カラヤンラストコンサートin東京【名演の生まれるきっかけとなるもの】

1988年5月5日、そのコンサートは開かれました。カラヤンの日本での最後のコンサート。会場は自身も設計にアドバイスしたサントリーホール。幸運にも私は聴衆のひとりとしてその場所に居合わせました。

なぜ今更カラヤンの演奏を持ち出すのかと思われる方も多いことでしょう。それはライヴだからこそ生まれた名演のとても良い事例だからです。

カラヤン/ベルリン・フィルといえど、あの日の演奏は滅多に生まれる事のない名演でした。一流の指揮者とオーケストラによって生み出される名演というものがどういうきっかけで起こるのかを書いてみたいと思います。

カラヤンの日本での最後のコンサートは最高の演奏でした。
あるところで急に名演へのスイッチが入ったのだ。だから歴史的な演奏となり今でも語り継がれているのだよ。

カラヤンとベルリン・フィルとの溝

1982年に起こったオーボエ奏者ザビーネ・マイヤーを巡るカラヤンとベルリン・フィルとの対立は両者が和解して一応の結論が出ましたが、その後の両者の関係に溝が出来てしまったのは否めない事実でした。

そんな中で1986年カラヤンは病に倒れます。歩行に障害が残り、指揮も自分で立って行えない状態になってしまいます。その頃から、聴衆には立っていると思わせるような特別な椅子を使用するようになりました。

普通の椅子に座っての指揮はナルシストのカラヤンには受け入れ難かったのだと思います。何といっても美意識を追求する人物でしたから。

ベルリン・フィルとの仕事も数的には減って、ウィーン・フィルとの関係が深くなっていた事も手伝い、溝の修復は手に負えない位の状態にまでなっていました。結局は1989年の4月にベルリン・フィルの終身音楽監督辞任にまで至ります。

1988年はそんな関係の中での来日公演だったわけで、お互いそこはプロですから、コンサートは良いものにしようとの思いは当然の事でした。極東の外れの日本という小さな国でのコンサートを成功させようとの認識は共通していたと思います。

コンサート曲目について

1988年5月5日 サントリーホール 19:00開演
【曲目】
 モーツァルト『交響曲第39番』
 ブラームス『交響曲第1番』

このコンサートの曲目は当初メインがベルリオーズ『幻想交響曲』の予定でした。曲目変更がいつの時点で決まったのかははっきりしませんが、ひょっとすると本当に直前だったのかもしれません。というのは前日の演奏会が不出来だったからです。

前日の5月4日、東京文化会館でムソルグスキー『展覧会の絵』を演奏していますが、当時のコンサートマスターである安永徹は「惨憺たる演奏だった」と語っています。コンサートマスターが口にするのですから余程の事だったのでしょう。

5月5日はこのツアーの最終日でした。最終日に下手な演奏は出来ない、カラヤンもオーケストラ側もそう思ったはずです。ましてやカラヤンの年齢や健康問題から、日本での最後のコンサートになるかもしれないと思う気持ちは両者にあったはずです。

そこで急遽この日のコンサートには自分たちの得意な曲目を選んだというのは出来過ぎた話でしょうか。例え来日前から曲目変更が決まっていたとしても、最終日がブラームス『交響曲第1番』で良かったと思った事は確かでしょう。

カラヤンラストコンサート

今まで書いてきたような状況の中で運命の1988年5月5日のコンサートが開かれた訳です。勿論、チケットは完売。客席には天皇夫妻(当時は皇太子夫妻)、ソニーの盛田会長などの姿もあり、会場も独特の雰囲気の中で演奏は始まりました。

モーツァルト『交響曲第39番』

冒頭の音からして、思わずあっと声が出てしまうような綺麗な和音で始まりました。まさしく一流のオーケストラの音色です。フルオーケストラのモーツァルトですから金管楽器も遠慮せずに鳴らしていました。

艶々と黒光りしている成熟した響きの見本のようなサウンドは見事で、自然な流れを持ったモーツァルトだと思います。ヴァイオリンの颯爽とした響きや管楽器の楽しそうな表情の輝かしい響きは我々を魅了しました。

美しいモーツァルトの世界に我々を連れて行ってくれるような演奏でした。こういう演奏を新鮮な演奏というのでしょう。オーケストラがそれぞれ自発的な演奏をしていて、カラヤンは優しくそれをサポートしているような演奏でした。

