演奏家と指揮者の戦い

「世の中には悪いオーケストラなど存在しない。悪い演奏をしているならば、それは指揮者が悪いせいだ」この言葉は作曲家であり、そして指揮者としても一流だったグスタフ・マーラーによるものです。指揮者の本質を表している、本当に良い言葉だと思います。

指揮者とオーケストラの関係は、昔から仲が悪いものとして語られることが多くありました。指揮者の故・朝比奈隆はオーケストラを評して「オーケストラなんて指揮者の悪口を言いたいだけの連中だ」とも言っています。オーケストラと指揮者の関係とは、水と油のようなのでしょうか。

オーケストラの前に立った指揮者は、オーケストラ側から絶えずチェックされています。オーケストラは、その指揮者が良い指揮者かどうか、最初の練習ですぐに見破ってしまうそうです。そんな、指揮者とオーケストラの戦い、駆け引きを書いていきたいと思います。

オーケストラとは

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮者とオーケストラを比較すると、多くの方は指揮者が格上と思っているでしょうが、それは間違いです。世界で活躍しているほんの一握りの指揮者たちは別にして、ほとんどの指揮者はオーケストラには敵いません。その適わない理由をこれから述べていきます。

オーケストラの楽員はレベルが高い

ほとんどの指揮者よりも、オーケストラ楽員のレベルが高いのには、基礎教育に違いがあります。プロのオーケストラ奏者ともなると、オーケストラの募集は1、2名しか取りませんから入る事さえ難しいのです。そして、年間100以上の公演を行っていますから、腕もより上がってきます。

本格的に音楽を勉強している楽器奏者の中から、より過酷なオーディションを経て、新規人材がオーケストラに選ばれているのです。そうして入団して、オーケストラ経験も何十年も積んでいるので、百戦錬磨の集団なのです。指揮者はそんな精鋭たちの集団と、戦わなくてはなりません。

例えば、バイオリン奏者は3~5歳から始めています。しかし、指揮者は「指揮の勉強は高校から始めました」というのは圧倒的多数です。指揮者とオーケストラ奏者では、その音楽的レベルの差を埋めることはほぼ不可能に近いのです。

指揮者はオーケストラを怖れる

レベルの高いオーケストラほど、指揮者にとって怖いものです。やっぱりオーケストラのレベルが高いほど、良い指揮者をたくさん知っていますし、指揮者よりも楽曲を多く知っていて、たとえ指揮者がいなくても良い音楽が出来てしまいます。

各地のオーケストラ同士も同じ先生に学んだり、同じ音楽大楽を出たりしているので個人的な繋がりがあります。ですから、1度オーケストラに嫌われると、情報が直ちに各地のオーケストラにも流れてしまい、よそのオーケストラも指揮できない状況になります。恐るべし、オーケストラ!

オーケストラの指揮者鑑定

鑑定
オーケストラの人たちは、ほとんどが小学校以前からその楽器を習い、著名な先生について音大を卒業し、中には有名なコンクールに入賞した人もいます。そんな集団ですから、本来指揮者など必要ありません。そんなオーケストラが指揮者をどういった目で見ているのか見ていきましょう。

初めての指揮者の見極め

オーケストラが初めての指揮者を迎えた場合、その指揮者の力量を確かめます。大抵、最初の練習時にその指揮者がどれぐらいのレベルの指揮者なのか、すぐに見破ってしまいます。演奏に入る前の言葉だけで「こいつは、ぺけ」という指揮者も存在するらしいです。

「本物の指揮者は数少ない」、おそらく、どのオーケストラもそう思っているはずです。かえって演奏の邪魔になる指揮者もいるようです。そんな指揮者の時は、さも指揮者を見ているような振りをしていますが、本当はコンサートマスターを見て演奏しています。

オーケストラというのは、指揮者にとっては、敵になることも味方になることもある怖い存在なのです。今までに数百人もの指揮者と仕事をしてきたわけですから、指揮者の力量などすぐに見破ってしまいます。敵に回さないよう上手くコントロールできるのが良い指揮者と言えるのです。

指揮者も様々

指揮者とは、オーケストラを指揮棒や左手、顔の表情などで、操る仕事です。クラシック界の中で、最も花形であり、競争も厳しい、かなり大変な仕事です。1回の演奏会のギャラも数十万、時には数百万の指揮者も存在し、クラシック界では1番儲かる職業です。

指揮者の多くは、よく勉強し、オーケストラに対しても適切な指摘をしています。例えば、各楽器の縦線が狂ってしまった場合には、それを直接指摘しないで、オーケストラに気の利いたアドバイスを送ります。オーケストラ側に気を使って適切なアドバイスができるのが良い指揮者です。

しかし、年に3人位は、本来の指揮者とは違って、自意識だけ高い指揮者が来るとオーケストラの方々は語っています。棒のテクニックが低く、音楽的な教養・素養が低いと感じられる指揮者の場合、オーケストラも商売ですから、平然と演奏してますが、指揮など見ていません。

勘違いの指揮者

オーケストラが最も嫌うのは「自分がオーケストラに音楽を教えてやっている」と勘違いしている指揮者だそうです。理想ばかりがやたら高くて、本業である指揮のテクニックはいい加減という指揮者が、オーケストラにとって一番厄介な存在だといいます。

レベルの低い指揮者ほど、自分の指揮テクニックが悪いのを棚に上げて、オーケストラに「なんでそんな音しか出せないんだ」との勝手な要求を出すようです。オーケストラは「いい加減にしてくれよ」と思って付き合ってますから、良い音が生み出されるわけがありません。

