
指揮者レナード・バーンスタイン。この情熱的な指揮者が亡くなって30年近く経とうとしています。あの初めてベルリン・フィルを指揮したときの素晴らしいマーラー『第9』。ベルリンの壁崩壊を記念して演奏されたベートーヴェン『第9』の演奏会。どちらも名演でした。
バーンスタインの情熱が伝わってくるような圧倒的演奏。このふたつの『第9』はバーンスタインでなければ聴く事の出来ない、実に神聖な世界へ我々を連れて行ってくれました。人間性豊かで、明るいバーンスタインの1970年後半以降を振り返ってみようと思います。
晩年のウィーンでの活躍はカラヤンと比較され、お互いに良い刺激を受け充実したものだったと思います。経験を積み重ね、円熟の演奏を聴かせてくれたあの時代をバーンスタイン集大成の時期として取り上げようと思います。ウィーン・フィルとの仕事は後世まで残るものになりました。
レナード・バーンスタイン円熟の時代
1970年代後半から、亡くなった1990年までのバーンスタインの後半生は、指揮者としてとても恵まれた状況でした。特にどこのオーケストラの役職にもつかず、主にウィーン・フィルとの演奏と録音は素晴らしい傑作の嵐でした。バーンスタイン円熟の時期を振り返ってみようと思います。
レコード会社移籍
1969年に、アメリカのニューヨーク・フィルの音楽監督を辞任するとレコード会社もCBSソニーからドイツ・グラモフォンに移籍します。レナード・バーンスタインのヨーロッパ進出が始まったのでした。このことは彼の人生にとってとても意味のあることになりました。
ドイツ・グラモフォンとの録音の仕事も増え、「隣近所のレニー」から一気に「巨匠指揮者のレナード・バーンスタイン」に大変身を遂げたのです。レナード・バーンスタイン最後の輝きの時期でした。特に、ウィーン・フィルとの関係はとても良好で、続々新録音を発表します。
レナード・バーンスタインの変貌
活躍の場をヨーロッパに移し、レコード会社を移籍してからのレナード・バーンスタインは明らかに変わりました。深く沈潜する感覚、独特の遅いテンポと粘り、これらは時に破天荒の名演を生み出しました。ニューヨーク・フィル時代と違って、音楽により深みが増しました。
ヨーロッパ進出を果たしたレナード・バーンスタインは、自身の得意な曲を次々とライブレコーディングしていきます。ビデオ録画も同時に行なう事も多くなりました。現在も「YouTube」で試聴出来る数々の演奏は、この時期のものです。
そんな中で、レナード・バーンスタインとウィーン・フィルの結びつきは強くなっていきます。三国志で有名な「水魚の交わり」のことわざのように両者の関係はなくてはならない物になっていきました。本当にこの時期の両者は、お互いを必要としていました。大変良好な関係でした。
レナード・バーンスタイン、ベルリン・フィルを振る
ベルリン・フィルのシェフであったカラヤンが決して指揮させませんでしたが、ベルリン・フィル団員の強い要望により実現された最初で最後のコンサートでした。レナード・バーンスタインがベルリン・フィルを指揮したのは本当に生涯この1回だけでした。
世紀の協演、選曲はマーラー
1979年10月、レナード・バーンスタインが始めてベルリン・フィルを指揮しました。曲目はマーラー『交響曲第9番』。この曲は、かつてバルビローリがベルリン・フィルの定期公演で取り上げた際、余りにも素晴らしいので是非録音して欲しいと頼みこんだ曲です。
ベルリン・フィルにとっては因縁めいた曲なのですね。レナード・バーンスタインもこの一期一会のライブCDが出ています。これを聴いてみると、彼がいかにマーラーを愛し、知り尽くしているかが良く分かります。この『9番』は特によく演奏会に載せていたプログラムでした。
レナード・バーンスタインの大熱演
マーラーは私と近い物があると良く言っていたレナード・バーンスタインですが、こんなに素晴らしいマーラーの演奏は彼だからこそです。細部にわたって知り尽くし、同じユダヤ人としての血が騒ぐ要素があるのでしょう。録音の途中で彼の声やうなり声が聞き取れます。