ブラームス『交響曲第1番』

第1楽章はカラヤンにしてはゆっくり目かなと思うテンポで始まりました。力の抜けた穏やかさの中にも適度な緊張感があり、それが淡々と進んでいきます。気心が知れたこのコンビだからこそ出せる味わい深いものでした。

明らかに変化が出たのは第2楽章からでした。始めの部分にオーボエのソロがありますがその見事な事。この時のオーボエがシェレンベルガーだったのかどうかはっきりしませんが、名演へのスイッチを入れたのはこのオーボエだったのです。

オーボエの素晴らしい音色に反応して、オーケストラが変わりました。カラヤンの指揮に一糸乱れぬように付いて行く演奏に変わったのです。ライヴの演奏にはこうした化学変化的な要素がつきものなのです。

ここからの演奏は凄いものでした。集中力が高まり、カラヤンの意図する事をオーケストラはさも当然の事のように受け入れます。お互いの信頼関係が蜜月時代のように上手く出来上がり、同じ目標に向かって突き進んだのでした。

アンサンブルは乱れる事無くそのパフォーマンスの高さを見せつけ、ソロもテュッティも納まるところに納まるという感じで、今まで味わった事のない至高の音楽を作り出していました。カラヤンとオーケストラがひとつの魂になって我々聴衆に訴えて来たのです。

第3楽章、第4楽章とそれは進んでいきます。元々、世界一の才能を持つ者が集まったオーケストラに世界一の指揮者がタクトを振っているのですから、両者が融合すれば自ずとそこに出来上がる音楽は最高のものになるのは当たり前。

そこに聴衆も巻き込み、会場全体が歴史的な瞬間に立ち会っている事を理解して固唾をのんで演奏を聴いていました。カラヤンを見てみると満足そうにタクトを振っています。オーケストラも一音たりとも疎かにしないぞという熱気が感じられました。

第4楽章の凄さはもう何と表現したらいいのか分かりません。ベルリン・フィルの底力をまざまざと見せつけられました。コンサートマスターの安永徹はオーケストラの楽員ひとりひとりがみんなの音を聴きまくっていたと言っています。

ベルリン・フィルもカラヤンの音楽を表現する事を限界までやってのけたのです。100人の楽員がひとつになったコンサートだからこそ現在まで語りつくされる名演となりえたのでした。

演奏が終わって

ブラームスの演奏が終わった後のブラボーの嵐は大変なものでした。聴衆の熱狂はしばらく続き、カラヤンのカーテンコールは何度あった事か数えきれません。

一世一代の大仕事を成し終えてほっとしたカラヤンの目には光るものがあったような気がします。聴衆の方にもハンカチで目頭を押さえていた方が幾人もいました。

私自身、その場にいた事をどんなに幸せに思った事か、30年以上前の事でもはっきりと覚えています。その場で繰り広げられたパフォーマンスは今後も忘れる事はないでしょう。

武満徹のコンサート評

後年、作曲家の武満徹と作家の大江健三郎の共著『オペラを作る』(岩波新書)の中で、カラヤンのラストコンサートの事が書かれていますので、引用してみたいと思います。少し長くなりますがこのコンサートの本質を伝えるものです。

・・・ブラームスでのオーボエのソロは、まるで天使の翼が抑揚をつけているような、人間業とは思えないほど、美しいものでした。かつてオーボエがあんなきれいに吹かれたのを聴いたことがなかったほどにすばらしかった。カラヤンは大して振っているわけじゃないんだけれども、そのオーボエのソロから突然カラヤンが見違えるようなものになったのです。そしてオーケストラ全体が変わってきたのです。

聴き馴れているはずのブラームスに打ちのめされたからでしょうか、僕の気持ちは奇妙にたかぶっていました。だが、そのときたしかに感じたことは、「このオーケストラは、プレーヤーのただ一人でもだめだったら成立しないな」という印象だったのです。名うてのベルリン・フィルに対して抱く印象としてはおかしいかもしれませんが、それが実感でした。

ところが、後で、コンサートマスターの安永徹さんに会ったら、「きょう私たちはほんとうにいい仕事ができた。親方があんなにいいことをしてくれたのはこの演奏旅行中はじめてでした」という。「それはどういうことですか?」と訊ねたら、「なんたってオーボエが信じられないことをやってぼくらを引っ張ってしまった。そうしたらカラヤンさんもぜんぜん変わっちゃった」という。

