左手のピアニスト

世界には多くの左手のピアニストがいる事をご存知でしょうか。怪我や病気で右手が使えなくなってしまったピアニストの為の音楽も増えました。左手のプロピアニストも多く誕生し、現在では国際コンクールが開かれるほど全世界に注目されています。

戦争で右手を無くしたピアニストの為に書かれた作品、ラヴェルの『左手のためのピアノ協奏曲』はクラシック音楽界に名を残す神曲のひとつです。このような名曲も増えた事で、オーケストラの定期公演などでもしっかり取り上げられている時代になってきています。

純粋に音楽という芸術の世界で、自らの個性で勝負している左手のプロピアニストたち。今回はそんな彼らにスポットを当ててみたいと思います。

左手のピアニスト誕生

左手のピアニスト誕生
昔はピアニストといえば怪我や病気で、片腕でも指や手を傷めれば、その時点で職業を失った人達が多くいました。最高のピアニストであったとしても、音楽家として生き残る事は出来ない厳しい時代でした。

左手のピアニスト第1号

パウル・ヴィトゲンシュタイン(Paul Wittgenstein, 1887年5月11日~1961年3月3日)は、オーストリア生まれのピアニスト。第一次世界大戦で右腕を失った後も演奏活動を続け、多くの有名な作曲家に左手だけで演奏可能な作品を委嘱したことで有名です。

1946年にアメリカ合衆国の市民権を取得しました。ちなみにパウルは哲学者ルートヴィヒ・ヴィットゲンシュタインの兄です。

このヴィトゲンシュタインが戦争で右腕を失った後、有名な作曲家ラヴェルに左手だけで演奏できる協奏曲を作ってくれないかと依頼した事から全てが始まります。

左手の音楽誕生


ラヴェルは当時ピアノ協奏曲の作曲中でしたが、この依頼を引き受けました。2つのピアノ協奏曲を同時平行で作曲するなんて天才しか成しえない事です。時代の先端を走っていた天才、ラヴェルだからこそ引き受ける事ができたのでしょう。

2つのピアノ協奏曲を並行して作曲した事は、ラヴェル自身「とても興味深い体験だった」と語っています。作曲は1929年冬に始められ、9ヶ月後の1930年に完成しました。ラヴェルは作曲するに当たって、古今の作曲家による左手のためのピアノ曲の数々を勉強したと言っています。

左手のためのピアノ曲【初演】

1931年11月27日、ウィーンでロベルト・ヘーガー指揮、ヴィトゲンシュタインのピアノで初演が行われたが、ヴィトゲンシュタインは楽譜通りに弾き切れず、勝手に手を加えて演奏しました。

その上ピアノがあまりにも難技巧にこだわりすぎていて音楽性がないと非難したため、ラヴェルとヴィトゲンシュタインの仲はこれ以降険悪となります。その後、1933年1月27日にジャック・フェヴリエの独奏によりパリで再演されたのが楽譜どおり演奏された初めての演奏となりました。

左手だけのピアノ曲【作曲者】


ヴィトゲンシュタイン以外にも、戦争による被害者はいましたし、脳卒中などの病気も増え、左手だけのピアニストは増えて来ました。そこで彼らのために様々な作曲者が楽曲を提供します。クラシック音楽界の未来を案じた一流の作曲家が数多くいた事に感動してしまいます。

モーリス・ラヴェル

『左手のための協奏曲』

ベンジャミン・ブリテン

『主題と変奏(ディヴァージョンズ)』

スクリャービン

『2つの左手のための小品「ノクターン」』

ディヌ・リパッティ

『左手のためのソナチネ』

バッハ(ブラームス編曲)

『バッハの左手のためのシャコンヌ』

ショパン(ゴドフスキー編曲)

ゴドフスキーはショパンの曲を数多く編曲しています。

『ショパンの左手のための別れの曲』
『左手のための「ショパンのエチュード4番』
『左手のための「ショパンの革命のエチュード」』
『左手のための「ショパンエチュードOp.25-1」』・・etc

左手のピアニスト急増

舘野 泉©Akira Muto

最近はピアニストの腱鞘炎や脳卒中などで右腕が使えなくなるピアニストが増えました。その中にも世界的なピアニストも含まれています。

舘野 泉

左手のピアニストという言葉で連想する人というと、彼のことを思い浮かべる人が多いと思います。1936年11月10日東京生まれ(82歳)、フィンランド在住です。病気の前は中堅どころのピアニストでした

父舘野弘はチェリスト。母舘野光(小野光)はピアニスト。妻のマリア・ホロパイネンはフィンランド人のソプラノ歌手。息子のヤンネ舘野はヴァイオリニスト。弟の舘野英司はチェリスト。妹の鍋島晶子はヴァイオリニスト。晶子の長女の鍋島真理は音楽学者。末妹の広瀬悠子はピアニストというまさに音楽一家です。

2002年1月9日、フィンランド・タンペレでのリサイタル中に脳溢血で倒れ、その後遺症として右半身に麻痺が残るようになりました。2003年8月のオウルンサロ音楽祭で復帰を果たします。その中でスクリャービンやリパッティによる、左手のためのピアノ作品を演奏しました。