ライブで気合が入っている様がより感じられます。レナード・バーンスタインの情熱で押し切ったような演奏です。これについてくるのですからベルリン・フィルはやはり世界一のオーケストラです。急に決定されたコンサートですから、練習時間も余り取れなかった事でしょう。
両者ともに冷静ではなく、何かに浮かれているような演奏。天才の音楽家がたちが冷静さを保てずに感動しながら演奏している気持ちが伝わってきます。まさしく一期一会の力のこもった演奏になっています。この曲のベストCDとは区別して考えたい、特別な特別な記念碑的1枚です。
レナード・バーンスタイン4度目の来日
ベルリン・フィルとの最初で最後のコンサートの前の1979年7月にニューヨーク・フィルと来日しています。このときは東京で4回コンサートを開きました。マーラーがメインの日とショスタコーヴィチがメインの日の2回ずつ2セット。どの公演もチケット完売でした。
ショスタコーヴィチ『交響曲第5番「革命」』
今でも鮮明に覚えています。1979年7月2日。東京文化会館。ライブレコードにもなっているショスタコーヴィチ『革命』を聴くために私はその空間の中にいました。レナード・バーンスタインを始めてライブで聴いた日でした。彼と同じ空気を吸っているだけで幸せでした。
指揮台を飛び跳ね、唸りながら指揮するその姿に心を奪われました。時を過ぎるのも忘れ、この曲に没頭していました。この曲がこんなに劇的で魅力的な曲だったとは。この演奏はレナード・バーンスタインの生涯の中でも良く演奏できた会心の演奏だったと思います。
レナード・バーンスタインの充実期
この日のレナード・バーンスタインはおそらく燃えていたのだと思います。第4楽章を聴いて貰うと良く分かりますが、早いこと何の。気持ちを抑えられなくて前へ前へと進んでしまったのでしょう。音楽家にとっても、オーケストラにとっても、年に数度しかない演奏でした。
この時期、ウィーン・フィルとも関係を重ねて、ベートーヴェンの交響曲全集を録音していた時期と重なっていると思われます。レナード・バーンスタインのキャリアとして最後の充実期であったのでしょう。ベルリンとの仕事もそんな時期の大切な仕事でした。
ウィーン・フィルとの仕事
1970年代後半からウィーン・フィルとの仕事が増え始め、両者がウィン・ウィンの状況になってきます。求めていた者同士がようやく出会えたような感じ、蜜月の時代に突入していきます。この両者の組み合わせで録音された作品は全て名盤です。
ベートーヴェン交響曲全集
レナード・バーンスタインにとって、音楽の集大成とも思える録音が成されていきます。全て、ライブ録音で臨場感溢れる録音となっています。まずは、やはりベートーヴェンの交響曲全集でした。1977年に『交響曲第5番』から始まり1979年『第9』で完結します。
指揮者となったからにはベートーヴェンの交響曲全集を録音することはとても意味のあることでしょうから、バーンスタインも最後にウィーン・フィルという世界に冠たるオーケストラを使って、纏めたかったのでしょう。いつかは最高のベートーヴェンを録音したい、指揮者の夢なのですね。
1980年レコード・アカデミー大賞を受賞したレナード・バーンスタインにとっても指折りの名盤ではないでしょうか。演奏が流麗・闊達で、彼らしく遅めのテンポかと思うと急に走り始めたりと、自由奔放さを感じる録音です。ライブですから、彼の声やジャンプの音も録音されています。
ブラームス交響曲全集
前のベートーヴェンの全集との合間に録音していたものです。これもウィーン・フィルとのライブ録音です。この交響曲も素晴らしい物です。極めて遅めのテンポでぐいぐいと我々をブラームスの音楽に引き入れてしまうその手腕は見事です。本当にこの時期の彼は素晴らしい。
1981年から1982年にかけてライブ録音された全集です。ブラームスがロマン派だと分る演奏です。レナード・バーンスタイン印があちこちにあって、感動ものです。やはり彼はライブでこそ本領発揮できる指揮者なのですね。さすがは我らがバーンスタイン!