自分の指揮のテクニック、音楽レベルが低いから、オーケストラから良い音を引き出せないのが分かっていないのです。自分の音楽的素養が足りないとの認識が全く欠けているのです。そんなときも、オーケストラは分かったふりをしつつ、自分たちの音楽を勝手に作ってしまいます。

オーケストラを味方にするには


オーケストラ側の奏者も、音楽の理想がみんな違っていて、指揮者の理想とは当然異なります。指揮者の理想の音楽を演奏して貰うには、オーケストラ団員の心を上手く掴まないと、オーケストラは指揮者などには付いてきません。演奏会を成功させるか否かは、全て、指揮者の責任です。

オーケストラを敵に回す指揮者

指揮者によっては、自分の音楽レベルを棚に上げて、良い音楽が作れないのはオーケストラが悪いせいだと思っています。こういう指揮者がオーケストラを敵に回す指揮者なのです。決して良い音楽は提供できませんし、以後このオーケストラには2度と呼ばれることはありません。

オーケストラの団結力は強く、自分たちが訳の分らない理由で批判されると、もう絶対その指揮者には従いません。話を聞く振りだけはしていますが、もう相手にしません。そういった意味でオーケストラは怖ろしい相手なのです。古い話ですが、小澤征爾のN響事件はその典型です。

「指揮者たるもの、指揮棒で音のイメージ・音色・リズム感を示せ」とオーケストラは思っています。オーケストラが指揮者の悪口を言う時「口を動かさないで、棒でやれ」というお決まりの文句があります。あなたの指揮テクニックが酷いのだと言っているのです。

指揮者の言葉使い

オーケストラ側は指揮者が「自分は、こういった方法で音楽をやりたいと思っている」といってくれれば、素直に分かってくれます。しかし、「なんで私の言う通りできないのか」という事を言われると、オーケストラは演奏する意欲を無くします。“何だこの野郎„となってしまいます。

指揮者は言葉遣いも、よくよく考えて話さねばばりません。例えば、「これはフォルテで結構です」ではなく「これはフォルテでお願いします」と言った方が、オーケストラも意欲を失いません。「結構です」は、指揮者にその気がなくとも、上から物を言っているように感じます。

指揮者とオーケストラの関係は、人間同士の事なので、小さい事の積み重ねが、演奏に大きく影響します。指揮者はそのことをしっかり認識してオーケストラと向かい合わねばなりません。指揮者は、自分が演奏する側だったらという意識を持つことが大変重要になるのです。

良い指揮者とは

良い指揮者は、「音楽的レベルがオーケストラを超えている」といえる人です。指揮者の音楽的レベルによって、オーケストラは対する態度が大きく変わります。レベルが高い指揮者は尊敬されますし、レベルの低い指揮者は馬鹿にされます。

「この人のために頑張りたい」と思わせる様な指揮者にならないと、本物の指揮者とはいえません。自分の演奏会での経験を思い出してください。感動した演奏会は、オーケストラが指揮者を盛り立てようという雰囲気を感じたはずです。

小さいときから音楽に接していた指揮者は、やっぱり違います。世界的に活躍できている指揮者は、声楽出身の指揮者、ピアニスト出身の指揮者など、小さい頃から音楽をやっている人が大半です。現役の実例を出せば、アシュケナージ、バレンボイムなどがいます。

指揮者になるのだったら、ピアノの他に、オーケストラの楽器をもう一つ習いなさいと言われています。小さい頃は、指揮に興味を示さなくても、幼少時から鍛えてきた音楽が武器になるからです。ソルフェージュも指揮者にとっては大事なもののひとつと言われています。

指揮者を志す方の為に

小澤征爾とN響
最後に指揮者を志す人たちに対して、何が大切で、何が必要なのかを知って貰いたいと思います。素人の私がこんな意見を書くこと自体おこがましいのですが、それを承知の上で述べさせていただきます。小澤征爾のような良い指揮者の出現を願ってのことです。

指揮者の条件

指揮者は大変な職業です。ただ指揮棒を振っているだけではありません。、指揮者はあらゆるソルフェージュ能力が長けていないといけませんし、リーダーとしての資質も必要です。一番大事な事ですから、自分にその能力があるかどうかを、きっちりと見分けてほしいと思います。

東京藝大を始め、各音大から毎年何十人もの指揮者が卒業しています。その中で生き残る(プロとして活躍できる)指揮者は一人いるかどうか。もしかしたら、十年に一人ぐらいかもしれません。このように指揮者への道は大変厳しい道でもあります。

運よくプロオーケストラの指揮台に立てても、次に呼んでもらえるかどうかは分かりません。カリスマ性・リーダーシップも必要なので、本当に自分に向いているかどうかをよく検討された方が良いと思います。指揮者を目指すには、かなり厳しい現実が待っています。

まとめ

指揮者とオーケストラの関係を紹介して来ました。華やかに見える指揮者も結構苦労しているのです。指揮者は演奏が終わると必ずコンサートマスターと握手をし、オーケストラを立たせます。あくまでもオーケストラ側が優位に立つ立場なので、指揮者は気を遣っているわけです。

指揮者とオーケストラの力の関係をお分かりいただけたら幸いです。もちろん、圧倒的に指揮者が優位な場合もあります。ベルリン・フィルやウィーン・フィルを振るような指揮者はオーケストラ側から見れば憧れの指揮者になります。ぜひ、関係の良好な両者の演奏を聴きたいものです。

関連記事