バッハが天才たる所以

ベートーヴェンはバッハについて問われた時に、「バッハは小川ではなく大海だ」といったというエピソードは有名です。ドイツ語で「BACH」は小川を意味し、これを踏まえてベートーヴェンが言及した訳ですが、言い得て妙です。バッハの天才性を一言で言い表しています。

バッハは生涯で約1100曲を作曲しました。恐らく有名作曲家の中で断トツの1位かと思います。なぜ、バッハだけがこんなにもの夥しい数の作品を作曲出来たのでしょうか。もう1歩進んで、どうしてこれだけの作品を残さねばならなかったのかを調べていきます。

へえ、バッハは1000曲以上も作曲したのですね!
その通り。おそらく歴代作曲家の中で一番多いと思うよ。

バッハの生きたバロック時代

バッハの生きた時代を音楽史ではバロック時代と呼びます。バッハ以外にもヴィヴァルディやヘンデルが活躍した時代です。この頃の音楽は現代と違って消耗品でした。同じ作品を繰り返し演奏する習慣がなかったのです。

新しい作品は宮廷や貴族たちの間で演奏されると、別の主要都市で演奏され、一回りするとそこで出番終了となります。ですから、バロック期の音楽家は常に新しい作品を作らなくてはいけませんでした。バロック期の作曲家の作品数が多いのはこの習慣によるものです。

ヴィヴァルディもヘンデルも約700曲を作曲しています。使い捨ての音楽でしたから、次々に作曲して行かないと、パトロンたちの要求に応えられなかったのです。バッハもそのために作品数が増えたのでした。

バッハの作曲生活

基本的にバッハは教会の音楽家として生涯を送りました。最初はオルガニストから始まり、合唱団を任され、ついには教会のカントルとなります。現代でいえば音楽責任者とでも訳せばいいのでしょうか。それも、名だたる教会のカントルであったため非常に忙しい日々を過ごします。

ライプツィヒにある聖トマス教会のカントル時代は、毎週1曲新しい作品を作曲し、日曜のミサのためにオーケストラと合唱に練習を付け演奏していました。最低でも年間60曲作曲しなければならない生活が5年間も続いたのです。これだけで300曲です!

この教会以外でもバッハは1日20ページは作曲していたといわれています。昼の仕事を終えて、家に帰り、夕食後に明かりの下で黙々と作曲を続けました。勤勉さだけが取り柄のバッハでしたから、神のために作曲する事は彼にとって喜びだったのです。

この勤勉さが作品数を増やしていきました。バッハの自筆譜を見るとまるで印刷したように綺麗です。バッハの性格が垣間見れます。音楽を創作する事にバッハは喜びこそすれ、嫌になる事はありませんでした。これもバッハの天才性のなせる業です。

バッハの創作スピードは凄かったのですね!
こんなに忙しかったとは思わなかったよ。だからこそ1000曲以上も作曲できたんだね。

バッハの天才性

果たしてバッハは天才だったのか。1000曲作ったから偶然に傑作が生まれたのか。そのあたりを詳しく見ていきましょう。

素朴な疑問

1000曲を超す作品を書けば、普通の作曲家でも傑作の一つや二つは出来るのではないのでしょうか。下手な鉄砲でも数打てば当たるといいます。しかし、そう上手くいかないのが音楽の難しいところです。

ヴィヴァルディやヘンデルも700曲作りました。各々『四季』や『メサイア』の傑作を残しています。これは、作品数の多さに比例しているわけではなく、それぞれの才能によるものです。バッハも同様に偶然ではありませんでした。しかも、バッハの傑作作品数は群を抜いています。

当時の音楽は使い捨ての作品でした。仕えていたパトロンの要求に応じようとするために作品数だけは増えました。けれども、演奏する日までが決まっていて、それまでに作曲し練習を付ける事は、才能の無い作曲家には到底出来えない事です。

「1000曲を超す作品を書けば、普通の作曲家でも傑作の一つや二つは出来る」事は間違っても無いのです。才能の有る作曲家だからこそ作品数を伸ばし、その中には傑作となりえるの作品も出てくるのでしょう。

バッハの効率の良さ

そんな人物が毎日コツコツと作曲にいそしんだのですから、数打てば当たる方ではなくて、傑作は生まれるべくして生まれました。しかし、バッハの1000曲が全て傑作なのかというとそんな事はありません。

バッハは大変忙しい人でしたから、過去に使った旋律を6割方使いまわしをしています。翌週の演奏会に仕上げるためには仕方がない事でした。全ての作品において全力を尽くしたわけではなく、結構手抜きもあったわけです。これはバッハの天才性があったからこそ出来た事でした。

新しい作品を仕上げる事が最も大切で、音楽的な技巧を使ったといった作品はそれとは別の機会に創作したわけです。多忙さゆえに効率よく作曲し、教会とは関係ない作品を創作する時間を作り出しました。

バッハの天才性を証明する作品

「バッハの最高傑作は何だと思いますか」という問いに多くの人は『マタイ受難曲』や『ロ短調ミサ』を挙げるでしょう。『ゴールドベルク変奏曲』や『無伴奏チェロソナタ』という人もいるかもしれません。

それらは教会の日々の仕事とは別に自分の書きたかった作品を作曲したのです。だからこそ300年以上たった今でも傑作として生き残っています。バッハの傑作が1000曲のうち数十曲というのも頷けます。渾身の作品は時間があるときに楽しみながら夜な夜な作曲していたのです。

1000曲以上を作曲したから偶然傑作が生まれたわけではなく、バッハという才能があった作曲家だからこそ、多忙な毎日でもこれだけの傑作を残せたでした。バロック期の作曲家の中でも跳び抜けて傑作が多い理由は、バッハが天才だったからなのです。

バッハはやはり天才だったのですね!
だからこそ後世の作曲家に大きな影響を与えたのだよ!

まとめ

バッハの作品について考察してきました。バッハという天才だからこそ1000曲以上も作品を残せたのです。そして、天才ゆえに傑作の数の多さや完成度の高さは凄まじいものとなっています。ベートーヴェンの言葉通り「バッハは小川ではなく大海」なのです。

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