い評価を受けているわけです。
彼の持つ音色は聴衆のみならず、他のピアニストさえも魅了しました。あのグレン・グールドがホロヴィッツに嫉妬していたとも言われています。
個性的なパワフルさ
彼の演奏はダイナミックで、パワフルと呼ぶにふさわしい独特のものがあります。個性的と言い換えてもいいでしょう。曲目にもよりますが、私が聴き直したチャイコフスキーの協奏曲などは圧倒的です。
爆音とも、轟音ともいえる彼のフォルテは気を抜いていると驚いてしまうほどです。彼の手は大きく、指は長かったのでそんな事も関係していたのでしょうか。
超絶技巧
ピアニストならば今や当たり前のように言われている超絶技巧ですが、ホロヴィッツも超がいくつも付くような超絶技巧を持っていました。
現在において彼の超絶技巧に追いついているのは果たしてどれだけいる事か。アルゲリッチやポリーニ、アシュケナージなどはそのクラスを極めているかもしれませんが、ホロヴィッツのように弾けるかどうかは疑問です。
唯一無二の音楽
ホロヴィッツの演奏は他のピアニストにはない独特の音楽です。例えば学校の音楽の時間に子供たちに聴かせるような標準的なものではありません。
彼独特の世界観があり、正統派ピアニストではないという事です。誤解を受けるかもしれませんが、「異端」とも呼べる立ち位置にあるピアニストなのです。
ですが、その演奏に人々は魅了されるのです。他のピアニストには真似できない、とてもユニークで唯一無二の音楽が展開され、そこに聴衆は熱狂してきました。
研究熱心
ホロヴィッツは新しい曲を演奏する時には、その作曲家の他の曲の楽譜も徹底的に研究したといわれています。ピアノ曲だけでなく、オペラや交響曲までも含まれていました。
作曲家を理解した上でないと安心できなかったのですね。彼の譜読みが深いといわれるのはこのためです。
ホロヴィッツの演奏を支えたもの
ホロヴィッツの凄さを生み出したのはどこにあったのかを見ていきたいと思います。他のピアニストには出せない音色の裏には秘密が隠されているはずです。
ホロヴィッツの演奏法
ホロヴィッツの演奏の映像を見ると良くわかりますが、彼は手を鍵盤に水平にして弾いています。指をまっすぐにして指の腹で弾いているのです。
それだけではなく、まるで蛇のような弾き方もする事もあります。手を鍵盤より下げて演奏する事もあったりと、ピアノ奏法の指導書とは全く異にする形なのです。
これこそが彼の音色の秘密であり、他のピアニストと一線を画す要因になっています。彼が身に付けたこの奏法で独特の音色を生み出しているのです。
使用ピアノ
もうひとつはピアノです。彼は数少ない自分のピアノを持ち運ぶピアニストでした。生涯スタインウェイの愛用者でしたが、彼が使用したピアノは全て鍵盤の重さがかなり軽めに調整してあったようです。
また、彼の使用していたピアノは最新のものではなく、オールドスタインウェイでした。独特のタッチで艶やかな音色を生み出す秘密はこんなところにもあったのかもしれません。
因みに酷評された初来日に使用されたピアノは1912年製造のCD75というものでした。1981年から1983年の短期間、演奏会や録音に使っていました。
2度目の来日に使用したピアノは1943年製造のCD503、No.314503だそうです。こちらも古いものだったのですね。
ホロヴィッツの人柄
ホロヴィッツは「世界のピアニストには三種類しかない。ユダヤ人とホモと下手糞だ。」と語った話は有名です。ユダヤ人とホモは本人が係わっていることですが…。
彼はとても神経質で、自己中心的であり、相手への気配りなどできない人物でした。気に障ることがあると癇癪を起こしたり、毒舌を吐いたりしていました。
ピアニストのコルトーはホロヴィッツと初対面した時の印象を「彼と話して36秒でこの人の人間性の限界が分かった。 私はこうした人種に対して軽蔑を通り越してある種の憐れみすら感じる」と語っています。
指揮者トスカニーニの娘と結婚した事をルービンシュタインは「同性愛者であることは周知の事実、トスカニーニの娘と結婚、それは野心家で金儲けが好きだから」とバッサリ切り捨てています。
ルービンシュタインのこの言葉はある意味、ホロヴィッツの核心をついていると思っています。でなければ、自分をさんざん罵倒するようなトスカニーニを義父とするような結婚はしなかったのではないでしょうか。
音楽家は変人が多いのも事実ですが、彼から音楽を除いてしまったならば、大いなる変人でしかありません。
ピアニストしてのホロヴィッツ
ホロヴィッツは20世紀に生きましたが、彼は、良くも悪くも、19世紀型ピアニストの最後の人物であったのではないでしょうか。
彼の型破りの奏法といい、轟音を鳴らしたり、「音の魔術師」と言われたことは、自分の音楽で如何に聴衆を沸かせる事が出来るかを考えていたのでしょう。
作曲家の神髄を伝えるのではなく、聴衆を意識した「エンターテインメント」の要素を意識していたのだと思います。それを実現させるために、独特の奏法を編み出し、聴衆受けする音作りを極めたのです。
そう考えると、彼の演奏スタイルが理解しやすくなりますし、彼に対しての好き嫌いがはっきりと分かれる評価の説明にも繋がると思います。
西側での演奏を始めた頃に「技巧は文句なしの素晴らしさだが情緒にかける」との批判が出たのも当然です。
賛否がはっきりと分かれるピアニストですが、絶頂期であったろう1966年のカーネギーホール・ライヴは見事というほかありません。彼のようなピアニストはもう出現しないでしょう。彼は唯一無二のピアニストだったのです。
まとめ
ホロヴィッツというピアニストは何が凄くて、今でも人気が高いのかを簡単に見てきました。音色と爆音とエンターテインメント性が彼を理解する鍵だと感じています。
好き嫌いがはっきりと分かれるピアニストです。個性が大変強かったピアニストでしたので、それは致し方ない事と思われます。唯一無二の存在である以上、万人受けするわけがありません。
20世紀が生んだ偉大なるピアニストの彼は、きっと天国で奥さんと毒舌をはいて、喧嘩しながらも楽しく過ごしている事でしょう。義父のトスカニーニには相変わらず怒鳴られながら…。