この演奏はおそらく好みの分かれる演奏かと思います。しかし、こんなスタイルもありであって、ブラームスの世界に浸りきっているではないでしょうか。交響曲だけではなくて、ハイドン・バリエーションや大学祝典序曲なども含めて、全てが素晴らしい内容です。
ウェストサイドストーリー
レナード・バーンスタイン自身の作品をオペラ歌手たちを使って録音したものです。メイキング風景がDVDで発売されています。このDVDはぜひとも皆さんに見てもらいたいものです。自身の作品を如何に仕上げるかが良く分かって面白い映像になっています。
1984年のこの録音はマリア役のキリ・テ・カナワがとても魅力的です。トニー役のホセ・カレーラスは英語が母国語ではないため、バーンスタインから何度も発音を注意されながら録音が繰り返されました。メイキングDVDを見ると本当に楽しめます。
今でも上演されている人気ミュージカルですが、残念ながら私は観賞した事がありません。映画も見ていませんので、この録音が全曲全てを聴いた最初でした。オペラ歌手たちの録音なので、おそらくはミュージカル好きには違った印象なのかと思われます。
モーツァルト後期交響曲
モーツァルトの交響曲から『第35番』、『第36番』、『第38番』から『第41番』までの6曲の全集です。レナード・バーンスタインがモーツァルト振りだとは思っていませんでしたが、発売当初、これらの録音を聴いて、えらく感動した記憶が蘇ってきます。
実に完成度の高いモーツァルトです。この作曲家の内面を見せてくれるような演奏です。ただひとつ気になったのが、録音の悪さ。ライブなのは分りますが、前で紹介したベートーヴェンやブラームスよりは劣る気がします。スタジオ録音ではないので我慢するしかありませんね。
ウィーン・フィルというモーツァルトに関しては知り尽くしているオーケストラだから上手くいったところもあるとは思います。レナード・バーンスタインとの関係性が良好だったお陰でこんな名盤が出来上がりました。この録音も、今では、彼にとって良い記念になりました。
ブラームス:『ピアノ協奏曲第1番』、『第2番』
1984~85年のライブ録音。どちらもピアニストはクリスティアン・ツィマーマン(色々な発音の仕方がありますが私はこれを使わせていただきます)。CD、DVD両方発売されています。私はDVDでのみ視聴しました。このコンビで録音させたプロデューサーの先見の明は凄い!
演奏の前に2人でピアノで合わせながら、打ち合わせをしたそうです。若きツィマーマンの達者なこと、レナード・バーンスタインに負けていません。この交響曲のような協奏曲を見事に弾きこなしています。ウィーン・フィルも秀逸な演奏を見せています。
この録音にはエピソードがあって、実はツィマーマンが使うピアノが事故のため使えなくなり、急遽、別のピアノで録音したそうです。ツィマーマンはブラームス向きのピアノではなかったと不満を持っていたそうです。でも、これだけ聴かせてくれれば文句なしです。
レナード・バーンスタイン5度目の来日
1985年9月8日、歴史的な名演が生まれました。オーケストラはイスラエル・フィル。マーラー『交響曲第9番』。私もその日、NHKホールで聴いた1人です。なんと幸せな日だったか。この来日でマーラーを振ったのが4回。私はNHKホールで聴きました。
その中でも9月8日の『第9番』は今でも語り草になるような出色のマーラーでした。最後のピアニッシモの後の沈黙。おそらくその場にいた観客全員が感動していたのだと思います。そしてその後のブラボーの嵐は凄かったです。感動のあまり目頭が熱くなりました。
こういうコンサートは本当にせっせとコンサート通いをしていないと出会えないものです。私はクラシック音楽を聴くようになってからこんな素晴らしいコンサートに巡りあえたことは3度目ぐらいです。指揮者とオーケストラと観客も一緒になって、ひとつの音楽を作り上げる感じ、それを味わえた1時間半でした。これからこんな演奏を何度経験できるか、そんな名演でした。
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集
こちらもピアニストは全てクリスティアン・ツィマーマン。全5曲ともCD、DVDのどちらでも発売されています。全集にする予定が途中でレナード・バーンスタインが亡くなり、『第1番』と『第2番』だけはツィマーマンの弾き振りで録音されたものです。
『第3番』から『第5番』は1989年9月にレナード・バーンスタイン指揮でのライブ録音です。残り2曲はツィマーマンによる弾き振りで1991年12月に同じ会場でセッションされたものです。2人共残念な思いだった事でしょう。両者の組み合わせで全集が聴きたかったです。
