交響曲第5番

夏休みに様々な日本のオーケストラが地方公演を行いますが、その演奏会で圧倒的に多く演奏される曲目はベートーヴェンの『運命』です。有名さ、人気において、全ての交響曲の中で、この『運命』に勝るものはありません。『運命』という名称で親しまれていますが、これは日本だけです。

『運命』は最初から最後まで「ジャジャジャジャーン」が鳴り響く音楽です。手を換え品を換え様々な形で表現されてきます。これを「運命動機」といいます。この「運命動機」がこの楽曲の最大の特徴です。しかも、こんなにも構成力に優れた交響曲は、この『運命』以外に存在しません。

今回はこの「運命動機」を基にして見事な構成力を持つ、交響曲の完成形ともいえるベートーヴェンの傑作『運命』を詳しくみていこうと思います。『運命』という表題の由来、楽曲の構成美・形式美、また楽曲の1楽章ずつの解説などを一つ一つ取り上げていきたいと思います。

交響曲第5番『運命』の由来

大自然
冒頭で私は『運命』という表題を使いました。しかし、交響曲第5番を『運命』と呼んでいるのはほぼ日本だけです。なぜ日本だけが『運命』と呼ぶようになったのでしょう。そのわけを書いていきます。読んでいただくと“なんだ、そんなくだらない事”といわれてしまいそうです。

大罪人・シンドラー

運命』の由来に入る前に、ベートーヴェンの秘書であったシンドラーという人を知って貰わねばなりません。彼は今では大罪人とされています。ベートーヴェンからも余り信用されていなかったようです。ベートーヴェンの死後に出版した『ベートーヴェンの生涯』は嘘八百を並べています。

如何に自分がベートーヴェンの手足となって彼を支えたかとか、楽曲の作曲のときはベートーヴェンはこんなだったとの逸話を書いています。ほとんどが出まかせで、自己を美化する内容のため、嘘がばれないようにベートーヴェンが残した会話帳を捨てたり、改ざんしてしまいました。

そのせいで、後のベートーヴェン研究が困難を極めた物になってしまいました。その意味で大罪人なのです。彼のために研究の大事な資料となるべきベートーヴェンの会話帳の信頼性が低くなったわけですので、ベートーヴェン研究者にとっては、本当に大迷惑な人物とされています。

シンドラーの作り話

そんな嘘つきのシンドラーが、この交響曲の冒頭の4つの音は「運命がこのようにして扉を叩く音だ」とベートーヴェンが言っていたと話したために、皆が騙されたというのが事の真相です。この話がシンドラーの著書の中に在ったものですから、発表当初はしんじられていました。

しかし、他の信用できる弟子たち(リースやツェルニー)はそんな大事な事を話していませんから、当時の周辺の人たちはこの言葉はまた彼の出まかせだと考えていました。シンドラーは、ベートーヴェン本人だけでなく、周囲の人々からも嘘つきと見られていたのです。

遅れて西洋音楽を取り入れた日本ではシンドラーの著書を真実と信じてしまいました。『運命』とは日本人が好む言葉でもあったため、以降、日本ではこの楽曲の事を『運命』と呼ぶようになりました。簡潔な言葉ですし、営業面でも『運命』としたほうが売り易かった事も要因の一つです。

『運命』の構想

運命』の最初のスケッチは『交響曲第3番「英雄」』完成後の1804年頃です。作曲を始めはしましたが、まず先に『交響曲第4番』の完成が優先され、『運命』はより念入りに暖められる事になりました。本格的な作曲に取り組むのは1807年頃からで、1808年に完成をみました。

最初に『運命』という楽曲を構想し始めた頃が、ベートーヴェンの耳が聞こえにくくなってきた頃で、この曲が出来た頃には、かなり悪くはなっていたようですが、まだなんとか聞こえていた時代です。『運命』という楽曲はロマン・ロランの言うところの「傑作の森」の代表作です。

