指揮者・井上道義のやる音楽は面白いです。音楽に限らず、彼の生き方そのものが面白いのかも。勿論、指揮者ですからベートーヴェンならベートーヴェンの音楽を必死に追いかけて指揮をしています。

あえて、誤解を恐れずに書けば、途中で何が起こるかわからない音楽をするのです。そんなやり方もありかと気付かせてくれる指揮者でもあります。世間の言い方だと「斬新な」指揮!

話し方も私は大好きです。何を考えているかわからないような顔をして、突然ズバッと核心をついてきます。典型的な芸術家タイプです。今回は、生き方も指揮の仕方も大好きな井上道義を取り上げます。

井上道義という指揮者はとても楽しんで指揮をする人です。
踊る指揮者と言われているね。日本の指揮者の中でも独特の個性の持ち主なんだよ。

井上道義・略歴

1946年東京生まれ。桐朋学園大学にて齋藤秀雄氏に師事。1971年ミラノ・スカラ座主催グィド・カンテルリ指揮者コンクールに優勝して以来、一躍内外の注目を集めます。

著名なオーケストラを指揮し、豊かな音楽性を披露、各地で絶賛を浴びてきました。

ニュージーランド国立交響楽団の首席客演指揮者、新日本フィルの音楽監督、京都市交響楽団の音楽監督、常任指揮者、大阪フィルの首席指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督などの要職を歴任し、日本の音楽界を支えています。

現在はどこのポジションにも付いていませんが、オペラを始め、各地のオーケストラを指揮しています。今尚、指揮者・井上道義の音楽は深く、大きくなっているようです。

踊る指揮者

井上道義の指揮は独特で、興にのれば踊っているような指揮をします。本当に音楽を楽しんでいるようです。

中学生時代にバレエを習っていた事が関係しているのかもしれませんが、非常に独特な指揮です。柔軟さを生かして音楽の表情をそのまま身体で表現しています。

この事から井上道義は「踊る指揮者」と呼ばれるようになりました。オーケストラにも彼が何をやりたいのかが伝わって、分かり易いのかもしれません。

彼の指揮はまるで指揮台で踊っているようです。
彼にしかできない表現の仕方だね。人気の秘密は指揮姿にもあるのかもしれないな。

井上道義の逸話

彼の今までを振り返って見てみると面白い出来事が多く、それだけでも我々を飽きさせません。

チェリビダッケの弟子

桐朋学園で齋藤秀雄に教わっていた頃は、文句ばかり言って、齋藤を困らせていたようです。井上道義は指揮者コンクール優勝後、チェリビダッケの弟子になります。

チェリビダッケの弟子になってからの師への心酔は半端ではありませんでした。歩き方から仕草まで師の真似をしていたそうです。そもそもチェリビダッケに教えを乞う時点で他人とは違う音楽を目指していた事が垣間見れます。

ボウイング批判事件

若き井上道義が初めて呼ばれたオーケストラでの練習中のエピソードが彼らしくて笑えます。あえて、オーケストラの名は伏せておきましょう。

彼は練習中に、なんてボウイングの下手なオーケストラなんだと注意した途端、ヴァイオリン奏者たちが血相を変えて、この若造が何を抜かしやがると指揮台に迫ったそうです。

彼が冗談のつもりでいったのかどうかは分かりませんが、それ以来そのオーケストラからは声が掛からなくなったといわれています。

あまりにも出来過ぎた話ですから、尾ひれはひれが付いて、大げさになっているという事も考えられますが、彼の性格からして、あり得るエピソードだと思っています。

井上道義・病からの復帰

言いたい事は遠慮せずに言いながらやってきた井上道義でしたが、病気には勝てず、咽頭がんを患います。2014年4月から、治療のため、半年間活動を休止しました。

その年の10月に復帰会見をし、また、元気な井上道義を見る事が出来、ほっとしています。

復帰後すぐにNHK交響楽団や他のオーケストラとの仕事に戻り、周りの者を驚かせました。病気にかかる前よりもいっそう多忙になったかもしれません。

井上道義の感性

井上道義の感性は他の人とは随分違っているようで、彼だったら何かやってくれそうと誰もが思っている指揮者です。指揮界の異端児と呼ばれる事もその感性のせいかと思います。

彼の体から発せられるオーラは他の指揮者とは違って見えます。日本人指揮者としては小澤征爾から感じるオーラは別格のものと思いますが、井上道義も負けず劣らず凄いカリスマ性を兼ね備えているのは確かです。

指揮者による楽譜の解釈の違いはクラシック音楽の面白さに繋がっていますが、彼はそれを『死んだ人と話せる』という独特の表現で語っています。

少々、長くなりますが引用します。

「クラシックが面白いのは、死んでる人と話せることね。クラシック音楽って、過去の作曲家たちが書いた楽譜が残ってて、それを今、よみがえらせるわけですよね。楽譜だけじゃ音楽にならないから、自分の力でよみがえらせる。」
「隣にベートーヴェンさんならベートーヴェンさん、ショスコタコーヴィチさんならショスタコーヴィチさんがいて、どんな気分で音符を3度上じゃなくて3度下に書いたかっていうことを考えながら、対話するんですよ。」
「これは本当に面白くて。だから死んでいる人と対話できる。時代を超えて、100年前なり200年前なりの他の国、他の場所での何かを見る、それは非常に面白いですよ」
「敷居の高さはね、クラシック音楽にはやっぱりあるんですよ。でも入りにくさっていうのは、奥深さにも通じることです」
面白い考え方をしている人なのですね。やはり、井上道義は他の指揮者と違います!
彼の発する言葉は不思議な魅力を持っているね。彼の音楽を聴いてみたいと思わせる要素が溢れている。

井上道義との思い出

今から40年も前の話です。NHK内に日本支部があるジュネス(青少年の音楽活動を支援する団体)主催の音楽祭に、私も合唱団の一員として出演しました。

その時の指揮者が井上道義だったのです。NHKでの練習は8回位で、毎回井上道義に会えると楽しみに思いながら通いました。

笑ったのが、ミッキーマウスのTシャツを着てきた事。彼は30代前半だったと思います。指揮者って本当に自由なんだなと思いました。彼のあだ名はミッキーだからミッキーマウスが好きだったのかもしれません。

オーケストラも合唱も大学生の寄せ集めで、ハイドンのオラトリオ『四季』を演奏しました。NHKホールの舞台に乗れたのですから、今となっては良い思い出です。

最善を尽くして、このメンバーでの最高のものを作り上げようとする能力には、圧倒されました。

適度に程よく笑えるジョーク等も挟みながら、流石に一流の指揮者は違うなというところを見せてくれました。やはり、指揮者にはカリスマ性がないと成り立たない仕事だとつくづく感じたものです。

まとめ

井上道義も70歳を超えた老人になりました。がんという病魔も経験して、また一段と人生について考えるようになったと思います。

クラシック界の異端児と言われてもう大分経ちましたが、また、少し変化があるかもしれません。そういった意味でもまだまだ、興味の沸く指揮者です。

指揮者・井上道義は永遠の「いたずら者」であり続けてほしい、そう思っているのは私だけではないでしょう。彼の音楽を楽しみにしている人は大勢存在しています。

今後も、体の方に注意をされて、長く指揮活動が出来るように願っています。

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