
『トルコ行進曲』と聴いてモーツァルトの音楽が浮かびますか、それともベートーヴェンの音楽が浮かびますか。統計を取った訳ではありませんが、多くの方はモーツァルトの『トルコ行進曲』が頭に流れる事でしょう。
ベートーヴェンにも『トルコ行進曲』という作品があります。モーツァルトのものよりも滑稽な感じが出ている楽曲です。こちらが真っ先に頭に浮かんだ方はベートーヴェン好きな方でしょうか。
オスマン帝国が17世紀にヨーロッパに攻め込んだ時に、軍楽隊の音楽に合わせて行進する事から「トルコ風」の音楽が広がっていきました。そして「トルコ風」は18世紀のヨーロッパで爆発的に流行したのです。
モーツァルトもベートーヴェンもその音楽を取り入れて作品を作りました。2つの『トルコ行進曲』についてそれぞれ見ていきましょう。


トルコ行進曲が生まれるまで
ヨーロッパでの「トルコ風」人気は、戦争が関係した歴史的な背景があります。オスマン帝国との戦争という負の歴史が逆に流行の起源になっているのです。
オスマン帝国のヨーロッパ侵攻
17世紀、トルコにはイスラム王朝であるオスマン帝国が栄えていました。中東からアフリカの一部までを含む大帝国だったのです。
そのオスマン帝国が領土拡大のためヨーロッパに攻め込みます。それまでにも長い歴史の間に幾度も侵攻をしていました。17世紀後半(1683年)にはオーストリアのウィーンまでもが包囲される自体になります。
オスマン帝国軍は軍の士気を挙げるためと敵を威嚇するために、軍楽隊が随行していました。この軍楽隊をメフテルといいます。メフテルはそれまでのウィーンの人々が耳にした事のない不思議な音楽を奏でていました。
メフテルの奏でたリズムは独特で「タン・タン・タンタンタン」の繰り返しで、ウィーンの人の不安を煽る音楽だったようです。
戦後の「トルコ風」文化の流行
このウィーンでの戦闘でオスマン帝国はヨーロッパの諸国連合の前に破れました。オスマン帝国軍は引き上げましたが、ウィーンでは敵国だった「トルコ風」の文化が流行します。
コーヒーハウス、タイル、じゅうたん、ソファーといったものが大人気となりました。
音楽も例外ではなく、メフテルが奏でた行進曲が流行します。なぜ、敵国の文化が流行したのかは分かりませんが、ウィーンの人々の心を揺り動かした事は紛れもない事実です。
モーツァルトの『トルコ行進曲』が生まれたのは、この「ウィーン包囲網」の勝利から100周年の記念の年、1783年と言われています。
100年もの間、ウィーンでは「トルコ風」が人気を得ていた事になります。その後、19世紀に入ってからベートーヴェンも『トルコ行進曲』を作曲することになりますから、100年どころではないという事ですね。
『トルコ行進曲』の他に「トルコ風」の音楽には、ハイドン『交響曲第100番』「軍隊」(1793-1794)の第2楽章、モーツァルトのオペラ『後宮からの誘拐』(1782)などがあります。
モーツァルト『トルコ行進曲』
モーツァルトの『トルコ行進曲』は単独で作曲されたわけではなく、『ピアノソナタ第11番』として生まれました。その第3楽章が『トルコ行進曲』なのです。
『ピアノソナタ第11番』
このピアノソナタは『ピアノソナタ第11番』「トルコ行進曲付き」とのサブ・タイトル付きで呼ばれる事が普通です。作曲年については正確には分かっていません。1783年説と1778年説があります。
『トルコ行進曲』だけがとても有名になりすぎて、今では単独で演奏される機会も多くなりました。
『ピアノソナタ第11番』全体については別の機会に譲るとして、ここでは3楽章目の『トルコ行進曲』だけを取り上げて解説していきます。
モーツァルト『トルコ行進曲』特徴
冒頭に「Alla Turca(トルコ風に)」という指示。モーツァルトが当時流行っていた「トルコ風」を意識して作曲した事が分かります。しかし、『トルコ行進曲』と名付けたのは後世の人達です。
少し話はそれますが、『ヴァイオリン協奏曲第5番』(1875年)も「トルコ風」の愛称が付きますから、当時はかなり「トルコ風」が流行っていたのでしょう。
『トルコ行進曲』はロンド形式で書かれています。ロンド形式とは簡単に言えば、異なる旋律を挟みながら、同じ旋律を何度も繰り返す事。主題をAとするとA->B->A->C->Aといった感じです。