「傑作の森」とは良くこの時期を表している言葉で、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた後の『英雄』『運命』『田園』と続く傑作たちが作曲された時代なのです。『運命』は、いまだかつてない曲を作ろうとした意欲的な作品で、考えに考えられた末の大作でもあります。

『運命』の構成力

交響曲第5番の完成度の高さは全てのクラシック音楽の中でおそらく第1位でしょう。こんなに隅々まで計算し設計され、構築された音楽を他に知りません。現代の建築に例えれば、構造物のイメージがはっきりしていて、設計・建設とも全て完璧で、皆の理想とする建物が建ったような物です。

全部で9曲あるベートーヴェンの交響曲の中でも最も緻密に設計された作品であり、その主題展開の技法や「暗から明へ」というドラマチックな楽曲構成は後世の作曲家に模範とされました。べートーヴェンが如何に苦心し、この楽曲を作り上げたかが良く分かる作品です。

運命』の楽曲の冒頭から「運命動機」という簡潔な動機で作られていて、しかも限りない可能性を秘めている例はほかにはありません。ベートーヴェンの交響曲の中でも、彼の創作活動の頂点のひとつとして、他の追随を許すものではありません。彼だけが成し遂げられた高みなのです。

『運命』の形式美

「完全無欠」とは、この作品のためにあるような言葉です。ここには足すべきものも引くべきものもない、完璧な形で完結しているのです。そして、全ての旋律が曖昧なニュアンスの世界から脱し、聴き手に向かって直に訴えてくるようです。これを人々は形式美と表現するのでしょう。

この曲の様式は、伝統的なパターンで作られています。交響曲の定型通り、4つの楽章で構成されています。しかし『運命』の楽曲のこの構成はとても美しすぎる究極のものです。伝統的な音楽を守りつつも、自分の個性をいかんなく発揮しようとしたベートヴェンの野心が伝わってきます。

このような究極的な構成は他にはなく、ベートーヴェンが如何に緻密に計算して作り上げられた音楽なのかを感じる事が出来ます。ベートーヴェンが悩み、もがき苦しんだ後に見えた一筋の光がこの構成だったのです。完璧な姿が彼には見えたのでしょう。正に神に近づいた音楽です。

交響曲第5番『運命』第1楽章

交響曲第5番『運命』第1楽章

冒頭から知らない人はいないであろう「運命動機」から始まる楽章です。どの部分を切ってもベートーヴェンの血や肉が出てくる素晴らしい楽章です。「運命動機」が至る所で響き渡り、第1楽章から興奮に包まれます。この楽章は「抗うことの出来ない運命の到来」を表しています。

明と暗の対比

「暗」と「明」の対比が面白い楽章です。「運命動機」が出て来ない所を探すほうが難しいぐらいあちらこちらに顔を出します。これでもかという感じで、「運命動機」が嵐のように吹き荒れる楽章になっています。この「運命動機」に基づく主題が「暗」の部分となります。

その後を次ぐのが「ターラ-ラーラーラーラーラーラ」(音楽を活字で表すのは難しい!)という第2主題です。ヴァイオリンが美しくこの第2主題を演奏します。これが「明」の部分になります。「暗」と「明」のこの2つの主題が第1楽章を織り成していきます。

この楽章はこの暗(短調)と明(長調)の対照的な2つの主題によってゆるぎなく組み立てられています。ベートーヴェンが考えに考えた末のこの音楽です。何と自信に満ち溢れた音楽でしょう。息をもつかせぬ展開に脱帽です。本当にこの楽章の形式美は素晴らしいものがあります。

音楽的特徴

第1楽章は、ほとんど単一の動機で埋め尽くされているような印象があるため、非常に引き締まった印象を残してくれています。構成力が素晴らしく、力強い音楽を形作っている良い見本ともなっています。まさに厳格な形式美の極致。彼の限界なんて見えない素晴らしい音楽です。

指摘しておきたいところがもう1つ。冒頭の「運命動機」は楽譜を見てみると最初から音符が書かれているわけではなく、8部休符から始まっているのです。一瞬のためを作る目的の8分休符、そして「運命動機」が鳴り響きます。緊張感高まる音楽の開始になるというわけです。

