ドイツの美しい景色

シューマンという作曲家は日本では地味なイメージで捉えられています。確かに華々しさは感じないですが、シューマンの音楽は我々の心を揺さぶる何かが秘められていると思っています。

シューマンという音楽家は他の音楽家と比べると活動期間は短かったですが、名曲を多く残している事は紛れもない事実です。独特の音楽感が魅力になっています。

残された音楽ジャンルも多岐にわたっていますし、そのレベルも高いものがほとんどです。シューマンの作品を10曲選び、シューマンの音楽的功績を辿りたいと思います。

シューマンの晩年は精神的な病気で残念なものになりました。
42、3歳頃から精神障害が起こり、とても仕事ができる状態ではなくなってしまった。そして46歳で惨めな死を迎えたのだ。

交響曲第1番「春」

やはり交響曲の分野から紹介するのが筋だろうと思います。最初は『交響曲第1番』。この頃のシューマンは創作意欲に溢れた時代でした。

「春の交響曲」

シューマンは『交響曲第1番』を「春の交響曲」と呼んでいました。各楽章にもそれぞれ表題も付けられていたのです。最終的にはそれらは全て削除されましたが、シューマンの中には先に春のイメージがあったわけではなく、第1稿完成時にそう感じたという言葉が残されています。

また、この交響曲はシューベルトの影響も多くあるのです。それはシューマンがウィーンに滞在した時に起こりました。

シューベルトが作曲に使っていた部屋を訪問する機会に恵まれたシューマンは『ザ・グレート』の総譜を発見します。シューベルトは小品ばかりを作曲した人物と思っていたシューマンは驚きを持ってその価値を認めたのです。

シューマンが「天国的な長大さ」と評した交響曲を友人のメンデルゾーンが初演します。残念ながらシューマンは初演には立ち会えませんでしたが、再演を聴き、圧倒的に打ちのめされたのではないでしょうか。

それは1839年の事でした。それ以降のシューマンの仕事ぶりが変化したのです。1840年にクララと結婚をした事も影響があると思います。1840年は歌曲を120曲も作り出し、「歌曲の年」と言われます。

そして次の年は「交響曲の年」となりました。「春」ともう1曲の交響曲(これには番号が付けられなかった)を作曲するのです。因みに翌年は「室内楽の年」となっています。

『交響曲第1番』は1841年の1月に作曲を始め2月にはもう完成しています。そして3月には初演までするという早業でした。シューベルトの『ザ・グレート』を発見した時からシューマン自身の中に自分も交響曲が作れるとの自信が湧いたと思われます。

アドルフ・ベトガーという詩人の詩に霊感を得て作曲されたとされていますが、既に頭の隅には構想が構築されていたのかもしれません。

シューマン『交響曲第1番』おすすめ名盤

オトマール・スイトナー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(1986年)

始めにお聞きになる方は普段聞き慣れている「春」と違うと驚かれる事でしょう。1941年版による演奏です。これがシューマンが最初に考えていた演奏となります。スイトナーという指揮者の繊細な指示にもオーケストラは忠実です。

通常版をお探しの方にはクーベリック/バイエルン放送響(1979年)がおすすめです。中庸を得た安心できる演奏となっています。

交響曲第3番「ライン」

1850年に完成された交響曲。タイトルは作曲者が名付けたわけではなく、後に付けられました。作品自体が「ライン」を思わせる内容だからです。

「ライン」誕生の訳

『交響曲第3番』となっていますが、実質的には4番目、つまりシューマンが最後に書いた交響曲です。1841年「交響曲の年」に『第1番』の次に書いた2番目の交響曲を10年後に大改訂し、これを『第4番』とした事で『第2番』、『第3番』はそれぞれ番号がひとつ繰り上がりました。

全5楽章の交響曲ですが、第4楽章は第5楽章の序奏とも取れるので、実質的には交響曲の定石に従ったものと言えるでしょう。

1850年、シューマンはデュッセルドルフの管弦楽団・合唱団の音楽監督に招かれました。デュッセルドルフでのシューマンは好んでライン川沿いを散歩したそうですし、ライン川上流のケルンにも足を運んでいます。

デュッセルドルフやケルンのライン川の風景に惹かれたシューマンはそれを交響曲として纏めたのです。そのために後の人はこの交響曲に「ライン」と愛称を付けました。

9月にデュッセルドルフに移ったシューマンは『チェロ交響曲』を完成させた後、直ぐに交響曲の作曲に取り掛かり、11月から12月にかけての短期間で完成させたのです。新転地のライン川の風景がシューマンの創作意欲を掻き立てたのでしょう。

おすすめ名盤

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(1972年)