「前の日、私たちは惨憺たる演奏をしたのですが、きょうはそういうことでみんなが自分でほんとうに好きなように演奏できました」という。どうもほんとうに好きなように演奏しているということがぼくらにも伝わってきたのだけれど、それでいて、オーケストラとしての全体がじつに見事に出てきたのですね。

オーケストラというのは、みんなが同じようなことばかり弾いていて、第一バイオリンは二十人同じようなことをしていて、考えようによってはグロテスクで不自然なものだと、そんな印象をもつような演奏も多いのですが、この時の演奏では、このオーケストラは一人でもだめだったらだめになっちゃうなという印象を持った。それはとても強い印象で、オペラティックな感動だったですね。一人でも、一つのパートがだめでも、全体がだめになるのじゃないかというような感動だったのです。

あれだけみんなが個性を主張していて、あのアノニマスな至福の瞬間をつくり得たのは、やっぱり西洋オーケストラも馬鹿にできない、大したものだという感じでした。

ベルリン・フィルというのはぼくの音楽とぜんぜんちがうドイツ的なガチガチなもので、ただただドイツ的な表現、ドイツ的な論理構造につねに支配されているというような固定観念があったのですが、それが見事に破られた。・・・

作曲家の武満徹もあの演奏を聴いて感動したのですね。
武満が書いているように、途中でオーボエの音色でスイッチが入り、全てが良い方向へ流れ出したのだ。

演奏は生き物

武満徹の演奏評にあるようにひとりのオーボエ奏者の演奏からカラヤン始めオーケストラ全員が変わっていったのです。こんな事はCD録音を聴いていても絶対に経験出来ない事で、ライヴならではのものなのです。

ライヴ演奏は生き物と同じようにその場その場で表情を変えていきます。だからこそ、聴衆はその場に集まるのです。ライヴならではの興奮が味わえるからです。

あるベルリン・フィルの奏者が言っていました。オーケストラで今日の演奏は素晴らしかったと感じるコンサートは年に3回位しかないものだと。ビジネスライクに徹して仕事をこなしている彼らも、時には感動し、心を躍らせる演奏があるのです。

名演の生まれるきっかけ

カラヤンラストコンサートは歴史的名演でした。それが生まれるきっかけは幾つもあったのです。カラヤンとベルリン・フィルとの軋轢、前日の無様な演奏、日本ツアーの最終日、そして当日のオーボエ奏者の見事な演奏が音楽家たちを変えたのです。

前日のコンサートもあって、オーケストラは最後こそはという思いは強かったでしょうし、カラヤンだってこの日本ツアーが最後になるかもしれないとの思いがあったでしょう。そんな思いにオーボエ奏者が火をつけたのだと思います。

それでカラヤンとベルリン・フィルの軋轢なども関係なくなり、両者が一体になり火のような演奏が出来たのです。名演を生み出すきっかけはどこに転がっているか分かりません。しかし、クオリティの高い音楽家だったら一瞬にして変わる事が出来るという事です。

コンサートを会場で生で聴く意味にはそんな瞬間に出会える機会があるという事も大きな要素になります。コンサート会場に足を運ばねば絶対に経験できない事です。

本当にこういう事は、当日会場で聴いていないと味わえないものですね。
名演が生まれるには何かしらのきっかけがあるのだ。それを合図に演奏者の心が一つになったという貴重な事例だったのだよ。

当日のライヴCD

1988年5月5日のカラヤンラストコンサートのCDが発売されています。カラヤン嫌いな人にもぜひ聴いて欲しい一枚です。カラヤンのブラームスなんてと馬鹿にしているアンチ・カラヤン諸氏もこの日の演奏の凄まじさが分かるはずです。

ドイツ・グラモフォンによりリマスターされたこのCDは、音質も良く、当日の模様を良く伝えてくれます。買わなくてもYouTubeで聴けますから、聴いていない方は是非どうぞ。ライヴの凄さが蘇ります。

まとめ

カラヤンラストコンサートはとても凄まじいものでした。そしてこのCDを許可してくれたカラヤン夫人には感謝しなければなりません。演奏自体が変わっていく様を実際に経験したひとりとして伝えたい事は、コンサートに足を運んでほしい事です。

どんなに素晴らしいオーディオ製品をもってしても、ライヴの臨場感には勝てません。そして、時にはそのコンサートで人生を変える様な衝撃的な体験が出来るかもしれないのです。あの時のカラヤン/ベルリン・フィルが教えてくれました。

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