今も昔も変わりなく、大活躍しているピアニストは枚挙に暇がありません。世の中には本当に数えきれないほどのピアニストが存在しています。各国各地にこれだけ音楽学校があり、そこから毎年何百人とピアニストが生み出されてくるのですから当たり前です。
しかし、そこから現在のマルタ・アルゲリッチやマウリツィオ・ポリーニのような超一流のピアニストになるには、才能があるからだけではなる事が出来ません。その人物が持っている「巨匠」というオーラがない人はそのレベルまで到達できません。
アルゲリッチ以前にも大勢の巨匠たちが存在しました。その中で、20世紀最高のピアニストは誰かを探してみようと思います。究極のピアニストランキング。20世紀と謳ったのは録音で今でも聴けるピアニストであるためです。誰が一番になるか皆さんも想像してみてください。
20世紀最高のピアニスト選定基準
- 20世紀に活躍したピアニスト
- 既に故人であるピアニスト
- 多くの録音を残したピアニスト
- ピアニストとしての生き方を追求していた人物
第10位 フリードリヒ・グルダ
生誕・死亡年月日:1930年5月16日~2000年1月27日
出身地:オーストリア
1930年、ウィーンに生まれ。1942年、ウィーン音楽院に入学し、ブルーノ・ザイドルホーファーに師事。1946年、ジュネーブ国際音楽コンクールで第1位受賞。クラシック音楽だけでなく、1970年頃からはジャズに傾倒し、ジャズの演奏に転向しようとしました。
グルダの演奏は、特にベートーヴェンの全集が傑作です。ベートーヴェン『ピアノソナタ全集』は3回も録音し直しました。
グルダのエピソードで面白いのは、自分で新聞に訃報を出しておいて、翌日にグルダが復活しコンサートをやった事。変人だったのですね。かえって魅力に感じます。
第9位 ルドルフ・ゼルキン
生誕・死亡年月日:1903年3月28日~1991年5月8日
出身地:チェコ
作曲の師はアルノルト・シェーンベルク!!1915年、12歳でウィーン交響楽団とメンデルスゾーンの『ピアノ協奏曲』を共演してデビュー。ヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュとの共演で若くして名声を得、ピアノ独奏、室内楽、協奏曲など数々の録音を残しました。
ドイツ音楽が得意だったゼルキンは、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなどの解釈に定評がありました。
ゼルキンは練習の虫としても優秀で、公演後に夕食に誘われても、練習があるのでと断る事が多くあったといわれています。
第8位 ヴィルヘルム・ケンプ
生誕・死亡年月日:1895年11月25日~1991年5月23日
出身地:ドイツ
1895年、ブランデンブルク州ユーターボーク生まれ。ベルリン音楽大学卒。1918年にアルトゥール・ニキシュ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第4番』で協演。コンクールなど無かった時代ながら、若くしてヴィルトゥオーゾ・ピアニストになりました。30代から既にドイツ楽壇の中心的役割を担いました。
ケンプはバッハからブラームスにいたるドイツ古典派、ロマン派の作品を得意のレパートリーとしていました。
録音の多さもケンプの特徴で、ベートーヴェンの『ピアノソナタ』全曲録音には4回も挑戦しています。日本が好きな人物で、この巨匠は10回も日本を訪れてくれました。
第7位 アルフレッド・コルトー
生誕・死亡年月日:1877年9月26日~1962年6月15日
出身地:スイス
1877年スイス生まれ。パリ音楽院予備科に進学するも落第。若き日のコルトーにはまだ光が当たらない時代でした。ピアニストとしてデビューするも指揮者に憧れ、バイロイト音楽祭の助手などを経験。「私の天職はワーグナー指揮者になること」と語っていたそうですが、コルトーは改めてピアニストして目覚め活躍するようになり、20世紀の巨匠となりました。