この8分給付があるせいで緊張感が増すのは分かりました。今度は演奏する側の問題です。この部分を指揮者がどう指揮棒を振り下ろすかとても難しくなっています。『運命』を聴きに行ったならば、この指揮者はどう振るかを注意深く見る事も、この楽曲の面白みでもあります。

提示部の繰り返し

この提示部には繰り返し記号が付いています。作曲家が繰り返しの作曲をしていても、現在ではそれを行うか否かは指揮者の考えによって違ってきます。この『運命』の第1楽章に関しては指揮者は繰り返しをする指揮者が圧倒的に多数派です。音楽的バランスを取るためだと思います。

どんな楽曲でさえ、繰り返し記号は大抵無視するあの帝王カラヤンでさえ、この部分はきっちりと繰り返して演奏しています。繰り返さないと音楽的バランスが悪くなるためなのでしょう。カラヤンでさえそう思っているわけですから、ここの部分は大事な所なのでしょう。

かつて名を馳せた巨匠指揮者ブルーノ・ワルターが反復せずに演奏している他、こちらも巨匠指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニの録音の中にも反復なしの演奏があります。昔の巨匠たちの間ではそういった指揮者も存在しましたが、現在はほぼいないと考えてよさそうです。

交響曲第5番『運命』第2楽章

交響曲第5番『運命』第2楽章

第1楽章における宿命的な印象を与える「運命」の動機とは全く対照的なゆったりと落ち着いた楽章です。この楽章は「変奏曲」で、この主題をもとに全部で3つの変奏が行われます。独特の旋律が織りなす、気楽なゆっくりとした瞑想的な雰囲気の漂う第2楽章です。

Andante con moto

「Andante con moto」(気楽に、ゆっくりと)と演奏記号で指示されているように、第1楽章のメリハリの利いた展開から一転した緩やかな流れへと変化します。荒れ狂った第1楽章をなだめる様な楽章です。聴いている聴衆たちもこの楽章でほっと胸をなでおろす場面です。

第1楽章の激しい緊張感を受けるように、ヴァイオリンとヴィオラが瞑想的な美しい主題を奏でます。これを弦楽合奏が、つづいて木管楽器がこれに受け答えして、第2主題に入ります。前の楽章と対照的に非常に落ち着いたゆったりとした雰囲気を持った楽章です。

それは、運命の困難に直面した人が思考の糸を紡ぎ上げるように冷静に、かつ確実に一歩ずつ積み重ねていくような次なる発展への準備を思わせます。本当にベートーヴェンは天才だったとしか形容できない作りです。ここにも彼の音楽の構築の仕方、構成力の素晴らしさが顔を見せています。

落ち着いた緩徐楽章

先にも述べたように、第2楽章は2つの主題を用いた変奏曲となっています。第1楽章とは対照的に低弦を中心としたのんびりとした第1主題、続いて、木管楽器によって穏やかだけれども確固とした足取りの第2主題、この2つの主題が交互に変奏されていきます。

途中、管楽器のファンファーレがあり、大きく盛り上がるところもありますが、基本的に第1楽章とは違った落ち着いた緩徐楽章となっています。この対比の付け方もベートヴェンの構想力があればこその音楽です。ベートーヴェンの天才ぶりがいかんなく発揮されています。

第2楽章は「今まで笑っていたのに、今度は怒っているような」感じの部分があります。少々、異様な音楽でもある、ともいえますが、それもまた魅力の一つです。瞑想的な音楽と呼ぶのが一番ぴったりの表現かと思います。ハイドンのような単なる緩徐楽章ではありません。

変奏曲の達人

変奏曲はベートーヴェンの得意とするもので、この作曲家の手に掛かれば面白い様に展開されていきます。一つの主題をいくつにも変奏していく様は実に見事としか言いようがありません。ベートーヴェンの天才性が良く出ています。幼少期からピアノが上手かった彼だからできたことです。