昔から名盤の誉れ高い1枚です。テンポはやや速めの演奏ですが、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団の深みのある厚い響きが聴衆の心を掴みます。サヴァリッシュの作品解釈の深さや旨さが詰まった絶品です。

ピアノ協奏曲

シューマンはピアノ曲を多く残していますが、ピアノ協奏曲はこの作品が唯一です。

ピアノ協奏曲について

シューマンのピアノ協奏曲の出発点は、『ピアノと管弦楽のための幻想曲』(1841-43)という作品です。元々、この作品が出来上がり初演もされた後に、シューマンの妻クララの提案に従い、協奏曲に変更しました。

『ピアノと管弦楽のための幻想曲』を第1楽章にし修正を加え、第2、3楽章を追加して、1845年に完成を見ます。

第1楽章と他の2楽章に隔たりがあるのはそのためです。第1楽章は素晴らしい出来栄えですが、第2、3楽章は変化に乏しく物足りなさを感じるのは私だけではないでしょう。

こういった作品はピアニストの弾き方次第で印象が凄く変わってしまいます。凡庸なピアニストだと退屈してしまうはずです。

シューマンのこの協奏曲が音楽的に素晴らしいものだという事は歴史が証明しています。しかし、この作品が他のピアノ協奏曲と違っているところは、ピアノのヴィルトゥオーソ性を狙って書いているのではないという点です。

ピアノがオーケストラのひとつの楽器であるかのような書かれ方をされているのです。オーケストラの伴奏に回る事もあるし、あるメロディをオーケストラと一緒に追いかけたりしています。そんな点でもシューマンらしさが出ている作品です。

おすすめ名盤

ルプー(P)プレヴィン指揮ロンドン交響楽団(1973年)

個人的な話ですが、ルプーの名はこの録音で知った事もあり、思い入れ深いものがあります。品が良くて繊細な演奏です。瑞々しい演奏とはこんな演奏を表すのでしょう。

歌曲集『ミルテの花』

シューマンは歌曲にも力を入れていました。1840年は「歌曲の年」と言われるほど多くの歌曲を作曲しています。『ミルテの花』はシューマンとクララの愛の歌曲です。

『ミルテの花』のタイトルの由来

ゲーテ、リュッケルト、ハイネなどの詩人の詩をもとに作曲されている全26曲からなる歌曲集です。

ただ、この歌曲集に「ミルテの花」は登場しません。ではなぜ、シューマンはこの歌曲集を『ミルテの花』というタイトルにしたのでしょう。

この歌曲集にはロマンティックな逸話があります。シューマンはクララ・ヴィークとの結婚式の前日に歌曲集『ミルテの花』を「愛する花嫁へ」と一言書き添えて彼女に捧げたのです。

「ミルテの花」は昔から結婚式のブーケなどに用いられるもので、結婚とは深い関係のある花でした。花言葉は「不滅の愛」。だから、シューマンはクララに捧げる歌曲集として『ミルテの花』と名付けたのです。

第1曲「献呈」はリュッケルトの詩ですが、愛する女性を思う男心の歌となっています。正にクララを思うシューマンの気持ちそのものだったわけです。

シューマン「歌曲の年」の1840年に作られ、9月にクララと結婚しました。シューマンの幸せ絶頂期の作品です。

おすすめ名盤

クリスティアン・ゲルハーヘル、カミラ・ティリング/ゲロルト・フーバー(2017/18年)

全曲盤のCDはそう多くありません。シューマンの歌曲全集の録音を勧めているクリスティアン・ゲルハーヘルの1枚を挙げておきます。

歌曲集『女の愛と生涯』

この歌曲集も「歌曲の年」に作曲された名曲です。女性の一生を歌っています。ドイツリートの出発点とも言われている作品です。

『女の愛と生涯』について

アーデルベルト・フォン・シャミッソーの詩(1830年)による連作歌曲集です。全8曲からなり、「歌曲の年」といわれる1840年に作曲されました。

タイトル通り、女性の恋愛から結婚、母となり、そして夫との死別までの物語を歌った歌曲集です。シューマンがクララと結婚する年に作曲されたもので、この事がこの歌曲集を作ったきっかけになったのは間違いないでしょう。

この歌曲集の特徴はピアノの比重が重くなっている事です。歌唱とピアノが同等に扱われるドイツリートの幕開けとなる作品と考えられています。

おすすめ名盤

ルチア・ポップ/ジェフリー・パーソンズ(1980年)

