今やスター・ピアニストとして世界で活躍しているユジャ・ワンですが、演奏もさることながら、先ずもって話題になるのが、彼女のステージ衣装です。極端なミニスカートや奇抜な色彩など、他のピアニストとは明らかに違うキャラクターとなっています。
そして、驚かされるのが、彼女はピンヒールを履いて演奏するのです。今まで、数多くのピアニストを聴いてきましたが、モデルが履くようなピンヒールで演奏するピアニストは私が知る限り2人しかいません。
演奏の評価は高いものがあり、本来はそこだけに注目しておけばいいのかもしれませんが、どうしても見た目が気になるピアニストです。そんな、ユジャ・ワンのここまでの歩みを振り返ってみましょう。


ユジャ・ワンの概略
1987年2月10日、北京生まれ。父親は打楽器奏者、母親はダンサーでした。6歳からピアノを始めます。母はダンサーの道に進ませたがったようですが、体が硬かったため、挫折したようです。
もし、彼女に柔軟性があったならば、現在のピアニスト、ユジャ・ワンは存在しなかったかもしれないですね。
7歳で、北京の中央音楽学院に入学し、3年間ピアノを学びます。2002年、15歳でアメリカのカーティス音楽院に留学し、2008年まで研鑽を続けました。
2001年に、ユジャ・ワンは日本の第1回仙台国際音楽コンクールに出場していました。結果は第3位、審査委員特別賞を獲得しています。これは、知らない方の方が多いかと思います。
彼女は、このコンクール以外、主要なコンクールを受けていません。と考えるとなぜ、仙台のコンクールだけは受けたのでしょうか。優勝できなかった事で考えが変わったとも考えられますね。
正式デビューは2003年の事でした。カーティス音楽院で学びながら、プロの道も歩み始めていたのです。
古典派から現代ものまでレパートリーは広いものがあります。特にラフマニノフ、プロコフィエフなどのロシア物はお気に入りのようです。ピアノはスタインウェイしか弾きません。
2001年の仙台でのコンクール以外にも、日本には10回以上訪れています。ひとりの時もありますし、オーケストラの演奏旅行に帯同していた時など様々です。
ユジャ・ワン、チャンスを掴み取る
ユジャ・ワンを一躍世界的なピアニストに押し上げた事件は突然訪れます。2007年3月、アルゲリッチの代役としてシャルル・デュトワ指揮のボストン交響楽団と共演したのでした。
まだ、カーティス音楽院の学生の時代です。曲目はチャイコフスキーの『ピアノ協奏曲第1番』でした。
これにはもうひとつ裏話があって、アルゲリッチ自らユジャ・ワンを指名したといわれています。アルゲリッチにも認められていたピアニストだったのでした。
この演奏会が大成功し、当時20歳のユジャ・ワンの名は世界を駆け巡りました。クラシック音楽界では、有能な才能が世に出るきっかけは、代役の場合が多くあります。彼女は見事に数少ないチャンスを掴み取ったのでした。
2009年に世界的なメジャー・レーベル、ドイツ・グラモフォンと契約し、2011年にカーネギー・ホールでソロ・リサイタル・デビュー公演を大成功させるなど、その後の活躍は目覚ましいもがあります。
オーケストラとの共演は、ベルリン・フィルを始め、各国の著名なオーケストラと行っています。演奏会のオファーはひっきりなしにあるようで、今では年間120回もの公演をこなすような人気ピアニストになりました。


ピアニストとしての評価
ユジャ・ワンはどうしても見た目の印象から違った捉えられ方をされているピアニストです。しかし、超絶技巧の持ち主であり、抒情性も持ち合わせています。
勿論、衣装やハイヒールは、自身をどう見栄えを良くするか考えられた戦略なのだと思います。ピアノの技術だけではなく、ピアニストもマーケットを意識して行動する時代になったのですね。
超絶技巧と言えば、彼女の『くまばちは飛ぶ』を聴いた事があるでしょうか。これを聴けば、テクニックに関する記述をする必要もないでしょう。
抒情性に関しては、同じ中国のラン・ランと比較される事が多くありますが、彼ほど音楽にのめり込まずに、冷静に弾いているのが特徴でしょうか。自分自身のコントロールが上手いと言い換えても同じ事です。
このように、ピアノ演奏面でも世界的評価が高いピアニストです。今のような過激な衣装から解放された時の彼女は、もっと光り輝くような逸材になっている事でしょう。彼女はもう一段階大化けするような時期がある気がしてなりません。


ユジャ・ワンらしさが溢れるコンサート
自由過ぎる衣装
ユジャ・ワンの新しい情報が出て来たと思って読んでみると、衣装で物議をかもしたなどはしょっちゅうです。彼女にとって、過激な衣装とピンヒールは切っても切れない物となっています。
衣装は演奏の邪魔にならなければ良いとして、ピンヒールというのはペダルに影響しないものなのでしょうか。そこだけが気になるところです。
自分が楽しめなくては、聴衆に伝わる演奏は出来ないという信念を貫いているとの由。ピアニストとしての器が大きいのでしょう。オシャレを楽しみたいと思っている年齢でもあります。
リサイタルでの曲目変更が多い
ユジャ・ワンは曲目変更の多いピアニストです。本人は「2年先に自分の弾きたい作品なんてわかるはずがない」と何の問題もない事のようにふるまっています。本当に自由な生き方です。
しかし、これはプロの演奏家としてどうかと思われる方の方が多いのではないでしょうか。事前に発表されている曲目でチケットを購入している聴衆の方がほとんどかと思います。
これも、彼女の魅力のひとつとして捉えるか否か、ここは判断の分かれるところかと思います。
アンコールがやたらと多い
これもユジャ・ワンの大きな特徴です。リサイタルだけではなく、オーケストラの協奏曲でもアンコールをしまくっています。演奏が上手くいくと余程ハイテンションになるのか、必ずアンコールを弾き始めるのです。
それも、1曲で済まず、2曲、3曲とアンコールピースを用意しています。サービス精神が旺盛なのでしょうか。アンコールの方が、元の演奏よりも長い場合もありますから、聴衆は大喜びです。
主催者側はホールは時間で借りていますから、いつも心配させられていると思います。


まとめ
現在のピアニスト界でユジャ・ワンは注目されています。クラシック音楽の伝統を持たない国から、よくぞこんなピアニストが生まれて来たものだと、欧米の人たちは思っているでしょう。
しかも、ユジャ・ワンは三大コンクールなど経験していないのにも係わらず、世界の檜舞台に登ってきました。余程の才能と研鑽の積み重ねがあったのでしょう。
衣装やピンヒールで話題を取るのも大いに結構です。クラシック音楽に興味を持って貰える材料になるかもしれません。