勿論、べートーヴェンは若い頃からピアノの即興演奏が素晴らしく、聴く人聴く人を驚かせてきた人物ですから、こういう変奏曲はお手の物だったに違いありません。変奏の名手であったベートーヴェンは、優しさから力強さまで、主題に隠された要素を巧みに引き出しています。

ベートヴェンはこの方法をこの『運命』だけに留まらず、同じ時期に書かれた『ピアノ・ソナタ第23番「熱情」』にも用いています。中間緩徐楽章は流麗な変奏曲であって、共通した点が読み取れます。『熱情』が同時期に作曲された楽曲だと良く分かるものです。

交響曲第5番『運命』第3楽章

交響曲第5番『運命』第3楽章
この楽章は最初一種不気味な感じで始まります。そして先人達がやっていない事をさらっと成し遂げています。古典派の様式を守りつつ、こういった変化球を出すところがベートーヴェンらしいです。「アタッカ」と呼ばれる次の第4楽章と切れ目なく演奏させるように曲を作っています。

ちょっと不気味な始まり

チェロとコントラバスの低い音域から忍び寄るように弱音で不安を駆り立てる様な主題を演奏し、この楽章が始まります。その後ホルンでの「運命動機」がフォルテで出てきます。また第1楽章の主題を想起させます。ちょっと待て待てと言葉を交わしているみたいです。

まるで第2楽章の優美さが通り過ぎても、それは一時的な物であり、依然、困難は目の前から通り過ぎていないことを、聴く人に悟らせるかのようです。これも、ベートーヴェンの計算され尽くされた構成力によるものです。ここまで緻密に計算された音楽なのです。

なお、主部とトリオに反復指示のある版もあり、指示に従って繰り返して演奏される場合もあります。これもどの版を指揮者が使うかで決まってきます。この『運命』でさえ、未だ決定稿が出来ないのは、先に述べたようにシンドラーが研究資料を廃棄・改ざんしたためです。

象のダンス

途中チェロとコントラバスが嵐のように激しい音楽を演奏を始めると、次々に他の楽器が加わり面白さを倍化させます。実にオーケストラにとっても腕の見せ所で、特に弦楽器奏者は大変かと想像されます。聴いている方も個々の部分は格好良く、印象的な変化です。

この部分を作曲家のベルリオーズは「象のダンスのようだ」と形容しています。言いえて妙でもあります。さすが天才は表現力も素晴らしいです。こんな表現、そうそう出てきませんよね。ベートーヴェンを讃えて言ったのか、それとも馬鹿にしていったのかはわかりかねます。

また演奏会でこの曲を聴いた子ども時代の作曲家シューマンは、不気味なコーダの部分に差し掛かったときに、同伴していた大人に「とても怖い」と言ったと伝えられています。子供には次に述べる第4楽章へとつながる一連の音楽は魔物が出てくるような感じを覚えます。

第4楽章への導入

最後はティンパニの不気味な感じの「運命主題」で徐々に第4楽章に進む坂道を登っていきます。そして次の楽章に切れ目なく入っていきます。これも、ベートーヴェンの工夫の1つです。ハイドンもモーツァルトも交響曲ではまだ使っていなかった音楽手法です。

次の楽章に切れ目なく入っていくことにより、第3楽章のコーダが、第4楽章の序奏のような役割を果たし、この曲のフィナーレを迎えるにあたっての緊張感を高めると共に、劇的な効果をもたらしています。実に効果的に使われていて、これから何が始まるのかと人々を不安に駆り立てます。

このように切れ目なく次の楽章に入っていく事を「アタッカ」と呼びます。「運命」とは、常に悲運や別ればかりではなく出会いや幸運もあることを示すかのように最終楽章となる第4楽章に向かっていきます。ハイドンやモーツァルトでさえ交響曲では使っていません。