正直に申し上げると歌曲は苦手な私でも、ここでのポップの歌唱は美しく、表現力豊かだと分かります。50代で亡くなった事が悔やまれる歌姫でした。

歌曲集『詩人の恋』

シューマンの歌曲集の中では最も知られた作品です。中でも第1曲の「美しい5月に」は最も人気のある作品になっています。

『詩人の恋』について

ハイネの詩による全16曲の連作歌曲集です。この作品も「歌曲の年」の1840年に作られました。

大きく分けると、第6曲までは愛の喜び、第7曲から第14曲までは失恋の悲しみ、そして第15曲、第16曲は過ぎ去った恋を振り返る作品と言えます。

なんと言ってもこの作品は『詩人の恋』というタイトルが素敵です。ハイネの『歌の本』という詩集から選んだものですが、これに『詩人の恋』と名付けるシューマンの感性は素晴らしいものがあります。

第1曲「美しい5月に」は恋をした青年が女性に打ち明ける情景を歌っていますが、伴奏ピアノの響きがどこか寂しげです。清々しい5月の筈なのに、この青年の未来は明るくはないと予感させるような雰囲気があります。

美しいけれども悲しみも内包されている、そんな作品です。シューマンはこういうどこか影がある描写をさせると実に天才的です。

シューマンの歌曲は伴奏ピアノも大事な役割を果たしますが、この『詩人の恋』はそれがとても良く仕上がっているからこれだけの人気を得たのだと思います。ドイツリートの傑作です。

おすすめ名盤

フリッツ・ヴンダーリッヒ/ギーゼン(1965年)

バリトンのフィッシャー=ディースカウ/ブレンデル盤も素晴らしいですが、多少録音は古くなりますが、テノールのヴンダーリッヒをここでは取り挙げたいと思います。ロマンティックな歌唱はこちらも負けてはいません。

謝肉祭

1834年から35年にかけて作曲されたピアノ曲集です。「4つの音符による面白い情景」という副題があります。ピアノによる音遊びと言ってもいい作品です。

音遊びの音楽

『謝肉祭』はシューマンが25歳の時に完成させました。曲はそれぞれ標題が付けられた20曲からなり、連続して演奏されます。シューマン初期の傑作といわれています。

作曲当時シューマンの恋人だったエルネスティーネ・フォン・フリッケンの故郷アッシュの綴り「ASCH」を音名表記した「A-Es-C-H」(ラ-ミ♭-ド-シ)の4つの音を面白く使っている事から「4つの音符による面白い情景」という副題を付けたのです。

また、「ASCH」は「As-C-H」(ラ♭-ド-シ)とも読めますから、この音形を使った曲もあります。実験的音楽と呼んでもいいのかもしれません。

20曲の中で「前口上」と「ショパン」以外はこれらを使った音遊びで出来上がっています。

言葉を音階にして楽しんでいるだけではなく、ピアノ曲としても面白くレベルが高いのですから、人気があるのは当然かもしれません。

おすすめ名盤

アルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリ(1957年)

録音は古くなりましたが、ミケランジェリの1957年盤を挙げておきます。ミケランジェリのクールな音楽の流れは我々を引き込みます。細部への拘りや歌わせ方など素敵な演奏です。

子供の情景

『子供の情景』はシューマンのピアノ曲の中でも人気のある作品です。中でも第7曲「トロイメライ」は誰でも一度は耳にしているのではないでしょうか。

子供心を書いた大人の作品

1838年に作曲された全13曲のピアノ曲集です。13曲全てにタイトルが付いており、子供の愛らしい仕草や気持ちを描いています。

シューマンは当時恋人であったクララ・ヴィークにこんな気持を手紙で伝えていました。「あなたは時々子供っぽく見える」。そんな手紙を送った時期にこの作品は集中的に書かれているのです。

この作品は子供向けに書いたのではなく、クララの子供っぽさに触発されて、彼女のために書かれたものです。クララだったら恐らくこうだったろうというシューマンの発想(妄想?)によってこの作品は生み出されました。

1840年にようやく結婚できた2人でしたが、この頃は結婚を認めるようにクララの父と裁判で闘っていた時期です。そんな辛い時期だったから余計に2人の世界は深まったのかもしれません。

クララへの思いがぎっしりと詰まった『子供の情景』は優しく穏やかで豊かな気持ちにさせてくれます。「トロイメライ」の夢心地の世界もクララへの熱い思いが書かせたものです。恋愛の力というのは計り知れないものと思い知らされます。

『子供の情景』はリストのお気に入りでした。シューマンへの手紙の中で「自分の娘に弾いて聴かせている」「1曲目を何度もねだられて前に進まない」と親馬鹿ぶりを披露しています。

おすすめ名盤

マルタ・アルゲリッチ(1983年)