コルトーの悲劇は戦争に翻弄された事です。ドイツ聴衆のためにピアノを弾いていた事が戦後批判され、名誉回復まで長い期間を必要としました。コルトーには政治的意図があった訳でもないのに、批判は続きました。この事が如何にコルトーを追い詰めた事か。
「コルトーはピアノを歌わせる魔術的な才能をもっていた」多くの人がそう思っています。
第6位 グレン・グールド
生誕・死亡年月日:1932年9月25日~1982年10月4日
出身地:カナダ
1932年、トロント生まれ。3歳から母親に手ほどきを受ける。1946年、トロント交響楽団とベートーヴェン『ピアノ協奏曲第4番』で正式デビュー。トロントの王立音楽院を最年少で最優秀の成績で卒業。1955年、アメリカデビュー。ワシントン・ポスト誌に「いかなる時代にも彼のようなピアニストを知らない」と高い評価が掲載されました。
グールドと言えば何といっても1955年録音のバッハ『ゴルトベルク変奏曲』。1956年に初のアルバムとして発表されるや、チャート1位を獲得。こんなバッハの解釈もあったのかと世の人たちを唸らせました。
賛否両論でしたが、結果はグールドの才能の大勝利でした!グールドのバッハ演奏は説得力が絶大です。クラシック音楽の伝統に縛られない演奏をしています。
第5位 エミール・ギレリス
生誕・死亡年月日:1916年10月19日~1985年10月14日
出身地:ウクライナ
1916年、ウクライナ生まれ。6歳からピアノを始め、13歳でデビュー。オデッサ音楽院卒。西側で自由に活動することをソ連政府から許された最初の芸術家。1952年以降はモスクワ音楽院で後進の指導も行う。1955年、アメリカ・デビュー。鋼鉄のタッチと通称される完璧なテクニックを持っていました。
バロックから現代音楽まで幅広いレパートリーを持ったピアニストでしたが、中でもベートーヴェンを最も得意としていました。「ミスター・ベートーヴェン」とも呼ばれるほどでした。
若い頃のギレリスの演奏と晩年の演奏を比べると大きく変化した事が感じられます。骨太だった演奏が枯山水のような良さが出てきました。どちらのギレリスも彼らしくて好きです。
第4位 スヴャトスラフ・リヒテル
生誕・死亡年月日:1915年3月20日~1997年8月1日
出身地:ソ連
1915年、ウクライナ生まれ。3歳の頃からピアノの手ほどきを受ける。モスクワ音楽院に入学しますが、恩師から「何も教えることはなかった」と言われるほど音楽家として完成されていました。1960年5月にようやく西側での演奏を許可され、アメリカデビューは大成功しました。それ以来各国での活躍が続き、世界的なヴィルトゥオーソ・ピアニストとなりました。
リヒテルはレパートリーが広いピアニストでバロックから現代音楽までカバーしています。しかし、その中核をなしているものはロシア物、また古典派からロマン派までの作曲家です。
音楽評論家の故・吉田秀和は彼のベートーヴェンを聴いて、「これはベートーヴェンを超え、何か別のものになってしまった」と書いています。ヤマハのピアノを愛用していた事は有名です。
第3位 アルトゥール・ルービンシュタイン
生誕・死亡年月日:1887年1月28日~1982年12月20日
出身地:ポーランド
1887年、ポーランド生まれのユダヤ人。絶対音楽を持ち、幼少時から自分は神童だと信じていたそうです。7歳でデビュー、13歳でオーケストラと協演。1906年、アメリカデビュー。1946年にアメリカ国籍を取得。彼はもともと抜群の音感と暗譜力を持っていたようで、極めて少ない練習量でもステージで弾けてしまうような人だったようです。
ルービンシュタインは厳格なメソッドが嫌いで、それよりも音楽の情熱、躍動を重視するタイプのピアニストでした。しかし、練習量が少なかったため音抜けやミスタッチはかなり多くあったようです。