交響曲第5番『運命』第4楽章

交響曲第5番『運命』第4楽章
第3楽章から切れ目なく「アタッカ」でこの第4楽章が演奏されます。この楽章はこれまで聴いた事のないような雄大な音楽が奏でられます。最大のクライマックスへの突入です。当時では珍しかった楽器、ピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンなども導入しています。

劇的な音楽

不気味な第3楽章の薄暗い世界から、一転して明るく力強い世界に移ります。フォルティッシモによる合奏で奏される主題は明朗です。この楽章で登場する「運命動機」には第1楽章におけるような威圧的な感じはなく、潑剌として晴れ晴れとした印象を与えてくれます。

ここは「ドーミーソーファミレドレドー」で始まります。しかもハ長調という単純な調性です。「ドーミーソー」ですよ。小学生のピアノの練習かとでも思わせるような単純な音楽です!!分かりやすいフレーズなのに洗練されていて力強くてパワーに満ち溢れています。

ハ短調の音楽がハ長調に変わり、ここでも「暗」から「明」への転換がみられます。第1主題は前にも書いたように「ド・ミ・ソ」の分散和音をもとに構成されたシンプルなもので、第2主題は「運命の動機」を用いたものです。実に雄大な音楽です。力強さも感じられ見事な構成です。

新たに加わった楽器たち

前の段で書いた通り、ハ長調に切り替わったとたんにクレッシェンドで膨れ上がって、フォルティッシモの雄大な主題が凱歌を演奏し始めます。ここではピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンが演奏に加わり、壮大な力強さが一気に増します。これらの楽器は音の厚みを増したのです。

ベートーヴェンは、ピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンの当時としては珍しかった楽器を、初めて交響曲に取り入れました。これも画期的な出来事です。ベートーヴェンは、喜びの気持ちが勝利の凱旋行進をするような音楽をこの楽章で求めたかったのでしょう。

この工夫のおかげで、第4楽章はゴージャスな響きを獲得することとなったのです。これにより音楽の響き、厚みも増して、『運命』はより壮大な交響曲として君臨するようになったのです。ベートーヴェンの何と偉大な事!簡単な音楽のように聴こえますが計算しつくされているのです。

勝利の雄叫び

一瞬第3楽章の主題が回帰しますが、最後は迫力に押し切られるように息をもつかせぬ勢いで突き進み、コーダでは加速し「暗」から「明」へにおける「明」の絶頂で華やかに曲を閉じます。全楽器一斉に演奏に加わり、聴く側の興奮状態もさらに高まった上でのラストです。

ベートーヴェンの交響曲は比較的あっけない形で終わることが多いですが、この『運命』ではくどいという人もいるぐらい執拗に念を押し、彼の交響曲の中では唯一「ジャーン」とフェルマータの音で終わります。見事な構成に満ち溢れた音楽はこうして幕を下ろすのです。

この第4楽章は「運命」の困難を乗り越えた先の喜びを表現した、正しくクライマックスとなるのです。有名な第1楽章が「運命の来訪への怯え」ならば、第4楽章は「運命に打ち勝った人たちの雄叫び」という意味でもあるのです。やったぞと人々が小躍りする姿が目に浮かぶようです。

運命動機に支えられた音楽

見てきた通り最初の楽章から終楽章まで「運命動機」で構築された音楽でした。ベートーヴェンが考えに考えて作曲した力作であり名曲です。「暗」から「明」への移り具合が順を追って明確にされています。ここまで人の心を虜にする音楽を今までに聴いた事がありません。

それはどうしてでしょう。構成力が素晴らしい為です。構成がしっかりしているから、その上でなされる仕掛けが全て上手く運ぶのです。「運命動機」という単純明快な音形を最初から最後まで一貫して貫いたその素晴らしさ。ベートーヴェン以外の作曲家には真似できない事です。

構成力、創造力、想像力、全てに渡ってベートーヴェンがどれだけ悩み抜いたかは想像を絶する物があります。だからこそこんなに素晴らしい新しい音楽が完成したのであり、ベートーヴェンの創作活動の中で頂点を極めるような音楽になったのだと思います。こういう楽曲を傑作といいます。

