夕暮れ時に失恋を悲しむ女性

マーラーは今でこそ大交響曲作曲家として評価されていますが、その作品が世の聴衆に受け入れられたのはそう昔の事ではありません。「やがて私の時代がくる」、その言葉通りになるのは彼が亡くなってからの事でした。

マーラーの最初の交響曲は『交響曲第1番』となるまでに随分と回り道をした作品です。そんな関係で交響曲としての初演は『復活』の方が先になったという事実は意外と知られていない事なのではないでしょうか。

『巨人』は若きマーラーの若々しさに溢れた音楽になっていますが、その裏には複数の女性との失恋物語が秘められています。マーラーの悲痛な叫びも込められている作品なのです。『巨人』の楽曲と、聴いておくべき名盤を紹介していきます。

マーラーはどんな作曲家なんですか?
交響曲と歌曲の作曲家と言える。そして、この2つのジャンルはそれぞれに関連性を持っているのだ。

『交響曲第1番』完成までの歩み

マーラーは指揮者として成功を収めた後に、作曲家としても活動するようになります。1884年から最初の交響曲の作曲を始め、1888年に完成を見ました。しかし、何故かマーラーはこの作品を交響曲として発表しなかったのです。

この作品が正式に『交響曲第1番』となるまでにはこの後、様々な過程を経ていきます。

第1稿

1888年に完成したものが第1稿です。初演は『2部構成による交響詩』として、1889年11月20日、ブダペスト・フィルハーモニー交響楽団により行われました(指揮はマーラー)。当時のマーラーはブダペスト王立歌劇場の音楽監督だったためです。

第1楽章から第3楽章までを第1部、第4、5楽章を第2部とする交響詩として初演しました。これを第1稿またはブダペスト稿と呼びます。残念ながら現在ではこの稿は存在していません。

この演奏会での専門家の感想は否定的なものばかりでした。マーラーは「こんなにもわかり易い曲は直ぐにでも誰にも認められ、印税生活ができる」と思っていたと後に伝記にも書いているほどです。若気の至りという事ですね。

しかし、現実は違いました。ここからマーラーはしばし迷路に嵌ってしまいます。

第2稿

第1稿での失敗を受け、マーラーはこの作品に手を加えていきます。そして第2稿が1893年に完成しました。ここで『巨人』という表題や楽章ごとの副題が追加されたのです。

第1部:青春の日々から、若さ、結実、苦悩のことなど
 第1楽章 春、そして終わることなく
 第2楽章 花の章
 第3楽章 順風に帆を上げて

第2部:人間喜劇
 第4楽章 座礁、カロ風(注1)の葬送行進曲
 第5楽章 地獄から天国へ

(注1)カロとはフランスの銅版画家。獣たちが猟師の死体を担ぎ、踊りながら墓地に進む絵をモデルにしています。

ここでもマーラーはこれを交響曲とは名付けませんでした。『交響曲様式による音詩』という一風変わったタイトルを与えたのです。

『巨人』という表題はジャン・パウルの⼩説『巨人』から取られました。しかし、その内容とはまるで関係はなく、言葉のイメージのみを借用したとマーラー自身が語っています。

第2稿の公演は1893年10月29日、ハンブルクで行いました。そして、小さな修正を施した後、1994年7月にヴァイマルで再演されています。これらは「ハンブルク稿」「ヴァイマル稿」というものです。

第3稿(決定稿)

1896年のベルリン初演時は初めて『交響曲第1番』と謳い上演されました。これは第2稿を大幅に修正し、『巨人』という表題及び楽章ごとの副題を全て取り去ったのです。

第2楽章の「花の章」はばっさり削除し、4楽章制の交響曲とし、楽器編成も4管編成に強化し、ホルンはなんと7本!これが決定稿ではなく1906年から1907年に修正されたものが現在の決定稿となっています。

決定稿と区別するため、ベルリン初演版は「ベルリン稿」と呼ばれています。1888年の第1稿完成から、紆余曲折を経て現在の形になったわけです。

因みに、交響曲第2番は1895年に初演されており、交響曲というタイトルに拘れば、第2番の方が先に演奏されています。これもマーラーの改訂魔が作り出したねじれ現象という事です。