非常に交友関係の広い方で、自身も話好きだったため練習にあてる時間がなかったとも言っています。プレイボーイで、「頭の中の90%は女性の事で占められている」とも語っています。
第2位 ウラディミール・ホロヴィッツ
生誕・死亡年月日:1903年10月1日~1989年11月5日
出身地:ウクライナ
1903年、ウクライナ生まれのユダヤ人。幼少時から母にピアノを習う。キエフ音楽院卒。1926年にはベルリン・デビュー。1928年、アメリカ・デビュー。1944年にはアメリカ市民権を獲得。評論家は「ホロヴィッツの音は独特であった」と証言しています。ピアノを歌わせるという点で彼に比肩しうるピアニストを見出すことは困難です。
ホロヴィッツこそが20世紀最大のピアニストという人も多くいます。非常に神経質で気難しい性格で容易に人と交わらず、自己中心的で、上手く弾けない箇所があると容易に癇癪を起したりするなど、性格的には色々問題のあった人でした。
レパートリーは狭く、残された録音も巨匠の割に少ないです。超個性的な演奏で好き嫌いが非常に分かれるピアニストです。
第1位 セルゲイ・ラフマニノフ
生誕・死亡年月日:1873年4月1日~1943年3月28日
出身地:ロシア帝国
1873年、ロシア帝国生まれ。彼の音楽的素養に注目した家庭教師がいたため、音楽の道を志すようになります。モスクワ音楽院卒。モスクワ音楽院で彼はチャイコフスキーに認められた事が後の彼の進路を決定付けました。作曲家としてスタートしますが、ピアニストとしてもリストの再来とも呼ばれるほどでした。
ピアノ演奏史上有数のヴィルトゥオーソと称えられます。彼は身長が2m以上あり、左手で楽にピアノの12度を抑えられたと言います。偉大なる作曲家で、ピアニストであった彼自身の録音が残っているのは奇跡としか言えません。
音楽評論家の野村光一は「ラフマニノフのピアノは、重たくて、光沢があって、力強くて、鐘がなるみたいに、燻銀がかったような音で、それが鳴り響くのです。まったく理想的に男性的な音でした。」と語っています。
また、彼が『ピアノ協奏曲第3番』を作曲した理由は、自身の手の大きさのため、自分に弾きやすい楽曲を作曲したという話は有名です。ピアニストは手が大きいほど有利といっても、度が過ぎると彼のように苦しむようになってしまいます。
20世紀最高のピアニストランキング結果
第2位:ウラディミール・ホロヴィッツ
第3位:アルトゥール・ルービンシュタイン
第4位:スヴャトスラフ・リヒテル
第5位:エミール・ギレリス
第6位:グレン・グールド
第7位:アルフレッド・コクトー
第8位:ヴィルヘルム・ケンプ
第9位:ルドルフ・ゼルキン
第10位:フリードリヒ・グルダ
20世紀最高のピアニストランキング第1位はラフマニノフとしました。ラフマニノフは年代的にかろうじて録音が残っていますので、これを聴いてしまうと実際に聴いてみたいと思う第1のピアニストだからです。
第2位以下のピアニストたちは順位の変動こそあれ、みなさんが予想していたピアニストたちであったろうと思います。やはり、彼らは偉大であり、不変です。時代を作ってきた巨匠たちです。彼らの音楽は永遠に残る事でしょう。その価値があります。
もう1点。条件に合致しなかったため、挙げなかったピアニストがいます。それも3人。マルタ・アルゲリッチ、アルフレート・ブレンデル、ウラディーミル・アシュケナージ。この3人は既に歴代最高のピアニストの中に入れてもおかしくないと考えます。
まとめ
20世紀最高のピアニストを考えてみました。ここに挙げた10人は順位を付けるのが憚られるぐらい偉大なピアニストたちです。現代に彼らのような個性の強いピアニストが少なくなっているのは少々寂しい気がします。これも時代の変化という事なのでしょう。
otomamireには以下の記事もあります。お時間がありましたらどうぞ御覧ください。