『運命』初演

1808年12月22日、オーストリア・ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場にて初演。当時は今と違って、演奏会といえば5曲位演奏する事が当たり前でしたから、『運命』の初演はとてつもなく長い時間が掛かった演奏会でした。この演奏会は大失敗に終わりました。

当日の演奏会の曲目

  • 交響曲第5番ヘ長調『田園』(注:現在の第6番)
  • アリア “Ah, perfido”(作品65)
  • ミサ曲ハ長調(作品86)より、グロリア
  • ピアノ協奏曲第4番
  • 交響曲第6番ハ短調(注:現在の第5番)
  • ミサ曲ハ長調より、サンクトゥスとベネディクトゥス
  • 合唱幻想曲

『ピアノ協奏曲第4番』の後、休憩が挟まれましたが、この演奏会の資料によると「暖房もない劇場で、少数の観客が寒さに耐えながら演奏を聴いていた」とされています。演奏会の曲名を見て貰えば明らかなように、全体で4時間を越えるという非常に長いものでした。

聴衆や演奏家の体力も大きく消耗したこともあり成功とは言えませんでした。また第2部のフィナーレを飾る『合唱幻想曲』も演奏途中で混乱して演奏を始めからやり直すという不手際もあり演奏会は完全な失敗に終わっています。ベートーヴェンの不機嫌な様子が手に取るように分かります。

『運命』後世への影響

『運命』が後世に与えた影響は計り知れない物があります。同じ古典派のハイドンやモーツァルトと同じく4楽章構成の交響曲ですが、まるで違う交響曲になっています。これは『交響曲第3番』からであり、より完成度が増した『運命』は、正に交響曲の頂点に立つ作品です。

多大な影響を受けた作曲家は、ブラームスを筆頭に、チャイコフスキー、ベルリオーズ、ブルックナー、マーラーなどの交響曲作曲家を挙げなければならないと思います。偉大なるベートーヴェンの死後、彼を超える交響曲をどう作曲すればいのか考えてしまった作曲家は数多いでしょう。

特にブラームスはベートーヴェンの作品の後に自分にどんな作品が書けようかと凄く悩んだ末にやっと『交響曲第1番』を書き上げるほどでした。実に20年もの時間を要したのです!20年という恐ろしい事実。そのせいでブラームスは交響曲を4曲しか残せませんでした。

面白い事実

不思議な事に、ベートーヴェン以降の交響曲作曲家は、『交響曲第5番』で傑作を残している人たちが多く存在しています。交響曲も5曲目位になってくると、丁度良い作曲の力が発揮できる様になるのでしょうか?それともなにか目に見えない力が働いているのでしょうか。

ドヴォルザークの『新世界より』は現在では『第9番』ですが、昔の研究では『第5番』でした。それ以外にもブルックナー、チャイコフスキー、マーラー、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフのものは特に有名であり名作として知られています。私も大好きな作品ばかりです。

『交響曲第9番』までを作曲すると死ぬという不吉な都市伝説がありましたが、逆に『交響曲第5番』は作曲家にとってはプラスに作用する特別に重要な意味合いが有るのでしょうか。こういった不思議な巡り合わせも面白い話です。きっと神様がご褒美を与えてくださったのですね。
ベートーヴェン交響曲第9番は死を喚ぶ音楽?第9に纏わる恐怖の都市伝説 

最後に

交響曲第5番『運命』を詳細にみてきました。こんなに構成がしっかりしていて、完成度の高い音楽は他にない事が伝われば幸いです。元々天才の作曲家が頭を悩ませながら努力して構築した音楽ですから、名作が生まれるのも当然です。

「ジャジャジャジャーン」がここにも出て来たかと聴き方も変わる事でしょう。「苦悩」から「栄光」への音楽ですから、聴き終わると満足感とちょっとした疲労感が残ります。しかし、この疲労感は一仕事終えたような爽やかな物です。

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