『交響曲第1番』と失恋問題

マーラーの失恋物語は『交響曲第1番』を語る上で意外と重要な事でもあると思っています。大きく3人の女性がこの作品の作曲時のマーラーと関わっているのです。

歌曲集『若き日の歌』第3曲「ハンスとグレーテ」

この作品はヨゼフィーネ・ポイスルのために作られました。もともとは『草原の5月の踊り』というタイトルでしたがマーラーが改訂を加え、歌曲集に加えました。

ヨゼフィーネ・ポイスルとは若きマーラーの恋人だった女性です。結局、この女性とは別れてしまいますが、マーラーは『交響曲第1番』の第2楽章にこの歌曲のモチーフを使っています。

歌曲集『さすらう若人の歌』

1885年『交響曲第1番』を作曲している最中にマーラーは『さすらう若人の歌』という歌曲集を作りました。マーラーが音楽監督をしていたカッセル歌劇場のソプラノ歌手ヨハンナ・リヒターに失恋したためです。

マーラーが25歳の時の事でしばらくは立ち直れないほどのダメージだったようです。『交響曲第1番』の第1楽章にはこの作品の第2番、第3楽章には第4曲のメロディが使われています。

マリオン・ウェーバー

作曲家のウェーバーの孫であるフランツ・フォン・ウェーバー大尉の夫人の名前です。ウェーバー大尉はウェーバーが未完のまま残したオペラ『3人のピント』をマーラーに完成させるよう依頼していました。

この作業は『交響曲第1番』を手掛けていた時期と重なっています。この件でマーラーが足繁くウェーバー大尉家を訪ねる事になるのですが、この間になんとマーラーとウェーバー大尉夫人はただならぬ関係になってしまいます。

マーラーは感情は燃え上がりましたが、そんな関係が長く続くわけもなく、2人はあっという間に破局を迎えました。

失恋交響曲

『交響曲第1番』には上記の3人に対する女性への失恋の痛手が組入られた交響曲なのです。マーラーの瑞々しい若さがほとばしる作品と思うのは早計で、失恋で痛く傷つけられた心の叫びと言った方が合っているかと思います。

『交響曲第1番』が3人の女性の影響を受け作曲されている事は紛れもない事実であって、この交響曲を考える上で大きな要素であると考えるのが自然です。

3人の女性がこの『第1番』に関係しているなんて全く知りませんでした。
マーラーの一種の私小説的な交響曲と言ってもいいのかもしれないな。  

楽曲解説

これからは楽章毎に少し詳しく見ていきましょう。楽譜や難しい専門用語は使わず、楽曲のイメージを掴んでもらえればと思っています。

第1楽章

マーラーは楽譜に「自然の音のように」「カッコウの鳴き声をまねて」などの指示を書いていますから、自然の音楽を求めていたのでしょう。

静かに朝もやの中にいる感じで音楽が始まり、カッコウの鳴き声が聞こえてきます。狩人たちのラッパの音が聞こえたり牧歌的な雰囲気です。

チェロが第1主題を奏でます。これは『さすらう若人の歌』の第2曲目のメロディです。弦楽器は伸びやかに、管楽器は軽やかに森の自然を歌い上げます。

終盤はシンバルとトランペットが合図となって、金管楽器の登場です。ホルンは素敵な響きを奏でたり、実に華やかで躍動感ある音楽が繰り広げられます。

金管楽器のファンファーレと弦楽器の大きなうねり、この部分は誰しも、オーケストラの咆哮とでもいうべき音楽によって実に気持ちの良い興奮を覚えるでしょう。

とても考えられた構成です。しっかりと作り込まれた第1楽章。マーラーの非凡さを感じます。

第2楽章

スケルツォ楽章。冒頭は低弦から入り、弦楽器全体でドイツ南部の民族舞踊であるレントラー風のメロディを奏でます。これは歌曲集『若き日の歌』の第3曲目「ハンスとグレーテ」の音形が原曲です。

木管楽器とホルンのベルアップ(楽器を上向きにして音量を上げる事)は視覚的にも楽しめます。またホルンはゲシュトップ(ベルに右手を突っ込む奏法)で響きを変えているのがマーラーらしいところです。