それをきっかけに、本格的にこの分野を開拓しようと決意し、翌年には日本で左手のピアノ作品によるリサイタルを開き、マスコミにも大きくとりあげられました。以後、演奏会、録音ならびに新作委嘱などを通して、左手ピアノ曲の普及に努めています。

ミシェル・ベロフ

フランスの世界的ピアニスト。ドビュッシーなどの演奏に定評がありましたが、一時期右手首を傷めて、指揮法の研究をしたり左手のためのレパートリーを探すなどしていました。

マルタ・アルゲリッチが、『左手のための協奏曲』のソリストにベロフを起用するように進言しました。これがきっかけとなって、ベロフがピアニストとして演奏界に返り咲くことができたと言われています。1990年代には再び両手で演奏できる状態に回復しています。

ニコラス・マッカーシー

ニコラス・マッカーシーは、生まれたときから右腕が半分ほどの長さでした。音楽が好きな少年でしたが、ピアノに目覚めたのは14歳の時。友人が弾くベートーヴェンの『ワルトシュタイン』に感動して、「コンサート・ピアニストになる!」と決意します。

そこから独学で練習をはじめ、17歳でロンドンのギルドホール音楽演劇学校のジュニア部門に入学。まわりは幼少時からクラシックの英才教育を受けてきた生徒ばかりという状況のなか、並外れた努力と才能によって左手のみの演奏を体得します。そして名門、英国王立音楽大学に進学し、同校の長い歴史の中で初めて左手の演奏でピアノ科を卒業しました。

「Anything is possible(なんだってできる)」が彼のモットーだそうです。2012年のロンドン・パラリンピックの閉会式でコールドプレイ(ロックバンド)と共演し、一躍母国のスターになりました。

智内 威雄

智内威雄は、1976年埼玉県蕨市生まれ。音大卒業後、ドイツのフライブルグ音大に留学、数々の国際コンクールに入賞し、華々しい活動をスタートしようとした矢先、「局所性ジストニア」を発症、右手での演奏ができなくなってしまいます。

その後、ドイツの先生の勧めで左手の作品の素晴らしさに目覚め、左手だけの演奏活動をスタート、現在に至っています。彼は、コンサート活動はもちろん、左手の作品の発掘・認知向上を含む「左手のアーカイブプロジェクト」「ワンハンドピアノレッスン」などの活動をされています。

岡田 侑子

彼女も普通にピアニストを目指して頑張っていた矢先、同志社女子大音楽学科の2年生だった2010年秋。期末試験を目前に控えたある日、課題曲の練習に取りかかろうとして鍵盤に指を乗せようとすると、右手が震えました。翌年春、手指など体の一部が思うように動かなくなる神経疾患「局所性ジストニア」と診断されました。

一度は音楽の道を諦めたが、同じ「障害」を克服した先輩に教えを請い、「左手のピアニスト」として復活しました。「使える手は半分でも、音楽の価値や魅力まで半分にならない」。広い世界での活躍を目指し、再び歩み始めています。

なんとか左手だけで弾けるようになった2015年3月から、智内さんのレッスンを本格的に受け始め、懸命のリハビリとレッスンで昨年夏、本格的な演奏ができるまでになりました。

たくさんのピアニストが活躍

ここで挙げた人たちだけではなく、世界中には「左手のピアニスト」が大勢います。各地でコンサートが開かれています。是非1度、聴きに行ってみましょう。素敵な音楽との出会いがあるかもしれません。

「左手のピアノ国際コンクール」開催

「左手のピアノ国際コンクール」開催
2018年11月2~4日に世界で始めて「左手の国際コンクール」が開催されました。正式には「第1回ウィトゲンシュタイン記念左手のピアノ国際コンクール」といいます。これは画期的なことで、大阪府箕面市で開催された事も素晴らしい物がありました。

左手のピアニスト大集合

こういったコンクールが開催される事自体が素晴らしい物であり、感動的でもあります。実現のために奮闘されたスタッフの皆様のご苦労は大変な物があったと思います。まずは、開催おめでとうございますといいたいです。

「プロフェッショナル部門」と「アマチュア部門」があり、参加者も多くいたようです。コンクールが成功して何よりです。

本選結果

参加者全員熱い演奏で聴衆を魅了しました。開催されるだけでも非常に意義のある大会だと思います。今後もずっと続いて貰いたいコンクールであると同時に、いつかショパンやチャイコフスキーコンクールのような一流の大会になる事を願っています。

プロフェッショナル部門

1位:高岡準
2位:チャイキティワッタナ・ガン
3位:瀬川泰代
3位:早坂眞子

アマチュア部門

大賞:木田なおみ
大賞:濱川礼
大賞:久本久子

まとめ

右腕が動かなくとも立派なピアニストはたくさんいる事が分かりました。国際コンクールが開かれるぐらいまで認知度が高くなり、演奏者の数も増えています。後は我々が彼らをどう見るかだけの問題です。

ごく普通のピアニストとして、演奏だけを基準にして良し悪しを判断する、という至って簡単なことです。演奏の仕方は多少異なりますが、同じ音楽家としてきちんと認めることです。大した話ではありません。誰でもできる事です。彼らの頑張りにもっと期待したいと願っています。

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