情熱的なアルゲリッチでも流石にこの作品は淡々とした演奏です。しかし、テンポの動かし方や音色の変化など随所にアルゲリッチらしさが出ています。

クライスレリアーナ

『クライスレリアーナ』は1838年に作曲した8曲からなるピアノ曲集です。シューマンの傑作であり、彼のピアノ曲の中では人気の高さも随一かもしれません。シューマン28歳の作品です。

『クライスレリアーナ』作曲の経緯

「クライスレリアーナ」とは「クライスラーの事など」と言った意味です。作家、画家、音楽家であったE.T.A.ホフマンの書いた音楽評論集の題名から引用されました。

シューマンはその中に登場するクライスラーという人物が自分自身の境遇と似た人物だったため共感を覚えこの作品を作り出したのです。クライスラーの叶わぬ恋を描いた物語にシューマンは心を奪われました。

その当時のシューマンはクララ・ヴィークとの結婚を彼女の父親に反対され、様々な妨害を受けていました。自分と彼女をその物語の登場人物と重ね合わせ、この作品を作曲したのです。

シューマンが苦悩していたこの時期は、音楽創作に没頭する事で救われていた部分もあり、名曲が多く生まれています。ほとんどがクララ・ヴィークのために作られたというのも彼女への愛情がどれほど深かったかを物語るものです。

このピアノ曲集は全8曲あり、ひとつひとつ独立していますが、全体を統一させるように作られています。全体が急ー緩ー急ー・・・と言う具合に配置されている点も考え抜かれたものなのでしょう。

どれか1曲と取り出す事は意味がなく、あくまでも全体を通して聴くべき音楽です。シューマンの詩情豊かな傑作と言えます。

作曲中はクララ・ヴィークへ捧げるつもりだったようですが、最終的にはショパンに献呈されました。

おすすめ名盤

ウラディミール・ホロヴィッツ(1969年)

ホロヴィッツの奇跡的な演奏です。これはホロヴィッツの録音の中でも最上のものではないでしょうか。音の繊細さや表現力は凄いとしか形容できません。

幻想曲

3楽章からなるピアノのための幻想曲で、1838年に完成させた彼の代表曲です。今回取り上げたピアノ曲は3曲共に同じ年に作曲されました。シューマンの才能に感心させられます。

『幻想曲』作曲の経緯

1835年にベートーヴェン記念碑をボンに建立する計画が発足し、音楽家や出版社に寄付を求める事になりました。シューマンはその趣旨に賛同し、作品を出版し、その収益を寄付する事としたのです。それがこの『幻想曲』でした。

当初は『ベートーヴェン記念碑への小貢献。廃墟、トロフィー、手のひら。フロレスタンとエウセビオスによるベートーヴェン記念碑のためのピアノフォルテのための大ソナタ』というとんでもなく長いタイトルを付けましたが、出版社が納得せず、結局『幻想曲』として出版されたのです。

作曲の経緯からこの作品にはベートーヴェンへのオマージュとして、第1楽章の最後にベートーヴェンの『遥かなる恋人に』が引用されています。

また、当時恋人だったクララ・ヴィークの作品も用いられているようです。彼女との恋愛は彼女の父親によって妨害され、会えない状態が続いていたシューマンは作品に彼女を登場させ、一層愛を募らせていきます。

落ち着くところ、この作品もクララ・ヴィークを思う情熱が創作の基本にあるのです。シューマン作品の多くはクララのために書かれています。如何に彼女を愛していたかが伝わってきます。

『幻想曲』はベートーヴェンの記念碑の建立に大きく寄与したフランツ・リストに献呈されました。

因みにベートーヴェン記念碑は1845年8月12日、ベートーヴェンの生誕75周年を記念して除幕式が行われています。残念ながらシューマンは出席出来ませんでした。

おすすめ名盤

ウラディミール・ホロヴィッツ(1965年)

1965年のホロヴィッツ、カーネギーホールライヴです。12年ぶりの復活演奏の記念碑的録音。流石に大巨匠もミスタッチなどブランクを感じさせますが、これだけの美しさや表現力の前ではそう気になりません。

まとめ

シューマンの聴いておきたい作品を10曲挙げてみました。こうしてざっとシューマンを振り返ると、ドイツ・ロマン派の中心人物であった事が良く分かります。

多くのシューマンの作品は恋人で後に結婚するクララのために作られました。クララへの愛情が創作意欲という形をとってシューマンを突き動かしたのです。

愛を表現している作品にも関わらず、シューマンの響きには陰りを感じます。それこそがシューマンの特徴であり、我々を感動させるものですが、後の精神障害を暗示させる兆候を感じます。

シューマンは多くのジャンルに名曲を残しました。しかし、最もシューマンらしさを感じるのはピアノ曲ではないかと個人的に思っています。

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