少しおどけたような楽章ですが、最後はホルンとトランペットなどの金管楽器のトリルで賑やかに終わります。

第3楽章

葬送行進曲。コントラバスで静かに始まります。重々しく悲しい音楽。本当に重々しくゆっくりとした行進です。

多くの方がこのメロディ聴いた事があると思います。童謡「フレール・ジャック」なのです。日本では「グーチョキパーでなにつくろう」と言った方が分かりやすいでしょうか。

その後でハープとヴァイオリンが心が癒やされるような音楽を奏でます。これは『さすらう若人の歌』の4曲目の音楽です。

最後は葬列が遠くに過ぎ去るように音が小さくなりこの楽章が終わります。

余談ですが、昔の映画『Mahler』の中でこの葬送行進曲が効果的に使われていたのを思い出しました。

第4楽章

第3楽章から休むことなく直ぐに第4楽章に突入します。シンバルの強烈な一撃を合図に冒頭から物凄い音量での不協和音から始まり、まるで嵐が来たかのような不穏な開始です。

この嵐の中では全ての楽器が自己主張しているよう。弦楽器も弦が切れそうなぐらい思い切り弾いています。

嵐が一段落した後に第1主題が提示され、静かになったかと思うと美しい第2主題が弦楽器で示されます。

少し思い出してほしいのですが、第2稿の話でこの楽章には(当時は第5楽章)「地獄から天国へ」との副題がありました。

その後に救済、つまり勝利へのファンファーレが幕を開きます。天国が顔をのぞかせたのです。しばし勝利の凱歌は続き、静けさを取り戻すと第1楽章の冒頭部分が顔を出します。

第2主題、第1主題の再現が行われた後、いよいよ音楽はコーダに向けてひた走ることになります。

このコーダがまた凄い内容で、オーケストラの楽器が全開で突っ走るとこんな感じになります的な荒れ狂った音楽です。聴衆の脳にドーパミンがどっと溢れてくる音楽になっています。

弦楽器、木管楽器で次第に盛り上がり、最後に金管楽器がとどめを刺すような音楽です。トランペットのファンファーレ、ホルンやトロンボーンの雄叫び、どれもが感動をもたらします。

最後はホルンの7人が立ち上がって演奏、木管もベルアップ。全てが最高潮に達して終了します。実にドラマティックな音楽!!

『交響曲第1番』おすすめ名盤

この作品の録音をひとつ挙げろと言われたら私は迷わず、バーンスタイン/ニューヨーク・フィル盤(1966年録音)を挙げます。バーンスタインはまだ40代の頃ですが、実によくこの作品を理解して手中に入れている事が分かる録音です。

テンポを大きく揺らしながら進んでいきますが、少しも違和感がありません。バーンスタインのマーラーへの愛情は特別に思われます。バーンスタインこそがマーラー振りの第1人者でした。

小澤征爾とボストン交響楽団(1977年録音)による演奏も素晴らしいです。学生時代に私が最初に買った『巨人』のレコードはこれでした。私はマーラーに触れるのが遅く、この小澤盤からマーラー狂になった個人的な思い入れもあります。

私的な感想だけでなく、客観的に見てもこの録音はマーラーの若き熱い思いを再現していると思います。レコードには「花の章」はありませんでしたが、CD化に当たり第2楽章「花の章」が加えられました。

マーラーは『交響曲第1番』から非常に説得力のある作品を残しました。
世にある『交響曲第1番』ではマーラーのものがNO.1かもしれない。ブラームスといい勝負!

まとめ

マーラー『交響曲第1番』は若さがほとばしる素晴らしい音楽です。若い内でないとこういった作品は書けないでしょう。そして、最初の交響曲にも関わらず、そのクオリティの高さがここまで凄いのはマーラーの天才性の証です。

3人の女性との失恋がこの交響曲には詰まっているのですが、そういったネガティブな面も全て昇華させ、最後には勝利の凱歌を歌い上げています。このエネルギーの爆発は本当に見事です。

交響曲作曲家としては誰よりこの人物が最も上に立つのかもしれません。作品の構成力がこんなにも優れている作曲家はそうそういないと思います。オーケストレーションの上手さも独特です。

マーラー、恐るべし。「やがて私の時代がくる」、彼には本当に分かっていたのかもしれません。

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