ツィマーマンの素晴らしさが良く出ています。ブラームスの時よりも楽に弾いているけど、より深みを増した感じです。DVDで見ていると、バーンスタインとツィマーマンがお互いを尊敬しあって演奏しているのが感じられて、なんかとても微笑ましいです。
その他の録音
単発に見えますが、マーラーとかシューマンとかブルックナーとかを録音していましたが、ゆくゆくはそれらも全集にする予定だったと思います。本当にマーラーの全集は完成させて欲しかったです。72歳で亡くなったのは余りにも早すぎました。
あと、聴いて欲しいのはベートーヴェンの『弦楽四重奏曲第14番』と『弦楽四重奏曲第16番』を弦楽オーケストラでやった演奏です。この2曲がカップリングされたCDが発売されています。普通のカルテットで聴くよりも雰囲気が違います。ベートーヴェンの天才さが分かる録音です。
『14番』はレナード・バーンスタインが亡き奥様に捧げた音楽だそうです。1977年9月の演奏です。一方『16番』の方は亡くなったカラヤンに対しての哀悼の気持ちから演奏されたとのことです。1989年9月のライブ録音です。両曲とも追悼のために録音されました。
この曲を弦楽オーケストラで演奏したのはレナード・バーンスタインが史上初で、通常のリハーサルの前に弦セクションを12の五重奏団に分け、この『第16番』を室内楽として練習をさせた後に、60人の弦セクションに戻しリハーサルを行ったそうです。
レナード・バーンスタインが若者たちに伝えたかった事
1990年、レナード・バーンスタインは音楽家を目指す若者の為にパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)という国際教育音楽祭を札幌で開催します。このPMFは彼の意思をついで今でも開催されています。この音楽祭が彼の最後の演奏会になってしまいました。
PMFアカデミー
PMFの中心は、世界を代表する音楽家を教授陣に迎え、オーディションで選ばれた世界各地から集まる若手音楽家を育成する教育プログラム「PMFアカデミー」です。レナード・バーンスタインは昔からテレビを通して、子供たちに音楽の楽しみを伝えていました。
PMFはその思いの結実であり、豊かな才能を持つアカデミー生たちは、毎年7月の約1カ月間、教授陣から高い技術と豊富な経験を受けつぎ、音楽を通じた国際交流、国際相互理解を深めています。このPMFは国際的にも有名になり、ゲルギエフなど著名な指揮者も参加しています。
教育の成果は、札幌をはじめ各地で開催される演奏会で広く披露されます。特に、アカデミー生により編成される「PMFオーケストラ」は、世界トップレベル・アジア随一のユースオーケストラとして、毎年多くの聴衆を魅了しています。ユースオーケストラですが、上手いオーケストラです。
レナード・バーンスタイン、最初で最後のPMF
第1回のPMFはレナード・バーンスタインの体調がかなり優れず、無理を押しての参加でした。若手音楽家の為に自身の体調をも気にせず、オーケストラに練習をつけました。その模様はNHKで放送され、私も視聴しました。楽曲の練習中も体調が悪い事が窺えました。
曲目はシューマンの『交響曲第2番』。これはプロのオーケストラではありませんが、なかなか優秀で、レナード・バーンスタインの良さも至るところに出ており、聴き応えのある演奏となっています。この演奏はDVDで発売されています。彼の最後の録音という事で話題にもなりました。
音楽と愛
レナード・バーンスタインは良く言っていました。「私には好きなものが2つある。ひとつは音楽であり、もうひとつは人間」。人間に対する愛と音楽に対する愛を両立させなさい。若者たちにもそれを伝えたかったのだと思います。バーンスタインならではの言葉です。
「どれかを選ぶなんて何の意味も無い、私は音楽のために生きている」そうも彼は言っています。レナード・バーンスタインにとって音楽は人生から切り離せない物、生き方そのものを音楽に捧げた人物でした。彼の遺言になってしまいました。
まとめ
今回は録音を通してみたレナード・バーンスタインの晩年を見て来ました。彼が如何に偉大な指揮者だったかを改めて感じました。彼には遣り残した事がたくさんあった生涯でもあったと思います。ニューヨーク・フィルの音楽監督を続けた10年間で解雇した団員は1人もいなかったそうです。バーンスタインの人間性を物語っています。
彼の人間性ではそんな事ができる人ではなったのでしょう。ニューヨーク・フィルを辞任してからの彼は大きな変化を見せました。ウィーン・フィルとの出会いは彼の音楽性をより高めました。もう少し早く彼らが出会っていたら、より素晴らしい音楽をもっと多く世に届けられた事でしょう。それが残念でしかたありません。