作品を聴く時に左手(低音部)の音に注意して聴いて貰うと、「タン、タン、タンタンタン」のリズムが刻まれている事が分かると思います。これが「トルコ風」なのです。
どうしてもメロディにつられてしまいますが、注意深く聴いてみるとそんな部分も聴こえてきて、楽しみ方も少し変わるかと思います。
楽譜ではテンポ指示がアレグレットになっていますが、多くのピアニストはアレグロの感覚で弾いている感じです。
ベートーヴェン『トルコ行進曲』
ベートーヴェンの『トルコ行進曲』も単独で作曲されたわけではありません。劇音楽の付随音楽として作られた中の一曲が『トルコ行進曲』だったのです。
『アテネの廃墟』
ベートーヴェンの『トルコ行進曲』は『アテネの廃墟』(1811-1812)という祝典劇に付けられた音楽の第4曲(序曲を含めると5曲目)にあたります。
『アテネの廃墟』はアウグスト・フォン・コツェブーの戯曲で、ハンガリーのペスト市(現ブダペスト)に新設されたドイツ劇場の杮落としの最後を飾る祝典劇として披露されました。
当時の大人気作曲家ベートーヴェンが曲を付けたとあれば、さぞや華々しく杮落としが締めくくられた事でしょう。
ということから分かる通り元々オーケストラのために作曲されたものです。今や作品自体が忘れ去られ、上演される事もありません。『コリオラン』や『エグモント』のように序曲さえ残りませんでした。
現在はピアノ編曲版が有名
しかし、なぜか第4曲『トルコ行進曲』だけは残っています。オーケストラで演奏される機会は滅多にありませんが、その代わりピアノ編曲版が有名になりました。
ベートーヴェンの『トルコ行進曲』と言えば現在ではピアノ曲として知られていますが、ベートーヴェンがピアノ用に編曲したわけではありません。
多くの作曲家やピアニスト達が編曲していますが、ルービンシュタインの編曲によるものが主流となっているようです。ピアノ初心者用に大変易しく編曲してあるものもあります。
2つの『トルコ行進曲』
モーツァルトとベートーヴェンの『トルコ行進曲』をそれぞれ見てきましたが、これから2つを比較してみたいと思います。
全体像
「タラッタッタッタッ、タラッタッタッタッ、タタタタタッタッタッタッターン」というリズムのベートーヴェンの方が「トルコ風」のリズムとすぐに分かるように作られています。
それに滑稽な感じもありますから、当時流行していた「トルコ風」にピッタリです。行進曲と呼ぶにふさわしい力強さもあります。
それに比べるとモーツァルトの方はとても綺麗な音楽です。力強さを感じる部分もありますが、ベートーヴェンに比べて洗練された音楽となっています。
劇音楽として作られた音楽とピアノソナタの違い、もう少し違った言い方をすれば『トルコ行進曲』と自分で名付けた音楽と「トルコ風」としか指定しなかった音楽の違いが表れているのです。
難易度はどうか
ベートーヴェンは様々な編曲があるので、演奏する人が多いルービンシュタイン編曲と比較する事にします。
ルービンシュタイン編曲はオクターブの連続などがあり、手の小さな人には難しい面もあるとは思いますが、リズム中心の音楽で音楽的変化が少ないため、難易度的にはモーツァルトの方が高いと思います。
ピアノソナタの一部分として作曲されている音楽ですので、音に対する配慮がより高くなるのは当然です。音楽の長さもモーツァルトの方が長くなっていますし、旋律を活かす事も考えないといけません。
それぞれに難しい部分があるのは当然ですが、そう考えるとモーツァルトの方が難しいと言えるでしょう。
ただし、ベートーヴェンについてはピアノ入門者にも弾けるような編曲から今回対象にしたルービンシュタイン編曲のようなものもありますから、比較すること自体意味はないかもしれませんね。元々、劇音楽ですから何でもありの音楽です。


まとめ
モーツァルトとベートーヴェンの2つの『トルコ行進曲』を見てきました。流れるように美しい行進曲を求めるならモーツァルト、滑稽さと力強い行進曲を求めるならベートーヴェンというところでしょうか。
しかし、実際に聴かれているのは圧倒的にモーツァルトのものです。ベートーヴェンにはだいぶ分が悪いですね。誰しも綺麗な方に流れるのは致し方ないのかもしれません。